第12話 真っ直ぐな想い
ノアが居なくなって、数日が経った。アリシアはいつも通り学校に通っている。サラたちに”あの世界”での記憶は無いので当然話す事は無く、共有できるレオンとも、”あの世界”について話す事も少なくなってきていた。
―…だが、ふとノアを想う。
どこかで、元気にしているだろうか。笑って、いるだろうか、と。
「アリシア様、聞いていますか?」
「わっ」
むっとしたレオンの表情が、視界に割って入って来る。
ようやくぼーっとしていたことに気が付いたアリシアは、慌てて笑顔を浮かべた。
「ご、ごめんごめん、ぼーっとしていて…」
慌てて今は、屋上に来ていることを思い出した。今月末に筆記試験があるのだ。その勉強の為にわざわざ屋上までやって来たというのに、教科書は開かれる事も無く机の上に置かれていた。最近レオンにこうやって注意をされる事が多い。ただでさえあの夜大泣きしてしまったのだ。あまり心配を掛けないように気をつけてはいるのだが、中々上手くいかないのが現状だ。アリシアは慌てて笑顔を貼りつける。
「ごめん、で、何の話だっけ?」
「…最近、よくぼーっとされていますね」
「え?そ、そうかしら…」
ぎくりとしたが、笑顔を崩さず、アリシアは首を傾げて見せた。だがそんな下手くそな誤魔化しで誤魔化せる程、レオンは甘くない。じっといつもの鉄仮面でアリシアを見つめる。
「…いつまでも、他の男に貴女の心を持って行かれるなんて、冗談じゃない」
ポツリと呟いたレオンの言葉が上手く聞き取れず、アリシアが『え?』と首を傾げる。
次の瞬間。
目の前に座っていたレオンが立ち上がり、アリシアの横に立った。何が起きているのか分からない。アリシアはとりあえず体をそちらに向け、どうしたのかと問おうと口を開いた。その刹那、レオンがその場に跪き、アリシアの手を取った。
「俺は貴女が好きです」
飾らないストレートな言葉が、不意打ちでアリシアの心を打つ。
「へっ?」
アリシアの顔が真っ赤に染まる。顔どころか、耳まで赤い。一気に体温が上がったのが、触れられている手からレオンにも伝わっているだろう。余計に恥ずかしくて、アリシアは更に真っ赤に染まった。
「…これでも色々悩みました。貴女とは身分が違う。ましてや俺は貴女の騎士だ。貴女に俺は相応しくないんじゃないかと。傍に居られるなら主従の関係のままで良いんじゃないかとも思いました。
でも、―…”あの世界”で貴女を目の前で、奪われて。自分でも驚くぐらい嫉妬をしました」
「し、嫉妬?」
「はい」
そう言うレオンの表情に変化はない。相も変わらず鉄壁の鉄仮面だ。彼が嫉妬するなど想像出来ない。
「…ただの騎士と主では、いつか貴女を他の男に盗られてしまう。
そんなのは、耐えられない」
ぎゅ、と握る手に力が入る。その手は、僅かに震えていた。
「身分が違うせいで、貴女には迷惑を掛けてしまう事もあるかもしれません。
ですが、貴女を守るのは、…貴女と、共に歩くのは、俺でありたい」
「レ、オン…」
アリシアの唇が、震える。我慢をしようと思うのに、真っ直ぐに見つめられて、愛を囁かれて、触れられて…どうして、涙が零れるのだろう。愛しいと、心が叫ぶのだろう。
「わ、私…っ私、闇の魔力を持っているのよ?」
涙を零しながら言うアリシアに、レオンは口元を緩ませ、笑った。
「知っています」
「世界から、嫌われているしっ」
「俺が愛します」
「…ッまた、今回みたいにレオンを巻き込んだら…ッ!」
それが、怖い。
両手で顔を覆い、アリシアの体が小刻みに震えた。今回みたいな事が、また起きないとは限らない。今回のようにレオンを巻き込んで、もしレオンに何かあればと考えると、怖くて怖くて仕方が無い。だから、気持ちを自覚してからも、レオンに気持ちを告げる事は出来なかった。
