第20話 カーチェイス、そして最終決戦

父が運転するバンは、国道441号線を北上していた。


「もうこれでこの高知県ともお別れか…」父は物思いにふけった様子でそうつぶやいた。


「そうだ、お頭!せっかくだから四万十川沿いを進みましょうよ。441号線は混雑しますし、県道の方が早く進みますよ?せっかくだし、最後に佐田の沈下橋に寄るのもいいですね!」


「たしかにそうだ。よし」


父はそう言って、市役所前の交差点を左折し、県道340号線に向かった。


竜の涙のような雫が、空から零れ落ち始めていた。



―――――――――――――――――


宗輝さんの後ろに座っているぼくの背中には、2本の木刀があった。1本はぼくのもの、もう一本は宗輝さんのものだ。もし父に追いつくことができれば、もう一度戦わなければならない。


宗輝さんの駆るバイクが市役所前の交差点に差し掛かったとき、ぼくは宗輝さんに声をかけた。

「ちょっと待って!やっぱり、四万十川沿いを進んでくれない?」


「なんだって?」


「ぼくが今から案内する県道340号線を通ってほしいんだ」


「どうして急にそんなこと言い出すんだ?」


「確証はないんだけど、父さんはこっちを通ったような気がして…」


「なんだかニュータイプみたいな発言だな…?まあいい。お前を信じるぜ」

宗輝さんはそう言って、国道441号線ではなく県道340号線を北上した。


四万十川沿いの県道340号線は、景観の良い直線の道が続くが、曇り空のせいでその魅力は半減していた。


「しっかり捕まってろよ、勇」

バイクのスピードメーターは100kmを越えていた。ぼくは振り落とされないように、宗輝さんの体にがっしりとしがみついていた。


雨脚が強くなり、道路にはところどころ水たまりがあった。バイクはたびたび泥濘にはまり、泥がはね上げてくる。


そのとき、宗輝は侍さんに語りかけた。

「なあ。宗珊…人生っていうのは、過去のしがらみを忘れて、生まれ変わった気持ちになれるのだろうか?」


「ああ。若さなど関係ない。何時だって、今この瞬間が最も若いのじゃ。変わろうと思ったら、いつだって変わることができるはずじゃ」


「俺も剣道をもう一度始めようかな。アマチュア武道大会に出るのも悪くねえし、もう一度、戦いたいんだ」


「なぜそんなことを考え始めたのじゃ?」


「少年たちと修行をしているとよ。あいつらが輝いて見えたんだ。あいつらは、今に夢中なんだ。あいつらなりに過去に色々なことがあったみたいだが、それに縛られずに今を必死で生きている…」


