第5話 壊された平穏
平穏は長くは続かないものだと、
次の日、アリシア達は身を持って思い知る事になる。
「レオン、ルーカス、先に食堂行ってて。サラ迎えに行って来るから」
「ホント仲良しだね、君達は」
ルーカスは呆れたように肩を竦める。
アリシアがサラの教室に迎えに行くのは、最早見慣れた光景になっていた。
だがその日は、いつもと少し違った。
「…あれ、サラ…?」
転移装置の前に、サラが居た。
サラはアリシアに気が付くと、はっと顔を上げる。
その顔は笑顔を作ったものの、少し青ざめているように見えた。
「あっ、アリシアちゃん」
「…、何かあったの?いつもは教室で待っているのに…」
「う、ううん、たまには、ココで待っていようかなって思って…」
サラは、嘘を吐くのが、限りなく下手だ。
笑みを浮かべてはいるものの、その引きつった笑顔では、誰一人騙せないだろう。
アリシアがじっと見ると、サラは慌てて目を逸らした。
そこで、アリシアがハッと気が付く。
「…サラ、鞄は?」
「え、えっと、その…」
慌てて言い訳を考えているサラは、目が勢いよく泳いでいる。
思わず、アリシアの視線が鋭くなった。
「…サラ、もう一度聞くわ。鞄は?」
「え、えぇと…その…」
「…まさか…盗まれたの?」
アリシアがそう尋ねると、サラが慌てて首を振った。
「う、ううん!盗まれてはいないわ」
「盗まれてはいないってことは、教室にあるのね。じゃあ見に行くわ」
「きゃーっ」
ツカツカと遠慮なく歩きだすアリシアに、サラが思わず悲鳴をあげた。
アリシアはピタリと止まり、もう一度ジトリとした目で、サラを見る。
「…サラ、貴女嘘なんかつけないんだから、正直に言いなさいよ」
「う、うぅ…そ、その…私のカバンが…」
「うん」
「き、切り刻まれて、使えなくて…」
暗い表情で、サラが益々俯いた。
アリシアは、サラから言われた言葉を、ゆっくりと脳内で反芻する。
徐々に―…アリシアの眉間に、皺が寄った。
「…はぁ?」
怒りを込めた一言が、口から零れる。
慌ててサラが弁明する。
「あっでも、鞄の表面だけで、鞄自体は、まだ使えるから大丈、」
「大丈夫な訳ないでしょう。そんな鞄使わせないわよ」
アリシアの胸の内から、怒りが次々に沸いて出てくる。
「どこの誰よ、そんな事する馬鹿。
鞄を切り刻むなんて、幼稚、な、こと…」
脳裏を、切り刻まれた鞄の光景が過る。
走馬灯のように一瞬の映像に、アリシアは言葉を失った。
(…鞄を切り刻むって、そういえば”アリシア”の嫌がらせの第一段階だった筈だわ)
怒りで忘れていたが、一度脳裏をよぎると、鮮明に記憶が戻ってくる。
2度の人生で、アリシアはナイフを片手に彼女の鞄を傷つけた。
だがこれも全て、ゲームのシナリオ通りなのである。
昨今の乙女ゲームにしては随分と過激な表現だが。
(…でも何で…、今回私は、やっていないのに)
だが今回は、実行者のアリシアが不在なのだ。
このイベントは、実行者を失い、本来であれば機能しないはずである。
だが、思い直す。裏庭で、サラをからかっていた男子生徒を思い出した。
(…あれも、本来は私の役目の筈だわ)
もしかして。…もしも、の話だが。
アリシアの存在がこの世界での”必要悪”だったとすれば、この世界がその穴を埋めようとするのは当然ではないだろうか。
(……ゲーム補正、って言うのかしら)
そんな考えが脳裏を掠め、思わずゾッとした。
もしこの考えが当たっているのならば、自分がしていることはまるで意味を成さないのではないだろうか。
運命を変えようと抗っても、自分らしく生きようと思っても、もしかしたら、その気持ちすら―…。
「アリシアちゃん!」
ぎゅっと手を握られ、アリシアは意識が勢いよく引き戻されるのを感じた。
視界が定まると、サラの心配そうな表情が目に入る。
心から心配しているその言葉は、アリシアの心に、深く突き刺さった。
彼女の真っ直ぐな瞳を見て、後ろ向きな自分を恥じる。
運命を変えようと抗った結果は、今目の前にある。
彼女の手を、握り返す。
何度彼女を傷つけた事だろう。何度、この温かい手を、払いのけた事だろう。
(…”彼女達”にはもう、謝る事も出来ないけど)
だがその分、今度はサラの力になろう。
闇の魔力を持つ手を、迷いなく握ってくれる彼女の為に。
「ごめん、サラ。ちょっと色々考え込んでいたわ。
とりあえず、鞄は私の予備をあげるから、それ使って」
「えっ!で、でも、」
「鞄にウォールデン家の家紋が入っているし安心よ」
