第4話 近づく距離

この学院の授業は、普通の学校とは少し違う。

魔力に関しての座学や、魔力のコントロールを身に着けるための実技が主だ。

そしてその次に、紳士淑女としてのマナーなどがある。日本で言う所の、道徳の時間のようなものだ。オリエンテーションも兼ねたマナーの授業は、二日ほど続き、

ようやく今日から、本格的な授業の開始である。

魔力の実技の授業は、その魔力の強さによって、3クラスに分かれる。

優秀且つ強力な魔力がA、普通がB、小さな力がCと言った形だ。

当然、ルーカスとレオンはAである。だが皆がそれぞれクラス発表があり、移動する最中、アリシアだけは席で待つようにと言われた。


「…え、えぇと、その、すまないが、ウォールデンくん」


白髪まじりの、初老の男性が、眼鏡を何度も上げ下げしながら言う。アリシアとは目が合わず、彼の視線は、常に下に向けられている。


「悪いが、君の能力に当てはまるクラスがないんだ。自習をしていてくれないか」


「…分かりました」


アリシアは素直にそう頷いた。

何しろ、こうやって堂々と教師から追い出されるのは、今回で3度目だからである。

彼はホッとした様子でぺこぺこと頭を下げながら去って行った。


「…っていうことだから、レオンは行ってきて」


「俺も残ります」


隣の席で待っていてくれたレオンが、むすっとした表情を見せている。

アリシアは思わずクスリと笑った。


「私は大丈夫だから。授業をずっとサボる訳にはいかないでしょ?」


そうは言っても、レオンは不満げだ。


「ルーカス、レオンをお願いできる?」


一緒に待っていてくれた、前の席のルーカスに声を掛ける。

ルーカスは呆れたように小さく溜息を零した。


「君の頼みなら仕方ないね。行くよ、ヴェンクハイム」


ルーカスから軽く腕を引っ張られ、ようやくレオンが立ち上がる。

ルーカスは、小さく溜息を零した。


「あのね、僕も残念なんだよ、アリシアと同じ授業が受けられないの」


我慢していた不満がぽんっと口から飛び出る。


「…でも、正直少し安心した。

この授業では、君が能力を使わなくちゃいけないだろ?」


ルーカスが、アリシアの手をそっと握る。温かい手だ。


「その事で心無い奴らが、君を傷つけるのは嫌だから」


思わず、アリシアが目を丸める。ルーカスは真っ直ぐに目を見てくれた。


「…ふふっ、ありがとう、ルーカス」


嬉しさが胸の内からむずむずと込み上げてくる。

アリシアの笑顔を見て、ルーカスは少し、ホッとしたように笑った。


「良かった、もし君がさっきの教師の発言で傷ついていたら、クビにしてやろうと思っていたから」


「いや、本当に良かったわね」


思わず真顔になってしまう。今の自分の反応に、あの先生の人生が賭けられていたとは思わなかった。

アリシアの反応を見て、すっかり機嫌が良くなったルーカスが、クスクスと笑う。


「それじゃ、君の頼み通り、ヴェンクハイムは連れて行くから安心して」


「うん、ありがとう」


「行くよ、ヴェンクハイム」


レオンはいつもの鉄仮面ではあるが、その不満さは充分態度に出ていた。


「レオン」


アリシアが窘めるようにそう言うと、レオンは渋々、ルーカスの後を追った。


****


教室から離れ、アリシアは学院内を探検していた。


(そういえば、こうやって見て回るの初めてかもしれないわ)


いつもは図書室に直行して本を読んで時間を潰していたのだが、3年目ともなれば、図書室にも飽きてくるのだ。


(あぁ、そうだわ、図書室に行かない時は彼女達が付き合ってくれてたわね)


授業をサボってまで、アリシアに付き合ってくれた彼女達。

ゲーム内にも登場する、ソバカスを持ったエリザベスに、マリアという少しぽっちゃりとした女性。彼女達はアリシアのいわゆる”取り巻き”だ。

ゲーム内ではアリシアと共にヒロインをイジメる役どころである。2度の人生の中で、彼女達と出会ってはきた。

彼女達のフラグは簡単だ。どちらか誘われたお茶会に参加すればいいのである。

だが今回の人生では、そのお茶会を丁重にお断りしたのだ。


(これで、彼女達も更生してくれたらいいけど…)


