第17話 市長は誰だ / 特訓の刻
長元組の行動は早かった。
SNSのプロフェッショナル集団と探偵事務所に四万十市の政治家たちの動向を探らせて、彼らの弱みを握ったのだ。その情報を秘匿することと引き換えに、自分たちの傘下に入ることを促すと、政治家たちは面白いように長元組に従った。
金だけではなく`情報`を活用した長元組は、既存の政治家を買収していく。その中には、市内に幅広い人脈を持った市政経験者も含まれていた。
そしてほどなく、長元組の傀儡となった数名の政治家たちは、地方政党「土佐勤王党」を結成した。
長元組と彼らの支援者は続いて、土佐勤王党を宣伝するビラ作成に取り掛かっていた。
勇の父は話を切り出した。
「まだまだ土佐勤王党の認知度は低い。さらに勢力を拡大して、今回の選挙で圧勝するためにも、ビラを配り、ネット上に広告を貼り出し、認知度を上げなければならない。
選挙は政治哲学や判断プロセスを市民に問うものだが、市長のマニフェストなんて大体みんなが同じこと書いているんだ。だからこそ、シンプルな方策を打ち出すべきだ。
だから俺は、政治家と公務員の給与のカットによる住民税減税を大きく打ち出したい」
「そんなことすれば、当選したとしても市の職員や政治家から反感を食らって、政治が回りませんよ?」
「わかってる。だからこそこれはあくまで公約だ。国会議員だってそうだろ?定数削減なんて一向に実施されやしない。マニフェストの実行に法的制限はないんだ。
だからこそ、まずは勝てればいい。市民に耳障りのいい公約を掲げたほうが勝ちやすいからな」
そして長元組は、資金の大半を使ってビラを作成した。
大々的に打ち出した住民税減税の項目に隠れてはいたが、そこには小さな字で、「暴力団廃止条例の廃止・緩和」と書かれていた。
これこそが彼らの真の目的だった。長元組は政治を良くしようとは思っていない。ただ、自分たちの暴力団を存続させるために政治を利用しようとしているのだ。
だが、彼らだけが責められるべきなのだろうか。国の中枢にいる政治家でさえ、政治を私物化しているのだから。
長元組たちは本気だった。ポスティング業者には頼まず、自分たちで四万十市内の家を訪れ、一軒ずつビラを配っていった。
ビラだけではなく、大きなアドバルーンを空に打ち上げた。
「土佐勤皇党が、四万十市の政治を変える!」
これらの宣伝は、市長選挙にどのような影響を与えるのだろうか。
―――――――――――――――――
メディアの報道と市役所への抗議の電話によって、山内元市長は憔悴しきっていた。
また、資金不足のため、出直し選挙に出馬しても当選の見込みは少なかった。
そんな彼を救ったのは、市民だった。
市内の主婦と福祉関係者らの団体は、山内元市長の出馬を求めた署名約3000人分を集めて、彼が出席した集会で後援会幹部に手渡したのだ。
この団体は、真実を見抜いていた。山内元市長のここまで約7年の政治がいかに市民に寄り添ったものか。そして、今回の報道が悪意に満ち溢れたものだということに。
山内元市長はこの署名に涙した。
「きちんと要請への返事をしたい」と述べ、後日、正式に立候補を伝えた。
もちろんこのことは雪にとっても嬉しい出来事だった。メディア報道に踊らされず、自分の父の政治手腕を認めてくれる人は大勢いたのだ。