鞄に指定は無いので、父が張り切って製作を依頼していたのを思い出す。
革製の鞄の真ん中に、金の糸でウォールデン家の家紋が入っているのだ。
公爵家は王家に次ぐ権力を持っている。牽制にもなるだろう。
「…ありがとう、アリシアちゃん」
ほっとしたような、それでいて嬉しそうな笑顔を、サラが浮かべた。
「じゃあ、後で持って行くわね」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、とりあえずはお昼よお昼!」
「ふふっ、うん!お腹空いた!」
無邪気に笑うサラに、アリシアは心の中でホッとした。
****
その数日後の昼下がり。
ユリウスは、実技の授業が終わり、教室へと戻っていた。
(うーん、特にブラウンさんの話題はないな)
ユリウスは元々広く人と付き合っているので、顔が広い方である。
ここ数日、色々な人と積極的に話しをしてきた。
彼女が入学して1か月ほど経ち、今ではあまり彼女の話題を持ち上げる人間は居ない。いつも通りの平和な日常だ。何だか少し心が軽くなった、その時。
『ローエン様、少しいいですか?』
「わぁっ!」
後ろからいきなり声が響いた。慌てて振り返るも、誰も居ない。
ドラゴンに跨り空を駆ける竜騎士団団長の息子ではあるが、幽霊は大の苦手である。思わず顔が青ざめると、今度はこちらを気遣うように、恐る恐ると声がした。
『す、すみません…驚かせるつもりじゃなかったのですが…』
その声は、聞き覚えがあった。だが声は聞こえるが、姿は見えない。
窓側の少し影になっている場所から声がしているように思える。
「えぇと、ウォールデン、さん?」
『はい、すみません、驚かせてしまって』
視線を向けた方から申し訳なさそうな声が響いて、声の主が分かった事にユリウスはホッとした。
「えぇと、何で姿隠しているの、っていうか、どうやって姿隠しているの?」
『えーと…』
暗闇に同化したアリシアは、返答に困った。
体を闇そのものに変化させ、闇の一部である影と同化しているこの状況を表す言葉が見つからない。アリシア本人も、無意識で”力”を使っているのだ。
人が息をする方法を説明するのが難しいのと同様に、言葉にする事が難しい。
『説明は難しいんですが…、私に話しかけられるのを他の人に見られてはローエン様にご迷惑がかかりますから』
そう言われて、ようやくユリウスはハッとした。
その表情が、悲し気に歪む。
「…そうか、闇の力、だったっけ」
『はい、ですから私が話かけては…』
「手」
『はい?』
見えてはいないが、アリシアが首を大きく傾げる。
「手を出して」
ユリウスが笑顔で、手を差し出す。
『え、な、ど、どうして、ですか?』
「いいから、ほら」
(あ、これ、お手だわ)
思わずときめいた心がスンッと現実に引き戻された。
さすがは未来の竜騎士団団長。相手が国最強を誇る黒姫であっても、揺るがない。
(…まぁしますけど!)
ユリウス直々にお手を要求されることなど、中々体験出来ない。
そっと、ユリウスの手に、自身の手を重ねる。
低体温のアリシアと違い、ユリウスの手は温かかった。
「捕まえた」
無邪気に笑うユリウスを真正面から見たアリシアは、固まった。
アリシアが呆然としていると、ユリウスは掴んだ手を、きゅっと握りしめた。
「この手は、友人を守ろうとする優しい手だよ。
そんな人から話しかけられて、俺に迷惑がかかると思ってるの?」
少し拗ねたような声に、アリシアが言葉に詰まる。
「ちゃんと姿を見せて。それから話を聞くから。
それまでこの手は離さないよ」
これは、一歩も引かない気である。
(…強引だわ)
思わず頬が緩む。
アリシアは、ゆっくりと自分自身を、闇の中から引きずり出す。
ユリウスが瞬きをする間に、目の前にアリシアが立っていた。
「失礼しました。ローエン様」
そう言って、手を繋がれたまま小さくお辞儀をする。
「休み時間が終わる前に話しを聞いて頂けますか?」
「うん、いいよ」
「でも、ここだと落ち着いて話せませんね」
「…あっ、それなら俺達が行ける場所があるじゃないか」
ユリウスがいつもの調子を取り戻して言う。
アリシアず首を傾げた。すると、ユリウスは悪戯っ子の微笑みで、自身が付けている金色の校章バッジを見せた。彼も首席だったのだ。
「あ、屋上ですか」
「正解」
屋上と言えど、温室のようなものである。
透明の壁と天井に囲まれていて、万が一にも転落事故などが起きないような設計だ。四季折々の花々がそこには植えられている。