今回は彼女達の運命が変わり、同じクラスにはならなかった。この学院内に居るのかすら分からないが、彼女達にも幸せになってほしいと思う。


「…ッ」


その時。

丁度、学院の裏庭に続く通路を歩いていると、外から争っているような人の声が微かに聞こえた。裏庭は、ドワーフ族が丁寧に作り上げた、庭園が広がっている。

丁度、今の時期は薔薇のアーチが飾られ、デートスポットにもなっている。裏庭の奥はドワーフ族が作り上げた森があるが、好き好んで森に入る人間は居ない。


(ど、どうしよう)


仲裁に入るべきか、いやでもそれでは根本の解決にならない。

それでは教師に来てもらうか。アリシアが焦りながらそう考えていると、


「やめてください!」


精一杯の、拒絶の声が壁越しにでも届いた。


(…サラ…?)


聞き間違いであってほしいと思う。だが、その声はあまりにも聞き覚えがあった。

何度も、何度だって、サラをイジメてきたから。


(…っなんで。だって、”アリシア”が居ないのに…っ)


サラを表だってイジメるのは、アリシアの役どころだ。

だからサラは今回、平穏な学園生活を送れるだろうと思っていた。


(…まさか、あのエリザベスやマリア…?)


ふと、一つの考えに行き当たった。

アリシアが思わず、地面を蹴って走り出した。

少し重い鉄製の扉を開ける。開けた瞬間、叫んだ。


「何をやっているの!」


アリシアの登場に、その場に居た連中が、ぎょっと目を丸める。


(…違ったわ)


その場に居たのは、サラを含めて4人。

だが、サラを除いた3人は全員男子生徒だった。


「ウォールデン、様…ッ」


サラが安心したようにぽろぽろと泣きながら、その場に座りこんだ。

アリシアはツカツカと彼らに詰め寄り、背中にサラを庇う。

うっ、と怯んだ彼らに、ぐいっと顔を近づけた。黒の瞳が、怒りに燃えている。


「…もう一度聞くわ。何を、やっているの?」


ゆっくりと、威圧感を込めて、彼らに言う。

すると、彼らは慌てて言った。


「か、からかってただけだよ!ほら、返す!」


そう言って、彼は何かを地面に投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように去って行った。

アリシアは吐き捨てるように溜息を零し、彼が投げた物を拾う。

それは、ネックレスだった。チェーンの先に丸い小さな石がついていて、キラキラと、光を浴びる度に淡い色が変化する。


「…これ、貴女の?」


アリシアが渡すと、へたり込んだ彼女は、震える手でそれを受け取った。


「は、はい、ありがとうございます…!

…母から貰った、大事なモノなんです。ありがとうございました」


笑顔を浮かべたものの、安堵から来る涙は止められず、ポロポロと零れ落ちた。


「…これ」


アリシアはそう言って、そっとハンカチを差し出した。


「え、で、でも」


「いいから、ほら」


「…っすみません」


アリシアのハンカチを受け取り、涙を拭う。


「…こういうこと、よくあるの?」


「…」


サラは答えない。つまりは、無言の肯定だ。

泣き腫らした目で、サラは悲し気に微笑んだ。


「………この学院の皆さんは、私の事がお嫌いみたいですね」


そう、ぽつりと呟く。再び、ポロポロと彼女の目から涙が零れ落ちた。

アリシアの心が、キュゥッと強く痛んだ。


(”アリシア”が手を出さなければ大丈夫だろうと思っていた、私が甘かったわ)


