ヒョーイザムライ

喜多ばぐじ ⇒ 逆境を笑いに変える道楽家

第1話 少年と侍

<1569年 月夜の暗殺>


「お主たち、誰の手のものじゃ?」

城内の廊下で、数人の男たちに前後を阻まれた侍は、驚くほどに冷静だった。今、短刀を抜いたところで、彼らから逃れる術はないと悟っていたのかもしれない。


侍の後ろにいた男は、眉一つ動かさずに叫んだ。

「不忠の罪だ!近江守、覚悟!」


背後から侍の方に踏み込んだ男は、右袈裟一刀で切り倒した。


真っ赤な血しぶきが廊下に飛び散り、侍はその場に倒れこむ。


「儂は…儂は…殿を支え…」


侍の声はそこで途絶えてしまった。

赤みのかかる満月に照らされた日本刀が美しい放物線を描き、侍の命を奪ったのだ。


逃げる男たちの足音は、中村城に響く野鳥の鳴き声と川のせせらぎをかき消した。



―――――――――――――――――――


「からっぽ。まるで抜け殻のようだ。何を考えているかわからない。」

小学校の頃の同級生たちは、不愛想なぼくをそのように評価した。


小学生にとって「抜け殻」といえば、真っ先に思い浮かぶのは蝉だ。


同級生たちは、ぼくのことを「セミ」と呼び始めた。セミと呼ばれるだけなら、まだマシだった。両親が名付けてくれた「イサミ」という名前をバカにしてくる者もいた。


「やい!セミのイサミだから、お前はイセミだ!イセミ!イセミ!」


「イセミっておかしいだろ。どうせなら、セサミにしろよ!…って、セサミストリートじゃねえ!」なんて、面白くはなくともつっこみのように言い返すことができたら、どれほど楽だっただろうか。ただ、自分の気持ちを言葉にすることが苦手だったぼくは、周囲の嘲笑に対して、黙って俯くことしかできなかった。


そんなときにぼくを助けてくれたのが、幼馴染の女の子の雪だった。


市長の一人娘である彼女は、名門の家に恥じない華麗な容姿をしていた。光沢を帯びた長い黒髪は見る人の心を奪い、小顔に不釣り合いなほど大きな黒い瞳は、吸い込まれるように美しかった。


自分の意見を物おじせずに伝える彼女は、クラスでも学級委員の役割を担っていたが、たまに物憂げな表情を見せることもあった。容姿端麗かつ優等生の彼女に好意を抱かないものはいなかったはずだ。もちろん、ぼくも彼女のことが…


あの時、雪は、イセミと罵られるぼくの前に立ち、同級生たちにこう叫んだ。

「セミの何が悪いのよ!例えばセミは、土の中に丸6年間も住んでいるのよ。そして、やっと、土から外に出て、10日間も生きるのよ!」


同級生たちは、クラスのマドンナの雪がぼくをかばうので、面白くなさそうに、言い返す。


「たった10日の命じゃないか!」


「生きたのはね?けど、セミは10日間生きるために、6年も土の中で準備したのよ?その苦労がわかる?あんたたちは、6年間も土の中で暮らせるの?」


「土の中で6年…暮らせないけど…」


「じゃああんたたちはセミ以下ね。セ・ミ・イ・カ!略して、セミカよ。そんなあんたたちに、イサミ君をイセミなんてバカにする権利はないわ!」


セミカという不名誉なあだ名をつけられた同級生たちは、「覚えとけよ」という捨て台詞を吐いて、トボトボとその場を後にした。女子からも先生からも人望の厚い雪を敵にすることを避けたのだ。


彼女は、情けなく逃げ帰る彼らに、「私の買った金魚なんて3日で死んじゃったんだからね!セミの方がまだマシよ!」と、フォローになっているのかどうかわからない個人的な感情をぶつけた。言葉の内容がどうであれ、雪がぼくをかばってくれたことがとても嬉しかった。


彼女はそのあと、ぼくにこう言った。


「勇くんは、たしかにいったい何考えているかわからないわ。ほんとにわからない。けど、私にはわかるの。あなたは悪い人じゃないって。自分の気持ちを表現することが苦手で、友達の輪に入れないとしても、あなたはあなたらしくいればいいと思うよ」