告げてしまえば、重たい荷物を彼にも背負わせてしまう事になる。今まで以上に、彼も後ろ指を指され,心無い事を言われるかもしれない。自分のせいで彼が自分と同じ目に遭うなんて、耐えられない。きっと、そんな事が続けば、誰だって嫌になる。もしレオンにすら疎まれて、好きだと言ってくれた口から、嫌いだと、貴女から離れたいと言われれば、―…きっと自分は立ち直れない。あぁ、そうだ。結局の所、それが一番怖いのだ。
「…それは、困ります」
はっきりとした、拒絶の言葉にアリシアは思わず息を呑んだ。
だが次の瞬間、顔を覆っていた手を、ぐいっと引っ張られ、半ば無理やり視界が開かされる。
視界が開かれると、レオンと視線が交わる。レオンが、照れたように小さく笑った。
「俺はどんな時も貴女と一緒に居たいから、巻き込んでくれないと、困ります」
手が、温かい。視線が、声が優しくて、まるで全部を使って『好きだ』と言ってくれているみたいで。
涙が、とめどなく溢れていく。まるで涙腺が壊れたように。胸の内の”愛しい”という感情が溢れだし、感情が、涙がコントロール出来ない。
「そうやって、何もかも背負うのは貴女の悪い癖だ。俺だって、もう力の無い子どもじゃない。
まだ大人の男には程遠いかもしれないけど、…少しでいいんです。
少しずつで良いから、貴女が抱えている荷物を俺に分けて欲しい。例えばそれが、悲しい事だとしても。辛いことも、苦しい事も、少しで良いから俺に分けて欲しいんです」
そうしてくれたら彼女の気持ちが全部分かるなんて、神様めいた事は言えないけれど。
だがそれでも、この手だけは離さないと誓える。
「俺は貴女を決して、独りにはしません」
繋いだ手から、想いが伝われば良いのにと思う。言葉というのはどうして、こういう時に無力なのだ。
どれほど彼女を想い、どれほど愛しているかなんて、言葉で形にすればするほど足りないように思えてくる。
「…っ、ぅ」
アリシアは、声を押し殺して泣いた。―…レオンの手は、いつだって温かい。
ゴツゴツとした努力を重ねた手。その手に何度救われて来たか分からない。途方に暮れた時、理不尽な現実に心が折れそうな時、いつもその手を差し伸べて、引っ張り上げてくれた。
(この手を、振り払うべきだわ)
レオンの幸せを思うのであれば、この手を跳ね除けるべきだと思う。
だが、この手の温かさを知ってしまった後では、もう跳ね除ける事など出来やしなかった。…分かっている。自分の心は、とっくに決まっているのだ。ただ必要なのは、あと一歩を踏み出す小さな勇気。そして、
(私あんなに元の世界に帰りたかったのに、…薄情だって、お母さんは怒るかしら)
―…この世界で、”未来”をレオンと共に生きていく、覚悟だ。
その内きっと日本で生きてきた全てが色褪せていく。寄せては返す波に連れて行かれるように、ゆっくりと。
或は、唐突に日本に帰る日が来るのかもしれない。…分からない。どうなるかは、分からない。何とも不安定で、不透明な”未来”だろう。
(…でも、そんなのは皆同じだわ)
この先の未来がどうなるかなんて、誰にも分からない。そうノアに言ったのは自分なのに、いざとなると及び腰になって躊躇をしている。何とも情けない話だ。アリシアは思わず、小さく苦笑を零した。
涙も、止まった。真っ直ぐに青の瞳がアリシアを見つめて来る。たったそれだけの事が、アリシアの心をどうしようもない嬉しさが満たしてくれた。
「…私、おしゃべりよ?」
照れ隠しのようにそう口にするアリシアにレオンが僅かに目を見開いた。そして、小さく苦笑にも似た笑みを零す。
「えぇ、知っています」
「それに、そそっかしいし」
「それも、知っています」
頷くレオンに、アリシアがむっと口を尖らせる。自分で言うのは良いが、他人から肯定されるのは何となく腹立たしい。分かりやすい反応に、レオンは小さく笑い、右手をそっと手から離し、アリシアの頬を優しく撫でた。
