第6話 悪役は悪役らしく、反撃開始!
あの後、食堂でルーカスに全てを伝えると、ルーカスは何度も真剣な表情で頷きながら聞いてくれた。
『もちろん協力するよ』と言ってくれたルーカスの言葉は、サラの励みになった事だろう。そうして放課後。ユリウスも誘い、全員で屋上に来ていた。
「ほ、ホントに私も来ていいのかな…」
サラが不安そうに呟いた。サラは未だトップ5の成績ではないが、優秀な4人に連れられ、難なく屋上に来ることが出来てしまった。
「大丈夫よ、意外にこのシステム雑だし」
アリシアがそう言って笑う。
確かにここに辿り着けているのだから、システムは雑とも言えるかもしれない。
サラがドキドキしながら椅子に腰かけ、アリシアがその隣に座る。
こうして豪華な面々の緊急会議は始まった。
「で、ブラウンさん、犯人の顔は見ていないの?」
ユリウスが単刀直入に尋ねる。
サラは小さく頷いた。
「はい、毎回姿は見えなくて…あ、この前水を頭からかけられたんですが」
「えっ、何でそんな平然と言うの怖い」
ユリウスが引いていた。
サラは開き直ったら強い人間のようで、小さく首を傾げている。
妙な所で肝の据わった彼女に、アリシアが笑う。
「続けて、サラ」
「うん。その時も、人の姿は無くて、私の上だけ雨が降ったような感じでした」
「…ということは、やはり水の能力者でしょうね」
レオンが真剣な顔で言う。
「…はい、これ」
ルーカスがポケットから、折りたたんだ2枚ほどの紙を取り出す。
開いてみると、それは名簿のようで、ずらっと名前が並んでいた。
「…これは?」
アリシアが首を傾げると、ルーカスは綺麗な笑顔で言う。
「水の能力者だけを抽出した名簿だよ」
「えっ!な、何でそんなもの準備出来たの?」
ギョッと目を丸めると、ルーカスは更に笑顔を深めた。
「だって僕、王子だからね」
「わぁ権力」
アリシアの語彙力が死んだ瞬間だった。
何だか深く突っ込むのも怖くて、アリシアは名簿だけに集中することにした。
「それにしても、こんな名簿を準備する時間なんてよくあったわね」
感心したように言うと、ルーカスはちらっとサラを見て、言いづらそうな表情を浮かべた。
「…アリシアとブラウンさんが初めて一緒に食堂に来た時から、何かおかしいなと思ってね。僕が首を突っ込んで事を大きくするのもどうかと思って情報だけ集めていたんだよ」
「そう、だったんだ…」
確かに王子が首を挟めば、沈静化はするだろうが、今はただ傍観しているだけの人間からいらない嫉妬心を買わないという保証はない。
ルーカスは全てを見越した上で、見守っていてくれたのだ。
そうして、名簿を一枚を手に取った。かなりの人数で一人一人把握するのも難しい。
「私が一緒に居ない時を狙うっていうのがまた、陰湿なのよね…」
アリシアが傍に居れば、恐らく犯人の悪意を感知して、突き止めることが出来る。
その事を犯人が知っている可能性は限りなく低い。
恐らくは、ただ単にアリシアの力を恐れての事だろう。
「…その事なんですが」
レオンが手を上げる。珍しく積極的に意見している。
「アリシア様が傍に居れば犯人が出て来ないという事は、あえて彼女を一人にして、我々が見つからないように見守ってみてはどうですか?」
「あぁ!」
アリシアがポン、と手を叩いた。
目から鱗とはこの事である。ルーカスも顎に手を当て、思案している様子だ。
「…確かに良い意見だけど、これだけ慎重な犯人の事だ。僕達がいつでも飛び出してブラウンさんを守れる位置にいるのは難しいんじゃないかな」
「それだったら、」
ユリウスがアリシアを見る。
「アリシア、さっき俺に見せたあの方法は?」
そう言われて、すぐに先ほど姿を消した方法だと分かった。
だがアリシアは困ったように眉を顰める。
「…あれは、自分の体だからコントロール出来ていたんですけど、
これだけの人数を、となると…うーん…」
アリシアは全員を見た後、小さく頷く。
「…何人か闇と同化して消えてしまう可能性ありますけど、良いですか?」
「いや良くないよ!」
ブンブンとユリウスが首を振る。
アリシアの顔が真剣だから、余計に怖い。
「あぁ、そうか」
ルーカスが思い出したように言う。
そして、にっこりと、笑顔を浮かべた。
「姿を消すって言うんなら、アリシアよりプロの人間が居るじゃないか」
「へ?」
アリシアがサラと目を合わせ、2人揃って首を傾げる。
****
次の日の朝。
アリシアとルーカスは、サラと一緒に彼女のクラスまで行った。
