第12話 京都動乱・勇の血筋は
時の流れはあっという間だ。侍さんと出会ってから4か月が経ち、暦の上では皐月、5月になっていた。
3年生になって行われたクラス替えの結果、ぼくは雪と同じクラスになっていた。
侍さんの助言のおかげで、ぼくは自分の気持ちを伝えることができるようになってきたこともあり、徐々にではあるが、クラスメイトと仲良くなることができている。
また侍さんのことを理解してくれる人が増えたことも心強かった。トシと雪。特に雪は良い相談相手になってくれているし、2人は、侍さんの正体が土居宗珊だということを知っている。
学校にも馴染み、道場で剣術を鍛える、そんな充実した日々を送っていた。
あの事件以降、雪の周辺にも不穏な動きはなく、このまま何も起こらず毎日が過ぎ去っていくのではないかと思っていた。
そんなおり、学年中の生徒が楽しみにしているイベント、京都への修学旅行が間近に迫っていた。
修学旅行では、班行動の時間が定められていたのだが、雪はぼくにある提案をしてきた。
「ねえ、勇くん。班行動の時にさ。班から離れて、2人で行動しようよ」
「え?だめだよ。先生に怒られるよ。班のみんなにも迷惑なるんじゃないかな…」
「去年修学旅行に行った先輩も言ってたけど、班行動って言っても形だけらしいよ?特にカップルは2人で自由に行動しているらしいしさ。私からみんなにうまく説明しておくし、大丈夫だよ!どうしても勇くんと一緒に行きたいところが…」
雪は優等生にも関わらず、自分の決めたわがままを貫き通す癖があるので、「考えておくよ…」と返答し、その場はお茶を濁した。
カップルの例が出たことには驚いたが。ぼくらは交際をしているわけではないのだけれど、佐田の沈下橋を訪れた時以降、2人で図書館に行くなど一緒に行動する機会が増えていたことはたしかだった。
―――――――――――――――――
2019年5月20日、月曜日。まだ朝日が昇る前の午前5時50分、修学旅行に向かうぼくらは集合場所の中村駅に集まった。
高知県の南西部に位置する四万十市から、京都までは非常に遠い。
6時過ぎに中村駅を出発し、岡山駅で新幹線に乗り換える。京都駅に着いた時刻は正午を回っていた。
摩訶不思議、力強いエネルギーがあふれる古都京都、どんな出来事が待ち受けているのだろうか。
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1日目の午後が班別行動だったが、ぼくは雪の強引さに押し負けて彼女と2人で行動することにした。学年内でもカップルは自由に行動する暗黙のルールができているようだ。
雪とぼくの中は、交際しているわけでは仲が良い2人ということで、学年内でも少しだけ有名だった。
美人で生徒会役員である雪と仲が良いということで、ぼくは周囲から一目置かれるようになっていた。
自分が何かをしたわけではないのに、雪と親密だということで周りの態度は変わった。これも思春期、学生時代特有のことなのかもしれない。
悪いことを企んでいるわけではないし、大きな問題行動ではないだろう。何よりぼく自身が、雪と一緒に京都を観光したかった。雪が侍さんの存在を理解してくれているのも心強い。
雪と一緒に向かう場所は、彼女が訪問を熱望している八坂神社だ。
JR京都駅から地下鉄に乗り、四条駅で降りたあと、河原町駅の方角へ歩き出す。
「いこっか」
そう言って、歩き出したぼくたちは、はたから見ればどのように映っていたのだろうか。
どうしても周りからの目線が気になってしまう。
カップル?姉弟?兄妹?
