第18話 動き出す歯車、迫りくる弾丸

長元組の事務所では、父と組員たちが頭を抱えていた。


擁立した候補が大敗し、条例の改正ができなくなっただけでなく、選挙に資金をかけすぎたため、組員の生活維持も困難になってきていたのだ。


さらに、SNSのプロフェッショナル集団と探偵事務所に依頼を続ける資金も尽き、情報を握れなくなったため、政治家たちも離反していった。

金がなくなれば、人も情報もなくなってしまうのだ。



組員たちは現状を嘆き合った。

「もうだめだ。市の職員まで買収して選挙に挑んだのに負けちまった」


「みかじめ料もねえ。企業とのやりとりもできねえ。政府や国民は俺たち暴力団に死ねといっているのかよ!?くそったれた世界だぜ…」


「ならもう、特殊犯罪をするしかねえんじゃねえか?オレオレ詐欺とかで、金を持っているお年寄りから搾取しようぜ?」


「俺は弱者を相手にした犯罪行為には手を染めたくねえ。あくまでも、金が余っているところから奪いたいんだ。そこだけは、俺たちの誇りだっただろ?」


「そんなきれいごとを言っている場合じゃないだろ…?」


事務所内には険悪な雰囲気が漂う。組員たちは苛立っていた。


実際、警察の取締りの強化によって用心棒代などの従来型の資金源を断たれ、生活費にも困窮した暴力団員が“荒手”の犯罪に手を染めている実態があった。暴力団員による「食料品の集団万引き」、「はらこを狙ったサケ泥棒」、「拳銃を担保に借金」など、今までは考えられなかった事件が起こっているのだ。


「お頭、どうするんですか!?だいたいこんなことになったのも、お頭が選挙に賭けようと言ったからで…」


「お頭のせいにするのはやめろ!全員で賛成して、選挙に挑んだんだろうが…」別の男が口をはさむ。


「そうだな…でも今のままではもう俺たちは生活できませんよ?

リストラでもしないと…」


ここで今まで黙っていたお頭は重い口を開いた。

「俺たちの組織はリストラはしねえ。組員は個人事業主だとはいえ、運命共同体だ。俺にとって、組員のやつらは家族みたいなもんなんだよ…」


「じゃあどうするですか?金はもう殆ど残ってないんですよ。ならもう解散ですか?暴力団なんて、今の時代にそぐわないですもんね…」


「バカ!解散したって、俺たち元暴力団員には、仕事に就くことさえ簡単じゃないんだ。銀行口座もねえんだぞ?

どうやって…」


討論はまるで小田原評定のようだった。追い込まれた状態でいくら議論すれど、起死回生の一手は見つからない。



そのとき、父に憑依していた長宗我部元親が、「俺に変われ」と呟いた。


そして、彼に憑依をして意識を奪い、組員たちに秘策を打ち明けたのだ。

その秘策は今までのように狡猾な作戦ではなく、一線を越えるものだ。


「今から作戦を伝える。この成否で、俺たちの生死が決まる。野垂れ自ぬか、大金を奪って逃げるか。お前ら覚悟はいいか?」


組員たちは唾を飲み込んだ。部屋の隅では、ジイがニヤりと笑っていた。



―――――――――――――――――


真夏の太陽が照り付ける8月9日。

閉店間際の四国銀行中村支店に、スーツ姿の男が入店した。


男は冷や汗をかきながら、店の中央まで歩みを進める。


「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」


銀行員からの雨あられのような言葉は、男には聞こえていない。それほど緊張しているのだ。


そのとき、男はポケットから一丁の拳銃を取り出した。

それは警察には提供せず、万一のために残しておいたものだ。


それを銀行員に向けて差し向けて、腹の底から叫び声を出した。

「全員、動くな!この意味がわかるよな…

それと、そこの数名の一般客!お前ら、逃げるなよ。端っこから窓口の中に入れ!」


男の声も震えていたが、銀行員たちはそれ以上に震えていた。


数名の一般客も男に言われるがまま、銀行員が働いている窓口の内側に移動させられた一般客の中には、雪の母と、雪もいたのだった。



―――――――――――――――――


四万十インターチェンジの前のT字路。

普段は交通量が多いこの場所だが、このときは車の流れがなかった。


そのとき、1台の自転車がフラフラとやってきたかと思えば、T字路のど真ん中で動きを止めた。


ほどなく、高速道路から出てきた軽トラックがこの場所を通ろうとしたが、自転車はその場所から動かなかった。驚いてブレーキを踏んだ軽トラックは、すんでのところで動きを止めた。