そして椅子と机が用意されていて、限られた優秀な生徒達の勉強部屋のようなものだ。そこに入れるのは、金色の校章バッジを持った者か、実技で優秀な成績を修めているトップ5の者だけである。
故に、毎週実技のテストがあり、ランキングが発表されていた。
(まぁ、私は規格外な訳だけど…)
普通の方法で測れないアリシアは、前回と前々回は首席でも無かった為、屋上に入った事は無い。
「うーん、でも屋上だと少し授業に遅れるかもしれませんが、良いんですか?」
「大丈夫だよ、少しぐらい。ほら、行くよ」
ユリウスが先導を切って歩きだす。アリシアは慌てて彼の後を追った。
***
「わぁっ」
思わずアリシアの口から感嘆の溜息と共に、感想が零れ落ちる。
屋上は花一面に覆われ、心地の良い香りが鼻をくすぐった。
真ん中にはどういう作りなのか噴水が置かれていて、水のせせらぎの音が心地良い。何かしら魔法がかかっているのだろう。丁度良い気温で保たれていた。
それだけではなく、2人がやって来た事を感知してか、程よいボリュームの音楽が流れ始める。放課後などはサロンのように優秀な人材がここに集まり、談笑したり、勉強に励んだりしているのだが、今となっては授業が始まっているので、この屋上内に居るのは二人だけである。
「さて、これで落ち着いて話せるね」
近くの椅子に座る。
アリシアもユリウスの目の前に腰かけた。
「…突然お呼び立てして申し訳ありません」
「ううん、いいよ。それより、ブラウンさんの事は落ち着いたかな?」
「…いいえ、事態は酷くなるばかりです」
「えっ」
ユリウスが目を丸める。
アリシアは、ぎゅっと自分のスカートを握りしめた。
「……始まりは数日前、彼女の鞄が何者かに切り刻まれました」
ユリウスが、言葉を失う。
アリシアはぎゅっと悲痛な気持ちに耐えるように目を伏せた。
「そこから再び嫌がらせが始まって、彼女の私物が何者かに盗まれたり、
彼女の寮の部屋の扉に落書きをされたり…」
「…酷いね」
あまりの事態に、ユリウスの表情が歪む。
「…この前は、上から水を掛けられて、私が駆けつけた時にはずぶ濡れの姿で…」
言葉にするだけで、胸が抉られる。
それら全て、以前はアリシア自身が行っていた嫌がらせだ。
順番も手口も、まるで丁寧になぞるように、以前と全く同じである。
まるで過去のアリシアの行いを、”忘れるな”と言われているようで―…。
そんな訳が無いと思いたいのに、ゾッと冷たいモノが背筋に伝う。
「…私、人の悪意を察知する力があるんです」
人の心に巣食う悪意や憎悪は、まるでGPSのように分かりやすい。
だがそれを感知するにしても範囲は限られている。
「私が彼女の傍に居れば、きっと犯人をすぐに見つけ出せるんでしょうけど、
決まって、彼女が一人の所を狙われるんです」
クラスが違う彼女とは、四六時中べったり一緒にいる訳にもいかない。
その空白の時間が、犯人に付け入る隙を与えてしまうのだ。
「目撃情報は無いから、多分力を使っているんでしょうけど…」
「水の能力者は、たくさんいるしね…」
ユリウスが唸るようにそう言った。
「だからもし、ローエン様が何か情報をお持ちでしたら、教えて頂けないかと思いまして」
ゲームでは、犯人はアリシアだろうと思えるイベントが随所に盛り込まれていたので、プレイヤーは疑いなく犯人をアリシアだと断定できてはいたが。
今回の犯人は姿すら見えず、不透明だ。ひょっとして”犯人”すら存在せず、このゲームの進行上自動的に行われているだけなのでは無いか、という考えすら浮かんだ。
「…ごめん、俺も色んな人と話してみたけど、
俺達の学年では、今となっては彼女の話題すら出ない事が多いんだ」
「そう、ですか…」
アリシアが肩を落とす。
気の毒な程ガッカリした様子にユリウスはそっと彼女の頭を撫でた。
「…顔色が悪いね。ちゃんと寝てる?」
「…正直、あんまり。色々考えてしまって」
「俺も、もう少し探ってみるよ。
君は彼女の傍に居てあげて。きっと友達が傍に居てくれたら心強いから」
元気づけるような言葉と笑顔に、アリシアの表情が、少しだけ明るくなった。
「…はい」
そう言って笑った直後だった。
ばたんっ!と屋上の扉が勢いよく開く音が響いた。
「アリシア様から離れろ!」
耳慣れた声が二人の間に割って入る。
アリシアがぎょっと目を丸めた。コーヒーを飲んでいたら噴き出した所である。
「なっえ、レッレオン!?」
「下がってくださいアリシア様」
