第6話 信じるべきは何か。
雪と対面したぼくは、目をつむり深呼吸をして、気持ちを整えた。
雪はその様子を訝しがることもなく待っていてくれる。
「…さっきはごめんね。」蚊のなくような声で、謝罪の言葉を口にした。
「どっちについて?」お腹から発声した大きな声で、雪は答える。
「どっち?」
彼女はにっこりと笑って、二本の指を提示する。その顔つきは、まるで裁判官のようだった。
「勇くんには、ふたつの罪があります。
ひとつ、急にわけのわからないことを叫んだこと。
ふたつ、突然逃げ出したこと。」
ひとつ目は侍さんが悪いのだが、言い訳をすれば雪はさらに怒りそうだった。
「両方ごめん…」
「私、驚いたんだよ?
いきなり叫ばれて、逃げ出されてさ。
今日は久しぶりに習い事がない日だったから、一条神社でお参りしようと思っていたのに、変な気分になっちゃったじゃない。」
「本当にごめんなさい。」ぼくは謝ることしかできなかった。
雪はそんなぼくのじっと見つめる。
「勇くん。何度謝っても、時間は戻らないんだよ。
さっきのことは、たいしたことじゃないけど、これからの人生でどんなことがあるかわからないんだから、安直に謝ってばかりじゃだめだよ。」
同じ14歳とは思えないほど、雪の大人びた発言に対して、ぼくはただ俯くことしかできなかった。
「勇くんから、`お主、お雪か?`って言われたときに、`お雪`って名前が妙に気になったんだよ。
私の名前も雪だからさ、ちょっと調べたの。
そしたら、一条兼定様とお雪さんの悲しい悲劇の話を知ってさ。
私は山内家の一族だから、農民の娘のお雪さんの血を引いているわけではないと思うけど、なんだか他人事に思えなくて。
だからジイに頼んで、お雪さんが身を投げたこの地に連れてきてもらったんだ。」
ジイとは、雪の家の執事さんだ。
彼女の家は裕福なので、執事を雇っている。実際に執事が何をしているのかはぼくにはわからないけれど、高級な外車に乗って、雪を送迎しているのを何度も見たことがある。
「勇、勇よ。雪は、ええ子じゃのう。」
侍さんは、ひそひそとぼくに話しかけてくる。
「うるさいなあ、今、雪と話しているんだから黙っててよ…」
ぼくはぼそりとつぶやいたのだが、雪がその違和感に気づかないはずがない。
「ねえ、今、誰と話していたの?」
「い、いや。なんでもないよ。」
「ふうん。」彼女は明らかに訝しがっている。
そして、眉間に皺を寄せて、こちらに詰め寄ってきた。
「ねえ、勇くん。私になにか隠してるでしょ。
神社で叫んだことと言い、今、誰かと話していることといい、明らかにおかしいもの。」
「な、なんでもないって言ってるじゃないか。」
ぼくは渡る世間は鬼ばかりに出てくる坊主の人のように、口をとがらせる。
「私たちは、3歳の頃からの幼馴染じゃない。話してよ!秘密なら守るから。」
「だって、どうせ信じてもらえないし。」
頑なに断るぼくの様子に、業を煮やした雪はむすっとしながら吐き捨てた。
「もういいわよ。言わなくていい。むしろ、言うな!」
明らかに不機嫌な様子で、そのように吐き捨てられてしまうと、非常に不安な気持ちになってきた。
洗剤に記載してある混ぜるな危険!と同じだ。
強い塩素ガスが発生するとわかっていても、混ぜるな!と言われれば、混ぜたくなってしまうのだ。
同様に、言うな、と言われてしまうと言いたくなるのだ。
「わかったよ。言うよ!言うから、そんなに怒らないでよ。」
その言葉を聞くや否や、雪は声を躍らせる。
「さっすが勇くん!そうでなくちゃ!」
まるで、ぼくが結局は話すことを見透かしていたようだ。
雪の手のひらで踊らされていたようで少し癪だったが仕方がない。彼女は頭脳明晰で成績優秀な女の子なのだから。
そしてぼくは、昨晩自分に起こった出来事を説明した。
中村城の林の奥で、男に襲われたこと。
その時に札を剥がしたら、戦国時代の侍さんが自分に憑依して危機を救ってくれたこと。
そして、今、真横に首だけが浮かび上がった侍さんがいること。
侍さんの姿と声は、自分にしか見えないこと。
神社で雪に迫ったのは、侍さんが憑依をしたからだということ。
これら話を、雪はこくり、こくりと頷きながら聞いてくれた。
そして、「なるほどね。じゃあさっきの突然の行動も理解できるわね。」とにっこり笑った。
そのあっけらかんとした言葉が信じられなくて、今度はぼくが雪に尋ねる。
「どうしてバカにしないの?おかしいこと言っているとか思わないの?」
すると雪は、TV番組のリポーターのような口調になって話し始めた。
「インターネットが発達した現代は、情報が氾濫しています。
インターネットや、SNS、ツイッター、フェイスブック、既存のメディア以外の人でも誰もが情報を発信できるようになりました。
だけどね…?
