第11話 君が愛した世界で

―…華やかな、音楽が遠くで聞こえる。それに混じって人々が談笑する笑い声が、遠くで聞こえる。

聴覚の次に、触覚が戻り、頬に冷たいタイルの感触を感じた。


「アリシア様」


体を揺すられ、アリシアはようやく目を開けた。

開けた先には、ベンチの足が見え、ゆっくりと、体を起こす。きょろりと辺りを見渡せば、舞踏会場へ続く扉があり、ようやくこここがテラスなのだと気が付く。ぱっと服を見れば、ノアから貰ったドレスを着ている。


「アリシア様、お怪我は…」


ノアが心配そうな表情を浮かべている。そこでようやく張っていた気が緩み、小さく笑顔が浮かんだ。


「無いわよ。レオンは?」


「ありません」


「…私達、戻ってきたのよね?」


「はい、そのようです」


レオンが手を貸し、アリシアがゆっくりと立ち上がる。

その瞬間、舞踏会場へ続く扉が開かれた。会場からの灯りが差し込んで来る。


「あ、こんな所に居たんだ2人とも」


ユリウスがそう言い、その後ろにはルーカス、サラが居た。いつもと変わらない様子の三人に、アリシアがホッとしたように息を吐く。


「皆も無事だったのね」


すると、ユリウスたちはキョトンと目を丸める。3人とも視線を合わせ、揃って小さく首を傾げた。


「無事って、何のこと?」


ユリウスが代表して首を傾げながら疑問をぶつける。だがその疑問は不可思議だ。


「…え…?私達、さっき戻って来たでしょう?だから…」


「戻るって…アリシアちゃん、どこか行ってたの?」


サラの言葉に、今度はアリシアが首を傾げる。

すると、レオンがトン、と軽く肩を叩いた。


「アリシア様」


小さくそう声を掛けられると、アリシアはようやく察した。”あの世界”での記憶をなぜか、この3人が引き継いでいない事を。道理で会話が噛み合わない訳だ。慌てて、アリシアが笑顔を浮かべる。


「う、ううんっ何でもない!あっ、それより私達行くところがあったんだわ。行きましょ、レオン」


「はい」


ぎこちない言葉でアリシアは急ぎ早にその場を後にした。

残された3人はただただ不思議そうに首を傾げるだけだった。



「アリシア様、どちらに行かれるんですか」


舞踏会場を後にし、裏庭に来たアリシアはツカツカとヒールで森の中を歩いていた。随分と歩き辛い。だが、一刻も早く確かめたかった。この時間軸に戻ってきたと言うのならば、まだノアはあの家に居るかもしれない。もし、サラ達のように記憶を引き継いでいなければ説得出来るかもしれない。だからこそ、急いでいた。暗闇には慣れている。道は手に取るように見えていた。だが、足元が悪かった。ヒールで来るような場所では無いのだ。

かくんっ、とヒールが傾き、体のバランスが崩れる。


「きゃっ」


「…大丈夫ですか」


寸前で抱き留め、レオンが小さく溜息を零す。呆れたような表情に、アリシアは『う』と言いよどんだ。

「お、お世話を掛けます…」


「いえ、慣れていますので」


しれっと嫌味を言って返すレオンに、アリシアはイラッとするのを感じた。


(…どうして私、こんな奴が好きなのかしら)


自分の気持ちは何かの間違いなのでは無いかとすら思えてきた。

その瞬間、ぐいっと体が引き上げられる。


「俺が運びます。道案内をお願いします」


「えっちょっ…ちょっ!」


これは、俗に言う”お姫様抱っこ”という奴ではないだろうか。

そう思うと何だか恥ずかしくてアリシアは思わず身じろぎをした。


「な、何でこの運び方なの!ほかの運び方あるでしょ絶対!」


「…恐れながら、他の運び方でその格好ですと、アリシア様のドレスの中身が見え、」


「歩きます!」


「2歳児のような拙い歩き方をされるより、こちらの方が早いと思います」


あぁ言えばこう言う。アリシアはレオンの腕の中で『うぅう~っ』と負け犬の遠吠えをした。すると、レオンが小さく頬を緩ませ、クスリと笑った。一瞬の笑顔、拙い、何とも小さな笑顔。だがやはり、その笑顔を見ると、あぁ好きだなぁと思うのだ。


「それでは、道案内を」


レオンがずんずん進んでいくので、アリシアは諦め、ナビになった気分で道案内を開始した。




大きな幹に辿り着き、レオンはアリシアを抱えたままひょいっと幹の上に上った。


「ここですか?」


「…うん」


普通の木より群を抜いて大きいということ以外、何の変哲もない大木。アリシアは一度小さく息を呑むと、意を決していつも通りノックをした。すると、木の中から七色の光が輝き、一つの線となり、扉の形を模っていく。

光がおさまると、しっかりとドアノブがつけられていた。その出来事にレオンが僅かに驚く間もなく、アリシアはドアノブを捻ってその中に入って行った。


「ノア!」


声をあげる。小さな一軒家に灯りは灯っておらず、人の気配は無かった。

嫌な予感がして、アリシアは玄関のドアノブを回す。…きぃ、と金属音をあげて扉が開かれる。鍵は、かかっていない。中は暗く、やはり人の気配はなかった。玄関先にあったスイッチを入れると、家中の灯りが一気に灯る。別世界ではあるが、少し前までこの家で暮らしていたが、今は何だか別の建物のように感じられた。


「…人の気配はありません」


二階を調べるまでも無い。この家に誰も居ない事は、アリシアも分かっていた。ノアはやはり、あの世界に居るのだろうか。あの暗闇に一人ぼっちで、取り残されてしまったのだろうか。そう思うと何とも言えない苦い気持ちが込み上げてきて、アリシアは静かに俯いた。…その瞬間、足元に置かれたソレに目が止まる。


「…これ…」


足元に置かれた、新しい封筒。表には、アリシアへ、という文が書かれてあり、急いでいたのかその字はノアにしては乱雑だ。アリシアは慌てて封筒を手に取り、開く。中には1枚の羊皮紙が入っていた。


『アリシアへ。

今日の君は、誰よりも美しいんだろうね。見られなくて残念だ。

突然だけど俺は、旅に出る事にしたよ。心配しないで。呪いは解けて、俺はもう、どこへだって行けるんだ。だから、色んな世界を見て回ろうと思う。…本当は、この力を使ってこの世界を壊してしまおうかとも考えていた。

だけど、優しい君はきっとそんな事、望まないだろうね。俺は、君が生きるこの世界を、ちゃんと、生きてみようと思う。ありがとう、アリシア。君と出会えた後の人生は、楽しかったよ』


手紙は、そこで終わっていた。どこに行くだとか、詳しい事は載っていない。ただ分かるのは、サラたちと同じくノアに『あの世界』での記憶は無いのだ。だが…確実に、覚えていなくても心に刻まれている。

だからこそ思い留まり、アリシアの人生から、あっという間に消えてしまった。


「…勝手な人だわ」


ノアは友人で、家族のような存在で、この世界を”繰り返す”事を共有できる唯一の理解者で、大げさかもしれないけれど、自分の半身のような存在だった。


「…アリシア様」


静かに涙を零すアリシアを、そっと抱きしめる。その声が、抱きしめる腕が、温かくて。

アリシアは、子どものように泣いた。声をあげ、すがるように抱き付くアリシアを、レオンは何も言わず、ただただ抱きしめてくれた。

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