レオンがずかずかと近づくと、立ち上がったアリシアを背に庇う。
そして呆然としているユリウスを睨みつけた。
「…お前か、最近のアリシア様を悲しませている原因は」
「えっ、えぇっ!俺?」
ユリウスが明らかに戸惑ったように目をシロクロとさせる。
校内が帯刀禁止で良かった。もし彼がいつもの剣を携えていれば、ユリウスの喉元に剣先を突き立てていた事だろう。レオンの殺気を受信したユリウスが、助けを求めるようにアリシアに目くばせを送る。アリシアが、小さく溜息を零した。
「…レオン、貴方誤解しているから、とにかく落ち着いて座って」
何故ここが分かったのか、とか、つけていたのか、とか、色々と疑問は尽きない。
レオンはアリシアとユリウスを交互に見た後、渋々と警戒を少しだけ解いた。
「……はい」
(わぁ不服そう)
鉄仮面が今日は3割増しで険しい。
レオンが座ったのを確認して、アリシアは静かに口を開いた。
本当は内緒にしておきたかったが、こうなってしまえば隠しておける内容ではない。それに、レオンであれば口が堅い事は知っている。
「あのね…」
どこから話すべきか迷ったが、アリシアは全てを話した。
サラが嫌がらせを受けている事、ユリウスに協力してもらっていること、それらを話し終えると、レオンの表情から険しさが消え、鉄仮面だけが残った。
「…そういう事でしたか」
「そうよ、もうびっくりしたわ」
「大変申し訳ありませんでした」
レオンが深々と頭を下げると、ユリウスはクスクスと笑って首を振った。
「ううん、いいよ。
主を悲しませている相手がそこにいたら、頭にも来るよ。
俺も騎士の端くれだから気持ちはわかる」
笑って許す彼に罪悪感が胸を刺したようで、レオンは複雑そうな表情を浮かべた。
「改めてユリウス・フォン・ローエンだ、宜しくな」
「レオンハルト・ド・ヴェンクハイムと申します」
「あぁ、やっぱり。ヴェンクハイム家の凄さは聞いてるよ」
「…恐縮です。私も、ローエン家と竜騎士団のご高名は兼ねがね聞いております」
「あははっ、堅いな。主は違えど、同じ騎士同士仲良くしよう」
ユリウスが握手を求めるように手を差し出すと、レオンは驚いたように目を丸めた後、手を重ねた。
(レオンに初めてのお友達が出来たわ…!)
レオンが嫌がるので絶対にしないが、心の中で大きな拍手を送る。
「…ともかく、事情は分かりました。
とは言え、被害者本人を抜きに話しを進めても話は平行線ではありませんか?」
「…そうね」
アリシアは考えるように黙りこんだ。
「レオンの言う事も一理あるわ。でもやっぱり、サラの意思が最優先だと思うの。
私から、彼女に話してみる」
苛められている事を人に知られる、というのは、ある種、屈辱的な事である。
その話題を本人も交えて話し合うというのは、いささかハードルが高い気もした。
彼女が嫌だと言えば、秘密裏に解決へと事を進めよう。
その時、チャイムの音が辺りに響き渡った。
「あ、授業終わっちゃったわ…」
「それじゃあ、とりあえず教室に帰ろうか。
ウォールデンさんは、とりあえずブラウンさんに話をしてみて。
もし彼女が話し合いに参加してくれるのであれば、放課後にでも集まろう」
「時間を取らせて、申し訳ありませんでしたローエン様」
「ユリウスでいいよ」
カラカラと笑って、ユリウスが言う。
思わず、アリシアの頬がほんのりと赤く染まった。
「…はい、ユリウスさん」
「ははっ、”さん”もいらないよ。俺も勝手にアリシアって呼ぶから」
ユリウスはポンポン、と二度ほどアリシアの頭を撫でて、ひらひらと手を振って足早に去っていった。
(…爽やかだわ)
まるで春風のような彼に、アリシアはうっとりとしたような様子で見送った。
「…アリシア様は、」
それを見ていたレオンが、ぽつりと呟く。
夢見心地だったアリシアがハッとして振り向いた。
「……アリシア様は、彼が好きなんですか?」
「…えっ?」
鉄仮面のレオンから紡がれた予想外の言葉に、アリシアはぎょっとした。
だがレオンの表情は真剣だ。
ふざけた返答は出来ないと確信したアリシアは、自分の心に問いかける。
「…うーん、好き、っていうのはちょっと違うかなぁ」
ゲームをプレイしていた頃は、『結婚するなら絶対ユリウスくん!』と豪語していたものだが。だが、実際にこの世界で生きて、彼と会って言葉を交わして、まだ少ししか時間は経っていないが。
彼に抱く感情は『好き』という恋愛感情ではなく、憧れや尊敬など、親愛に近い。