彼女と、関わるべきではないと、分かっている。バッドエンドを回避したければ、このまま立ち去るべきだ。

この状況でさえ、第三者から見たらどう見えるかなど、分からない。

だが。―…アリシアは、一度だけ、目を伏せた。


「…私は嫌いじゃないわ」


目を開くと、意を決して言葉にする。

意志を込めた言葉は、凛と辺りに響き渡った。


「…ぇ…?」


涙が止まり、サラがキョトンとした顔で見上げてくる。


「貴女の事、嫌いじゃない」


真っ直ぐに目を見て、もう一度しっかりと言葉にする。

これは、アリシアの覚悟そのものだ。


「貴女とは会ったばかりだけど、慣れない環境で頑張っていると思うわ。

怖がっているのに、ちゃんと、私の目を真っ直ぐに見てくれた」


道案内をした時の事を思い出す。

あんなにも、アリシアの噂に怯えていたのに、最後には彼女に恐怖心は無かった。

ちゃんと、アリシアの中身を見てくれたのだ。


「だから私、貴女の事は嫌いじゃないわよ」


アリシアが笑うと、サラは目を真ん丸とさせて、驚いた様子を見せた。


「ウォールデン、様…」


その真ん丸とした目から、ポロポロと、何度目か分からない涙が零れ落ちる。

アリシアは、小さく溜息を零して、苦笑した。


「泣き虫ね、目が腫れるわよ」


「うぅっすみません…嬉しくて、止まらなくて…っ」


借りたハンカチで目元を押さえながら、サラがそう言った。

泣いてはいるものの、顔色は先ほどよりも良く見える。

迷ってはいたが、嫌いじゃないと宣言して良かったと、アリシアは思った。


「…それより、貴女のそのイジメの元凶を探しだして潰さないとね」


サラの頭を撫でながら、アリシアはそう言った。


「元凶、ですか…?」


サラがぐすっ、と鼻を鳴らしながら、顔を上げる。


「えぇ、こういった嫌がらせがよくあるんでしょう?」


「…………はい」


(あら、答えたわね)


先ほどは無言の肯定だったが、今回は、小さくではあるが、声に出した。

これは、大きな一歩だ。


「だとしたら、やっぱり元凶が居る筈よ。

いくら貴女が有名人だからって、たった数日で、嫌がらせを受けるまで発展するなんて、普通じゃ考えられないわ」


「…そう、でしょうか…」


「えぇ、人から嫌われるプロの私が言うんだから間違いないわ」


アリシアが自信満々に頷く


「まぁともかく、集団心理を操る人間が、どこかに居る筈なのよ」


「集団、心理…ですか…?」


「例えば、ありもしない噂を流して、集団心理の怒りを貴女に向ける、とかね」


「…!」


サラの顔が、一気に青ざめた。


「あくまで可能性だけど、その元凶を潰すのが一番手っ取り早いわ」


「で、でも、どうやって…」


「そうね…、…とりあえず、しばらくは私と一緒に行動しましょう」


「えっ!」


サラがポカンと口を開けた。アリシアは小さく肩を竦めて言う。


「私と一緒に居れば、雑魚は手を出してこないでしょうからね」


「え、で、でも、それじゃあウォールデン様に迷惑が…」


「まぁ、私と一緒だと、貴女に別の噂が立ちそうだけどね」


カラカラと笑いながら、アリシアが言う。

ポカンとしているサラに、アリシアは小さく笑った。


「だから、貴女が良ければ、ではあるけど、しばらく一緒に行動した方がいいわ」


「ウォールデン様…」


「その堅苦しい呼び名も却下よ。アリシアでいいわ」


「アリシア、様…」


「いや、様もいらないから」


アリシアはそう言って、ふるふると首を横に振った。

サラがどう答えていいのか分からず、戸惑っている。

まぁそのうちに慣れるだろうと、アリシアは気にしなかった。


「さ、とりあえず貴女をクラスに送るわ。そろそろ授業も終わりでしょ」


「あっ!授業…」


サラがハッとしたような顔の後、真っ青に青ざめた。

分かりやすい反応に、思わずアリシアは笑った。


「あはは、1つぐらいサボっても大丈夫よ」


サラは光の魔力だ。授業に参加したところで、その力のコントロールや使い方を、教師が教えられる筈もない。

実際ゲームでも、パラメータ上げは授業ではなく、図書館であったり、魔法無効化の壁が張り巡らされている、魔法場だったりと、独学で学んでいた。


「それじゃ、貴女の教室に行きましょ」


「えっ、そんな、わざわざ…」


「いいのよ、さっき退散した彼らにも、見せつけてやらないと。

もう二度と、手だし出来ないようにね」


そう言って笑うアリシアの顔は、にぃ、と口角を釣り上げた、何とも悪い笑顔だった。


****


その日の昼休み。

アリシアはサラを連れて、食堂にやって来た。光と闇、異色の2人の登場に、食堂中がざわめく。何度見ても見慣れない。ビュッフェ形式になっていて、下は赤いふわふわの絨毯が敷かれ、上には大きなシャンデリアが光っている。