「ああ、儂も勇と一緒にいてそれを感じたのじゃ」


「俺はこの20年。高校時代のあの忌々しい事件が頭から離れなかった。けどよ、そろそろ過去を吹っ切って、自分の心に素直に生きていこうかな、と思ってよ」


宗輝さんの言葉を聞いて、侍さんはにこやかな表情を浮かべた。何か心のつかえがとれたかのような表情だ。


その時、目の前に白いバンが現れた。それは、半年前に見かけた父が運転していたものを同じナンバープレートだった。


「宗輝さん!たぶんあの車が、父さんたち長元組の車だ!」


「わかった!とりあえず横につけるぜ!」


バイクはバンの横に迫り、並走した。



―――――――――――――――――



バンの中では、長元組のメンバーがざわつき始めていた。


「おい、何か後ろからバイクが追ってきてるぜ?」


「なんだと、警察か?」父は、眉間に皺を寄せる。


「いや、白バイではない。普通の単車だ」


そう言っているうちに、そのバイクは、バンの真横に迫っていた。


「あ、この顔!いつも俺たちの邪魔をする小僧だ!」


「仕方ない、逃げるぞ…」父はそう言って、アクセルを強く踏み込んだ。



―――――――――――――――――


バンの横についたとき、バンは急に速度を上げた。逃げ切り体制に入っているようだ。

前に出たとしても車が止まる気配がなく、並走したとしても、その走りを止めることはできなかった。


「宗輝さん、どうやって車を止めるの?せっかく追いついたのに...」


「これがバイクではなく、車なら洋画のように体当たりできたんだけどなあ…

いや、ひとつ秘策はあるが、ここじゃ危険すぎる…」



―――――――――――――――――


逃げる父も、宗輝と勇の追跡に頭を抱えていた。


「ついてこられるのは厄介ですよ!早く振りきらねえと…」組員は声をあげる。


「わかってる。しかたねえ、次の急カーブで振り切るしかねえ!」


佐田の沈下橋に通じる道の手前で、父は270度、左にハンドルを切った。

なるべくスピードを落とさず、ドリフトを駆使して曲がっていく。



―――――――――――――――――


ぼくは、雪と自転車でこの道を通ったときのことを思い出した。

もう少し進んだところを左に曲がれば、佐田の沈下橋だった。


「宗輝さん、左に曲がる想定をしておいてください」ぼくはそう告げる。


「また、ニュータイプの勘か?」


「そのようなものです」


ほどなく、目の前の白いバンは猛スピードで左に曲がり始めたが、バイクは振り切られることなくぴったりとバンの後ろについている。


そして、バンは佐田の沈下橋に差し掛かった。



その時、宗輝さんは叫んだ。

「今だ。フルスロットルだ!」


グィイーーン、今まで聞いたことのないほどの激しいエンジン音が響き渡る。

メーターは180kmを振り切っている。バイクはあっという間にバンを追い抜かし、先に沈下橋を渡り切った。


沈下橋を渡りきったところでバイクを止めた宗輝さんは、座席を開けてパンタグラフのようなものを取り出した。


「これは何?」


「スパイクストリップさ。車を止めるために用いるものだ。まあ、簡単に言えば、鋭利な針でタイヤを穿孔する、現代のマキビシだな」


「なんでそんなものを持ってるの?」


「なんでと言われてもなあ。俺は常に最悪の事態を警戒するタイプなんだ。

最近、暴走車が多いからよ。いざというときのために持っているんだ」


「なるほど、それでこれを使って、父さんのバンを止めるってことだね?」


「ああそうだ。さっきの県道でこれを使えば、他の車を巻き込んだり、避けられてしまう可能性があったが、この狭い道ならその心配もない。だが、勇。この道具は車両を止めるための手段としては強力だが、使う側も、使われる側にも危険が伴うんだ。お前は少し離れていろ」


宗輝さんはそう言って、ぼくを道の端に避難させた。そして、バンが迫ってくる道の前に、スパイクストリップを設置した。



―――――――――――――――――


父の目の前には、黒いトゲトゲの絨毯のようなものが敷かれていた。


「なんだあれ!?お頭、避けましょう!」


「避けろっつっても、左右は川だ。しかもこの大雨で濁流になってやがる…このままつっこむしかねえだろ!」


バンはそのまま黒い絨毯に突っ込んだ。


ドバァーーン、という大きな破裂音が響き渡り、車は秘孔を突かれたかのごとく一瞬で動けなくなった。



―――――――――――――――――


動かなくなったバンから、ぞろぞろと木刀を持ったスーツ姿の男たちが出てきた。

長元組の組員たちだ。


「早くこいつらを始末して、タイヤを交換するぞ。早く逃げないと、上海便に間に合わねえ」


ぼくは、父さんをじっと睨みつけた。その視線を感じた父さんは、組員たちに言った。

「あの小僧は俺が始末する。お前たちは、あのでかい奴をどうにかしろ」


宗輝さんはぼくに問いかけた。

「勇、お前は親父と対峙するんだな」


「うん…」



―――――――――――――――――


弱まらない雨脚の中、ぼくは父と向き合った。


「勇、俺を見逃せよ?」

父さんは、その二重瞼を細めてそう言った。


「そんなことできるわけないじゃないか」


「俺が盗んだ金は、銀行のあぶく銭だ。この金は盗まれても、保険会社が支払った保険金により補填される。保険会社も再保険をかけているから、日本以外の保険会社が補填してくれるんだ」


「そういう問題じゃないよ。現金輸送車を奪う行為は、れっきとした犯罪行為だ!」


「まだ綺麗ごとを言うのか…勇。お前にとって、犯罪とはなんだ?」


「罪を犯す、ことだ」


「罪というのはなんだ?」


「法律を破ることが、罪だ」


「ならお前にとっては、法律が全てなんだな?法の抜け穴を熟知して悪事を犯す政治家や警察は罪を犯してねえのか?」


「全てではないかもしれないけれど、少なくとも日本の法律がこの国の秩序を守っているんだ…」


「やはり、俺とお前はわかりあえないな。仕方ない、京都の時みたいにもう一度気絶してもらうおうか」

父はそう言って、木刀を手に持った。


父の隣にいた長宗我部元親は、ニヤッと笑い父の体に入り込んだ。そう、父に憑依したのだ。


そして元親は、ぼくに向けて言い放った。

「よく聞け。土居宗珊。お主が死んでからの一条家侵略は容易かったぞ!お主に贈り物を送りつけて、始末した甲斐があったわ!」


「なんだと…!」侍さんが叫んだ瞬間、大きな`ナニカ`が、ぼくの口の中に入ってきた。それは、食道を通って体の奥底に入ってくる。しかしそれは決して、禍々しいものではなく体に活力を与えるものであった。