「なにやってんだ!」運転手は窓から首を出し、自転車の男に叫び声をあげる。


このとき、道路の中央を軽トラックが防ぐ形になったため、多くの車が行く手を阻まれ、T字路は大混乱に陥った。


道路の混乱を見届けたあと、自転車に乗った男は車の間を抜けて東に逃げ出した。



―――――――――――――――――


千枚通しとは、手を使って小穴を穿つための文房具だ。

対象に切っ先を接触させ、持ち手に力を込めて穴を穿つ。しかしこの文房具は、悪意あるものが使えば凶器にもなる。


3名のスーツ姿の男は、中村警察署に停めてあるパトカーのタイヤ側面に千枚通しを刺していった。


しかしタイヤ側面の弾力性によって、破裂音はしない。かなりの高圧のタイヤは爆発することがあるが、普通車は側面を狙うと簡単にタイヤをパンクさせることができる。


彼らは淡々と、タイヤをパンクさせていった。



―――――――――――――――――


四国銀行中村支店からの通報と四万十インターチェンジの交差点からの通報が、中村警察署に鳴り響いたのは、殆ど同じタイミングだった。


急いで現場に人員を派遣するため、中村警察署の署員はパトカーに乗り込もうとする。

そのとき署員たちは目を疑った。スーツ姿の男たちが、自分たちのパトカーに千枚通しを突き刺しているのだ。


「お、お前たち何者だ!」署員たちは叫び声をあげる。


「やっと気付いたか!けど、もう遅いんだよ!」男たちはそう言って、一目散に逃げた。署員たちは逃げ足の早い彼らに追いつくことはできなかった。


彼らの逮捕よりも、2つの事件の対処を優先させた署員たちはパトカーに乗り込んだが、手遅れだった。どのパトカーもパンクさせられており、まともに動ける車はなかった。


中村警察署から最も近い下田駐在所のパトカーとバイクも、千枚通しによってパンクさせられていた。


「なんてこった、俺たちのパトカーが全部パンクさせられちまった…」


署員たちがパトカーのパンクに目を奪われていたどさくさに紛れて、1台の白バイがある男によって盗まれていた。



―――――――――――――――――


8時間かけて移動し、東京から中村に帰ってきたとき、ぼくのスマホに身に覚えのない番号から電話がかかってきた。


「もしもし」


「あ、勇くんですか?あなたは今、どこにいるんですか?」

声の主は、意図的に声色を変えているようだったが、その声はどこかで聞き覚えがある。


「勇です。今、中村駅ですが、あなたは誰ですか?」


電話口の男は、自分の正体には触れずに、話を続ける。

「では、大切なことを言いますよ。今、この中村の町は大変なことになっています」


「…どういうことですか?」ぼくは話の意図がつかめなかった。


「まずは、四国銀行四万十川支店に行ってください…」

電話はそこで途切れた。


不審に思ったぼくら3人は、すぐにそこに向かった。



―――――――――――――――――


現金輸送車は、おもに現金輸送を目的とする特別な自動車だ。


普通車両よりも丈夫に作られ、防犯のためキャビンとは隔壁で分けられた貴重品金庫室や電子錠を備えている。


乗要員が持つリモコンからの信号で車両のエンジンを電子的に破壊して逃走を阻止する非常停止装置や、GPSを用いた現在位置把握装置などが備わっている。


各銀行が自身の支店へ現金を運ぶための現金輸送車、つまりルート便は現金輸送の要だった。


時刻は16時前、四国銀行中村支店に向かっているルート便にの後方から1台の白バイが走ってきた。その後、現金輸送車の前を塞ぐようにして停車した。


不審に思った現金輸送車の運転手、斎藤は車を停車させる。

このとき、現金輸送車の鉄則、「止めるな」は破られることになる。


窓から首を出した斎藤は、白バイの男に、「どうしたんですか」と尋ねた。

本来は助手席の人員も含めた2名体制で、業務を行う必要があるのだが、助手席にいた上司の原田が突如、腹痛を訴えて離脱したため、斎藤しか車に乗っていなかった。


白バイに乗った男は、斎藤にこう言った。「貴方の銀行が銀行強盗にあった。犯人がこの輸送車にダイナマイトを仕掛けたという連絡があったので調べさせてくれ」そして、輸送車の車体下周りに潜り込んで捜索を始めた。