「あ、いたいた」


アリシアはすぐにレオンとルーカスの姿を見つけた。

やはり、この群衆にいても彼らは目立つ。

アリシアに手を引かれ、サラはドギマギしながら、小走りについて行く。


「ごめんごめん、レオン、お待たせ」


「いえ、…そちらの方は、確か…」


レオンが僅かに目を見開いた。


「サラ・ブラウンさんだよね?光の魔力の」


ルーカスが代わりに、笑顔を浮かべて答える。

サラは緊張した様子で、コクコクコクと何度も小刻みに頷いた。


「アリシア、友達を迎えに行くって言ってたけど、もしかして彼女の事?」


その事にサラがびくっと肩を震わせるのと相反して、アリシアは笑顔で頷いた。


「うん、そう。今日友達になったの。ね、サラ」


「は、はははは、はいっ」


「友達って言うより、親分と子分って感じなんだけど」


ルーカスが笑ってそう言うが、仕方が無いのだ。

何せまだ、友達レベル1にも達していないのだから。


「まぁいいじゃない、とりあえず座りましょ」


アリシアはそう言って、向かいの席に腰かける。

ルーカスの隣にサラが、「し、失礼します」と言って腰かけた。


(…ガチガチだわ…)


何だか見ているこちらが気の毒な程、サラが緊張している。


「アリシア様…」


「な、何よ、レオン、その目は。別に、無理やり連れてきてはないわよ」


ただ、アリシアのクラスに乗り込んで、『行くわよ、サラ』と言って、半ば強制的に連れて来た所はあるが。


「とりあえず、食事取ってきましょ。話はそれからね」


「あっ、は、はいっ」


アリシアとサラが揃って立ち上がり、ビュッフェに向かった。




彼らに話すべきか、アリシアは悩んだが、結果的には話さない方が良いという結論に達した。何より、”イジメられている”という事実は、サラにとってあまり色々な人に知られたくない繊細な問題だろう。


(どこで誰が聞いているか分からないし)


もしここで、元凶をあぶりだす為だと暴露してしまえば、気が付かれて、元凶が身を潜めてしまう事だってあり得る。


(相手が分からないから、余計に慎重にならないと)


サラをこの場に連れて来たというだけで、絶大な効果はある。

少なからず、この食堂に居る人間には、サラはルーカスと知り合いだと知らしめることが出来ただろう。もし”元凶”とやらが存在していなければ、このままサラへの嫌がらせは沈静化する筈だ。


(ルーカスを利用するようで申し訳ないけど…)


ちら、とルーカスを見ると、優しく微笑まれた。

思わずギクリとする。


(え、何か心読まれてるみたい…)


慌てて笑顔を浮かべたが、上手く笑えていただろうか。

これ以上彼の目を見ていると更に心を読まれそうなので、アリシアは大人しく食後のコーヒーを飲んだ。


「―…あぁ、いたいた!」


そう言って、一人の男子生徒が近づいて来る。

ずんずんと勢いよく向かってきた彼は、アリシアの前でピタリと止まった。


「ここに居たんだ、随分探したよ」


彼の顔を見た瞬間、アリシアは、固まった。稲妻が走るような衝撃を、生まれて初めて体験した。体が、小刻みに震えるのが分かる。

大きく見開かれた瞳は、食い入るように彼を見上げていた。


(う、嘘、そんな…そんなことって…)


すっかりパニックだ。言葉すら出ず、アリシアはぽかんと口を開けるしか出来ない。赤い髪の毛。鍛えられた体躯。燃える焔のような赤い瞳。

そして何より、人懐こい笑顔が、彼の魅力を最大限に引き出している。


(ユ、ユユユユユリウスくん…!)


ユリウス・フォン・ローエン。

彼女が昔、優に家賃3か月分は貢いだであろう意中の彼が、目の前に居た。

あまつさえ、彼の笑顔が今、アリシアにのみ注がれている。


「ユリウス、どうしたんだ急に」


「あぁ、ルーカス、君もここに居たのか」


ユリウスは竜騎士団団長の息子だ。

ルーカスとは幼い頃からの友人であり、ルーカスの身を護る騎士である。学年は一つ上だ。レオンとアリシアのような関係だが、レオンほどユリウスは過保護ではない。何しろ、彼とはほとんど接点が無く、こうやって面と向かって話すのは、アリシアにとって初めての事だった。


「いや、俺はこの子にちょっと用があって」


そう言って、ユリウスがこちらに視線を向けてくる。

彼と目が合っただけで、アリシアは思わず倒れそうになった。

何とか表情に出さないように努めながら、あくまで第一印象を悪くしないように、笑顔を浮かべた。


「私に用事ですか?」


「うん。さっき、たまたま移動教室中に裏庭が見えたんだけどさ、」


そこまで言われて、アリシアはハッとした。

慌てて立ち上がると、彼の手を取る。


「ちょ、ちょっとこっちに来てください!」


その手をぐいっと引っ張り、小走りでその場を後にする。



食堂を出て、人気のない通路まで小走りで歩く。

丁度行き止まりに行きつき、周りに誰も居ない事を確かめてから、アリシアは小さく息をついた。


「えーと…」


ユリウスが困ったような声を出している。

そうして初めてアリシアは気が付いた。あまりにも不躾な行動である。


「あっ、ご、ごめんなさい」


そう言って慌てて手を離し、彼を見上げる。


「いや、気にしていないよ。

それより、あの場所で口にするのは何かまずかったかな?」


ユリウスにそう言われ、アリシアは、小さく頷いた。

周りをもう一度伺い、こっそりと、彼に事情を全て話す。

アリシアがいじめられていること、その元凶を探していることなど、人が多くいる場で話せなかった理由についても、話した。それをユリウスは真剣な顔で頷いて聞いた後、考え込むように黙り込む。


「……うん、事情は分かった」


ユリウスが小さく頷く。


「でももし、その”元凶”がいれば君に矛先が向く可能性だってあるんじゃないか?」


イジメの標的が変わる事は、充分に有り得る。

だが、アリシアはまるで動じていなかった。

2度も死を経験したアリシアにとって、そんな嫌がらせなど何の障害にもならない。


「あはは、私は大丈夫ですよ」


これでも国最強を誇る魔力の持ち主だ。多少のハプニングは自分でどうにか出来る自信はある。だが、そう答えてもユリウスは心配そうに眉根を寄せた。


「うーん…でも、君は女の子だし、心配だよ」


「え、い、いえ、でも私、闇の力を持っていますし…」


「そんなの関係無いよ。

どんな力を持っていても、女の子なんだから」


真剣な顔でそう言われ、アリシアは、どう答えていいのか分からなかった。

初対面で、普通に接してもらう機会が少ないせいだろうか。

嬉しくて、言葉が出て来ない。


(…そういえば、ちゃんと私の目、見てくれる)


