第15話 十五、父との決戦 死闘京都

-憑依の刻-


「うおお!」


少年に覇気が宿ったことを感じ取った父はニヤリと笑い、「おもしろくなってきやがった」と呟いた。どうやら、強い相手との勝負を楽しむタイプらしい。


少年は力を込めて剣を振るい、お互いに一歩も引かぬ打ち合いが始まった。手を緩めようものなら、相手に一方的に攻められるような雰囲気があった。


そのとき、父は呟いた。「これではらちがあかねえ。元親、俺に憑依してくれ」


その瞬間、父の体がぶるぶるっと大きく震えて、目がカッと開かれた。


そして少年に向かって、さらに激しく剣を振るった。

もともと高い実力を持っていた父は、元親が憑依することで、その眠っていた潜在能力をさらに発揮したのだ。


その様子は、まさに土居宗珊と長宗我部元親、戦国時代の2人が現世で打ち合っているかのようだった。


しかし剣術というのは、その体格によって大きな差が生まれる。背が低く、リーチの短い少年は劣勢に立たされたのだ。


父は真正面から間合いを詰め、間髪を入れずに次々と斬りたてた。少年は寸でのところでそれを防ぐが、勢いに押されてどんどん退がっていった。

少年は父の打ち込みの激しさに手も足も出ない。これは技術だけの差ではない、度胸の差だ。


「トドメだ」

父はそう言って、大きく振りかぶった木刀を少年の頭上に振り下ろした。


「うおぉ!」少年は自分の刀の鍔で受け止め、力を振り絞って耐えた。


鍔り合いだ。2人は顔と顔を近づけ、刀を押しあった。


長い間、鍔迫り合いをしていると、構えあっているときよりも緊張感が薄れてくる。しかし心の隙を見せると、その隙に勝負が決まるのだ。


父は、少年に向かって言い放った。

「よう、土居宗珊。450年ぶりくらいか?」

「そうじゃなあ、長宗我部元親。しかしまさか、親子に乗り移って儂らが戦うことになるとはのう…」

「いいじゃねえか。お前への恨み、450年越しに晴らすぜ!」


そして父は、刀に渾身の力を込めた。腕力に劣る少年は、耐えきれずに腰を落としてしまうが、横に転がったあとすぐに立ち上がった。


「そろそろ勝負を決めようか」父はそう言うと、刀をやや下段に構えた。


「下段じゃと…」少年はその構えを不審に思った。


刀は基本的に上から下に動くものであり、下段にはあまり利点が無かった。

刀を下に構えていると、切り込むまでに時間がかかるのだ。


コンマ単位の勝負をする剣の世界で、このロスは致命的だった。それにもかかわらず下段に構えているということは、足への攻撃に備えているか、それとも…


少年は難しく考えることをやめた。ただシンプルに、父の胸に向かって突きを放ったのだ。


しかしそのとき、父の木刀は恐ろしく早い速度で弧を描き、巻き込むように少年の竹刀を捉えた。そして大きな音を上げ、木刀を上空にはじきとばしたのだ。


その瞬間、父は少年の頭上に切り込んだ。戦いを見守っていた雪は、天井に突き刺さった木刀と、その場に倒れこんだ少年をみて、大粒の涙を流した。


「安心しろ、手加減しているさ。自分の息子を殺しはしねえよ」



「最後の忠告だ。これ以上、俺の邪魔をするな。次こそ、本当に消すぞ。

お前は俺の息子だが、俺は自分の部下たちを喰わせないといけねえんだよ…」


父はそう言ったあと、部屋の端にある梯子に登り、部屋の上部にある屋根裏に身を潜めた。まるで獲物を狙うハンターのように木刀を構えて、侵入者を待っていた。


父は、ほどなくトシがここにやってくることに気付いていたのかもしれない。


月はまるで空に張り付いているかのようだった。銀紙の星が揺れている。



―――――――――――――――――


二人を蹴散らしたあと、「ケッ。口ほどにもねえぜ」と、軽口を叩くトシに対して、「今のは儂が憑依したおかげじゃ。お主自身の体には疲労が溜まっておる。油断するでないぞ!」とケンモツは注意を促した。


