二.

 「まあ仕事と言っても、まずはどこにどんな本があるのか覚えるのが第一かな。何せここにはとんでもない数の本があるからね」

 文子さんは5階の中央付近までやって来ると、そう説明した。私はそこでスカートのポケットに仕舞っていたメモ用紙とペンを取り出す。〝まずはとにかくメモをしろ〟とアドバイスをしたのは、この仕事を紹介した父であった。

「この階は歴史・伝記に分類される本が置いてある、ってざっくり覚えておけば良いよー」

 本当にざっくり過ぎる、と私は心の中で文子さんに返した。まず一言に歴史と言っても、世界史なのか日本史なのか、日本史だとすればどの時代の文献なのか、細かい分類がある筈である。

「この本棚は全部中東地域の文献で…」

 ざっくりと終わる説明か、という私の予想を良い意味で裏切る形で、文子さんは各本棚の説明を始めた。驚いたことに、文子さんはこの書架楼にある本がどの場所にあるのか、全て記憶しているのである。いくら文子さんが長年この書架楼に勤めていたとしても、全ての本を把握するのは恐らく不可能である。文子さんが普通の人間でなければ、不可能ではないのかもしれないが。――そんな馬鹿げた考えを頭の片隅によぎらせつつ、私は必死に文子さんの説明をメモしていた。説明中の文子さんの口調は、さっきと変わらないようでいて、少し真剣なものが混ざっているように聞こえる。文子さんの司書としての熱意と、積み上げて来たものを一気に思い知らされた。

「…とまあ、この本棚は中東地域の中でも比較的新しい発見がされている歴史を纏めたものが多いかな。初版のものは地下の書庫に仕舞ってあるからね」

 文子さんが説明を切り上げようとしたそのとき、私の視界の隅に妙なものが入って来た。私は文子さんの話も聞かず、その〝何か〟を思わず目で追ってしまっていた。――その〝何か〟は本である。しかし、本の装丁が銀一色という、かなり目立つものである。そして更に奇妙なことに、その本の背表紙には本にとって欠かすことのできない題名がないのだ。私の視力は悪くはないが、飛び抜けて良いとも言えないので、本当に題名のない本なのかは自信が無いが。

「ん? どうしたの?」

文子さんの呼び声で、私は我に返った。

「すみませんっ! あの、つい不思議な本が目に入ってしまいまして…」

「不思議な本?」

「はい、そこの本棚に…ない!?」

 私は目撃した本棚の方を指差した――のだが、忽然とその本は消えていた。私は当惑する。

「あの…すみません、見間違いだったみたいです…」

 私は怒られるのを覚悟しながら文子さんに謝った。しかし、文子さんは怒りも呆れもせず、むしろ私の言葉を聞いて目を丸くしている。

「もしかして、その本って周りから見た目が浮いてた?」

 意外な言葉が文子さんの口から出て来た。私は「ええ、まあ…」とはっきりしない返事をする。すると、

「じゃあ、言雄ちゃんにも見えるんだね、あの本…」

「…どういうことですか?」

「えーとね、ここには説明も必要のないくらい本が沢山あるでしょ? その中には、妖力というかなんというか、とにかく不思議な力を持った本が、不思議な行動を取ることがあるんだよー」 

〝不思議な行動〟という、本を擬人化したような言い方をする文子さんの方が不思議である。

「それで、その本というのは具体的にどんなことをするんですか?」

「うーん、今みたいに動き回ったり、頁が全部白紙になってしまったり…色々あるけど、今のところ人への害は無いみたい。でも、今この書架楼に居るお客さんに危害を加えないとは限らないでしょ? だから、こちらでその本を封じて、鎮める為にこれを使うんだ」

 そう言って文子さんが腰に下げているポシェットから出したのは、螺鈿のようなもので出来ている御札に見えるものであった。

「それは…?」

「これは、その不思議な本…私たちは〝怪書〟って呼んでるんだけど、その怪書を鎮める為に挟む栞なんだ。なんでも、先代の館長…館長の御父上が作ったものらしくて。それにしても…そっか、琴緒ちゃんにも見えるんなら、これをいくつか渡しておくね」

 文子さんはポシェットから数枚、同じ栞を取り出して差し出す。私はそれを受け取った。手に取ってよく見てみると、鮮麗な螺鈿の栞にしか見えず、羽のように軽い。

「…色々この書架楼の詳しい説明とかしたいところだけど、今は怪書対策が先かなー。よし、手分けして探そう!」

 文子さんは呑気な中にどこか活き活きとしたものがある調子でそう言うと、歩き出した。私も文子さんの指示通り、あの銀の怪書を探そうと動き出す。すると、目の前の本棚に早速その怪書は現れた。

「ああっ!?」

 私は思わず叫び、駆け出してしまっていた。何とかあの銀の本まで手が届きそうだ、というところでふっ、と音も影もなく消えてしまった。私はその場で固まってしまう。

「どうしたの?」

 私と別れた筈の文子さんが、私の声を聞き付けて戻って来た。

「すみません、怪書を捕まえようとしたんですけど、すぐに消えてしまったんです」

「怪書ってオバケみたいなものだからねー。上手くいくときはすぐに捕まえられるんだけど、手こずるときはとことん手こずるよー」

 文子さんは眉を八の字にしながら笑った。

「今回の怪書はどうなんですか?」

「むー。まだ見つけたばかりだから何とも言えないなあ。とにかく、今は怪書を追うことに専念しよう」

「分かりました」

 こればかりは文子さんの指示に従う他はない。文子さんはまた私と別れ、私はこの階を探すことにした。

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