彼女を送り届けるという目的もあるが、一人の男に会いに来たのである。
彼は数年たった今でもキノコヘアーを維持し、相変わらずの地味顔ではあるが、アリシアの誕生日以降、今ではルーカスの良き友である。
エリック・ヴェン・モブリットは、呼び出されて不思議そうな顔でやって来た。
「何だよルーカス、珍しくお前の方から来るなん、おぎゃーー!!!」
アリシアの顔を見た瞬間、生まれたての赤ん坊のような悲鳴を上げた。
アリシアはにっこりと微笑み、ひらりと手を振って見せる。
「ごきげんよう、モブリット卿。お顔を合わせるのは数年ぶりかしら」
「な、なななっなんでお前がココに…!」
「やあエリック、凄い叫び声だね、あはは」
「う、うるせー!!」
打てば響くというのはまさにこの事だ。
(やだ、楽しい)
こんな風に思ったのはレオン以来である。
「モブリット卿、少し協力して頂きたい事があるんですけど、宜しいかしら?」
アリシアが首を傾げると、エリックはひきつった顔で2、3歩下がった。
「あはは、エリックは子どもの時以来、君の事がトラウマらしいよ」
「…分かってて連れて来たルーカスはさすがね」
「ありがとう」
「誉めていないわ」
アリシアがふるふると首を振る。
「お、俺に協力してほしいことって、何だよ…?」
びくびくしながら、エリックが恐る恐ると言葉を絞り出した。
アリシアが意外そうに目を丸める。
「え、ホントに協力してくれるの?」
アリシアのイメージは、子どもの頃のいけ好かないエリックで留まっているので、あまりにも意外だ。
エリックは言葉とは裏腹に視線は明後日の方向を向き、その表情は青ざめている。
「その…お前には子どもの頃、迷惑かけたし、世話にもなったしな」
(わぁ、頑張ってくれてる)
何だか気の毒な程、彼は実は真面目な人間なようだ。
「ありがとう、助かるわ、本当に」
「…あ、あぁ」
エリックが照れたように少し頬を染めた。
「よし、それじゃあ昼休みに作戦開始だね、アリシア」
「うん」
****
次の休み時間にエリックは言われた通り、クラスまで来てくれた。
事の顛末を聞いた彼は二つ返事で協力してくれるとのことだった。
レオンとユリウスも合流し、全員揃って廊下に出る。
人気のない、丁度陰になっている場所に来ると、エリックがこちらを見た。
「よし、じゃあ今から姿を消すけど、姿を消すっていうのは、割とリスキーだからな。人にぶつからないようにしろよ」
「あはは、エリック引率の先生みたいだね」
「うるせー!ルーカス!お前が一番危なっかしいんだよ!」
「1つ宜しいでしょうか」
2人のやり取りを見ていたレオンが、スッと手を挙げる。
(…発言するときに挙手するの癖なのかしら)
レオンの新たな癖、発見である。
「貴方の能力に関しては、重々、それはもう重々に、存じ上げていますが」
「お、おう」
棘のある言い回しと冷たい視線に、エリックがたじろぐ。
(レオン、まだ根に持っているのね…)
エリックに協力を仰ぐという結論になった時も一人だけ不服そうな顔をしていた。
「それはつまり、貴方様の能力は、影のある所でのみ有効という事では?」
「あー、確かにそうなんだけどな。俺もこの力のコントロール能力が上がってきていて、今では影のある所へ瞬間移動できるんだよ」
「…瞬間移動、ですか?」
「あー、こういうの感覚的なものだから、説明難しいんだけど、
まぁつまりは、近くにある影を自動的に察知して、そこまで一瞬で飛んでいく、って感じ。ちなみに、声も遮断できるようになったから、安心していいぞ」
エリックが言葉を選びながら説明すると、レオンは考え込むように黙り込んだ。
鉄仮面にじっと見つめられたエリックが、見てわかるほどに冷汗を浮かべている。
アリシアは小さく苦笑を零して助け舟を出した。
「サラには裏庭のベンチで待機してもらっているから大丈夫よ。
あそこは影が多いし」
「分かりました」
アリシアの言葉にはすんなりと頷き、レオンは黙した。
「じゃあ準備はいいか?」
エリックが手を空に向かって翳す。
全員が頷くと、エリックは静かに力を発動した。
****
裏庭は今日も人気が無く丁度今の時間帯は建物が影になっていて、風が心地良い。
その裏庭に設けられたベンチで、サラは読書をしていた。
「…いたいた、ちゃんと待機しているわね」
それを、裏庭の出入り口のすぐ横に堂々と立ちながら、アリシアが見ている。
「…なぁ、これホントに周りに見えてないのか?