「あーったよ」と答えたものの、ケンモツの言葉はトシに届いていなかった。


開いている襖から部屋に入ったトシは、スーツ姿の大きな男が倒れていることに気づく。それは勇が倒した男だった。

そのさらに奥の部屋に入ったとき、トシは奇妙な風景を目にした。


部屋の奥で、手足を縛られ、口をガムテープで塞がれている雪のすぐ下で、勇が倒れているのだ。しかし、血は流れていない。この倒れ方は打撲による気絶だろう。


「これはどういうことだ」トシは不気味に思った。その部屋には、雪と勇しかいない。

「勇は1つ目の部屋の男を倒してここについたあと、一体誰に倒されたんだどこかに、もう一人敵が…」


雪は何かを必死に叫び、首を上にあげて何かを示そうとした。



「上?」

トシが気づいたときには、もうすでに遅かった。彼の背筋にひやりと寒気が走る。その瞬間、真上から黒い影が迫り、トシの脳天に木刀が命中した。


激痛が走り、意識が薄れゆく…

「ふ、不意打ちかよ…すまねえ、雪」


父は、倒れたトシと勇の2人を燃えるような目で見ていた。


「不意打ちみてえな真似してすまねえな。2人目の小僧。だが、この勝ち方が楽なんだ」



勇とトシ。

彼ら二人は無残にも倒れてしまった、



―――――――――――――――――


雪は倒れている勇とトシから目を逸らすように下を向いた。

そして涙を流しながら、込み上げてくる嗚咽を押し殺すように大きく呼吸を繰り返す。彼女は自分を救いに来た2人が、無残にも倒れている状況が信じられなかったのだ。


2人を蹴散らしたことに安堵した父は、再度、雪の実家に電話をかけた。


「もしもし。山内家か?さっきお嬢さんを助けるために2人のガキが助けにきたんだけどな。今は2人とものせちまってるぜ。だからもうあきらめて、身代金を振り込んでくれよ」


そのとき、雪は口を大きく開いて自力でガムテープを外し、そのままの勢いで叫んだ。


「お母さん!聞こえる!?私は大丈夫!だから、絶対にお金を振り込んじゃだめだよ!この人たち何か企んでるの!」


「この娘、何を言ってやがるんだ!」

父はガムテープを手に取り、再び雪の口元を覆った。


そして電話越しに「娘はああ言っているがどうすればいいかわかるよな?命が惜しければ、今日中に振り込め。振り込みが確認されなければ、この娘の命は…」



電話を終えた父に対して、雪は冷たい視線を向けて睨めつけた。


「お嬢ちゃん。なんだその目は?お前、今の状況がわかってんのか?

お前を助けにきた小僧どもはのせちまってる。警察がくるあてもねえ。絶体絶命なんだぞ?まあ、もう少しでパパがお金を振り込んでくれるんだろうけどな」


「…」雪は何も言わなかった。悲しさと怒りをどこに向ければいいのかがわからなかった。


「それと、ひとついいことを教えてやろうか。俺たちがお嬢ちゃんを攫うことができたのは、ある人物がお嬢ちゃんの位置情報を教えてくれたからなんだぜ」


「だれ…?」


「それはお前の執事のジイさんだ。以前、俺たちがお嬢ちゃんの家の周りを調査していたときに、ジイさんと出会ってな。その時にちょっと取引をしたら、すぐに俺たちに情報をくれるスパイになってくれたよ」



雪は涙を浮かべながら首を振った。「そんなはずはない...」と。


「お嬢ちゃんはあのジイさんを信じてるみたいだな。だが残念だ。事実は時に残酷なのさ?あのジイさんは、お嬢ちゃんを心配しているふりをして、結局は裏切ったんだ。人間なんていうのは、所詮そういうもんなんだよ…」