結局、元市長の山内氏、長元組が擁立した元県議の新浜氏、無所属の中岡の3人が立候補を表明した。
選挙まで残り10日。果たして、市長選挙の結果は如何に。
―――――――――――――――――
一方その頃、宗輝のもとに憑依していた侍も行動を起こそうとしていた。
「なあ、宗輝…勇はどうしておるかのう」
「四万十市では、市長が辞職して大変らしいからな。勇もいろいろ悩んでるんじゃねえのか?」
「市長?たしか、雪の父親ではないか…」
「そろそろ、勇のもとに戻ってあげたほうがいいんじゃねえのか?」
「ふむ…」
―――――――――――――――――
7月21日。
開票結果は、意外なものだった。
長元組が支持する土佐勤王党の候補は、元市長の山内氏に大敗したのだ。
一体なぜなのだろうか。
長元組はインターネットとメディアを味方につけた。実際、テレビや新聞、インターネットの掲示板も、山内元市長への批判的な意見が多数をしめていた。これだけを鑑みれば、山内元市長は「悪人」というレッテルをはられていた。
選挙にかけた費用も圧倒的な差があった。長元組は大々的にビラを配り、選挙カーを走らせた。しかし、資金難に陥っていた山内元市長は、目立った広報活動を行わなかった。
だが、選挙結果は山内元市長の圧勝に終わった。
つまり、市民は山内元市長の実績を評価したのだ。中学生まで医療費無料、子ども施策の充実、などの政治手腕に重きを置き、投票したのだ。
スペインの哲学者オルテガは、1929年に出版された『大衆の反逆』で、大衆批判を展開しているが、今回の選挙結果においては、大衆が愚かだとは言えないかもしれない。政治とはメディアやインターネットによる世論の誘導だけでは動かせないのかもしれない。
山内元市長の再選に伴って、雪の周辺も、徐々にではあるが落ち着き始めた。
一方、窮地に陥ったのは、長元組だ。
―――――――――――――――――
その日、1学期の終業式が終わった。
ぼくは京都の一件以後、少し明るさを取り戻しつつはあったものの、侍さんがいないことはやはり寂しかった。また、選挙で負けた長元組がこのまま何もせずに終わるような気もしていなかった。
いつものように家に着くと、バイクに乗ったお兄さんが立っていた。彼はにっこりと笑って、ぼくを出迎えてくれた。
「よう、ボウズ。久しぶりだな」
「あ、お兄さんは、京都で出会った人力車の人だ!」
そしてぼくは、お兄さんの横にいた侍さんの姿に気付く。
「さ、さむらいさん…」
目頭が熱くなってきた。侍さんに会うのは京都以来であり、あれから2か月ほどが経っていた。
「勇、儂がおらんでも元気に生きておったか?」
侍さんはぼくに尋ねた。
「ぼくだけならきっと塞ぎ込んできたよ。けど、トシと雪がぼくを叱咤激励してくれて、それからはいつも通りの日常を過ごしている。それとね、侍さん…」
「その先は言わなくてもよい」侍さんはぼくの言葉を遮った。
「安心してくれ、勇。お主は、儂の命の恩人じゃ。お主が札を剥がしてくれなかったら、儂は封印されたままじゃったのだからのう。
それに何度も言っておるが、儂は勇が誰の子孫であろうともお主を嫌いになることはない」
「ならどうして、この2か月ぼくの元から離れたのさ…?
