第16話 勇の葛藤 / 出直し選挙
修学旅行から1週間が経った。
雪の父の判断で2000万円を振り込んだ山内家は、次回選挙の資金繰りに困っているそうだ。しかし娘が無事に戻ってきてくれたことは、両親を心底喜ばせた。
しかし雪は、自分が攫われてしまったことで両親に2000万円を払わせてしまったことに大きな罪悪感を抱えていた。
そんな彼女にとって、もう一つ胸の痛む出来事があった。
それはあの事件以降、執事のジイが山内家のもとを去っていたことだ。勇の父が言っていたように、ジイが暴力団に内通していたということは本当だったらしい。
それを知った雪は、泣きじゃくった。その事実が信じられなかったのだ。
しかし、いくら泣いても現実は変わらない。
彼女の幼い頃から執事として温かく見守ってくれていたジイ。彼はもういない…
―――――――――――――――――
長元組の事務所は、お祭り騒ぎだった。
勇とトシに敗れた男たちも、致命傷は避けており、すぐに回復していた。
下士の末裔の彼らは、因縁の山内家から奪い取った2000万円の使い道について、思案していた。
その席に、ある一人の紳士の姿があった。それは、ジイだ。
暴力団の頭である勇の父は、ジイの肩を抱き寄せた。
「お嬢さんの位置情報の提供、そして、両親に2000万円を振り込むべきだとあんたが催促してくれた。そのおかげで2000万円が手に入ったぜ。ありがとよ。約束通り、成功報酬だ」
そして、10万円分の小切手を手渡す。
「でもいいのか、ジイさん?たった10万円で?」
「いいのですよ。年金もありますし。ただし、ひとつお願いがあるのです。それはあなたたちがこれからこの2000万円どのように使うのか、これから見させてほしいのです。
山内家の執事を辞めて、時間に余裕がありますし、刺激的な余生を送りたいのでねえ…」
「ああ、別に構わねえよ、なあみんな?」
「おお!ジイさんはこの2000万円を奪い取れた功労者だからな!」
それ以降、誰もジイの存在に疑問を持たなかった。
しかし、ジイの行動には不可解な点が多い。長元組のメンバーは知らないが、勇とトシに雪が捕らわれている場所を伝えたのはジイだ。彼の二重スパイのような行動に、どういう意味があるのか、誰もわからなかった。
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「絶望をいかにして乗り越えるか。それが人生を面白くする」
多くの自己啓発書や、成功者や偉人はそう語る。
しかし、そんなに簡単なことではないのではないだろうか…
日々、そんなことを思いながら、ぼくは部屋に引きこもっていた。
修学旅行以降、ぼくは学校を休むようになり、長い間続けていた剣道のトレーニングも辞めて、道場にも通わなくなった。
京都での一件や、父と遭遇したことをぼくから聞いた母は、その心労を察して、無理に学校にいきなさいとは言わなかった。
雪やトシから、ラインや電話が来たがぼくはそれにも反応しなかった。
なぜだろうか、気力がなくなってしまったのだ。
京都では、いろいろなことがあった。
ぼくのせいで雪は攫われた、そして自分の力では彼女を救うこともできずに、2000万円の身代金を雪の両親に払わせてしまった。さらに、雪を攫ったのは、暴力団の頭であるぼくの父親だ。
何もかもが嫌になった。そして、何もできなかった自分が本当に情けなくなった。
最も悲しいことは、侍さんがいなくなってしまったことだ。
京都で意識を取り戻したとき、侍さんは人力車のお兄さんのそばにいた。しかし、ぼくには声をかけてくれなかった。そして今も、そのまま人力車のお兄さんの元にいるようだ。
しかしぼくはあのとき侍さんに、戻ってきてくれとは言えなかった。きっと侍さんは、ぼくが一条兼定様だけでなく、長宗我部元親の血筋を引いていたことに戸惑っているのだ。彼は、もう戻ってきてくれないのかもしれない。
一条兼定も長宗我部元親も、ぼくの先祖は侍さんに仇をなした人物だ、自分の血筋を恨んでもどうしようもない。
このように、ぼくはとにかく悲観的になっていた。侍さんと過ごしていたこの数か月は、彼のおかげで前向きな気持ちを抱くことができていたが、今はもうできない。
この世に生まれ落ちた時は、誰もが光に包まれていたのだろうが、深い嘆きがその者の心を闇に染める…
心は、またもやからっぽになってしまった。
―――――――――――――――――
侍は、勇のところではなく、宗輝のもとに憑依していた。
宗輝は、過去の一件について侍を許したわけではなかったが、いまさら恨む気にもなれなかった。
宗輝は今日も、京都で人力車を引いている。
「なああんた、あの少年のところに戻らねえのか」
「ああ。今の儂が勇のところに戻っても、彼を混乱させるだけじゃ。今はそっとしておいてやろう」
「こういうときこそ、お前がそばにいてあげるべきなんじゃねえの?」
「いや、儂もずっと勇のそばにいることはできん。いずれ成仏するかもしれんし…
それに勇ももう15歳じゃ。つらいことがあっても、自分の意思で立ちあがらないといけんのじゃ。
そして、彼にはきっとそれができる…」
―――――――――――――――――
ある日、母がぼくの部屋に入ってきた。一週間以上も引きこもっている息子を心配しているのだろう。
ぼくは先に話を切り出す。
「母さん。なぜぼくは、一条兼定と、長宗我部元親の血を引いているの?」
「なぜと言っても、仕方ないじゃない。これが現実よ。
それにね。あまりいいイメージのない一条兼定様だけど、土佐から追放された後、キリシタンになって、再び土佐の旧領を取り返すために頑張っていたのよ?