そう言った父の表情は、どこか暗い影があった。



―――――――――――――――――


勇とトシは、気を失って倒れていた。


土居宗珊の魂、つまり侍は、勇の体から離脱した。そして魂だけの存在となり、ある男の元へ向かっていた。


その男の名は土居宗輝。無賃乗車の被害にあった人力車を引いていた者だ。


彼は、侍が勇に憑依する前に、憑依していた人物であるので、侍の姿と声を感じることができる。



宗輝のところにたどりついた侍は、必死の形相で彼に訴えた。


「宗輝。20年前は儂が悪かった…すまんが今一度、力を貸してくれ」


人力車引きの仕事を終え、自宅に帰ろうとしていた宗輝は、侍の姿を見てため息を漏らす。

「昼間出会った小僧に、あんたが憑依していたのを見かけたから嫌な予感はしたんだ。だが、もう来ないでくれ。あんたには力を貸さねえって言っただろう?」


「頼む。そんなことを言わないでくれ。昔のことは水に流そう…」


「昔のことは水に流そうだと?あんた。自分が何をしたのか覚えていないのか?」


宗輝からそう言われた侍は、口を真一文字に結んで押し黙った。


「俺の名前は、土居宗輝だ。土居宗珊。あんたの子孫だ。だが俺は、あんたのことを誇りに思ってねえし、恨んでいる…」


そして宗輝は過去に思いを馳せ、侍との出会いを語り始めた。



―――――――――――――――――


「両親は、俺が生まれた時から、先祖である土居宗珊を褒め讃えていた。ことあるごとに、'宗輝もご先祖様のようになりなさい'と、言われながら育った。

一族の間でも、`祖先の宗珊様は一条兼定を支え続けた優秀な忠臣、一族の誇りだ`と称賛していた。


だが俺は、それが本当かどうか信じていなかった。歴史なんていうものは、あくまでも後世の者が伝えた伝承に過ぎない。一族が手放しに褒めたたえる土居宗珊が本当に優秀で素晴らしい人物だったのか、それを知りたかった,


それから調査を始めた。古い文献を調べて、一次資料、二次資料を読み込み、土居宗珊ゆかりの地を訪ねて、聞き込みまで行った。


すると、一族が決して語らなかった不都合な伝承が現れてきたんだ。


それは暗殺された後、成仏できなかった土居宗珊が、長宗我部元親に乗り移り、祟りをもたらしたという言い伝えだ。


これを考える際には、長宗我部元親について話さなければならない。

遡ること1586年。長宗我部元親は、嫡男の信親とともに秀吉の九州征伐に従軍した。しかし、仙石秀久の独断により、島津軍の策にはまって敗走し、嫡男の信親が討死してしまった。

元親は信親の死を知って自害しようとしたが家臣の諌めで伊予国の日振島に落ち延びた。


歴史上では、嫡男の死をきっかけに、長宗我部元親の言動はおかしくなったと言われている。

しかし、俺の推定ではそうではない。


溺愛する嫡男の死を受けて、精神的に不安定だった長宗我部元親の魂に憑依したのが、土居宗珊なんだ。

土居宗珊が一条兼定を滅ぼした長宗我部元親を恨んでいるとすれば、この推定につじつまはあう。


宗輝の話を受けて、今度は侍が話し始めた。


「お前の推定通りじゃ。

儂は暗殺されたあと、無念のあまり成仏できなかった。そして、魂だけの存在となり、主君を滅ぼした敵・長宗我部元親への復讐の機会をうかがっておったのじゃ。

そして、嫡男の死に苦しんでいた元親に憑依し、時折彼の意識を奪って奇行に走った。短気で素行が悪く、評判の悪かった元親の四男・盛親に家督を譲らせたのも、儂が元親の意識を奪ったからじゃ。元親の死後は再度、魂だけの存在となって彷徨っておった」


「つまり、あんたが元親に憑依して、長宗我部の権力失墜のための行動をしていたということだな」


「ああ。そして、長宗我部家は関ヶ原の戦い、大阪の陣を経て改易となった。

だが、儂はその結末を知っても成仏できかった。長宗我部家への復讐を果たしたのに成仏できない。儂はどうすれば成仏できるのかがわからなくなった。


そんなとき、改易されたあとの長宗我部家の旧臣が、`長宗我部家が改易となったのは、土居宗珊の祟りだ`と噂し始めた。

そして旧臣たちは、中村城にあった儂の墓にお札をはり、魂をそこに封印したのじゃ」


宗輝が話を続ける。

「やはり、あんたの晩年は悲惨だ。志半ばで不遇の死をとげて、恨み心のまま、長宗我部元親に乗り移った。そして結局、封印されてしまった。暗殺された諸説はあれど、殺されたのはあんたの落ち度だ。最後まで主家を、一条兼定を支え続けることはできなかった。あんたが暗殺されたから、一条兼定は、一条家は滅んだんだ…