「俺は、おしゃべりで、そそっかしくて、…寂しがりやで、人に、甘えるのが下手で。いつも人の心配ばかりする、お人好しな貴女の事が好きなんです」
愛を囁く彼の表情は今まで見た事も無い”男性”の顔をしていて、アリシアは顔が一気に熱くなるのを感じた。
「ほ、誉めているのか、貶しているのか分からないわね」
慌ててそう切り返すも、声が裏返ってしまう。するとレオンは不思議そうに首を傾げた。
「誉めていますし、全力で口説いています」
「く、口説いて…!」
「俺ばかり狡いです。そろそろアリシア様の気持ちを聞かせてくれませんか?」
真っ直ぐに見つめられ、アリシアは『うっ』と言葉に詰まった。
(聞かなくても、もう反応で分かるじゃない…)
真っ赤な顔でそう思うが、この鉄仮面のこのキョトンとした表情を見る限り、伝わっていなさそうだ。あぁ、だがレオンという人間はそういう人間である。こういう恋愛の機微に疎いのだ。…自分もだが。
想いは、言葉にしないと伝わらない。想いを、伝えられなくなってからでは遅いのだ。
―…思い返すは、日本の母。もっと感謝を伝えていれば良かった。大好きだと、伝えれば良かった。
もう伝える事は出来ないかもしれない。だがそれでも、アリシアは腹を括った。
(お母さん、ごめん。私、この世界で、一緒に生きていきたい人が出来たわ)
そっと、レオンの手を握り返す。レオンが僅かに驚いたように目を丸めた。
「私、レオンが好きよ」
はっきりと言葉にすると、胸の内に留めていた”愛しい”という感情が溢れ出してくる。
「頑固で、超がつくほど真面目で、超絶不愛想で、正直最初は”鉄仮面”なんて心の中で呼んでいたんだけど」
「…そんな不名誉なあだ名で呼ばれていたんですか俺は」
苦い顔をするレオンに、アリシアは思わず、ふふっ、と笑い声をあげた。
「でも本当は、誰よりも優しい人だって知っているわ。不器用で、分かり辛い優しさだけどね」
「…誉められているのか貶されているのか分かりませんね」
「あら、誉めているし、全力で口説いているわ」
「ッ…」
アリシアの”仕返し”に、レオンが顔を真っ赤に染めた。
その表情の変化に、アリシアの口元が嬉しそうに緩む。
「私がこの世界を好きになれたのも、今こうやって、世界一幸せな気持ちで笑っていられるのも、全部、全部、レオンのお陰だわ」
笑顔を見せるアリシアの目じりには、小さな涙が溜まっていた。
…人形のようだった、子どもの頃のアリシア。そんな彼女が今、こうやって太陽の下で花が咲くような笑顔を見せてくれている。それが全部、自分のお陰だなんて、レオンは思えなかった。きっと子どもの頃から折れそうな心を支えて支えて、頑張って来たアリシア自身の力だ。だが、何だって良い。どんな理由で、何のお陰だろうと、…例えば神様のお陰だって言うなら、信じていなかった神にすら、心から感謝をする。ここで、アリシアが微笑んでくれている”今”に。そして少しでも、彼女の支えになっていたのだと思えれば、心から嬉しい。
「アリシア様」
すっと、アリシアの左手を恭しく手に取り、薬指に、触れる。
「…これ…」
アリシアの薬指には小さな指輪がつけられた。細いシルバーリングに、青い魔法石がつけられたリング。幼い頃、レオンがくれたものだ。てっきり”あの世界”で失われたものだと思っていた。
「少し前に妖精が”あの世界”での忘れ物だと届けてくれたんです。本当は、別の指輪を用意しようとも思ったんですが、…何だか、この指輪が良いような気がして」
薬指のサイズに直してくれたのだろう。今まで人差し指にあったソレは、もはや薬指が元々の定位置であったと言わんばかりにそこにある。アリシアが驚きに見開いた目からポロポロと、何度目か分からない涙が零れて落ちる。