しかし彼女の優しさは、ぼくをより一層、軟弱者にした。たとえ同級生からバカにされても、雪がかばってくれるならそれでもいいや、と情けないことを思っていたのだ。

誰かから「この軟弱者」と引っぱたかれそうだが。




―――――――――――――――――――


<からっぽ>


ぼくがからっぽになったのは、5歳の頃に剣道という趣味を失ったからだ。


物心ついた頃から竹刀を握っていた。

幼い頃の記憶で真っ先に思い出すのは、一條神社の境内で鬼のような形相の父に見守られながら手の皮がボロボロになるまで素振りをしたことだ。


父は本当に怖かった。稽古をしてくれと頼んだわけでもないのに、父はぼくを厳しく指導した。呪文のように唱えられる「強くなれ。とにかく強くなれ」という言葉は、ぼくに大きなプレッシャーを与えた。


父のその言葉とは裏腹に、ぼくは剣道が上達しなかった。参加していた剣道教室では最年少だったこともあり、門下生の中で一番弱かった。


誰よりも強くあることを求めていた父は、弱い息子が許せなかったのだろう。その指導が厳しさを増したこともあり、ぼくは少しずつ力をつけ始めていた。


そんなある日、あの忌々しい事故が起こった。

同い年の門下生と実践形式の地稽古に臨み、お互い1本ずつ取り合っていたときだ。


ぼくは小手で相手のバランスを崩し、止めの面を打とうとしていたが、そのとき相手は、禁止されていた突きを繰り出したのだ。相手の竹刀は一直線に、面を着けていなかった顔面に飛び込んできた。


竹刀の先は、ぼくの右目を思い切り突き刺した。視界が真っ白になると同時に、右目に激痛が走った。急いで病院に運ばれ、診断を仰いだ結果、網膜裂孔と診断された。手術の結果、右目の視力は大幅に低下してしまった。


手術だけでなく、さらに大きな問題がおこった。稽古に励んでいる最中に、あの事件の恐怖が蘇り、思い切って竹刀を振ることができなくなったのだ。


父は、そんなぼくを、「臆病者」と罵った。父は何度も、「お前は強くあらねばならない。強くあるためには剣を振ることは絶対条件だ」と、どなりつけた。しかし罵られても竹刀を振ることができるようにはならない。それどころか、ぼくは父から「剣を振ること」しか求められていないのか、と思うようになった。


父はぼくを大切にしているわけではなく、「息子が強い」ということだけに関心があったのだ。なぜ強さに拘っているのかはわからなかったが、熱心に指導していたのは、愛ではなく、自らの欲求のためだということに気づいた。


その後、剣道を拒絶したぼくに対して、父はもう何も言わなくなったが、明らかに態度が変わった。夜遅くに母と口論をすることも多くあった。両親がぼくのことで言い争っているのはつらかったが、もう一度剣道を始めようとは思わなかった。剣道が好きという気持ちよりも、父の勧めに従っていただけなのかもしれない。


ぼくが剣道から離れて1か月ほどが経ったある日、父は家に帰らなくなった。

母が泣きながら、ぼくにこう言った。


「父さんと母さんはね、お別れをしたの」


「ぼくのせいなの?剣道をできなくなったから?」


「イサミのせいじゃないのよ。イサミのせいじゃないの。母さんが、あのことを隠していたから…」


「あのこと…って?」


母は何も答えてくれずただすすり泣いた。そして、不安そうに母を見つめるぼくを、ギュッと抱きしめてくれた。



その日からぼくは心を閉ざすようになり、母は物思いにふけることが多くなった。母は朝から晩まで働いたが、生活水準は高いとは言えなかった。しかし、ぼくにはその環境が辛いとは思わなかった。父がいなくなってから、母は女手一つでもぼくに立派な大人になってほしいと必死で働いてくれているのだ。だからぼくは、早く働きに出て母に恩返しをしよう、と思うようになった。