嘘ば~っかり!
私のお父さんは政治家だから、SNSとかでいろいろ叩かれてるんだ。
暴力団から献金を受け取ってるとか。そんな根も葉もない意見ばかりが発信されてるの。
テレビや新聞、マスコミの情報だってそうだよ?
それが本当の真実だとは限らない。誰かが意図的に発信した情報かもしれない。」
怒っているようにも、諦めているようにも聞こえる声で雪は訴えた。
「だから私はね。現代に氾濫している情報は、あまり信じていないの。」
「じゃあなんで、雪はぼくの話を信じてくれているの?」
雪に疑問をぶつけると、彼女はその艶やかな黒髪をバサッと振り上げた。
「勇くん。いい質問ですね!
ここからが大事なところなんだけどね。
私は物事の内容よりも、誰が言うかっていうのを大事にしているんだ。
勇くんが言ったなら、それを信じるだけだよ。」
「え?どういうこと?」
雪はまっすぐとぼくの目を見つめながら、言葉を続ける。
「私たちは家も近所で、3歳のころからの仲でしょ?
私は勇くんのことを信頼しているの。
その勇くんが言っているんだから、侍がどうとか、その内容が多少現実離れしてようとも、それを信じるの。
それに、勇くんが私をだますメリットがないじゃん。」
雪の言葉を聞いて、ぼくは目頭が熱くなっていた。信じてもらえるということは、これほどまでに嬉しいことなのだろうか。
横では侍さんも「雪はええ子じゃあ」と涙ぐんでいる。
「ありがとう。雪の瞳は、水鏡のようだね。」
「水鏡?」
「そう、水鏡。
言葉の意味は、水がありのままに物の姿を映すように、物事をよく観察してその真情を見抜き、人の模範になる人のことらしいんだけどね。
雪の瞳は、まるで、水鏡のようなんだよ。」
「やっぱりおかしいわよ、勇くん。
君はそんなに恥ずかしいことを言える人じゃなかったのに。」
「そうかなあ…」
「そうだよ。やっぱり今日の勇くんは様子が変わったよね。
いつもはもっとオドオドと話すのに、今日はいつもよりも話しやすいというか。
顔つきも、ほんの少しだけど、たくましくなってるよ。」
「へへへ。ありがとう。そんなにたくましくなったかな?」
にっこり笑ってデレレと笑うぼくに、雪は釘を刺した。
「調子に乗らないでよー!ほんの少し、ほんの少しなんだからね。
けど`イセミ`ってバカにされていた小学生の頃よりは、断然逞しくなっているよ。」
雪はそう言ってさらにぼくに近づき、肩に手を乗せた。
太陽は地平線に沈みかけ、一日の終わりを告げるそのとき、胸の奥の何かがはじけた。
拳銃で心の臓を撃ち抜かれたような感覚に陥り、ぼくは放心状態に陥った。
――――――――――――――――――
その夢見心地を終わらせたのは、どこかで聞いたことのある初老の男の声だった。
「お嬢様!そろそろお帰りの時間ですよ。
早く帰らないと、母上様が心配なされますよ。」
その男は、雪の執事だった。
帰宅のために、彼女を呼びに来たようだ。
「勇くんも、乗ってく?」
雪は、まるで自分の自動車に案内するかのようにぼくに声をかける。
「遠慮しておくよ。電車で帰れるし、わざわざ悪いよ。」
「電車って、2時間に1本くらいじゃないの。
遠慮しなくていいから、うちの車に乗りなよ!ジイもそれでいいでしょ?」
「私はかまいませんよ。」
ジイは、こくりと頷く。
「では、お言葉に甘えて…」
そしてぼくは、ジイが運転する車に乗って、雪と一緒に帰ることになった。
――――――――――――――――――
政治家やVIPの移動車の主流派、クラウンやセンチュリーだ。
雪の家も例にもれず、黒のクラウンを所有していた。
車内でぼくの心臓がバクバクと激しく鼓動を鳴らしているのは、高級車に乗るのは初めてだからだろうか。
それとも、後部座席に雪と二人で座っているからだろうか。