長宗我部元親だって、侵略軍というイメージがあるけど、優秀な武将だったと評価されているわ。
自分の先祖に誇りを持てとは言わないけどね?先祖が誰かということで、勇が気を病むことはないわ。だって、誰が先祖であれ、あなたはあなたなのよ?」
「わかってるけどさ。それを心の中で咀嚼できないんだ。そんな自分の心の弱さが嫌なんだ…」
「心が弱いかどうかはまだわからないわ。
誰だってつらくて、しんどいときもある。生きていれば何度も、打ちのめされるほどつらいことはある。ただ、だからといって、自分の殻にこもっていちゃ何も始まらないわ。
あなたのペースでいい。ゆっくりと、もう一度立ち上がりなさい?」
「…」ぼくは何も言わずに俯いていた。
―――――――――――――――――
「さて、この2000万円をどうする?」
長元組の事務所では、父たちが会議を行っていた。
「この金でシンガポールに高飛びしようぜ!」ある部下はそう発言する。
「バカ野郎!俺たちは6人もいるんだ。これっぽっちの金じゃすぐになくなっちまう。根本的なところを変えての法律を変えねえと…」
「じゃあ何かお頭には、考えがあるんですか?」
「ああ、もう手は打ってある」
―――――――――――――――――
ピンポーン、ピンポーン…
数日後の午後5時ごろ、母が仕事に行っているこの時間に、家のインターホンが何度も何度も押されたていた。
鳴りやまないインターホン、これは宅配便などではない。ぼくは仕方なく、応答した。
「誰ですか?」
「俺だ!トシだ!開けろ!」
「え…いや、ちょっと今忙しいから…」ぼくはそう言って断った。
「そう言うと思っていたぜ」
トシがそう言ったあと、女の子の声が聞こえてくる。
「勇くん、私、雪よ。少し出てきてよ?あなたが学校に来ないし、ラインも返してくれないから私たちは心配してるのよ?」
雪とトシの訪問は意外だった。どちらかが来るならまだしも、2人同時に来るのは想定外だ。ぼくと雪は、幼稚園・小学校・中学校が同じだが、トシは幼稚園だけが同じだった。
あとから聞いた話だが、雪に好意を持っていたトシは、修学旅行の一件のときにどさくさに紛れて雪と連絡先を交換していたらしい。
渋々と家を出たぼくは、彼らとすぐ近くの一條神社に向かった。
まず話を切り出したのは雪だ。
「まず私から話すね。勇くん、学校に来てよ?」
「行きたくないんだ…ずっと家にいたいというか、外に出たくないというか」
「あんなことがあったし、侍さんもいなくなったみたいだし、つらいのはわかるけど、ずっと家にいてもいいことがあるわけじゃないよ?」
「…それより、雪はぼくに怒ってないの?」
「怒ってるわけないよ。
たしかに私は、勇くんとはぐれた時に誘拐されたし、あの時は本当に怖かった。さらに2000万円を奪われてしまったわ。そして、その首謀者はあなたのお父さん…
けど、それは勇くんのせいじゃない」
「だけど、ぼくのせいで…」
雪はぼくを睨みつける。
「怒るわよ…」
「え?」
「怒ってなかったけど、勇くんがうじうじしていることに怒るの。
ここ最近、逞しくなってきたなあ、と思ってたのにがっかりだよ。私は勇くんに胸を張ってほしいの。
あなたのご先祖様も、あなたのお父さんも、関係ない!あなたが何か悪いことをしたわけじゃないんだから」
「ゆ、ゆき…」雪が話していることの本質は、母さんと同じことだ。
「私ね。勇くんと、トシくんにも悪いことしちゃったなって思ってるんだ。
私を守るために戦ってくれたのに、2人とも傷ついてしまった…」
「ぼくらのことは気にしなくていいよ。
けど、雪もつらかったんじゃないの?ジイのこと、母さんから聞いたよ…」
「私だってもちろん辛いわよ。泣いたわ、たくさん泣いた。でもね。1日だけだよ。
学校にもちゃんと通って、習い事も休んでないわ。だって私が辛い姿を見せたら、みんな心配するじゃない?