「どっちかと言うと、アイドルを推す気持ちっていうか…」
「え?」
「いや、何でもない」
ぼそっと呟いたアリシアの言葉にレオンは首を傾げたが、アリシアは高速で無かった事にした。
「とにかく、恋愛感情じゃないよ。どっちかと言うと尊敬する先輩って感じ。
でも、何でそんな事聞くの?」
レオンとまさか恋バナをする機会が巡って来るとは思ってはいなかった。
それだけレオンも成長したという事だろうか。
アリシアが首を傾げると、レオンは驚いたように目を見開いた。
そして、アリシアと同じくレオンも首を傾げる。
「…確かに、そうですね…、何故、こんな事を聞いたんでしょう?」
「いや、私に聞かれても知らないわよ」
アリシアが苦笑する。尚もレオンは不思議そうに首を傾げている。
「変なレオン」
「…そうですね」
「…でも、私の事、気にかけてくれているのは嬉しかったわ」
流れで、照れくさい感謝の気持ちを伝える。
レオンと目が合うと、何だか気恥ずかしい。
「気づかせないようにしていたのに、私の様子に気づいてくれたんでしょう?」
「………長い付き合いですから、気づくのは当然です」
先ほどのレオンは、心から怒っていた。
それこそ、ユリウスがアリシアの悲しみの原因であれば、何をしでかすか分からない殺気だった。不謹慎かもしれないが、アリシアは少し嬉しかったのだ。
「ありがとう、レオン」
緩んだ頬で、笑顔を浮かべる。
その嬉しそうな笑顔に、レオンは驚いたように目を見開いた。
そして、こほん、と照れを隠すように咳払いをする。
「…いえ」
鉄仮面は、ぽつりとそう呟いた。
****
昼休みにはサラに話すつもりでいる。
だがその前にアリシアは実技の授業の自由時間を使って、とある場所に来ていた。
(…そういえば、”今回”ここに来るのは初めてね)
そこは、以前アリシアが男子生徒にペンダントを奪われていた裏庭。
だが今回の目的地は、その先にある。裏庭の森である。
ここは本当に学院の敷地内なのか、と思うほど入った瞬間に広大な木々が広がっている。鬱蒼と茂る木々は光の侵入を一切許さず、この森の中はいつも仄暗い。
カァカァ、と普段なら気にも留めない烏の泣き声が不気味に響き渡る。
普通の少女ならそこで引き返すだろう。
だがアリシアは慣れた様子でつかつかと歩いていた。
(この不気味さは変わらないわね)
何度か道に迷った経験はあるが、アリシアはもう道を覚えていた。
右に一度曲がり、その後最初の角を左へ、真っ直ぐにきっかり500m進み、そして右へ曲がる。すると、そこには一際大きな、大木が聳え立っていた。
普通の木々を3、4本集めて出来たような大きさは、まるで壁である。
「ホント、毎回行くだけで、苦労、する、わ、ねっ」
その太い幹を登り、アリシアは大木の幹の目の前にやって来た。
そして。ココンコン、と独特のリズムで幹を叩く。
すると、木の中から七色の光が輝きだした。
それは一つの線となり、扉の形を模っていく。
出来上がると、しっかりとドアノブがつけられていた。立派な扉の完成である。
「よいしょ、っと」
重たい扉を開け、中に入る。
「ふぅ、着いた…」
滲んだ汗を拭う。そして、目の前の光景を見上げる。
(…相変わらず可愛い家)
木の中には、1軒の家が建っていた。
白を基調としたその家は、まるでこの屋敷だけ時空の流れに取り残されたかのようだ。絵本にでも出てきそうなこの家は、到底この大木の中に作る事は出来ない。
どんな魔法なのかは分からないがこの場所はこの家の為だけに存在しているのだ。
「いる?入っていいかしら」
一応玄関の扉に付けられた金属製のリングでコンコンとノックをしながら、無防備に施錠もされていない扉を開ける。
すると、クスクスとした笑い声が、アリシアを歓迎した。
「アリシア、問いかけながら入って来るなんて、随分と新しい作法だね」
玄関を抜けて右側の部屋から男性が表れて、楽しそうに笑っていた。
彼の顔の右側は仮面に覆われ、顔全体は見えないが、充分に顔半分だけでも麗しい顔立ちだと分かる。むしろ、仮面が彼の美貌を更に引き立たせていた。
彼は中世ヨーロッパの紳士のような出で立ちで、シャツの上から羽織ったベストには、金色の細いチェーンが付けられていた。
蜂蜜色の髪の毛は綺麗にセットされ、彼の紫色の瞳は、女性が思わず顔を赤らめるほどの美しさだ。
歳は30後半程だろうか。程よく鍛えられた体つきとその鼻筋のしっかり通った顔だちは、大人の色気が迸っている。
そしてこの低く響く声、これで落ちない女性は居ないだろう。