いい人生の定義は人それぞれだけれども、ぼくの人生は周囲の人から評価されることが少なかった。きっとこれからの人生も…


―――――――――――――――――――



<ブラッドムーンと怪しい男>




2019年1月21日、月曜日。


中学2年生の3学期が始まって間もない頃、朝のニュース番組では、キャスターが「今日はスーパー・ブラッド・ウルフムーンです」と報道していた。


「スーパームーン」とは、月が地球に最も近づき、通常よりも大きく見える現象の事のようだ。その「スーパームーン」に加えて、皆既月食の際に月が赤く見える「ブラッドムーン」と、1月に見える最初の満月である「ウルフムーン」が重なって、「スーパー・ブラッド・ウルフムーン」と呼ぶらしい。


かっこいい言葉をたくさん詰め込んだ名前に、ぼくは少し胸が躍った。


しかし、キャスターは至って冷静に報道する。


「ブラッドムーンは、昔から不吉とされる言い伝えがあり、旧約聖書には、『血のような赤い月』が見えた後に巨大地震が起きたと記載されています。また、スーパー・ブラッド・ウルフムーンが見られるのは、北米・南米・欧州・アフリカ西部と言われており、残念ながら日本では見られないようです」


気持ちが盛り上がっているところに水を差されたのであまりいい気持ちはしなかった。「普通の満月じゃないか」と思って、家をでた。



その日は委員会活動で帰りが遅くなったため、早足で帰路についていた。冬至を過ぎたとはいえ、17時30分を回った頃には、真っ暗だった。


一條神社前の交差点で信号を待っているとき、ぼくの目の前を1台の白いバンが通り過ぎた。驚くことに、その車を運転していたのは、まぎれもなく父だったのだ。


父の顔を確認すると、無意識に走り出していた。厳しい指導の恐怖よりも、長い間会えなかった父への恋しさが勝っていたのかもしれない。幸い、バンは次の信号でも赤信号に捕まっていたため、ぼくは距離を縮めることに成功する。


追いついてどうするのか、そんなことは考えていなかった。

ただ、父との思い出が詰まった一條神社の近くで、約10年ぶりに父に会えたということに何か大きな意味を感じたのだ。神様のいたずらのようなものかもしれない。


あと少しでバンに追いつくところだったが、信号機はぼくの気も知らないで、バンにいいよと告げた。青い印を確認したバンは再びエンジンを吹かす。


しかし、ぼくは諦めなかった。「あとで取りにくるからちょっと待ってて」と、言って、学生カバンを道の端っこに置いた。



身軽になったぼくは、再びバンを追って、ひた走った。


はるか先に見えたバンは、教会を右折し中村城のほうへ向かったようだった。

この時間に中村城に向かう理由はわからなかったが、ぼくもそのあとを追い、中村城の細いコンクリート道を登っていった。


走り疲れてペースを落とした時、コンクリート道の横の森にトラックの轍があることに気付いた。舗装されていない道無き道は、森の奥へ通じているようだったが、真っ暗であまり見えない。


この道には、何か違和感を覚えた。一歩足を踏み入れると、このまま進んではいけないような気がした。しかし、「この先に父がいるかもしれない。もう一度、父に会いたい」という思いが、体のこわばりをといた。ぼくは、恐る恐るではあるが、前に進むことにした。


スマートフォンのライトを頼りに、木々の中をゆっくりと歩く。300mほど進んだだろうか、提灯で照らされた広場のような場所があった。そこには、墓石とは少し違った石碑がいくつも並べられていた。ここは一体なんなのかと思い、石碑に近づこうとしたとき、横から大きな声がした。


「誰だ!お前は!」


「ひっ!」ぼくは情けない声をあげて尻餅をついた。そして、男はこちらに向かって歩いてくる。そのときは、恐怖よりも期待が上回っていた。歩いてくる男は、父かもしれない、と思ったのだ。


しかし、その期待はあっさりと裏切られた。その男は、父ではなかった。

そしてその男は、「お前は誰だ?なぜここにいる?」と問いかけてくる。どこかで聞いたような三流のワルの台詞だったが、いざ自分が襲われるかもしれないとわかると本当に恐ろしかった。尻餅をついていた体を持ち上げて、言葉にならない声を上げて、走った。