全然見た目で変わらないから不安なんだけど」
ユリウスが自分の手を見ながら言うと、エリックは心外だと言わんばかりに顔を顰めた。
「ちゃんと発動してます。ここに来るまで、誰にも気づかれていなかったでしょ」
「いやぁエリックの能力は本当に面白いね」
ルーカスが上機嫌で笑っている。
そんなやり取りをしている彼らを尻目に、アリシアはビー玉のような小さい球体を手の平に出した。それは真っ黒でありながら、ぼんやりと光っている。
「サラ、聞こえる?聞こえてたら次のページめくって見て」
すると、本を読んでいたサラが次のページを捲った。
「よし、ちゃんと作動しているみたいね」
これもアリシアの能力の1つだ。
闇を具現化したこの一つの球と、サラの耳に付けられた小さな黒いイヤリングは連動していて、いわゆるトランシーバーのような役割を果たしてくれる。
(まさかこんな使い方があるなんてね…)
この方法を思いついたのは、ノアだ。さすがは発明王というところだろうか。
ともかく、これでイヤリング越しにサラにこちらから言葉を送ることが出来る。
「見えないかもしれないけど、私達出入口近くにいるから。
もし危なそうだったらこっちに逃げてきていいからね」
アリシアがそう言うと、サラは髪を耳にかける動作を利用して、小さく頷いた。
「…本当に犯人は現れるんでしょうか」
レオンがぽつりとそう言った。
「来るわよ」
アリシアの言葉には確信がある。
「自分がいじめている相手が無防備にも、人気が無い裏庭で、一人で居るんですもの。この状況で手を出さない訳がないわ」
もし自分だったら、と置き換える。犯人の手口はアリシアと同じだ。
以前のアリシアであれば、この絶好の機会を見逃す筈がない。
だからこそ、確信があった。犯人は必ず、何かしらの形で手を出してくるはずだ。
どんな能力者であったとしても、ある程度の距離までは必ず接近してくるだろう。
そうして接近してくれば、アリシアの能力が負の感情を察知する。
「アリシア、一人で気を張らないで」
ぽん、と頭を軽く叩かれる。
見れば、ルーカスが小さく肩を竦ませていた。
「これだけ頼りになる男性が3人もいるんだから、少しは頼ってよ」
「おいルーカス誰を抜いた!俺か!俺じゃないだろうな!
今一番頼りになっているのは俺だぞ!」
4人目の男、エリックはギャーギャーと文句を言っている。
それを見たアリシアは、思わず頬が緩んだ。
「うん、それぐらい肩の力を抜いてていいよ」
ルーカスが満足げに頷いた。まさかこれも彼の計算の内なのだろうか。
(さすが腹黒王子…)
アリシアが明後日な感動を覚えた。
だが、確かに彼の思惑通り、肩の力は少し抜けた。
(…そっか、もう1人じゃなかったんだわ)
今まで味方などいなかったから、頼り方など、すっかり忘れていた。
だが、今回は頼れる友人が沢山いる。
何だか胸の奥が、じん、と痺れている。当たり前のように助けてくれる彼らが、こんなにも心強い。
「…ルーカス、ありがとう」
アリシアがそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
次の瞬間。
「きゃぁっ…!」
勢いよく水がサラの真上にだけ降った。
アリシアが瞬時に上を見上げ、叫ぶ。
「ユリウスくんとルーカスはサラについててあげて!
エリック、この真上の影がある場所まで飛べる?」
「あ、あぁっ」
エリックの元にレオンとアリシアが駆け寄る。
「アリシアっ」
ルーカスが心配そうな表情をしていたが、構う時間は無い。
アリシアとレオン、エリックは、一瞬でその場から消え去った。
2階は、丁度2年生の教室のバルコニーだった。
太陽の加減で陰になっている部分に降り立った3人は、改めて周りを見渡す。
中でも一際冷静に、アリシアは周りを見た。
「………エリック、もう力を解いていいわ」
「え?いいのかよ…」
「えぇ。…もう、見つけたから」
見つけてしまった、と言うべきだろうか。
―…ノアに、『前はちゃんと悪役をやった』と言った時、彼が何と言ったか、不思議とハッキリ思い出す。彼は、『それが俺からのヒントだ』と言った。
その時は何の事を言っているか分からなかったけど、だが、腑に落ちた。
(考えてみれば、簡単な事よね)
アリシアという”悪役”が消えた時、その穴を埋めるのは誰か考えれば分かる事だ。
(…どうして、こうなるのかしら)
彼女達にも幸せになってほしいと思っていたのに。
結局、嫌な役目から逃げれば、誰かにしわ寄せが来てしまうのだろうか。
「え、あれって…黒姫…?」
突如現れたアリシア達に、教室内がざわざわとざわめく。
だがアリシアにその声は届かない。
まだこちらに気が付かず、談笑をする彼女達に、視線を向けた。
「…マリア・ド・フォルスト!