妙に近い二人の距離に、どうしても彼女を意識してしまう。
ぼくの右側、つまり、雪の左側にうっすらと侍さんが浮いているのが滑稽に思えないほど、ぼくは緊張していた。
しかし、雪は飄々とした様子でぼくに話しかける。
「ねえ勇くん。今晩、うちでごはんたべていく?」
「いや、やめとくよ。」
「おうちにご飯あるの?」
「あるよ。
いや、母さんもまだ帰っていないだろうし、今日もカップ麺だけど。」
「バカ!」
雪は眉間にしわを寄せて叫んだ。
「カップ麺は、中学生の健全な晩御飯とは言いません!うちに連れていくから、一緒に晩御飯を食べよう。」
強引に決定させた彼女は家に電話をかける。
「あ、お母さん?今から勇くんもつれてかえるから晩御飯のおかず少し多めにつくっておいて」と、即座に手配も済ませた。
横では侍さんが、ぼくを茶化す。
「勇、お主と雪は、ええ感じじゃの。」
「うるさい!」
ぼくの声を聞いた、雪はにっこりと笑った。
「もしかして、今、さっき話していた侍さんと話してるの?」
「そうだよ。」
雪は侍さんのことが見えていないはずなのに、「こんにちは、侍さん」と、侍さんに挨拶をしたのだ。
侍さんは、驚きながらも、ほんの少し顔を赤くした。「現代の雪はいい子じゃのう。兼定様が親しくしておったお雪も…」と言いながら感慨にふけっている。
車内の静寂を嫌ったのか、雪はその後もぼくに話しかけ続けた。
「今日は本当に久しぶりに習い事がなかったの。いつもはピアノにバイオリンに、習い事で忙しくて…」
雪はぼくと同じく帰宅部だけれども、習い事で多忙のようだ。
「過保護のカホコってドラマ、見ていた?」
「うん。見てたよ。」
「うちはあんな感じかな。
お父さんは政治家で多忙なんだけど、お母さんは専業主婦でずっと家にいるの。
お母さんも執事のジイも、みんな私を可愛がってくれるんだけど、何から何まで世話を焼こうとするのよ。私はもう子供じゃないんだからほっといてほしいんだけどなあ。」
ぼくは雪の家の状況がうらやましくなった。
母子家庭で、母が仕事に出ずっぱりなぼくとは、正反対だ。
「かまってもらえていいじゃないか。雪がうらやましいよ。」
「そうかなあ。
けどね。お母さんもジイも私のことをお人形のようにみているようなんだよね。」
「お人形?」
「そうよ。政治家の娘、お金持ちの娘としての立場よ。
ピアノもバイオリンも、お母さんに言われてやっていることだし。
私がどう成長するかじゃなくて、政治家の娘としての体裁を求めているのよ、私の周りは。
つまり、誰も私自身を見てくれないの。」
そう話す彼女の表情はとても悲しそうだった。運転手のジイは、雪の心情の吐露を聞こえていないふりをしているようだった。
ぼくは雪の気持ちも知らずに、彼女の境遇をうらやましいと言ってしまったことを悔いた。
「雪の家も、大変なんだね。」
「ううん。もう慣れたから。
私こそごめんね、こんなこと言って。勇くんは母子家庭だから、きっと寂しいと思うのに…」
「いや、いいんだ。ぼくも慣れているから…」
ぼくたちは正反対だ。
雪は、友達も多くて明るくて人気者、家族からも大事にされている。
ぼくは、友達も少なくて陰気だ、家族の愛をあまり知らない。
けどなぜだろう。雪といると、とても心が落ち着くのだ。
車は進み、エンジン音が鳴り響く。ハンドルを握るジイは、なにやらにこにこしている。
ゴクリと唾を飲み込む音がしたあと、雪は一呼吸おいた。
そして、目をパチパチさせながら上目遣いでこう言った。
「勇くんと私は、悩みが真逆だよね。
だからこそね、聞いてほしいお願いもあるの。」
「お願い…?」
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