他者からの目線が気になって挙動不審になっていたぼくに侍さんはこう言った。
「勇。お主が思うほど、人々がお主に注目してはおらん。リラックスして、雪との時間を楽しむのじや」
この言葉で、緊張は解けた。今に気にするべきは、他人からどう見えるか、ではない。雪と過ごせるかけがえのない時間を、楽しむことだ。
「どうしたの勇くん?突然、ニヤニヤして…」
「何でもないよ。いこっか!」
ぼくはそう言って、雪の手をとる。しかし恥ずかしくなり、その手を離そうとしたが、彼女は何も言わずに握り返した。
京都を南北に流れる鴨川を越えると、観光客が増えてきた。平日とはいえ、外国人観光客の姿が目立つ。
案内板には、花見小路と書かれているこの通りには、多くのお土産屋が出店されてあった。
「勇くん、みてみて!このお土産!」
雪が指した先のキーホルダーには、`根性``友情`と書かれていた。
「どこにでも売っているけどなあ」と力なく呟くぼくとは違い、雪はそのキーホルダーに目を輝かせていた。
「根性、友情!中学生男子の修学旅行心を揺さぶる文字だよね~。勇くんもどう?」
「ぼくは揺さぶられなかったから遠慮しておくよ」
「勇くんってノリ悪いよねー。じゃあ、侍さんは?」
雪は侍さんにも声をかけた。
侍さんの声も、姿も、雪には聞こえないはずなのに、彼女はその存在を信じてくれているんだ。そればかりでなく、常に侍さんに対しても注意を払ってくれている。
そんな雪の優しいところも、ぼくが好意を抱いている部分だ。
「のう、勇。さっきからあれがやけに目につくのじゃが…」侍さんはぼくに声をかける。
「侍さん、ぼくも気づいていたよ…」
京都の町を歩いていて気付いたのは、ある商品の多さだ。どの土産物屋を観察しても、ボコボコと売っている。
それは、土産物の定番として長く君臨するアイテム、木刀だ。
雪は、ぼくにこう進言する。
「ねえ勇くん。せっかくだし、木刀を買っておけば?」
「うーん。普段は竹刀で練習しているし、木刀は必要ないよ」
「わかってないなあ。実用性は問題じゃないんだよ。最近はみんな、実用性、実用性って呪文のように唱えちゃってさ。
ロマン、ロマンだよ。
土産の定番、雑多に置かれている木刀!購買意欲、後押しされちゃいなよ?」
雪にこのように言われたら、買わないわけにはいかなかった。ぼくも含めた最近の人々は、実用性があるかないかを重視する傾向にあるかもしれない。ロマンというのはそんなぼくらに足りない言葉だ。
ロマンという言葉に後押しされて、1150円の木刀(大)を購入した。
―――――――――――――――――
雪は、記憶から思い起こすかのように話始めた。
「勇くん。戦国時代のあの話を覚えている?
一条兼定様とお雪さん、引き裂かれた二人の恋と、悲劇的な結末について」
「うん。覚えているよ。けどよく考えたら、兼定様が悪いじゃないかな?
だって、兼定様の政治が良くなかったから家臣たちから追放されて、それでお雪さんと離れ離れになっちゃたんじゃないか」
ぼくは一条兼定という戦国大名に対して、批判的な考えをとるようになっていた。
侍さんこと、土居宗珊さんを殺したのは、主君の一条兼定だということに幻滅していたのだ。
「兼定様がしっかりした当主なら、志半ばで土居宗珊さんが亡くなることもなかったのに…」と言葉を加える。
「勇くんは、兼定様の無能さを嘆いているんだね。けど、私は違う視点を持っているのよね」
「どんな視点?」
「お雪さんの気持ちだよ。
今の時代も戦国時代もそうだけど、男の人って争いに熱中するじゃない?