しかし木の枝につまずき、今度は正面から転んでしまった。転んでいる間にぼくに追いついた男は、ぼくの胸倉を掴むと、地鳴りのようなアッパーを鳩尾に打ち込んできた。

ドゴッ、という鈍い音が骨の髄まで染み渡り、その場に倒れ込んだ。


男は倒れたぼくを眺めながら、「どうやってトドメを刺そうか」と思案していた。

この場から逃げ出したかったが、先ほどの殴打のせいで、ぼくの体は思うように動かない。その時、男の蹴りは、倒れ込んでいるぼくの腹部を捉えた。体はいとも簡単に吹き飛ばされ、背中から石碑にぶち当たった。


意識が朦朧とする中、ぼくは覚悟を決めた。もう最期かも知れない、と。


母さん、ごめんね。ぼくのせいで、父さんと別れさせてしまって。そして、さんざん苦労させて、先に死んじゃうし。でもぼくがいなくなったら、母さんは新しい人生を生きてよ。


雪、ありがとう。君が幼馴染で、本当によかったよ。たまに見せる物憂げな表情が少しだけ気になっていたけど、きっと大丈夫だよね。


父さん、あなたの望む強い男になれなくてごめんなさい。けど、ぼくなりに頑張ったんだ。最期にもう一度、父さんに会いたかったな。


そばにあった大きな木の棒を手にした男は、背中から石碑に寄りかかっていたぼくにそれを振り下ろそうとしていた。


その木の棒から目を背けようと、顔を横に振ったとき、石碑に貼りつけられたお札のようなものに気付いた。そして何も考えずに、そのお札を引きちぎった。


その瞬間、大きな`ナニカ`が、口の中に入ってきた。それは、食道を通って体の奥底に入ってくる。しかしそれは決して、禍々しいものではなく、瀕死の状態の体に活力を与えるものであった。


そして、薄まっていく意識の中で、月が赤く染まっていたのを視認した。


―――――――――――――――――――


-憑依の刻-


「お主は!長宗我部のモノかぁ!?」


立ち上がった少年は、男の持つ木の棒を即座に奪った。


「なんだ、この小僧、雰囲気が変わったぞ?」

棒を奪われた男は、少年の突然の豹変ぶりに驚いていた。先ほどまで怯えていた少年が、今は自分に対して明らかな敵意を向けているのだ。


少年は、「積年の恨みじゃ!覚悟!」と叫び、男にあざやかな片手突きを呉れた。



―――――――――――――――――――


靄がかかったような感覚が消えていき、うっすらと意識が戻ってきた。


ゆっくりと目を開けると、ちょんまげ頭のおじいさんの上半身が宙に浮かんでいた。その容姿は時代劇で見たことがある。そう、侍だ。

侍は顔の下半分が髭に覆われて、肌や服の色は、透けているかのように透明だった。


ぼくは、目の前の侍の存在が信じられなかった。

鈍い痛みが残る全身に鞭を打って、這うようにその場から逃げだした。しかし進んでも進んでも、ぼくの目の前には侍の姿が浮かんでいる。


「こっちに来ないでくれ!」ぼくはそう言って、手を払った。

しかし、その手はすうっと、侍の体を貫通した。


このとき、ぼくは悟った。

透明な色、貫通する体、この侍は幽霊かもしれない、と。


幽霊だとわかると、さらに恐怖が増してくる。さきほどの男よりも、目の前の幽霊侍のほうが恐ろしい存在なのではないか。


驚くことに、その幽霊侍はぼくに話しかけてきたのだ。


「儂は魂だけの存在じゃから触れることはできんぞ。

それと、お主は儂から逃げられんよ。憑依しておるからな」


ぼくはゆっくりと聞き返した。

「ひょうい?」


「そう。`憑依`じゃ。魂だけの存在の儂は、お主の体を借りておるということじゃな」


「…いつまでぼくに憑依するつもりなの?」


ぼくは事態が飲み込めていなかったが、侍は温かみのある声をかけてくる。

「まあ当分の間、じゃな。


生じている事態は理解できんじゃろうが、今後、ゆっくりと説明をするから今はとりあえず儂を信じて落ち着いてくれんか?