そして約400年の時を経て、あんたが封印された札を剥がしたのが…当時17歳だった俺だ。

あんたの負の側面を知った俺は、あんたに興味を持った。一族の英雄が、復讐心にとらわれて、敵国の主君に憑依したという話は非常に面白そうだったからだ。


そしてある日、中村城の森を訪れて、あんたが封印されていた札を剥がしたんだ。その後、あんたは俺に憑依した。しかし、その頃のあんたは復讐の鬼だった。自分を封印した長宗我部家の者たちに対して恨みを抱いていた」


「だがしかし、儂はお主に憑依して、ともに暮らす中で、復讐心を浄化させていった。

お主は儂に、現代の言葉や仕組みを丁寧に教えてくれた。そのことには本当に感謝しておる」


宗輝は眉間に皺を寄せて、不愉快そうな顔を浮かべて叫んだ。

「じゃあ、なんであんなことをしたんだよ!!」


「…」侍は何も言い返さなかった。


「剣道部だった俺は、高校最後の県総体で決勝戦に駒を進めていた。

そして決勝戦当日。あの日は台風の影響で試合開始が遅れて、あたりが暗くなっていた19時過ぎに試合が始まった。

しかし、あんたは試合開始直後に、勝手に俺に憑依した。そして、相手選手を失神させるほどの激しい打ち込みを繰り返したんだ。

意識が戻ったときには、自分でも何が起こったのかわからなかった。対戦相手は倒れこみ、審判員や大会関係者が俺の体を抑え込んでいた。結果は、俺の反則負け…あの一件以降、俺の人生は狂ってしまった…」


「あの件は本当にすまなかった。対戦相手の吉良は、長宗我部元親の弟・吉良親貞の子孫だったのじゃ…

儂は復讐心で、我を忘れてしまい…」


「そういう言い訳もあの頃と同じじゃないか。俺が聞きたかったのは言い訳のような謝罪じゃない…


前代未聞の大事件の結果、大学への推薦は取り消され、クラスでもひそひそと嫌味を言われるようになった。


そして、あんたのことが心底嫌になった俺は、寺の住職に頼んで中村城の石碑に、再びあんたを封印した。

だからあんたも俺のことを恨んでいるんだろう。一度ならず、二度までも封印されることになったんだから。


大学への推薦を取り消された俺は、高卒で働きにでた。

しかし、高知県四万十市は世間が狭かった。どこへ行っても、どこで働いても、俺が起こした事件のことを噂される。`あいつはキレると怖い``何を考えているかわからない`

どいつもこいつも、まるで腫物を扱うように俺に接した。


もともと気が短かった俺は、すぐに喧嘩をおっぱじめた。

そんな様子では、どこへ行っても仕事は続かない。結局、職を転々とし続け、住み慣れた高知県から逃げるように京都に移住し、今は人力車の運転手で生計を立てている。


今の37歳にして、非正規で独身だぞ?