「まぁいいや、よく来たね、アリシア。ココアでも飲むかい?」
「うん、お願い」
彼が右の部屋に入って行くと、アリシアもそれに付いて部屋に入って行った。
部屋に入れば、多数のアンティーク品が出迎えてくれた。
柱時計に、綺麗なオルゴールが棚に並んでいる。
彼が今立っているキッチンの食器棚には、銀食器やアンティーク調のコーヒーカップが並んでいた。黒い革張りのソファと、ソファの前には低い木製のテーブルがあり、キッチンの近くには木造の椅子と机がある。
窓からは温かい日差しが入り込み、近くにはハンモックまで設置されてあった。
この部屋全体を、木造の家独特の温かさが包み込んでいる。
「相変わらず不思議と落ち着く家ね」
アリシアがそう言って、いつもの木造の椅子に座ると、見計らったかのように目の前にココアが置かれた。
「そう?そう言ってもらえると嬉しいよ」
そう言って、彼は小さく頬を緩めて笑った。
「それにしても、随分と来るのが遅かったじゃないか。
君も、忘れてしまったのかと思ったよ」
アリシアはココアを飲む手を止め、申し訳なさそうにそっと彼を見上げる。
「…ノアを忘れる訳ないわ。
貴方と私は、この世界を繰り返す、仲間だもの」
アリシアがそう言うと、彼の紫陽の瞳が優しく揺らいだ。
彼の名前は、ノア。ファミリーネームは不明だ。
ゲーム内にも登場したが、彼はいわゆる隠しキャラで、全員のルートを攻略した後だけ解放されるキャラクターである。
尚且つ課金が必要だったので、アリシアはゲーム内で彼に会った事は無い。
だがこの世界に来て2度目のアリシアの人生で、彼と出会った。
この森の入り口でサラをイジメ、シナリオ通りにルーカスが助けに入り、イベントが終わった時だった。
誰も居なくなったのを見計らって、アリシアは握り拳を作り、小さく震えた。
『これでいいの。…後少し。後少しで、この世界から解放されるわ』
小さな声で自分を励ます。
そうでもしなければ、罪悪感と人から憎まれる悲しみで、頭がおかしくなりそうだった。
『…もう、この世界を繰り返すのだけは、嫌』
ぐっと唇を噛み締める。
人から嫌われるのも憎まれるのも、悪役にならなくてはいけないのも、もう沢山だ。幸い今回は良いペースだ。このままいけば、サラはトゥルーエンドに辿り着くだろう。その為にも、このまま手を緩めてはいけないのだ。
―…例え、トゥルーエンドの果てに殺されるのだとしても。
『…へぇ、俺以外にも居たのか。この世界を”繰り返している”人』
その時、背後から低く、頭に直接響くような甘い声が響く。
バッ!と振り向けば、仮面で顔半分を覆った男がこちらを見ていた。
(この人は、確か…)
隠しキャラとこんな所で遭遇するとは思わなかった。
しかも、一番知られたくない事をしっかりと聞かれてしまったのである。
アリシアの頭が真っ白になる。だが、その時脳内で彼の言葉が反芻された。
『……、俺以外に、って…』
ポカンとした顔でアリシアが恐る恐る呟くと、彼はふっ、と口元を緩めて笑った。
冷たい仮面とは相反し、彼の笑顔は意外にも優しいものだった。
『俺もこの世界を繰り返しているんだ。
もう何度目か、数えるのもやめてしまったけどね』
この時、初めてアリシアは心の底から理解をしてくれる味方を得たのだ。
どれだけ、心が救われたか。
世間では”悪”とされるアリシアを、彼だけは理解し、アリシアの行いを肯定してくれるのである。
「ふふ、冗談だよ。
それで今回は、随分と趣向を変えているみたいだね」
「…ホント、耳が早いんだから」
ノアに隠し事は出来ない。
彼に出会って、ここで何度もお茶会をする内に、色々と知った。彼はここで情報屋兼、発明をしている。彼の能力は”モノを作る”こと。彼のアイディア次第でどんな物でも作る事が出来る。無から有を作る事も、”元”から何かを生み出す事も、彼にとっては自由自在だ。学院に導入されている移動装置なども彼の発明品だ。
『発明王』と名高い彼ではあるが一切表には出ないので、その素性は謎に包まれている。
とは言え竜騎士団や国の上層部などは頻繁にココを訪れ、秘密裏に彼から情報や発明品を買い取っていた。
「それで、今回ココに来たのは、俺に助けてほしいのかな?」
思わずアリシアはうっと言葉に詰まった。
ここまでお見通しだと、何だか居た堪れない。
「…お察しの通りです」
観念した犯人のようなセリフに、ノアはくすっと笑った。
「いいよ、アリシアの為なら。俺に出来る事なら、協力するよ」