エリザベス・ド・シュタイン!」
アリシアがそう叫ぶと、彼女達が驚いた様子でこちらを見た。
(あぁ…やっぱり、間違いないわ)
鋭い目つきを持ったソバカスのエリザベス、少しぽっちゃりとした女性のマリア。
アリシアの取り巻きだった彼女達が、そこに居た。
本来は同学年、同クラスになる彼女達が何故、一つ上の学年にいるのか、疑問が浮かんだがすぐに答えは見つかった。
(…これも運命が変わった代償って事かしら…)
こんなに未来が変わるとは、思ってもみなかった。
だが彼女達を見て、犯人であると確信する。
マリアは水の魔力を持っていて、エリザベスは瞬間移動の能力を持っている。
2人の力を合わせれば、あの程度の事は造作も無い事だろう。
「…あら、どなたかと思えば、ウォールデン様じゃありませんか。ご機嫌よう」
エリザベスがそう言って席を立ちあがり、恭しくお辞儀をする。
その様子を見たマリアが後ろでクスクスと笑っている。
「…貴方達ね、サラをイジメているのは」
「わたくし達が?」
エリザベスがわざとらしく眉根を寄せた。
マリアの笑い声が更に大きくなる。
「さっき、そのバルコニーから彼女に水を落としたでしょう」
「まぁ、そのような事があったの?お気の毒に…」
どこまでもわざとらしく心配するそぶりを見せるエリザベスに、苛立ちが募る。
アリシアの視線は更に鋭くなり、すっとマリアを指さした。
「彼女は水の能力者でしょ?」
「あら、嫌だわウォールデン様、水の能力者ならこのクラスだけで何人もいるのよ?ご存知なくて?」
エリザベスの言葉に、マリアはクスクスと笑うだけだ。
だがアリシアの視界にだけは、彼女達から黒いオーラが立ち上っているのが映っていた。先ほどサラにぶつけた”負の感情”の残像だ。
アリシアにしか分からないので証拠にはならないが、どれだけ能力者が居たとしても、彼女達以外に有り得ないのだ。
「わたくし達、ブラウンさんにお会いしたこともないのよ?
それなのに、どうやってイジメると言うのかしら…ねぇ、マリア」
「プッ、ふふふっ、やだエリザベスったら、おかしい」
「…何がおかしいの、貴女達」
まるでイベントにはしゃぐ少女のような2人に、アリシアの声は怒りで震えた。
「やだ、こわぁい。
ウォールデン様の闇の力で消されてしまうわ、誰か助けてー!」
わざと、教室の外にも聞こえるように叫ぶエリザベス。
すると、教室内がざわざわとざわめいた。
『うわぁ、マリア達可哀想…』
『さすが黒姫、傍若無人ぶりが凄いな』
そんな声が、次々と反響し、アリシアの心に刺さる。
(…平気、別に、慣れているわ)
今更そんな事で傷ついたりしない。
そう思うのに、アリシアの手から体温が失われ、小刻みに震える。
ここ最近、人に優しくされたからだろうか。
慣れている筈なのに、妙に彼らの声は耳の奥に残った。
『っていうかさぁ』
その中でも一際大きな、男性の声が耳に入る。
その声はこの状況を楽しんでいるような、下卑た笑いを含んだ声だった。
『実際、あのサラ・ブラウンをイジメてんのは黒姫じゃねぇの?』
―…その言葉は、より鋭利に、より深く、アリシアの心を突き刺した。
アリシアが、言葉を無くす。反論をしたいと思うのに、言葉が、声が、出て来ない。その様子を、マリアとエリザベスはまるでショーを楽しむかのように笑った。
瞬間。
「…ジョージ・ド・ジーメンス、その言葉、ウォールデン家への侮辱と取って宜しいですね?」
低く、唸るような声が、辺りに響く。
アリシアが自然と俯いていた顔を上げれば、そこには広い背中があった。
アリシアを背に庇うようにして立ったレオンの顔は、真っ直ぐに彼らに向けられている。
「レ、レオン…」
そう言葉にすると、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
零れ落ちそうになった涙を、ぐっと堪えた。
平気だと、そう心に言い聞かせて来たのに、レオンの姿を見て、心の底からホッとしている自分が居る。凛と背筋を伸ばした彼の背中は、何だか大きく見えた。