けど、その争いに振り回されるのはいつも女性なのよ。
織田信長の妹・お市さんも、お市さんの娘、茶々さんも…
自ら身を投げたお雪さんも一緒よ。それほど兼定様のことを愛していたのでしょうね。男の人の争いに巻き込まれて…悲劇的な最期を迎えてしまったけど」
「命を絶つほどの、愛か…」
「ねえ。勇くんはそんな恋愛をしたいと思う?」
そう言ってぼくを見つめる雪は、同い年とは思えないほど大人びて見えた。
口元にうっすらと塗られた口紅に、目線を奪われる。
「あ、今、私のことをいやらしい目でみたでしょ?」
「そ、そんなことないよ!」
「ふふふ。勇くんっておもしろいよね。ちょっとからかっただけなのに、すぐにムキになるんだから」
「ふざけないでよ…
ぼくは恋愛については詳しくわからないけど、大事な人を失いたくないという気持ちだけは強いんだ。幼いころにお父さんがいなくなったからこそ、もう誰も失いたくない…」
ぼくの言葉を聞いて、雪はごくりと息を飲み込んだ。
「前に言ったけどね。学校のみんなは私のことを、生徒会の役員、政治家の娘というフィルターを通してみているのに、勇くんは違う…
だから君私にとっても、勇くんは大切な人なの…」
兼定様とお雪さんの別れは、予期せぬ今生の別れだったはずだ。
人はいつ、離れ離れになるかわからない。何が起こるかわからない。大切な人には思いを伝えておいたほうがいいのかもしれない。
「ねえ、勇くん。私たちの未来って、どこにあるんだろうね?」雪は唐突に問いかけてきた。
「未来…?」ぼくは雪の質問の意図が分からなかったが、観光客が行き交う京都の道で、少しだけセンチメンタルな気分になった。
―――――――――――――――――
有名な観光地・八坂神社を観光したぼくらは、お揃いのお守りを買った。そして念入りに祈願をしたあと、八坂神社を後にして、ねねの道と呼ばれる小道を進んだ。ここは、豊臣秀吉の正室ねねのゆかりの地らしい。
「道の脇は塀で囲まれておるし、風情のある場所じゃのう」と、侍さんも満足そうだ。
そのとき、雪が声をあげた。
「ねえ。あの道の先に見えている人力車に乗ろうよ。私、乗ってみたかったんだ」
「え?なんだか恥ずかしいよ」
「そんなこと言わずにあの人力車をみて?
今は男の人2人が乗っているんだよ。私たちが乗っても違和感ないって」
確かに人力車の座席には2人の男が乗っていた。
その瞬間、2人の男は車から飛び降り、目にもとまらぬ速さで、二方向に走り出した。
「無銭乗車だ!」人力車を引いていた屈強な男は、そう叫んだ。
人力車を乗車と言うのかどうかの是非は別にしておいて、これは緊急事態かもしれない。
そして、飛び出した男の1人は真正面、つまり、ぼくらの方向に向かって走ってきた。
突然、走り出した男に気付いた観光客たちは、叫び声をあげて、押し合いへし合い、道路の端へ逃げ惑う。
走り込んできた人物がいたならば、逃げるということが基本戦略なのだけど、ぼくの逃げの一手を遮る人物がいた。そう、雪だ。
彼女はすっと、ぼくの後ろに立つと、「勇くん。ロマンのために買った木刀だけど、実用する時がきたよ」と、言い、ぼくの背中を押したのだ。
「どきやがれ!小僧!」と叫び、猛然と走りこんで迫り来る男と対峙したとき、侍さんはこう言った。「儂が憑依しようか」
「いや、ここはぼくに任せて。今日までの鍛錬の成果を見せる時だ」
ぼくはなぜか自信があった。すっと息を吸い込むと、迫り来る男の速度が、スローモーションに見える。
木刀を真横に構えて腰を落とし、じっと狙いを定めた。
そして一歩踏み込む。男の腹部を捉えた木刀は、男の勢いを止めた。
「ぐあぁ!」っと叫んでゴロゴロと転がり倒れこむ男に対して、雪は大声で叫んだ。
「ここに無銭乗車の男がいます!みなさん捕まえてください!」
先ほどまで逃げ惑っていた観光客たちは、雪の声に吸い込まれるようにやってきて、倒れこんでいる無銭乗車男を押さえ込んだ。
ほどなくすると、人力車を引いていた屈強な男がこちらにやってきた。もう一つの方向に逃げた男を、縄で縛りつけて連行している。彼が捕まえたようだ。
そして屈強な男性は、「さっきからみんなが言ってるんだけど、木刀でこの男の動きを止めてくれたらしいな。ありがとうよ。ボウズ」と言って、ぼくの頭を撫でた。
その男性の顔つきは、ほんの少しだけ、侍さんと似ていた。
横では雪が「凄いでしょ!勇くんは凄いんだ、やっぱり」と一人でうなづいていた。