そう言って、コーヒーカップを口に運ぶ。
話を聞いてくれるだけで、アリシアにとっては有り難い。
「…サラがね」
アリシアがぽつりと言葉にすると、ノアが小さく首を傾げた。
「誰だっけ?」
「サラ・ブラウン…!」
「あはは、冗談だよ。勿論存じ上げているさ。
この世界のキーパーソンだからね」
楽しそうに笑うノアに反し、アリシアは頭を抱えた。
(…ホントに忘れてそうで怖いのよ)
彼のルートに入っていないからか、ノアのサラに対する扱いは雑だ。
だが彼もサラがこの世界の重要なキーパーソンだということは理解出来ている。
「…サラが、いじめられているみたいなのよ」
「君に?」
「違うわよ!今回は!」
茶化すノアに、アリシアが口を尖らせて抗議する。
ノアは楽しそうに笑っているが、アリシアは何だか普通に喋る3倍で疲れている。
「…私がやった方法と、まるで同じ方法でいじめられているの。
でも目撃証言もないし、サラが一人の時を狙ってやられるから、私も感知出来なくて。ノアなら、犯人が誰か知っているでしょ?」
「あぁ、知っているよ」
ノアがあまりにも平然と言うので、アリシアは思わず聞き逃す所だった。
「えっ知っているの?って事は、やっぱり犯人は存在するのね?」
これで、”犯人が居ない”説は消えた。
アリシアの反応を楽しむように、ノアが笑う。
「あぁ、存在しているよ」
「だ、誰なの?」
アリシアが真剣な様子で聞く。
じっと見つめられたノアは平然とコーヒーを一度飲んだ後、にっこりと微笑んだ。
「教えない」
「はっ?」
アリシアがきょとんと目を丸めると、ノアは更に楽しそうに笑う。
「当然だろ?いくら俺が君を気に入っていると言っても、俺は情報屋だ。
タダで情報をあげる訳にはいかないね」
「う、うぅ…っ大人って汚い…」
アリシアが悔し気に唇を噛み締めるのを、ノアが笑い飛ばす。
「じょ、情報料はいくらよ」
額にもよるが、もしもの時は一生に一度のお願いで父に頼むことも厭わない。
「金なら有り余る程あるから必要ないな」
「はっ?じゃあ、何が目的…」
「俺が欲しいモノは、この世でただ一つだ」
紫陽の瞳が、まるで獲物を前にした獣のように揺らめいた。
真っ直ぐに、その長い指先がアリシアに向けられる。
「君が欲しい」
真っ直ぐとした彼の視線と声は、大人の男の色香を纏っていた。
だがアリシアは、一瞬驚いたように目を丸めた後、その眼は再度ジトリと睨みつけるようにノアを見る。
「…またその話」
彼からのその申し出は今回が初めてではない。色男からの要望も、繰り返されると嫌気が差すものだ。
何しろこの男、こちらの反応を楽しんでいるように見えてならないのである。
その証拠に今も、ニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「以前から言っているだろ、俺は君が欲しいんだ」
「以前から言ってるでしょ、私は物じゃないからあげられません」
「酷いな、俺は真剣なのに」
そう言って笑うノアは、どう見てもアリシアの反応を面白がっているようにしか見えない。
「別に悪い話じゃないだろう?」
コーヒーカップを置いた手が伸び、アリシアの黒髪を一房持ち上げる。
その長い指先で黒髪を弄びながら、妖し気に笑った。
「この世界を繰り返す辛さも苦しさも、君となら共有できるし、乗り越えていける。それに、この森の中だけの人生も、君が居れば楽しそうだ」
そのことを言われると、アリシアは弱いのだ。
思わず押し黙り、表情が翳った。
―…彼は、この森からは出る事が出来ない。
彼の仮面が、一種の起爆剤のようなものだと、以前教えてくれた。
原理は魔法石と同じで、彼が森から出た瞬間、彼の仮面に付加された力が発動する。もし彼がこの森を一歩でも出れば、その身は灰になって消えてしまうのだ。
誰が、何の為に。…そう聞いた事もあるが、彼は悲しみの色を宿した笑顔を浮かべるだけで、教えてはくれなかった。
彼は、この狭い狭い世界の中で幾度となく世界を繰り返している。
(…多分、私なんかと比べ物になら無い程、繰り返しているのよね)
そんな狂気の世界で精神を保っている彼を心から尊敬するし、その辛さが分かるからこそ、彼にそう言われると弱いのである。
「…冗談だよ、アリシア。そんな顔をしないでくれ」
黒髪を解放し、ノアがそう言って笑う。
すっかり沈んでしまったアリシアを励ますように、彼は立ち上がりながら、アリシアの頭をポン、と撫でた。