「な、何で俺の名前…」
ジョージと呼ばれた男が明らかに狼狽えている。
彼を冷淡に見つめ、次にレオンは右側に居る彼らに言った。
「左からエルヴィン・ド・ヴィッツレーベン、デイジー・ド・プレス、アルフレート・ド・ティルピッツ。貴方達も侮辱した、という事で宜しいですね?」
「えっな、何で私達の名前までっ」
「おっ俺達は別にそんなっ!」
「至急旦那様に事の詳細をお伝えし、貴方達の家とは縁を切るように申告させて頂きます」
「ちょっちょっと待てよ!」
明らかに、彼らの様子が一変した。
狼狽えている彼らを、他のクラスメイトは気の毒そうに、或は見下したように見ている。そんな、あくまでも他人事のような彼らですら、レオンは逃さない。
「他の方々も同様です。
公爵家令嬢であるアリシア様のご友人、サラ・ブラウン様へのイジメを黙認していたと言うのであれば、ウォールデン家への侮辱と取ります」
あれだけざわついていた室内が、シンッと静まり返る。
公爵家は王族に次ぐ権力を持ち合わせている。
今度は彼らが、言葉を無くした。
舞台の下で見ていた筈が、いつの間にか自分達も舞台上に引きずり上げられてしまった。他人事ではなく、自分達も当事者なのだと、彼らはようやく思い知る。
誰一人嘲笑を浮かべる余裕はなく、真っ青な顔をしていた。
それを見たレオンが満足そうに頷く。
「…ようやく、身の程を弁えて頂けたようで、嬉しいです」
嬉しいと言いながら、その鉄仮面はピクリとも動かない。
彼らは見る事も出来ず、視線を逸らしたまま、ただただ黙した。
鮮やかに場を収めたレオンに、アリシアがぽかんと口を開ける。
ホッとすると、何だか、笑いが込み上げて来た。
「ふ、…ふふっ、レオン、やりすぎ」
レオンが少し驚いたようにこちらを見た後、その鉄仮面の口元が、小さく緩んだ。
「…いいえ、足りないぐらいです」
「レオンって、時々過激よね」
アリシアがそう言うと、レオンは不思議そうに首を傾げている。
その反応に、アリシアはもう一度クスリと口元を緩めた。
(…うん、力出て来た)
ぐっと握り拳を作る。
先ほどまで冷えていた手に、温かさが返って来た。
(そうね、悪役は悪役らしく、いかないとね)
アリシアは、にぃ、と口の端だけを吊り上げ、悪辣に笑ってみせる。
「…さて、どうやら貴女達の味方は居なくなったみたいね。
これって形勢逆転ってやつなのかしら?」
「…ッ」
エリザベスはギッと睨みつけ、マリアはオロオロとした様子でエリザベスとアリシアを交互に見た。
「どうやら先輩方は、犯人が見つかるように協力してくれるようだし」
アリシアと目が合った人は何度も小刻みに、うんうん、と頷いた。
必死である。彼らの顔に『何でも協力します』と書かれてあるかのようだ。
「貴女達が知らないって言うのなら仕方が無いわ。
他の人なら知っているかもしれないし、一人ずつ、聞いて回りましょうか」
そう言うと、彼らがビクッ!と肩を震わせた。
(…そんなに怯えなくても)
そう思うが、色々と脅された後では、そういった反応にもなるかと、自分を納得させた。アリシアが一歩、彼女達のクラスメイトに歩み寄った時。
「…もういいわ」
「エッエリザベス…!」
まるで遊んだオモチャに飽きたようなエリザベスの声と、戸惑ったマリアの声が響く。エリザベスは悪びれた風もなく、腕を組んで溜息を零していた。
「そうよ、私達がやったわ」
「エリザベス!」
「いいから黙ってなさいよマリア」
開き直ったようなエリザベスとは反して、マリアはオロオロとしているように見える。アリシアは標的をエリザベスだけに絞り、その漆黒の瞳で彼女を射抜く。
「…随分あっさり認めるのね」
「だってもう手詰まりでしょう?
わたくし、無駄な努力って嫌いなの」
「…その割に、反省はしていないのね」
「反省?」
馬鹿にしたように眉根を寄せ、鼻で笑う。
「何でわたくしがそんな事をしなくてはいけないの?