ぼくが長宗我部元親の血を引いているから、嫌われたと思ったじゃないか…寂しかったんだよ…」
「すまんのう。儂がお主のもとを離れたのは、お主に1人で立ち直ってほしかったからなんじゃ。昔からかわいい子には旅をさせろというじゃろ?四六時中、儂がそばにいるより、時にはお主が自分で考える時間も必要かと思ってのう」
「そうだったのか…」
その時、侍さんは人力車のお兄さんの元を離れて、ぼくの顔のそばにやってきた。そう、ぼくの元に戻ってきてくれたのだ。
「勇、お主が誰の子孫でも、勇は勇じゃ。これからもよろしく頼む」
ぼくはにっこりと笑って、「わかったよ」と言った。
その様子を見守っていた人力車のお兄さんは、「さて、ではそろそろ本題に入るぞ」と話を切り出した。
「お前たちの夏休みを利用して、合宿に行くぞ」
「え?そんな急に…それにお兄さんも仕事があるでしょ?」ぼくは呆気にとられた。
「俺は夏休みをとることにする。まあ雇われの正規職員ではなく、個人事業主だからな。休もうと思えば休めるんだ。今まで休みなく働いてきて蓄えもあるからな」
「どうして合宿をするのさ?」
「どうしてって、お前らが弱いからだよ。土居宗珊から話を聞いたが、お前たちは力不足だ。お前たち自身がもっと強くなれば、憑依をしてもらったときにも強くなれる。あの京都でも、俺が助けなければあのままやられていたんだぞ?」
「たしかにそうだけど…」
「あと、もう一人の少年も連れていくぞ?それから、俺のことは宗輝さんと呼んでくれ。NHKじゃあるめえし、お兄さん、なんて言われる柄じゃねえ」
宗輝さんは強引だった。そのままぼくの家を訪れて母さんに事情を説明する。運転免許証などを見せて、自分は怪しいものではないと伝えたあとに、息子さんを剣道の合宿のために東京のお寺に連れていきたい、と熱弁したのだ。
母さんは初めこそ難色を示したものの、宗輝さんの熱意とまっすぐな瞳に押し負けたようだ。往復の交通費以外の食費や宿泊費はすべてこちらで持つ、という条件もよかったのかもしれない。
同様の手法で、トシの母親を説得した宗輝さんは、満足した表情だった。
「ねえ、宗輝さんはどうしてそこまでしてくれるの?」
「どうしてって言われてもなあ。
俺はお前らのことをよく知らねえが、京都で倒れているお前らをみたとき、心が久しぶりに熱くなったんだよ。
かつての剣道少年だったときの気持ちがよみがえってきたのかもしれないな。
それと、俺は独身で独り身だが、本当は自分の子供が欲しかったんだ。息子と剣道の練習をするのが俺の夢だったからな。だから今からそれを叶えようとしているだけさ」
「そっか…」
常識だけを考えるなら、殆ど他人の宗輝さんと修行に行くなんてことはありえないかもしれない。しかし、彼の瞳は透き通っていた。ぼくらのような少年を鍛えようとしてくれているだけなのかもしれない。
そして次の日から、約2週間の剣道合宿に向かうことになる。
―――――――――――――――――
鉄道と新幹線を乗り継ぎ、宗輝さんとぼくとトシは、東京にやってきた。
ほどなく京王線で府中市に向かい、武州多摩にある寺に到着したのだ。
ここは宗輝さんの親戚の方が住職をしているそうで、雑用と手伝いをすれば無料で寝る場所と食事を提供してくれるらしい。
初日は到着が遅かったため、素振り中心の稽古となった。
宗輝さんは、2種類の木刀を持ってきて、それを使って素振りをさせる。
筋力アップを目的にした通常の木刀の2倍近く、約1キロの重さがある素振り用木刀での素振り。
打突のスピードアップを目的にした非常に軽量な桐製の木刀での素振り。
重さの異なった木刀を素振りを行うことで、自分の意のままに刀を操作することが可能になるらしい。
初日は軽めの稽古で終えたが、本格的に指導するのは明日からだ。この日は、夜坐にて一日を締めくくり、寝る準備へと入った。
長元組が何かを企んでいる以上、父とはもう一度戦う場面があるはずだ。そのときに勝利するためにも、しっかりと稽古に励魔なければならない。
―――――――――――――――――
振司と呼ばれる雲水の鳴らす振鈴が起床の合図だ。時刻は朝4時。
さっと身支度を済ませて、座禅と、掃除を行い、麦飯に一汁一菜の朝食を済ませた後に、修行が始まる。
トシは朝からご機嫌斜めだった。