「優しい子だね、アリシアは。悪役に向いていない筈だ」
「そ、そんなこと、ないわよ…前はちゃんと、悪役やったし…」
子どものように口を尖らせるアリシアに、ノアが笑う。
「そうだね。…それが、俺から言えるヒントだ」
コーヒーカップを持ち、キッチンへと向かいながら彼がぽつりと言った。
いつもの茶化したような言い方ではない、真剣な言葉。
アリシアが『え?』と聞き返したが、彼からは笑顔が返って来るばかりだった。
「…さぁ、そろそろお帰り、アリシア。
昼休みの時間じゃないかな」
「えっ、もうそんな時間?」
「あぁ、お友達が待っているよ」
腰元につけた懐中時計を見ながら、ノアが言う。
そんなちょっとした動作すら、ブランド物のCMでも見ているかのような優雅さだ。
「やばっ、行かなきゃ!じゃあ、また来るからノア!」
バタバタと駆けていくアリシアに、ノアが手を振る。
「あぁ、またおいで」
その言葉を背に受け、アリシアは彼の家を後にした。
彼の家を出ると、いつも後ろ髪を引かれるような気持ちになる。
これで彼はまた一人だ。国の要人など客人が来る事はあるだろうが、こうやって雑談が出来るとは思えない。
(…また行こう)
そう心に決め、アリシアはパタパタと駆けていった。
****
昼休み。いつもの時間を少し過ぎてサラを迎えに行くと、サラが心配したような顔で出迎えてくれた。
「大丈夫?アリシアちゃん」
「ご、ごめん遅くなった」
ゼェゼェと肩で息を整える。そして、サラの様子を確認した。
(…今日は平気そうね)
何かあればサラの顔に出るので分かるのだが、今日はいつもと同じ様子である。
だが、顔色は悪い。
(…寝られていないのかな)
アリシアと同じく、寝られない日々を過ごしているのだろうか。
そう思うと、胸が痛い。
「サラ、今日はちょっと話があるの」
「えっ?」
サラが大きく目を丸める。
廊下で話す事でもないが、周りに誰もいない事を確認し、アリシアは真剣な瞳でサラを見た。ルーカスとレオンと合流する前に確認しておかなくてはいけない。
「…えーとね…まず、ユリウス・フォン・ローエンって人知っている?」
「えっ、う、うん。確か、竜騎士団団長のご子息様だよね?」
唐突な質問に、サラが首を傾げる。
「その人がね、私と貴女が出会った時の裏庭の光景を見てしまったみたいなのよ」
「えっ」
サラがポカンと口を開ける。
やはり見られたくはない光景だろう。アリシアが少し気まずそうな表情で、恐る恐ると言葉を口にする。
「…それから、ずっと気にかけて下さっていて…
もし貴女が行動を起こすなら協力は惜しまないって言って下さっているわ」
サラが、言葉を失う。
どう答えて良いのか分からないといった表情だ。
「私も、これ以上貴女が傷つくのは見ていられないし、
正直、ここらで犯人を引きずり出したいの」
「…」
「ルーカスとレオンも、きっと話せば協力してくれる」
「…わ、私…」
「勿論、貴女が良ければよ。貴女の意志が一番大事だと思うから」
アリシアがそう言うと、サラは一瞬目を泳がせた後、口元に笑顔を貼りつけた。
「……わ、私なら、大丈夫、だよ。
皆さんに、私なんかの為に迷惑かけられないし」
口角だけを上げた、下手くそな笑顔だ。
その笑顔は、アリシアも経験がある。人から心を踏みにじられると、誰だって笑顔が歪むのだ。そんな笑顔を、彼女に浮かべて欲しいんじゃない。
笑ってほしいのだ、心から。
「…大丈夫じゃないでしょ」
アリシアの声が、震える。
何だか、悔しさが込み上げて、アリシアの目に涙が溜まった。
「何で貴女がこんな目に遭わなきゃいけないのよ…!
好きでそんな力、手に入れた訳でもないのにッ」
サラの姿は、過去のアリシアと重なる。
光と闇、相反する力を持つ2人ではあるが、その境遇は似ている。
二人とも、望んで手に入れた力ではない。
望んでいない力のせいで多くのモノを失い、普通の人間が送るであろう ”当たり前の生活”を失った。
「アリシア、ちゃん…」
我慢していた涙が、サラの目からぽろっと零れ落ちる。
それにつられて、アリシアの目からもまた涙が零れて落ちた。
「貴女が一言『助けて』って言えば、皆協力してくれるわ…!
だから、戦いましょうよ、サラッ」
サラの手を握ると、彼女の手は冷たく、小刻みに震えていた。
「…っうん…!」
涙をぽろぽろと零しながら、サラが何度も何度も、頷いた。
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