サラ・ブランをイジメるって、そんなに駄目な事?」
「…」
後悔も反省も無い彼女に、呆れて言葉が出て来ない。
彼女は、心が痛まないのだろうか。
サラが泣き、傷ついている姿を見て、何とも思わないのだろうか。
アリシアがそう思う間も無く、エリザベスは眉根を寄せ、歪んだ笑みを浮かべた。
「だって、あの子はたまたま光の力に選ばれたってだけで、たかが庶民でしょう?
たかだか庶民の小娘を、わたくし達がどうしようと勝手じゃなくて?」
そう言われて、アリシアはようやく腑に落ちた。
エリザベスは伯爵家の1人娘だ。幼い頃から蝶よ華よと育てられた彼女には、人の心が理解出来ないのだろう。彼女には、”痛み”の経験が、あまりにも少ないのだ。
アリシアの取り巻きであった頃から薄々は感じてはいたが、こうまで救いようが無い程だとは思わなかった。
「…レオン、お願い」
「はい」
アリシアが笑顔でそう言うと、レオンは全てを理解したようで小さく頷いた。
「きゃぁっ!」
突風が彼女の足元だけに吹き荒れた。
足場を崩したエリザベスが、その場に思い切り腰を打ち付ける。
「い、ったぁ…、な、何すんのよっ」
そうエリザベスが叫んだのと同時に、アリシアはダン!と音を立てて彼女の足スレスレを通って床を踏み鳴らした。
彼女の足を跨ぐ形で、エリザベスを見下ろす。
その黒の瞳は、まるで闇そのもののように暗く揺らめき、瞳の奥の殺意は、今にもエリザベスを食い殺しそうなほどだった。エリザベスの体が、小刻みに震える。それは言わば生存本能が告げる恐怖心だった。
「…あら、貴女、たかが伯爵の娘でしょう?
たかだか伯爵の小娘を、わたくしがどうしようと勝手じゃなくて?」
震える程冷たい声で、先ほどのエリザベスの言葉を丸々言い換えて言葉を吐き捨てる。
「…ッ」
エリザベスが驚きと羞恥心を混ぜたような表情で顔を赤らめ、睨みつけた。
体を震わせながら、今にも泣きそうなほど目に涙が溜まっている。
恐らく彼女の人生至上、初めての屈辱だ。アリシアはそんな彼女を、ただただ冷淡に見下ろした。
「貴女がやった事は、そういう事よ」
「…ッ」
エリザベスが慌てて助けを求めるように周りを見たが、誰一人助ける人間は現れなかった。
誰もが自分に火の粉がかからないように、目線を外し、黙している。
「あら無駄よ。
人の心を踏みにじる人間は、誰からも助けて貰えないわ」
アリシアがそう言って薄い笑みを貼りつける。
「あ、貴女、なんて…ッ」
エリザベスが震える声で、反論を口にした。
屈辱と怒りで、全身がわなわなと震えている。
「こっこの国全員から嫌われているじゃない…!」
「えぇ、そうね」
けろっとした様子でアリシアが認めるものだから、エリザベスは言葉を無くしてしまった。ぱくぱくと、金魚のように口を開いたり閉じたりしている。
あまりにも間の抜けた表情に、アリシアは苦笑を零した。
「私はこの国から嫌われている。そんなのは、物心ついた時から分かっているわ」
アリシアがそう言うと、後ろに居るレオンが少しだけ反応した。
心外だと言いたげな顔をしているレオンを見て、アリシアは口元を緩める。
「…例えこの国全員に嫌われていても、守ろうとしてくれる人が少なからずここに一人居るから、私は平気よ」
レオンを見ると、彼は少し驚いたような表情をした後、小さく頷いてくれた。
先ほどの不満げな顔から一転、「分かればいいんです」と言いたげな満足げな表情である。思わず、アリシアの頬が緩む。
「な、何よ…」
エリザベスが、小刻みに震える。
明らかに、戸惑っているようだった。
「アンタと私の何が違うのよ!アンタだって私と同類の人間じゃない…!」
涙をポロポロと零し、怒りのまま叫ぶ。
まさかあの気位の高いエリザベスが泣くとは予想もしていなかったアリシアが、ぎょっと目を丸めた。
エリザベスは涙をハンカチで拭い、グスグスと鼻を鳴らしながら言う。
「…っ子どもの頃、アンタの誕生パーティーで、挨拶は出来なかったけど、見かけたわ。その時のアンタは退屈そうで、冷めた目をしていて、すぐに私と同類だって分かったのよ」
いつの誕生パーティーかは分からない。
だが、このゲームの悪役同士、エリザベスはアリシアにシンパシーを感じたのだろう。運命がエリザベスを引き寄せようとしても、不思議では無い。
「アンタも、この世界がつまらなくて、下らなく感じているんだろうって思った。