儂はお主に危害を加えるつもりはないし、さっきお主を襲った奴を倒したのも儂じゃ」


「奴ってあの男のこと?」


「そうじゃよ。一突き呉れてやったら、逃げていったよ。

まあ、正確に言えば、儂がお主の体を借りて戦っただけなのじゃがの」


「ということは、あ、あなたが男を倒してくれたんだね、助かったよ…ありがとう」


「そうなんじゃ!まあ、とにかく安心せえ。儂はお主の味方じゃ。あの札を剥がしてくれたお主は、儂にとっては恩人でもあるしのう」


安心せえという侍の言葉と、穏やかなその声は、ぼくを少し安心させた。


少しずつ恐怖が和らいでくると、目の前の侍に興味が湧いてくる。

「あの、あなたの名前はなんと言うの?」


「儂の名は…いや、今は一条兼定様の家来とだけ伝えておこう。兼定様は亡くなっておるが…」


「一条兼定?誰それ?」

ぼくはそう言って、ポケットの中に入っていたスマートフォンを手に取った。


「なんだそれは?」侍は訝しがる。


「これは、スマホだよ」


「スマホ?」


「なんでもわかる機械だよ。母さんが、連絡用に買ってくれたんだ」


ぼくは一条兼定を検索した。

戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名で、土佐一条氏の事実上の最後の当主。

長宗我部氏によって領土を侵食され、また筆頭家老の土居宗珊を殺害したために信望を失い、隠居を強制された。


検索結果をみると、決して優秀な人物だったとは記されていない。


「侍さん、言いづらいんだけど、兼定さんの評価、低すぎるよ」


「まあ、そうじゃろうな。兼定様の政治手腕はお世辞にも良いとは言えなかった。しかし、あれは仕方がなかったのだ。長宗我部の...

よそう。これ以上、お主に話しても仕方があるまい」


「そっか…」


ぼくはそれ以上、侍に質問をしなかった。いずれ、侍の方から話してくれそうな気がしたからだ。

侍は今後もぼくに憑依すると言っていた。信じられないけれど、この現実を受け止めなくてはならない。幸い、話してみると悪い人ではなさそうだ。


少し緊張感が解けると、ぼくはもう一度、宙に浮かぶ侍の顔をまじまじと見つめた。

ちょんまげ頭に似合う髭も、鋭い目つきも、よく見ると、それほど怖くない。


「へへ…」


ぼくは、なぜか笑ってしまった。先ほどまであんなに怖かった幽霊の侍という存在を、いつのまにか受け入れることができていたのだ。


すると侍は、柔和な表情で語りかけてきた。


「お主、笑えるじゃないか?」


「え?」


「お主はさっきから、ずっと険しい表情をしておったからな」


「けど笑ったのは久しぶりかもしれない。ぼくの人生は、人から評価されることが少ないし、楽しいことも少なかったから…」


「何も寂しいことを言っておるのじゃ?まだお主は若い。とにかく笑えばいいのじゃ。どんな時でも笑っておればよい。」


「でもぼくは、感情の起伏が少なくて、からっぽだし。弱弱しくて情けないし…みんなからバカにされるし…」


「周囲からの言葉を気にせずともよい!お主は、自分の信じる道を貫けばいいのじゃ。そんなお主を評価してくれる人はきっとおるのじゃから」


「ほんとかなあ?」


「ほんとじゃよ。自分を信じて、支えるべき人を見つけるのじゃ。たとえ、裏切られても、な」


そう告げたときの侍さんの顔は、少し憂いを帯びていた。

その意味は、わからなかったが、侍さんは何か重いものを抱えているように思えた。

重いものを抱えていないと、何百年も経ってからこの世に現れたりしないだろう。


そのとき、ぼくは侍さんに心を開いていた。

「ねえ。あなたのことを、侍さんって、呼んでもいい?」と尋ねた。


「ああ、別に良いぞ。」


「ありがとう。よろしくね。侍さん」


そうして、ぼくと侍さんの奇妙な日々が始まった。


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