「お、この可愛い子ちゃんは、ボウズの彼女か?」とからかってくる男性に対して、ぼくらはただ無言で俯くことしかできなかった。
しかし、この時の侍さんの様子はおかしかった。その男性を見たときの侍さんは、今まで見たことがないほど苦悶の表情を浮かべていたのだ。
そして、その男性もぼくの横にいる侍さんに気付いているような気がした。
彼らは知り合いなのだろうか。
しかし後ほど、侍さんに先ほどの男性のことを尋ねても「知らん」としか答えてくれなかった。
―――――――――――――――――
予想もしなかった事件を解決したあと、ぼくらはねねの道を南へ進んでいた。
「木刀、役に立ったでしょ?」
雪はにっこりと笑った。
「そうだね。正直、無駄な買い物をしたって思ったんだけど、買っていてよかったよ」
「勇くん、世の中には無駄なものなんてないんだよ。どんな経験も、どんなモノも、自分の糧にできる。私の好きな甲本ヒロトさんが言ってたことなんだけどね」
無駄なことはない。なるべく無駄なことはせず、効率よく生きようと思っていたぼくにとっては、考えさせられる言葉だった。
効率や能率だけを求めると、心の豊かさがなくなるのかもしれない。
やはり、雪と一緒にいると、いろんなことにきづくことができる。
一念坂という場所を歩いているときだろうか。
30代後半に見える女性と目があった。長い黒髪と着物が似合う京美人だ。
その女性は、ぼくの顔を目視すると、首を傾げながら近づいてきて、「もしかして、勇くん?」と声をかけてきた。
「は、はい。勇ですけど…」
「やっぱり勇くんかい!私のことを覚えてないかい?紀子おばさんだよ?」
そのとき、ぼくの大脳皮質は、紀子という言葉に反応した。
「あ、紀子おばさん?」
「そうだよ!紀子おばさんだよ」
「久しぶりだね!元気にしてた?」
「ああ、元気にしていたよ。せっかく会えたんだから私のうちにいらっしゃい?ゆっくりお話でもしましょうよ」
久しぶりの再会を喜んでいるぼくと紀子おばさん。そんな2人に水を差したのは雪だった。
「勇くん、ちょっと待ってよ!その人は本当に紀子おばさんって人なの!?もしかしたら人違いかもしれないじゃない!確証がないのに、知らない人についていくのは危険だよ?」
「あら、こちらの可愛いお嬢さんは、勇くんの彼女さん?」紀子おばさんはにっこりと笑ってぼくに尋ねた。
「い、いえ、そういう関係では…」
その返答に対して、明らかに雪はむすっとした。
「お嬢さん、ごめんね。どうやら私の説明が不足していたみたい。私は、勇くんのお母さんの親戚で、紀子というのよ。勇くんとは、幼稚園のころ、何度か遊んだこともある仲なのよ。だから人違いじゃないわ」
「うん、そうだよ雪、間違いなく紀子おばさんだ」
雪はしゅんとした様子で謝った。
「親戚の方だったんですね…さっきは疑って失礼なことを言ってしまってすみませんでした」
「いいのよ。気にしないで。私も強引だったから。お嬢ちゃんも一緒に私の家にいらっしゃい?京都の高級なお菓子をご馳走するわよ?」
雪は同級生の中ではしっかりしていると言っても、やはりまだ中学生だ。
「高級なお菓子…?」という言葉に釣られて紀子おばさんに心を許して始めていた。
石塀小道と呼ばれる京都らしい情緒あふれる道を少し歩くと、大きな書院造の住宅に案内された。銀閣寺と見まがうほど立派な住宅で、ぼくと雪は丁重にもてなされた。
抹茶餡が濃厚な味わいの抹茶大福、上質な抹茶をふんだんに使ったモチップルッとした食感の抹茶わらび餅、生茶葉が入ったヨーグルトケーキ、あらゆる絶品を提供していただき、舌鼓を打った。
グルメに満足しきっていた雪は、ぼくに声をかける。
「立派な邸宅に、絶品スイーツ…紀子おばさんって、裕福なのね?」
雪の声が聞こえていた紀子おばさんは、「あら、言ってなかった?私は、京都の一条本家の末裔よ」と答える。
「え?」ぼくは驚きを隠せない。紀子おばさんが京都一条家の末裔だということは知らなかった。
「勇くんも私たち一条家の一族なのよ?もしかして、あなたの母さんから聞いていないのかい?」
一条兼定様のことが気に入らないこともあってぼくはそのことを否定する。
「そんなはずはありません。ぼくの名前は天久です。一条家とは関係ありません」
「天久という苗字は、あなたのお母さんのご先祖様の知恵なのよ。
一条の字を分解してごらんなさい?