自分の行いは反省しても、それを必要以上に外に出すのは、甘えだと思うな。
引きこもって、反省しても何も変わらないよ。前を向いて動き出さないと…」
続いて、トシが語り始める。
「雪の言う通りだぜ、勇。雪は逞しいのに、お前は腑抜けてやがるぜ!
だいたい、俺が気に食わねえのは、悔しいのが自分だけだと思っているような態度だ。
俺だって悔しいんだ。1人で抱え込むんじゃねえよ!」
トシはそう言って、ぼくの胸に拳をぶつけてきた。決して強くはないけれど、その拳は鉛のように重かった。
「とにかく学校に来い。引きこもりなんて許さねえ。そして、道場にも来い。俺たちはもっと強くなる必要があるんだ!」
気のせいだろうか、トシの目もとは潤んでいた。
「そもそも、これで終わりじゃねえぞ?お前の親父はまだ何かを企んでる…」
今度は雪だけじゃない。この町を襲う大きな事件が起こるかもしれないんだ。
俺たちで、この町と雪を守るしかねえだろ!」
トシの言葉は、ぼくの胸を打った。
心の中で消えかかっていた炎が灯る…
まだ、ぼくらの出番は終わっていない。
侍さんがいなくとも、立ち上がらないといけないんだ。ぼくの心に、一条の光が差し込んだ。
「なんだか目が覚めたよ...ありがとう」
2人のおかげで、目を覚ましたぼくは学校や道場にも通うようになった。
しかし雪の周囲では、別の問題が起こっていた。
―――――――――――――――――
「火つけて捕まってこい、お前!」
6月9日の夜、高知県四万十市の山内市長が、道路の拡幅事業で立ち退き交渉を担当する職員に対して吐いた暴言が報道各社から一斉に報じられた。
各メディアは、山内市長をこれでもかというほど叩いた。
次の日、市役所には抗議や問い合わせは殺到し、職員は大混乱に陥っていた。
即座に会見を開いた山内市長は「発言はパワハラであるだけでなく、もっとひどいものだと受け止めている。激高した状況で口走ってしまったセリフだが、申し訳なく思っている」と陳謝した。
ぼくたちの学校でもその話題で大騒ぎだった。一部の生徒は市長の娘である雪に対して、心無い言葉が浴びせた。擁護すべきはずの先生も歯切れが悪かった。
その日の昼休み、ぼくは雪のクラスを訪れた。そして、以前彼女と話したことがある屋上に、雪を連れ出した。
「雪、大丈夫?」
「私は大丈夫だけど、市長…お父さんが心配なの。つい先月は、2000万円を奪われてしまったのに、今度はこんなことになるなんて…
さらに暴言の根拠となったテープも、部下である職員から流出したものらしいからショックを受けてるわ…
お父さんの憔悴した様子を見るのがつらくて…
それにね?今回の暴言報道だけど、私はお父さんが悪いとは思わないの。」
「どういうこと?」
「市民の安全に関わる大事な国道の拡張工事が異常に遅れていて、お父さんはそのことについて担当職員を叱ったの。その職員は長年、怠慢な業務をしてきたようでお父さんも堪忍袋が切れたんだって。
市民の安全を守るという使命感が、暴言につながったみたいなんだけど…」
「なるほど。でもメディアの報道は、担当職員の怠慢な業務などの背景を伝えていないよね?