…でも、アンタが入学して来た時、愕然としたわ。あの退屈そうな姿はどこにも無かった。それどころか、”お友達”と楽しそうで、…ガッカリしたわ
まさか、お友達の助けに入るほど、お人好しに成り下がっているとは思わなかった!」
”アリシア”は、エリザベスの傍若無人な性格も、虚栄心も受け入れていた。実際には受け流していたのだが。だが、エリザベスにとっては良き理解者だ。
マリアも理解はしてくれるが、どちらかと言うとエリザベスの後ろをついて歩くタイプで、肩を並べられる存在ではない。その唯一無二の理解者であるアリシアが今回の世界では存在しないのだ。
その歪みが、ここまでの事態を引き寄せてしまった。
「…だから、アンタの大事なお友達から壊してやることにしたのよ。
それの何が悪いのよ!アンタだって、私と同じ立場なら、同じことをしたはずよ!」
涙を零しながら歪んだ笑顔を浮かべる。
彼女は、まるでアリシアの『過去』そのものだ。
過去に行った悪意が形を持って、今、アリシアの目の前に立ち塞がっている。
『悪役に戻れ』と言われているようで、アリシアは一瞬、言葉に詰まった。
確かに、今からでもアリシアが悪役に戻り、エリザベスと行動を共にすれば、全ては丸く収まるのかもしれない。
だが―…。
「…ごめんなさい」
沈黙の後、アリシアが小さく謝る。
意外な言葉に、エリザベスが目を丸めた。
「私はもう、貴女と同類にはなれないわ」
真っ直ぐな拒絶に、エリザベスが目を大きく見開いたまま、固まった。
絶望の表情というのは、こういう表情を言うのだろうか。
彼女の顔色は蒼白で、今にも倒れそうに見える。
かつては共に行動していた彼女のそんな姿は、心がジクリと痛んだ。
だが、それを振り切る。
―…悪役にはもう、戻らない。
「…私は、変わったわ。
憎しみや怒りをぶつけるだけじゃ、何も変わらなかった。
でも、人に愛情を向けて、優しくなれば、色んな事が変わったの」
人の輪の外から物語を見るのではなく、その輪の中に入れてもらって、一緒に物語を作る事が出来た。その物語は、人から見たら違和感のある歪さかもしれない。
だが皆で一緒に作り上げた物語を、この未来を、アリシアは否定したくなかった。
(…きっと、まだ間に合うわ)
まだ今なら、エリザベスも救える。
彼女と一緒に悪役へ落ちる事は出来ないけれど、引き上げる事は出来る筈だ。
悪役としての道ではなく、彼女の人生を歩めるように引き上げる。
それが、悪役令嬢アリシア・フォン・ウォールデンとしての務めである。
「私と貴女の違いは、たったそれだけよ」
「…!」
エリザベスは青ざめた表情で口を開いた後、口を動かしたが、声にはならなかった。やがて、まるで観念するかのように、肩を落とし、俯く。
最早、脱力しきった彼女から反論は出なかった。
彼女が今何を思っているのか。少しでも、アリシアの言葉は彼女に届いたのか。
最早、今となっては彼女にしか分からないだろう。
「…さて、マリア・ド・フォルストさん」
「はっはいっ!」
ぽっちゃりした彼女がぴしっと背筋を伸ばすと、少しだけ顎の肉が揺れた。
アリシアが、にっこりと微笑む。
「分かってはいると思うけれど、今後サラに何かしたら…」
「キャァッ絶対二度としません!近づきもしません!!ごめんなさい!!」
「宜しい」
真っ青な顔で、両手を合わせられて拝まれると悪霊にでもなった気分である。
アリシアはもう一度エリザベスを見る。
エリザベスは俯いたまま、こちらを見ようともしない。
これ以上、彼女に掛ける言葉は見つからなかった。
せめて、欠片でも彼女の心に響いてくれれば、と祈らずにはいられない。
アリシアは小さく目を伏せ、気持ちを切り替えるように目を開けると、続けて、教室全体を見まわした。にっこりと、満面の笑みを浮かべる。
「それでは皆さん、お騒がせを致しました。
どうぞ私の可愛い友人、サラ・ブラウンに優しくしてやってくださいね」
「あ、あのぅ…そ、その、俺達…」
先ほどレオンに名指しをされた連中がへらへらとした笑顔で言い寄ってくる。
アリシアは、更に笑顔を深めた。
「ご安心ください。ありのまま、お父様にお伝えしておきますので。
あぁ勿論この教室皆様のお名前も、きちんとご報告しておきますね」
「ちょっ」
「それでは皆様、ご機嫌よう」