そして、`条`の字の`木`の部分を、`一`に移動させれば、`天久`に似た文字ができるでしょ?」
「あ!そういうことか!」雪は何かを思い出したかのように突然叫んだ。
紀子おばさんは言葉を続ける。
「勇くん、つまりね。あなたのお母さんは土佐一条家の子孫なのよ?」
「そんなはずはありません。だって、土佐一条家は滅んだんじゃ…」
「表向きには滅んでいるわ。インターネットや文献でもそう記されている。
7代目の政親様が消息不明となって、土佐一条家は歴史の表舞台から消えたわ。けど、彼は静かに生き延び、子孫を残していたの。そして、天久と苗字を変えて、細々と血脈をつないでいったの」
「…」言葉を失った。一条家の子孫…すると、ぼくと侍さんの関係は…
「勇くんのお母さんのことも話しておきましょうか。天久と苗字を変えたあと、土佐一条家の人々は、京都で暮らすようになったわ。あなたの母親、理子も若いころは京都に住んでいたのよ。
だが社会人になって数年が経ったある日、理子は`自身のルーツを求めたい`と言って、単身高知県四万十市に移住したの。そこで、理子とあなたのお父さんは出会った」
ここで、雪が口を挟んだ。
「少し話は逸れるんですけど。紀子おばさんは、勇くんが幼稚園の頃には何度か会っていたんですよね?でもなぜ、それ以降会わなくなったんですか?」
「それはね。離婚が原因だと思う。理子は、離婚してから私と距離を置こうとしたの。
もちろん心配だったんだけど、私のことは心配しないでください。と、あの子から手紙が届いてね。それ以降は連絡を取り合っていなかった」
「そういうことなんですね」
ぼくは終始うつむいていた。複雑な表情を浮かべてる侍さんと目線を合わせる気にもなれなかった。
時計を確認した雪は、
「ねえ、勇くん。そろそろ自由行動の時間が終わるから、帰らないと」と言った。
「そうね。うちに来てくれてありがとう。私も久しぶりに若い人たちとお話ができて楽しかったわ」
「こちらこそありがとうございました、ご馳走様でした」
ぼくらは紀子おばさんの家をあとにした。
しかしぼくは目の前が真っ暗になったような気分になり、意識が朦朧としていた。
周囲からは、虚ろな表情を浮かべている少年に見えたのかもしれない。
「ねえ、勇くん...どうしたの?」
「おい、勇…」
雪と侍さんの声を聞いても、心は落ち着かない。
「雪…侍さん、2人も聞いただろ?ぼくは土佐一条家の末裔だったんだ…
ということは、ぼくのご先祖様である一条兼定様が、侍さん、土居宗珊を殺したんだ…」
「ぼくのせいだ。ぼくのせいだ」
動悸が激しくなり、心臓の高鳴りが脳内に響き渡る。ぼくはたまらず、しゃがみこんで、頭を抱えた。
「大丈夫?勇くん、しっかりして?」
「落ち着くのじゃ勇、お主はあくまで末裔であって、儂の死とお主は関係がない!」
「嘘だ!侍さんは、本当は兼定様恨んでるんじゃないの?そして、ぼくのことも…」
明らかに取り乱していた。目の前を灰色の世界が覆いつくすような感覚に陥り、「落ち着いて」という言葉が右から左へと抜けていく…
「これが落ち着いてなんていられないよ!いやだよ。ぼくが、侍さんを殺した一条兼定の子孫だなんて…」
そのとき、「勇…」と、侍さんは消え入るような声でぼくの名前を呼んだ。
そして侍さんと目が合ったとき、ぼくはただ無心で走り出していた。どこかを目指していたわけではない。ただとにかく一人になりたかった。
自分の血筋を認めたくなかった。
―――――――――――――――――
勇が一人でどこかへ走り去った後、その機を待っていたかのようにスーツを着た男が雪の目の前に現れた。
男は、路地に取り残されてあっけにとられている雪の鳩尾を殴った。不意を突かれた彼女は気を失い、そのまま人力車の座席に運び込まれる。
人力車を引っ張っていた男は、雪の姿を隠すように真っ黒な幌を張った。そして、スーツを着た男と共に、東へと走りだしていた。
苦悶の表情を浮かべる雪は、無意識に呟いていた。
「イサミく…」
もちろん、その声は勇には届かなかった。
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