「…ッうん、私、この指輪が良い。
だってこれ、レオンが初めて私にくれたプレゼントだもの」
アリシアの頬が、あまりにも嬉しそうに緩むものだから、レオンは思わず照れたように視線を逸らした。
「そ、そうですか」
こほん、と咳払いをし、レオンが背筋を正す。まるで忠誠を誓う騎士のように背筋を伸ばし、その表情は、姫に愛を誓う王子のように、甘く優しかった。
「アリシア様、これから先も俺と一緒に生きてくれますか」
真っ直ぐに見つめてくる青の瞳。この瞳がこれから先も自分を映してくれるなんて、それはきっと奇跡に近い幸福だ。アリシアの口元は、自然と緩んだ。
「…ふふっ、プロポーズみたいだわ」
「みたい、ではなく、そうです。
卒業し、俺が立派な騎士となった暁には、俺と結婚をしてください」
その言葉が、どれほど嬉しいか、レオンに分かるだろうか。ずっとずっとその先の、未来を考えてくれるレオンの言葉が、どれほどの幸福をアリシアの心に注いでいるか、分かるだろうか。
「…はい」
アリシアが頷き、レオンが驚いたように大きく、目を丸める。アリシアの手を掴む力が緩んだ。
その隙にアリシアは、屈んでいるレオンの首筋に思い切り抱き付く。
「わっ」
当然バランスを崩したレオンが、尻餅をつく。倒れる寸前で、ぐっと堪えた。
「あはははっ」
アリシアは上に乗っかった状態でレオンに抱き付いたまま、笑い声をあげた。
「…笑い事じゃありませんよ、全く」
「ごめんごめん、何かこう、好きだなぁって思ったら我慢できなくなっちゃって」
アリシアが正直にそう言うと、レオンは固まった。アリシアの顔を凝視した後、カッとレオンの顔が赤く染まる。
「ありがとう、レオン」
ぎゅっと、彼を抱きしめる。とくん、とレオンの鼓動が伝わって来た。その温かさと鼓動が、無性に泣きたくなって。
「私を好きになってくれて、ありがとう」
お礼を言うのは、おかしな事だろうか。だが、この世界には何万人、何億人と人が居て、そんな中でたった一人、レオンがアリシアを好きになったのは、それこそ奇跡みたいなものだと思うから。
「…レオン?」
反応が無いレオンが気になって、アリシアは体を離し、レオンの顔を覗き込んだ。
その瞬間、レオンの大きな手の平がアリシアの頬に添えられる。
驚く間もなく綺麗な青色の瞳が、視界いっぱいに広がった。…優しく、触れるようなキス。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。ぽかんと呆けるアリシアに、レオンは笑った。
「アリシア様も、俺を好きになってくれてありがとうございます」
その言葉を聞いて、そっか、と思う。
同じ、気持ちなのだろうか。奇跡に近いこの出会いを、レオンも嬉しいと思っているのだろうか。…そうだと、いい。
そうだとしたら、こんなに幸せな事は無いだろう。
「せっかく今日は格好をつけようと思ったのに、こんな体勢じゃ格好もつきませんね」
苦笑を見せるレオンに、アリシアは思わず頬が緩んだ。
「あら、いいじゃない。私はどんなレオンも好きだわ。
それに、ほら。この距離だとレオンの綺麗な眼がよく見えるもの」
レオンの前髪に触れると、より一層光を吸収して、青い瞳が映える。
「ほら、この指輪と同じ色。綺麗だわ」
そうして子どもの頃と同じように、…否、子どもの頃には無かった”愛しさ”という感情を込めてアリシアが言う。
レオンは大きく目を丸めた後、観念したように溜息を零した。
「…やはり、何年経っても貴女には敵う気がしません」
「え?」
思えばあの時からずっと、アリシアに心を惹かれていたのだと思う。
首を傾げるアリシアに小さく苦笑を零し、レオンはもう一度小さく溜息を零した。
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