そして、薄まっていく意識の中で、ぼくは侍さんに勝利を託した。特訓によって自分自身の剣のレベルも上がっている。その状態で侍さんが憑依してくれたら、父さんに勝てるかもしれない…



―――――――――――――――――


強風を交えた土砂降りの中、長元組の男たちは宗輝を取り囲んだ。その数は4人、得物は木刀。


正面に四人、背後に同じく二人、距離は前後とも二メートルほどだ。


すぅっと息を吸い込んだ宗輝は大きく踏み込んで、右前方の相手の右肩から左脇に刀を振り下ろした。腰の回転と足の力を使った流れるような袈裟斬りだ。


木刀とは思えないほど鋭い空気を裂く音と共に、男は倒れこむ。


その状態からすぐ左足を踏み込み、二ノ太刀で二人目の男の胴を横一文字に払った。これも深く入り、男は倒れた。


そのとき、宗輝の背後から凶刃が迫った。



―――――――――――――――――


<憑依の刻>


少年は踏み込んだ勢いのまま、電光のように上段から手首に向かって撃ち落とした。眼にも止まらぬ疾さである。

しかしその太刀筋は、父に見極められていた。父はさっと腕を動かし、致命傷を避ける。


少年は撃ち落とした刀を即座にひるがえし、再び上段から存分に撃ちこんだ。しかし父も同時に打ち込んでいる。ほんの少し父の撃ち込みのほうが激しく少年の刀は横に払われた。少年の態勢が崩れたところに面にきた。危うく鍔で受けたとき、ばっと火花が飛ぶ。


その後も少年は攻め続けた。父の間合いに斬り込み、そのままに横薙ぎした。しかし父はそれを振り払う。お互いに決定打がなく、膠着状態に落ち着いた。さらに数合打ち合った後、互いの間合いをどう侵すか、中心の取り合いが始まった。


少年と父の体を借りてはいるが、それはまさに、長宗我部元親と土居宗珊の因縁の戦いだった。


その後も、両者一歩も譲らぬ打ち合いが続いた。大粒の雨音と刀同士がぶつかる音だけが鳴り響いた。

剣と剣の戦いは体が勝手に反応するというが、両者の戦いはまさにその通りだった。


互角の戦いが続いた勝負だったが、父はここで仕掛けた。少年の癖でほんの少し空いている左を目掛けて、小手を繰り出した。


そこからの少年は、受けの一方だった。相手の刀は容赦なく、肩、腕の付け根、肘、などにピシピシと食い込んだ。少年が刀を持つ手は鉄棒のように重くなっている。


戦いの最中も、少年の魂の蝋燭は轟々と燃え上がっていた。

今までで最も長い戦闘時間は、少年の体に与えるダメージが大きいようだ。


侍は、これ以上少年に憑依して戦っても、相手に致命傷を与えるイメージができなかった。

「儂では勝てんかもしれん…」そう呟いたあと、侍は憑依から外れた。



―――――――――――――――――


宗輝は身体を反転させて、背後から迫った凶刃を交わした。刀を振り下ろしてきた男の顔面を右肘で打ち付ける。鼻の真ん中にクリーンヒットし、3人目の気絶者となった。


最後の四人目の男は、顔が引きつっていた。仲間がいとも簡単に倒されていくことに驚いているのかもしれない。宗輝は男に向かって突進し、気合いとともに左足を踏み込んで斬ったが、相手の刀に太刀筋を防がれた。しかしすぐさま、手首に小手を打ち込み、ひるんだところを脳天に面を命中させた。


男はなすすべもなく、前のめりになって倒れた。



―――――――――――――――――


ぼくが意識を取り戻したとき、体中がズキズキと痛んだ。ぼくの横では侍さんが、「すまん勇、勝てんかった…」と申し訳なさそうに首をたれている。


侍さんが憑依を解いたのと同じ時に、長宗我部元親も父からの憑依を外れているようだ。


そして父は、ぼくに語りかける。

「勇、もうあきらめろ。土居が憑依して戦っても俺には勝てなかった。お前に勝ち目はない」


「まだ勝負はついちゃいない…」


「ボロボロの体で強がりをいいやがって…」

父は呆れるように呟いた。


まだ終わってはいない。諦めない限り、活路はある。脳内では'終わらない歌'が流れていた。


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