ぼくが昨日ニュースで見る限り、暴言の部分ばかりがフォーカスされていたよ…まるで市長が絶対的な悪だ、というように」
「そうなの。まるで誰かが、お父さんを陥れているかのよう…」
「それってもしかして、長元組…ぼくのお父さんなんじゃ?」
「…」
ハッとした顔で目を合わせたが、ぼくも雪も、それ以上は何も言わなかった。
ほどなく、山内市長は「暴言」の責任をとって辞職願を提出し、市議会議長がそれを受理した。
公職選挙法の規定で、市は辞職願の通知を受けた翌日から50日以内に投票を実施しなければならない。
そして7月21日に、山内市長の辞職に伴う出直し選挙が行われることになった。
―――――――――――――――――
長元組の事務所は、またもやお祭り騒ぎだった。
「お頭はすげえぜ!市長に反感を持っていた職員を買収していたなんてなあ。これで、憎き山内を市長の座から引きずりおろしてやったぜ」
お頭、つまり勇の父は、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「探偵事務所と、SNSのプロフェッショナル集団に依頼をしたんだ。
四万十市の職員で市長に不満を持つ者を探し出してくれ、とな。
彼らは聞き込みやSNSの監視を行い、ある1人の人物とコンタクトをとることに成功した。それが、市長から暴言を吐かれた職員だ。あとはその職員に金を握らせて、市長を貶める情報を提供させるだけだ。
その職員が叱責されたときの録音音源を持っていたのは運がよかったぜ。そこから暴言の一部分を引き抜いて、メディアに渡せばおしまいだ。メディアの担当者には、少し色をつけて渡せば、派手に発信してくれるからな」
「お頭、アッタマいい!」
「政治家が悪となるニュースは社会に与える反響が大きい。つまりそれほど、国民は現状の政治に不満が溜まっているんだ。消費税増税、新札刷新に伴うタンス預金の行方…
自分たちの実質所得は増えないのに、政治家たちは何不自由なく暮らしているからな。
娘が誘拐されたからって、2000万円をポンと払えるのは政治家や資産家くらいだ」
父の言葉に、組員たちは関心していた。
「すげえぜ、お頭。けどなんか、お頭も少し変わったよな…作戦が狡猾だよ」
「今はもうきれいごとを言ってる場合じゃねえ。暴力じゃ生き残れねえ以上、頭を使わねえとな。
個人の時代だからこそ、ネット、メディア、内部リーク。これらを駆使しないといけねえ」
このとき、勇の父の横に憑依している長宗我部元親はにやりと笑った。
市の職員を買収する作戦を進言したのは、彼だったからだ。
その後の詳細な作戦は父が考えたが、元となる謀略は、元親が得意とする作戦だ。戦国時代の元親も、謀略を使って一条家を滅ぼしたのだから。
「だがな、お前ら。これはまだ序章に過ぎないぞ。
奪い取った2000万円はまだ残っている。これと俺たちの組織が持っている金を使って、今から勝負にでる」
「どういう勝負ですか?」
「来月行われる市長の出直し選だ」
「でも、暴力団の俺たちが政治家にはなれないでしょう…」
「バカ。俺たちは表舞台には出ねえよ。俺たちが`擁立した候補`を当選させるのさ。
つまり、金と力に目がくらんでいる政治家を買収して、傀儡にするってことだ。
利権に目がくらんでいる政治家は、餌さえ与えれば、扱いやすい。
もうすでに1人の政治家を買収している。そいつに供託金も渡しているからな。彼はほどなく次期市長に立候補する。
そして、市長だけでなく、市議会の政治家たちも買収していくんだ。市長と市議会の過半数を押さえれば、法律を変えることができるからな」
「法律を変える!?もしやお頭の狙いは…?」頭の切れる組員は声をあげた。
「そうだ。俺の狙いは、
`四万十市暴力団排除条例`
`四万十市の事業等における暴力団の排除に関する規則`
この2つを廃止、もしくは改正することだ。
この法律さえなければ、俺たちは今までのようにみかじめ料や企業との裏取引で十分な収益を上げることができる」
「なるほど…」
組員たちは、組織の頭の考えに納得すると同時に、末恐ろしい気配さえ感じていた。
「暴力団のだからといって、腕力で生き残れる時代じゃない。
政治の主導権を握ることが大切なんだ。そして、政治で勝つためには金が必要だったからこそ、山内家から2000万円を奪ったんだ。
山内元市長は、今度の出直し選挙に出馬しようにも、広報活動に充てる資金が不足しているはずだ。
5万人規模の市長選で約1000万円の費用がかかると言われているからな。
3万4千人の四万十市の選挙に立候補しようと思ったら、800万円は必要だ」
「そうか、資金難かつ、日本全土を揺るがしている暴言報道、山内元市長の再選は厳しいですね!」
「だが油断は禁物だ。俺たちは万全を期す。そして、来月の選挙では、俺たちが擁立した政治家が勝つ!」
「おおー!」
長元組の事務所では、歓声が上がっていた。
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