ロスジェネ世代だとか、そういう時代背景は関係ない…


そうやって世代でひとくくりにするなよ。

なぜみんなは、過去の事件のことで俺を判断するんだろうか。誰も、そのときの俺をみてはくれなかった。

人生というのは、一度大きな`バツ`がつけば、それを一生背負って生きなければならないのかよ…」


自分の過去を語り終えた宗輝は、少し憔悴していた。彼にとっての過去は、直視したくない苦しいものだったのかもしれない。


宗輝はさらに言葉を続ける。

「土居宗珊。あんたが全て悪いわけじゃねえ。

俺の人生の責任は、俺にあるんだ。わかってる、わかってるんだけどよ…

あんたが俺に憑依しておこしたあの行動は、俺の人生に影を落としたんだ!」



「…本当にすまんかった…」

侍は申し訳なさそうに謝った。20年前と同じ謝り方だ。しかし、宗輝が求めていた言葉は謝罪ではなかった。宗輝の怒りのボルテージは上がる。


「それを今更、`儂を助けてくれだと?`それはいくらなんでも都合よすぎるだろ」


「いや、儂を助けてほしいわけじゃない。

昼間にお主が出会った、あの少年を助けてほしいのじゃ」


「昼間の少年?ああ、無銭乗車の男を捕まえてくれた少年か」


「そうじゃ。儂はあの少年に憑依して数か月が経つが、あの子は純粋で優しい心を持った少年じゃ

お主も昼間、あの少年に救われたじゃろう?あの少年の隣にいた少女が、いま大変な目になっておるのじゃ…

少年は倒れてしまい、少女を救えるのはお主しかいない…頼む…」


「たしかにあの少年には世話になったが…」宗輝はすぐに助けにいくとは言わなかった。


侍は言葉を続ける。

「あの少年は今、罪の意識に苛まれておる。せめて、あの少女を救わなければ、彼は立ち直れないかもしれん。

まさに昔のお前と同じじゃ。ある出来事が後々の人生に暗い影響を与えるということは、知っておるじゃろう…

だから、少女を助けてくれないか…?」


宗輝は、ふぅっと息を吐き出し、胸ポケットから取り出したウィンストンに火をつけた。


「場所はどこだ?」


「法垂窟じゃ」


「ああ、そういえば、そこに荷物を置き忘れていたんだった。

忘れもの…取りにいかねえとな」


「素直じゃないのお…」侍さんはそう思った。



―――――――――――――――――


桓武天皇が、都の鎮護のために、高さ2・5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じた場所が、将軍塚だ。


源平盛衰記や太平記に描かれているこの場所は、国家の大事があると鳴動したという伝説がある。

その将軍塚から2kmほど離れた場所に法垂窟があり、その隣のお堂に勇とトシを倒した父と、囚われの雪がいた。


父は、スマホのネットバンキング口座をじっとみつめ、身代金の振込を心待ちにしていた。


ひと昔前なら、全国の金融機関をつなぐ「全銀システム」の稼働時間は平日午前8時30分~午後3時30分まで、といった制約があった。

しかし昨年、全銀システムを運営する全国銀行協会は、1億円未満の送金を、24時間365日できるようにしていたのだ。


このおかげで親元を離れた子供が事故や病気で急にお金が必要になった時にも、柔軟に対応できるようになる。また夜の会食にかかったお金をその場でネット送金して割り勘するという使い方もできる。

このシステムは、人々の暮らしをより便利にした。


「便利さを求めすぎると、悪事も働きやすいぜ…」

そう呟いた父の前に、羽織を纏った40歳前後の屈強な男が現れる。そう、宗輝だ。



そのとき、父のスマホはブルっと振動した。それを確認した父はにやりと笑う。


手前の部屋に倒れていたスーツ姿の男が持っていた木刀を手に持っていた宗輝は、「あんたを倒せばいいんだな…」と、つぶやいた。


「お前は誰だ?」父は尋ねる。


「…通りすがりの人力車引きだ」


宗輝は、さっと木刀を構えた。剣の戦いにおいて、非常に重要なことは構えだ。ペーパークラフトのように常に正しい構えができていれば、そうそう打たれることはない。


父は、宗輝の構えに並々ならぬものを感じた。只者ではない、気を引き締める。だが父にとって、これ以上戦う理由はなかった。「適当に流してとんずらするか…巻き技を放つまでもない…」父は心の中でそう思った。


中段に構える父に対し、宗輝は木刀を右手に下げ、無造作に近づいた。父が打とうとした刹那、宗輝の木刀はすでに父の右の拳を捉え、父は刀をとり落としていた。



「参ったぜ…やるな。人力車引き…」父はそう言うと、足早に部屋から飛び出した。そして、手前の部屋に倒れていた男を抱きかかえ、森の奥に逃げていった。


―――――――――――――――――


宗輝は父を追わず、柱に手足を縛られていた雪を救出した。


ほどなく、倒れていた2人の少年が意識を取り戻す。軽い脳震盪を起こしていたようで、短時間で回復したようだ。父はかなり手加減をしていたのだろう。


父は、倒れている組員たちを叩き起こし、早々に地元へ帰還していた。


雪が救出されたあと、山内家は警察に通報し、略取・誘拐罪と暴行罪で捜査は進められたが、決定的な証拠が見つからず、首謀者は逮捕されなかった。



翌日、2人の少年は京都市内の病院で検査を受けたが、脳震盪の後遺症はなかった。そうして、苦い思い出の残る修学旅行は終わり、彼らと雪は心と体に深い傷を負ったまま、高知県に帰った。

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