第5話 お雪と兼定。その悲劇

「娘の名は………お雪。

先ほど出会った勇の幼馴染である雪は、そのお雪にそっくりだったのじゃ。」


大ヒット映画を意識したわけではないはずだけれど、侍さんの言い方は`あのタイトル`を意識させるものだった。もしかしたらぼくの`前前前世`は、侍さんなのかもしれない。



「なるほどね。だから侍さんは、突然ぼくに憑依して雪に話しかけたんだ。

それで、兼定さんとお雪さんは、それからどうなったの?」


その質問を聞いて、侍さんは昔を思い出すように空を仰いだ。そして、丁寧に言葉を紡いでいく。


「兼定様は、お雪の可憐さにたちまち心を奪われた。そしてその場で、一首の歌を詠んで渡したのじゃ。


 `汲みてこそ水はやさしきものと知る 流れの末に逢はんとぞ思ふ`」


汲みてこそ…どこかで聞いたことのある響きだった。


「その歌、知ってるよ!

さっき憑依したときに、その歌が頭に浮かんできたんだ!」


「なるほどのう。

どうやら勇は憑依されたときに、過去の情景が浮かぶようじゃなあ。」


「そうみたいだね。なんだか不思議な感覚だったなあ。それで、その歌の意味を教えてよ?」


「この歌の意味は、`水というものは汲んでみて初めて潤しいものと知った。流れの下流に行ってでもでも逢いたい思っている。`というものじゃな。


武家の当主兼定様からすれば、農民の娘のお雪は身分違い。

流れの下流というのは、二人の身分の違いを表しておる。」


「なるほど。兼定さんは、農民の娘さんに惚れてしまったんだね。

歌って、百人一首の世界だけだと思っていたけど、とてもロマンチックだね。


「戦乱の世では、和歌は娯楽でもあり教養の一部だったから、和歌が歌われることは多かったのう。


そして、兼定様の歌を読んだお雪は、こんな歌を返した。


 `谷川の水はやさしきものなるに 君が情けをくみて知らるる`


この歌の意味は、`流れの末では無く、谷川の水でも優しいものとなるでしょう あなたが情けを掛けてくださるのならば`というものじゃな。


つまり、お雪も兼定さんの好意を受け入れたのじゃ。」


「劇的な出会いだね。武家の当主と農民の娘の身分を越えた恋か。

お互いに一目惚れだったんだね。」


「しかしのう。そんな甘いことを言っておられんかったのじゃ。」


「何があったの?」


「兼定様はお雪と出会ってからさらに政治のことを省みなくなった。

儂らは、一条家を長宗我部家の侵略から守るために、日々政務や戦に勤しんでおったのに、兼定様の心はお雪のことばかり。

毎日のように鷹狩りと称してお雪の元へ行き、彼女の家に泊まっておった。


やがてお雪の住んでいた平田には、お雪の為の立派な屋敷まで建てられたのじゃ。」


侍さんの話は戦国時代の話だが、現代の話のようにも思えた。どこかの社長が愛人にマンションを買ってあげるのと似ているような気がする。


侍さんは口うるさい家庭教師のような顔で、ブツブツと回想を続ける。


「政務をおろそかにして、お雪の元に入り浸る兼定様に、儂ら家臣は諫言を繰り返した。

せめてお雪を、政庁である中村御所にお召しになり側室にするべきだとも主張したのじゃ。


しかし兼定様は、全く聞く耳を持たなかった。

それどころか、`政治はお前たちが好きなようにせよ`と、政務を丸投げしてしまったのじゃ。


その後、儂は何者かに殺されてしまい、成仏できずに今に至る…」


何者かに殺された。ぼくはこの部分が特に気になった。侍さんは心残りがあるからこそ、魂だけの存在になって現世に残っているんだ。


「ねえ侍さん。侍さんが成仏できないのは何か心残りがあるからだよね?それは、誰が自分を殺したかってことなの?」


「誰が自分を殺したかが心残りではない。儂を殺した者の目星はある程度ついておるからのう。儂の心残りは、暗殺の真相、背後の黒幕…

いや、こんなことは、勇に言うても仕方がない。」


侍さんはあまり多くを語ろうとはしない。一条家の家臣だとは言うけれど、家臣の誰だ、ということも言ってくれないのだ。インターネットで一条家の家臣調べても、大勢の中から侍さんを特定するのは難しい。

ぼくはムキになって、侍さんに質問を続けた。


「じゃあ、自分が死んだあとの一条家がどうなったかが知りたいってこと?それを知ることができたら成仏できるの?」


「いや、そうでもないのう。実は、一条家のその後はもう知っておるのじゃ。


「え?どうやって知ったの?」


「儂が後世の者に憑依したのは初めてではないと、昨晩話したのう?」


「うん。」


「その憑依した者が、現代のことを教えてくれた。そのときに、その後の一条家についても説明してくれたのじゃ。


儂が亡くなったあとの一条家は、内紛が起こり、家中が乱れた。長宗我部元親はその隙に、一条家を攻め滅ぼしたようじゃ。かつての恩を忘れてのう。」


「そうか。侍さんは必死に一条家を守ろうとしたのに、その願いは叶わなかったんだね…」


「戦国の世とはそういうものじゃよ。一条家は長宗我部家に滅ぼされて、その長宗我部家は徳川家に滅ぼされた。結局、この土佐の地を治めたのは、土佐とは縁もゆかりもない山内家じゃからのう。」






俯瞰したように話すわりには、侍さんの顔は暗かった。

自分を殺した相手も、自分が死んだあとの一条家がどうなったかを知っても侍さんは成仏できない。一体どうすれば、侍さんは成仏できるのだろうか。

侍さんの心残りを晴らしてあげたい。からっぽと言われてきて、自分の確固たる意志がなかったぼくが、初めて強く願った感情だった。


「ねえ、侍さん。ぼく、自分がやりたいことが決まったよ。侍さんを成仏させてあげたいんだ。」


「なんじゃと?儂のことなど気にせんでええのじゃぞ?」


「侍さんはぼくにとって命の恩人なんだ。さっきは勝手に憑依して、雪にあんな態度をとったから怒ってしまったけど、過去にそんなことがあったのなら少ししょうがない気がするし。

それに、まだ出会って間もないけれど、侍さんと一緒にいると、勇気がもらえるんだ。ぼくが侍さんからもらってばかりは嫌だから、侍さんの力になりたいんだ。

どうすればいいのかはわからないけど…この気持ちは受け取ってよ。」


ぼくの気持ちを聞いた侍さんは、俯きながら感慨にふけりながらこう言った。

「勇は優しいのう…その気持ち、ありがたく受け取っておこう。」


「うん。一緒に成仏する方法を考えていこう。」


成仏する方法はわからない。けど、進むべき道が決まるだけで心は強くなったきがした。少なくとも今のぼくは、セミの抜け殻のイセミではない、からっぽではない。


会話が一息ついたため、ぼくはスマートフォンを手にとった。


「勇、何をしておる?」と、侍さんは尋ねる。


「兼定さんとお雪さんがそのあとはどうなったのか気になったから、調べているんだよ。

今は、このスマートフォンでなんでも知ることができるんだ。便利なんだよ。」


「便利、か。簡単にすぐ手に入るものに、大きな価値はあるのかのう。

勇、一度、調べるのをやめてくれんか。」


「え、なんで?」


「なんでもかんでもその機械で調べるのをやめて、自分の頭で考えてみるのはどうだ?」


「自分の頭、と言われても…」


「兼定様とお雪の関係は、そのあとどうなったと思う?」


「一条家が滅んだあとだよね?兼定さんは処刑されて、お雪は別の人と結婚したのかなあ。」


「それがお主の答えじゃな?」


「うん。」


侍さんは、答えが正解かどうかは教えてくれなかった。


「なあ、勇。たしか`平田`という駅があったじゃろう。今からそこに行ってくれんか?」


「え?なんで?」


「ええから、そこに行ってくれ。」


侍さんはそれ以上、何も言わなかった。まっすぐに家に帰っても母さんがいないので早く帰宅する必要もない。侍さんの要望通りに、平田駅に向かうことにした。


JR中村駅から電車に乗り、平田駅まで約20分かかる。運が悪いと2時間ほど待たされることもある土佐くろしお鉄道中村・宿毛線なのだけれども、今日はタイミングよく電車に乗ることができた。


シルバーを基調とした車体に、ブルーのラインが入った列車がくろしお鉄道の車両だ。ガタガタと揺れる車内も、この鉄道の魅力だ。


JR平田駅で降りると、周りは田畑だらけだった。


「ねえ、侍さん。ここに何があるの?」


「ええから、儂についてこい。」

侍さんはそう言って、うっすら浮かんでいる頭部だけで前方に進んでいった。


侍さんについていくと、ほどなくしてある場所にたどり着いた。

その場所には、「南無阿弥陀仏」と書かれた供養塔が立っている。


「これは、誰の供養塔なの?」


侍さんは、誰の供養塔か、ということには答えずに話を始める。


「さて、さっきの続きを話そうか。

儂の死後、政務をおろそかにした兼定様は、怒った家臣たちに隠居を強要され、嫡男に家督を譲ることになった。そして、兼定様は国外追放となった。」


「当主が国外追放?まるでクーデターみたいだね。」


「そうじゃのう。国外に追放された兼定様は、もう一条家のかじ取りをすることはできなくなった。兼定様国外追放の一報を聞いたお雪は、それはもう大いに悲んだそうじゃ。

兼定様にお目にかかる事も叶わなくなったならもう生きている意味がない、と言って、四万十川の深い水たまりに身を投げた。


この場所は、お雪が入水して命を落とした場所なのじゃ。」


ぼくは侍さんの話を聞いて、その場で立ち尽くした。胸の奥が、切り刻まれるように痛くなった。

そして、この事実をこの目で確認してよかったと思った。検索をしていてもこの事実を知ることはできたが、自分の足で移動し、自分の目で事実を知ったことで、より過去に思いを馳せることができたのだ。


「勇よ。この話にはもう少し続きがある。

兼定様は、国外で幽閉中に、お雪が死んだことを聞いたそうだ。そして、悼みの一句を詠んだ。

`あかざりし 人の眉根にたくへても 名残ぞ惜しき 三日月の影`


歌の意味は、`想い人の眉の形によく似た三日月を眺めていると、愛らしいあなたの面影が浮かんできて、何とも名残惜しい気持ちにってしまう。`という内容じゃ。」


悲しいと一言で済ませたくはなかったのだけれど、ぼくにはそれ以外の言葉が思い浮かばなかった。語彙力が不足しているのかしれない。目の前にあるお雪入水の地・供養塔と書かれた石碑は、悠久の時を超えて悲劇を語り継いでいた。


暮れなずむ田畑の中で哀愁にひたっていたとき、後ろからなじみのある声がした。


「あれ、そこにいるのは、勇くん?」


その声の主は、雪だった。なぜここにいるのだろうか。さっきのことを怒っているのではないだろうか。いろんな疑念が浮かぶが、その前にすべきことがある。


ぼくは小声で「もう憑依するなよ。」と、侍さんに釘を刺した。


そして、後ろを振り向いて、雪と対面した。


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