アリシアは令嬢モードで緩やかに手を振り、呆然としていたエリックも連れ、今度は普通の扉から教室を後にした。その瞬間、教室から嘆きの声が響き渡り、この学院の七不思議のひとつとして数えられた事を、アリシアは知ら無い。
****
サラに連絡をすると、現在救護室で着替えていると言われたので、アリシアはそのまま駆け足で救護室へと向かった。
「サラ!」
「アリシアちゃん…!」
既にスペアの制服に着替え終えたサラは、ルーカスとユリウスの間を突き抜け、アリシアに駆け寄った。ぎゅうっと細い腕がアリシアを抱きしめる。
「アリシアちゃん、大丈夫だった!?何にもされなかった?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと犯人にぐうの音も出ないぐらい論破してやったから」
「うわぁさすがアリシア」
笑顔でそう言ったのはルーカスだ。アリシアが睨みつけると、ルーカスは『何も言ってませんよ?』というような表情で肩を竦める。
「よ、良かった…っ、私、アリシアちゃんに何かあったら、…ッ」
ポロポロと、彼女の涙が零れ落ちる。
「ホント泣き虫ねぇ」
アリシアがハンカチを取り出して彼女の涙を拭う。
だが、この涙を拭うのは今回が最後だ。
これできっと、彼女を苦しませるものは何も無くなる。
「…本当に何も無かったのかい、ヴェンクハイム」
「………まぁ、多少、旦那様にご報告が必要です」
「へぇ、それ僕にも報告してくれないかな」
「ルーカス、落ち着いて!」
ユリウスが慌てて止めるが、ルーカスの笑みには殺気が宿っていた。
「…っアリシアちゃん、ごめんね!迷惑かけて、ごめんねっ」
アリシアを抱きしめながら、サラが何度も何度も謝る。
アリシアは小さく溜息を零して、サラの頭をペンペン、と叩いた。
「それ違うでしょ」
「…え?」
「ごめん、じゃなくて、ありがとう、の方が私は嬉しいわ」
そう言って笑うと、サラの目からみるみる内にまた涙が零れて落ちた。
「ありがとう…!」
「はい、どういたしまして」
子どものように声をあげて泣くサラを、アリシアは笑って受け止めた。
(きっと、今までいっぱい、我慢してきたんだろうなぁ)
その分今は、泣かせてあげようと心に決めた。
やはり、傷つけるのではなく、守る方が自分には合っている気がする。
出来るなら、これから彼女が幸せな選択肢を掴み取る事を願いたい。
(後は、誰のルートに行くかによって、応援方法が変わって来るわね)
ハートマークが飛び散るほど熱烈に抱きしめてくるサラをチラリと見るが、まったく想像がつかない。
(…ま、卒業まで大分あるし、まだいいか)
すぐにルートに入られては、こちらも少し寂しい。
今は少しだけ、この楽しい友人関係を続けたいと思った。
****
次の日。
昼休みにサラを迎えに行ったアリシアは、食堂へ行く道で、意外な人物にバッタリと遭遇する。
「あ」
「…」
アリシアが思わず『あ』と言ってしまったが、彼女はツンとした表情のままこちらを見ていた。
マリアとエリザベスだ。マリアはこちらが見ていて気の毒な程真っ青な顔でワタワタしている。
「…行こう、サラ」
「う、うん…」
アリシアがサラを庇うようにして、サラの手を引く。
意外にも、エリザベス達は何もしないし、嫌味の1つも言わなかった。
(まぁ、あれだけ脅したらねぇ)
少し気の毒になってきた程である。
アリシアが苦笑した、次の瞬間。
「…悪かったわ」
ポツリと、蚊の鳴くような声が響く。
「え?」
アリシアが振り向いた時には既にエリザベスがスタスタと歩き去っていた。
マリアが不憫な事にアリシアとエリザベスを交互に見て、慌ててエリザベスを追っている。
「…アリシアちゃん、今のって…」
「…まぁ、彼女なりに色々思う所があったんでしょうね」
―…もし、サラと出会うように、普通にエリザベス達に出会えていれば、彼女達とも友人になれたのだろうか。
そんな考えが浮かんで、アリシアは小さく苦笑をした。
しばらくエリザベスを見送っていたが、サラに手を引かれる。
「行こう、アリシアちゃん」
「…うん」
でも、どちらかしか選べないのならば、やはり自分はこの温かい手を取るだろうと思う。誰だって、光には惹かれるものだ。
温かい手に導かれ、アリシアは一歩足を踏み出した。
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