斎藤もついさっき、無線で銀行強盗のニュースを聞いたところだった。ダイナマイトが仕掛けられているという可能性もゼロではない。斎藤はドアを開け、男の行動を見守った。


しかし、彼は迷っていた。車体下周りをこのまま捜索させておいてよいのだろうか、と。この男は本当に白バイ警官だということに確証が持てなかったのだ。


彼の迷いは、自分自身の自身のなさにも起因していた。

現金輸送車の警備員は、輸送警備員呼ばれる専門職である。リスクの高い仕事であるため、警備会社に勤めている人の中でも信頼のおける人しかつくことができない。

しかし斎藤は、新米の輸送警備員であり、現金輸送の経験も数えるほどだった。ベテランで教育係の原田が離脱した今、彼自身で判断ができるほどの経験を持ち合わせていなかったのだ。


車体下回りに潜り込んでいた男は、ひょっこりと顔をだすと、「輸送車からダイナマイトは取り外せたが、道路に落ちてしまった!もう爆発するぞ!早く逃げろ!」と叫んだ。

それを聞いた斎藤は慌てた。そして現金輸送車の鉄則、「止めるな、開けるな、離れるな」のうち最も大切な、「離れるな」を破ってしまったのだ。



一目散に逃げだし、10mほど離れたが、爆発音はなかった。

だが、後ろを振り返ったときにはもう手遅れだった。


白バイに乗っていた男は、輸送車に乗り込み、運転席のドアを閉めて走り出していたのだ。

この時、斎藤は思った。なんと勇敢な「警察官」なんだろう。爆発から輸送車を退避させてくれたのか。


輸送車を停めてあった場所には、ダイナマイトのようなものが激しく炎を上げていたが、ほどなく自然に鎮火する。不思議に思って引き返した斎藤は、炎を上げていたものが発煙筒であることに気付いた。


そう。男はダイナマイトを探すふりをして、発煙筒に火をつけただけだったのだ。まんまと騙された斎藤は、サヨナラ弾を浴びた投手のように肩を落とした。


しかし、その場に残された白バイは、間違いなく本物だ。ではあの「警察官」の服を着た男は何者なのか、これは現金強奪事件なのだろうか…


斎藤はすぐに警察に連絡し、一部始終を報告した。すると、警察は斎藤にこう伝えた。「つい先ほど、白バイが1台盗まれている。また、1週間前に警察官の制服が盗まれていた。間違いない、これは現金強奪事件だ…」


斎藤は警察に電話をする前に、すべきことがあった。それは、乗要員が身に着けているリモコンからの信号で車両のエンジンを電子的に破壊して、非常停止装置を作動させることだ。

しかし、斎藤はそれを失念していた。



―――――――――――――――――


四国銀行中村支店に入ったとき、ぼくらは驚くべき光景を目にした。


スーツ姿の男が、銀行の職員たちに対して拳銃を構えていたのだ。

さらに、銀行の職員たちのすぐそばに、雪の母と雪もいた。


「お前!何しやがるんだ!!」トシは叫んだが、宗輝さんはそんなトシを制止する。「待て、トシ。落ち着け」


友人が窮地に立たされている場面で、冷静になれとのは難しいが、トシは宗輝さんの言葉を聞いておとなしくなった。

短気なトシにしてはおかしいと思ったが、これも修行の成果なのかもしれない。


最も取り乱していたのは、スーツ姿の男だった。

彼は前後を何度も振り返り、入口にいるぼくらと窓口の奥にいる銀行員たちに向けて、交互に拳銃を構えた。


窓口の側にいる人々に対しては、「動くな…!」と、入口にいるぼくらに対しては、「来るなよ…こっちに来るなぁ!」と、叫んだ。


男はその状況に動揺しているようだった。自分が何をやっているかさえわからず、錯乱しているように見えた。


窓口の中には、雪たちがいる。この危険な状況を打開するには、男に交渉を持ちかけるしかない。ぼくは勇気を振り絞り、男に声をかけた。

「落ち着いてください!一度、拳銃を置いてくれませんか!?」


その声を聞いた男は、「うるせえ」と叫び、ぼくに向けて引き金を引いたのだ。


一瞬、時間が止まった気がした。

こちらに迫ってくる弾丸がスローモーションに見える。弾丸の回転が鮮明に見えた。


ああ、死ぬのか。死ぬ前には、このように世界がゆっくりになるんだ…

そう思ったそのとき、ぼくの体は、トシのタックルによって吹っ飛ばされた。


迫りくる弾丸は、トシの腹部を貫いた。



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