「こんな朝っぱらから起こされて、やってられねえぜ。せっかくの夏休みに…」
「こらトシ。文句を言わずにしっかり修行に励まんか!京都のときみたいにまた呆気なく負けたいのか!?」檄を飛ばすのはケンモツさんだ。
―――――――――――――――――
その日の修行も素振りと体力作りを中心とした基礎的なものだったが、次の日は八王子市の西の端にある九頭龍の滝に向かった。
滝に打たれる修行は、テレビの世界だけだと思っていたが、ぼくとトシは滝に打たれている。
そのとき、宗輝さんから興味深い話があった。
「お前たちにこの合宿の目標を教えておこう。それは、侍脳を身につけることだ」
「さ、侍脳?」
「これは、レジェンド・藤岡弘さんがよく使っている言葉だ。
`侍脳`とは、迷いがなく、一瞬に体が動いて対応していく状態のことだな。
お前たちもこの合宿で修行を積む中で、自らの迷いを捨てるんだ。そして、侍脳を身に着けろ!」
侍脳…
ぼくはその言葉が妙に頭に残った。
武士より武士らしくあろうとした新選組も、'侍脳'を備えていたんだろうか。
―――――――――――――――――
4日目からは基礎訓練に加えて、実践練習に入った。
宗輝さんが打ちかかる打ち太刀を演じ、ぼくらがそれに対応して反撃する仕太刀で太刀筋を学ぶ、という伝統的な稽古法を実践する。
「太刀筋なんてものは、どんなに奇をてらったところで、結局は真ん中と左右、そして上中下段の三×三=九つしかねえ。だから俺の太刀筋をよく見て、それを体で覚えこむんだ」
「はい!」
「剣術は体力と胆力、先を読む眼力が要求されるが、それらを身につけた新選組の若者が実戦で強かったのは当然だ。お前らもそれを身につけるよう意識するんだ。
あともうひとつ。剣の基本は、斬られねえようにするより、斬るってことだ。一にも先、二にも先、三にも先をとれ。
それとな。相手の剣先が下がったら面、相手の剣先が上がったら小手という、セオリーばかりにこだわるな。
自分から攻め入って、相手の反応を見るんだ」
ぼくらは宗輝さんから剣の理論を学びながら、実践で体を鍛えていった。
少しでも、新選組に近づけるように…
その後、侍さんはぼくに語りかける。
「勇、京都で、お主と父の戦いを見ていて気付いたのじゃが、お主にはひとつ弱点がある。それは中心が取れていないのじゃ。やはりまだ恐怖が残っておるのかもしれんなあ」
侍さんの言葉を聞いて、宗輝さんは説明を加える。
「中心をとるというのは相手とまっすぐ構えた状態の時に、自分の剣先が相手よりも中心にある状態のことだ。たしかに勇は、簡単に刀を中心から外して防御態勢に入ることが多いな」
「どうして中心をとる必要があるの?」
「それは刀を素早く振るためだ。振りの速度にかなりの差があれば別だが、振りのスピードが同じくらいであれば、スタートの位置が大切になる。中心をとれるようになれば、相手が遠い間合いからフェイントをしかけたとしても慌てることがない」
その後、ぼくは中心をとれるように特訓を行った。
合宿も中盤に差し掛かったころ、ぼくらは敵のお頭、つまりぼくの父の対策に励んでいた。
侍さんは父と戦った感想をぼくらに伝える。
「彼は相当の使い手じゃ。真っ直ぐに攻め込んでも、なかなか反応しない。そして、あの巻き技は厄介じゃ」
ここで宗輝さんが答えた。「俺は巻き技対策を知っているぞ…それは...」
―――――――――――――――――
ぼくらがこの寺に来てからあっという間に2週間が経った。
合宿最終日は新選組のゆかりの地を訪ねて気持ちを奮い立たせた。そして、武州多摩での修行を終え、高知県への帰路についたのだ。
宗輝さんはぼくらの町にバイクを置いているのでまだ行動を共にしているが、高知県に着けば宗輝さんともお別れだ。2週間共に過ごした彼との別れは、非常に寂しいものがある。気のせいか侍さんも、感慨深い表情をしていた。
新幹線に乗っているとき、ぼくはトシに話しかけた。
「こんなに修行をしても、長元組がもう何も動きがないかもしれないね」
「いや、このまま終わるとは思えない」トシはそう答える。
彼の予想は当たっていた。何事もない平和な日々は、終わりを告げようとしていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます