第2話 命の蝋燭
憑依した侍さんのおかげで男を撃退したけれど、ぼくはまだ、この状況が読み込めていなかった。
中村城の林の奥に存在する広場のようなこの場所はどこなのだろうか。
父はどこへ行ったのか。襲ってきた男は誰だったのか。
男に殴打されて激痛に襲われていたはずの体の痛みは、なぜ徐々に和らいでいるのか。自分の治癒力が急激に上昇している理由は一体何なのか。
一番の驚きは、目の前に白い初老の侍が浮かんでいることだ。
よく見ると浮かんでいるのは、髭を蓄えた顔の部分のみで、胴体より下は存在していない。
まるで妖怪のつるべ落としのようだ。
頭一杯に広がる疑問を解決する知恵と知識を持たないぼくに、つるべ落とし、もとい、侍さんは優しく語りかけてくれた。
「まだ疑問が多くて驚いているようじゃな。いきなりすべてを理解するのは難しいじゃろうから、一つずつ教えてやろう」
「よ、よろしく頼むよ」
ぼくは朝食のトーストを注文するようにフランクに答えた。
「まずはお主の傷の癒える早さについてじゃ。そのことを説明するためには、憑依について話す必要がある。
憑依と一口に言っても、2つの種類があるのじゃ。
儂は今、お主の目の前に現れて話をしておるが、これは魂だけが存在しているだけじゃ。これを仮の憑依とでもしておこう。
しかし、先刻、儂がお主の意識を乗っ取ったじゃろう。あれが真の憑依じゃ。
真の憑依を行ったときには、お主は自分の意識がなくなるはずじゃ。あの状態では、儂の意思でお主の体を自由に操れるようになっておるからの。そして、真の憑依を行うと、お主の体の奥底に眠るエネルギー、火事場の馬鹿力が解放される。
筋力、瞬発力、もちろん治癒力も。だから、儂が生きておったころの体術・剣術を再現できるようになるのじゃ。今は真の憑依の影響で、治癒力が高まっている状態なのじゃろう。」
「なるほどね。なんとなく理解できたよ。つまり侍さんが憑依をしたら、ぼくはとてつもなく強くなるってことでしょ?」
「まあ、そうじゃな。」
「そういうドラマあったよね。サムライ・ハイ…なんとかだっけ。
けど、それならぼくは、無敵じゃないか。ピンチの時にはいつも、侍さんがぼくの体に憑依してくれたらいいんだからさ。」
ぼくは真の憑依について理解すると、自分が強くなったような気がして安直に喜んだ。そんな浅はかな思いをくみ取ったのか、侍さんは眉間に皺を寄せる。
「無敵ではない。いいか。今から話すことをよく覚えておくんじゃ。
人の寿命はの?心臓の中に灯る蝋燭の長さで表現されておる。」
「え?ぼくの体の中に蝋燭が入っているの?あれ、でも体の中は熱くないぞ」
「物理的な蝋燭ではない。人間の生命力を示す、目に見えない印のようなものじゃ。`死神`という落語で表現されておるというたほうがわかりやすいかの。
簡単に言えば、人間の寿命は、心臓の中に灯る蝋燭の長さによって決まっておるということじゃ。」
「そうなんなんだ。」
侍さんから蝋燭の話を聞いたとき、大好きなロックバンドの歌を思い出した。
微かでも 見えなくても 命の火が揺れてる
周りから感情がない、からっぽだ、と言われてきたが、ぼくの心臓には命の火が揺れているんだ。それを知れただけでも良い気分だった。
侍さんは、さらに説明を続ける。
「儂がお主の意識を奪ったとき、お主はどんな感覚じゃった?」
「えーとね。`ナニカ`が、口の中に入って、食道を通って、体の奥底に入ってくる感覚だったよ?そして体に活力が漲ってくる気がしたんだ。」
「そうじゃろ。儂が真の憑依をしたことで、あの時、お主の蝋燭は烈火のごとく燃え上がったんじゃ。それが、お主の身体能力を強化させる。」
「ぼくは強くなるんだよね?」
「そうじゃ。ただ、烈火の如く燃え上がるということは、欠点もある。
通常よりも、蝋が短くなる速度が速くなるのじゃ。
つまり、お主の蝋燭が燃え上がるということは、寿命を削っているのと同じことなのじゃ。」
「え?じゃあ、ぼくって早く死んじゃうの?」
侍さんは怯えるぼくに、にっこりと微笑みながら語りかけた。
「安心せえ。お主の蝋燭は、人一倍の長さがある。多少、儂が真の憑依をしたところで、消えはせんよ。」
「それはよかった。」
「ただし、油断は禁物じゃ。先ほどは、襲ってきた男が弱かったからすぐにカタがついたものの、長期戦になるほど、お主の蝋燭の火はどんどん短くなっていくからの。」
「わかったよ。なるべく、侍さんの力を借りないようにするよ。けど、こんな危険な場面もう遭遇しないかもしれないなあ。」
「そんなことはない。お主はこれから何度も、儂の力を必要とするときが来るはずじゃ。」
「そうかなあ。でもぼくは自分の意思じゃ剣が握れないから、侍さんがいてくれたら心強いよ。」
「なに?お主は剣が握れんのか?後日、儂が直々に、鍛錬をしないといけないなあ」
「そうだね。あと、さっきから思ってたんだけどさ。落語のことを話したり、侍さんって、今の時代のことに詳しいよね?」
ぼくの質問を聞いた侍さんは、ひょっと下を出し、バレたか、という表情になった。そして、観念したように話し始めた。どうやら侍さんは、ポーカーフェイスが苦手らしい。たしかに賭け事は苦手そうだ。
「今が何年かは知らぬが、儂は1989年に、別の人間に憑依していたからのう。その時に憑依した者から様々なことを教えてもらったのじゃ。」
「え?ということは、侍さんが人間に憑依したのはぼくで2人目ってこと!?その人はどんな人?どうなったの??」
「え~と、それは…」
侍さんがお茶を濁しているとき、ぼくは、へっくしゅんと、大きなくしゃみをしてしまった。そして、ブルブルっと、まるで子犬のように身震いをした。
今日は真冬の1月21日だ。高知県は南国土佐と呼ばれるので、温暖な気候と思われることが多いが、冬はとても寒かった。夏は太陽が高知県をピンポイントで熱しているのかと感じるほど暑いのに、冬の太陽はサボり癖があるようだ。
侍さんは、寒さを感じてはいない様子だったけれど、「風邪を引くといけぬから、今日はもう帰るのじゃ。」とぼくに声をかけた。
「帰ろうかって、侍さんもついてくるの?」
「あたり前じゃ!儂は当分、お主と一緒におる。知っておきたい真相もあるからのお。」
「そんな…母さんにどう説明すればいいんだよ!まだ彼女も家に連れてきたこともないのに、うっすら浮かんだ侍さんを家に連れ帰るなんて…」
ぼくは想像した。うっすら浮かぶ髭もじゃの生首を連れて帰ってきた息子を見た時の、母の驚く姿を。母が震えて泣き叫ぶ姿が容易に想像できる。寒さに震える息子と、侍の生首に震える母、大惨事じゃないか。
「だめだ、絶対にだめ!」
「そんなに嫌がらんでもよいじゃろう!それに安心せえ。儂の姿はお主にしか見ることはできん。」
「本当に?」
「そうじゃ。前回、憑依したときにもそうじゃったからな。今回もきっとそうじゃ。」
「本当に?嘘ついたらハリセンボンだよ?」
「ハリセンボンとな?」
「針、千本だよ!」
「それは怖いな。大丈夫、儂は嘘はつかん。儂の姿はお主の母君には見えん。」
「よし。じゃあ信じるね。でも、もし見えたらいけないから、侍さんは、鞄の中に収納して持ち歩くことにするよ。」
「そのようなことせずともよい!良いから儂を信じぬか!」
「わ、わかったよ」
ぼくは侍さんの物凄い剣幕に押されて、渋々了承した。そして立ち上がり、侍さんと一緒に家に帰宅することにした。林の中を抜けて、中村城のコンクリート道へと戻る。
しかし、どうにも違和感があった。うっすら浮かび上がる侍さんの頭が、ぼくの視界をたまに遮るからだ。これは夢なのか、現実なのか、区別がつかないが、ほっぺたをギュッとつねれば痛みを感じるので、やはり現実なのだろう。
「ねえ。うっすら浮かんだ侍さんがぼくの前にいると、前方が見えづらいんだよ。だから、後ろに回ってよ。」
侍さんは、「御意」と、言って、ぼくの背後にまわった。
闇夜の中村城のコンクリート道をゆっくりと歩いていく。野鳥の音も、虫のさえずりも聞こえない静寂…侍さんは、後ろからついてきているのだろうか。
不安になったぼくは、足を止めて、後ろを振り返った。
その時、街灯に照らされた侍さんの顔面が、ぼくの視界を覆いつくした。
「ウギャァ!」驚きのあまり叫び声をあげて、前を向いて走った。
しかし顔面は、すぐさまぼくの目の前に現れた。「ウギャギャァ!」再び咆哮が響く。
侍さんの高速移動によって、前後を生首に挟まれた気分になってしまったのだ。
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