その眼に、恐怖心はまるで無い。

恐らく彼の心配する気持ちと言葉は、嘘偽りのない本心である。

思わず、アリシアの頬が、ほんのりと赤く染まった。


「…でも、君は偉いね。

人の為にそこまで行動出来るなんて、本当に凄いと思うよ」


その言葉にアリシアの表情が引きつる。ユリウスの顔が見れずに、小さく俯いた。


「……いえ、彼女の為だけじゃ、ないです」


「え?」


ユリウスに真っ直ぐに褒められると、どうしても罪悪感が心をチクチクと攻撃する。アリシアは俯いたまま、ぽつりと言葉を零した。


「これは、私の罪滅ぼしなんです」


「…罪滅ぼし?」


ユリウスが首を傾げた。アリシアは俯いたまま、小さく頷く。


「………昔、酷い事をして、傷つけてしまった人に、彼女がよく似ていて。

だから、彼女を放っておくことが出来なかったんです」


目を伏せると、昨日の事のように思い出せる。

今でこそ笑顔を向けてくれるサラだが、アリシアにとって、彼女が傷つき、涙を流している姿の方がより多く記憶に残っている。

あの笑顔を、この手で奪っていたのだと思うと、ゾッとした。

もしヒロインであれば、恐らくは親切心で人を当たり前のように助けるのだろう。

だが、そんな聖人にはなれない。そして、ユリウスの褒め言葉を素直に受け取れるほど、図太い神経は持ち合わせていなかった。


「…それでも」


ユリウスが少しの沈黙の後、口を開く。


「切っ掛けはそうだったとしてもさ、罪滅ぼしだけで、人助けは出来ないよ。

人を助けるって、凄く勇気がいることだから。

だからきっと君は、優しい人だと思うな」


「…っ」


ユリウスの優しい声と笑顔に、じん、と胸の奥が痺れる。

涙が、自然と溢れて、零れ落ちた。


「あ、あれ…、ご、ごめんなさい」


慌てて涙を拭う。

涙の理由は、自分にさえよく分からない。

だが、何故だか心が少しだけ、心が軽くなった気がした。


「よしよし」


ユリウスがそう言って、まるで兄のようにアリシアの頭を撫でる。

恥ずかしさで、しばらくの間アリシアは顔が上げられなかった。

だが、決して嫌な気持ちではない。

彼が触れる度に、胸の内に渦巻いていた罪悪感が、溶けていくような気がした。

…少しだけ。ほんの少しだけ、自分を許せそうな気がした。


「そうだ、良かったら俺も協力するよ」


アリシアの涙が止まった頃、ユリウスがそう言って笑った。


「協力、ですか?」


「うん、君一人じゃやっぱり限界があると思うんだ。

例えば、君達の学年じゃなくて、俺の学年に”元凶”が居る可能性もあるだろ?」


「あ…」


そう言われれば、確かにそうだ。

新入生の中に居るのではないか、という固定観念に囚われていたが、確かに学年が違う可能性もある。


「俺は君より1つ学年が上だから、そういった意味でも役に立てると思うよ」


「…確かに、そうですね…」


「後は、絶対に1人より2人がいい!」


ユリウスが、ニカッと満面の笑みを浮かべる。

その表情が、何だか子どもっぽくて、思わずアリシアは頬が緩んだ。


****


次の日からも、アリシアはサラにべったりだった。

寮では勿論、夕食を共にし、サラの部屋に遊びに行ったりもした。

戸惑っていたサラも、徐々にではあるが打ち解け、表情も柔らかくなっているような気がする。朝も当然、アリシアがサラの部屋まで迎えに行き、レオンがアリシアを迎えに来る、という、何ともよく分からないお迎え連鎖が起きていた。

だがそのお陰で、サラへの表立った嫌がらせは次の日からピタリと無くなった。


平穏でありながら、息を潜めて何者かがじっとこちらの様子を窺っているような日々が、数日続いた。


「…アリシアちゃん」


「ん?何、サラ」


今日も今日とて、サラの部屋に遊びに来たアリシアは、まるで自分の部屋の如く寛ぎながら首を傾げた。

サラの部屋はゲーム通り、女子力の高い部屋で、そこかしこに可愛らしい小物が置かれている。

アリシアの部屋は実にシンプルなので、かなり対照的な造りだ。


「嫌がらせされなくなってから何日か経つし、もう大丈夫なんじゃないかな?」


サラはソファに座ってそう言うと、ぎゅっとクッションを抱きしめた。

その手は、少し震えている。その暗い表情が本意ではないのだと物語っている。


「…」


アリシアは寝転がったままお菓子をパクリと食べ、小さく溜息を零した。


「やだ酷いわぁ、用済みになったら私の事ポイしちゃうの?」


「えっち、違っ」


「ウソ、冗談よ」


サラの口に、チョコレートをぐいっと押し込む。

反論の言葉を塞がれたサラは、大人しくチョコをモグモグと食べた。


「あのね、私は好きでやってるの」


人差し指で、サラの頬をツンッとつつく。


「サラと一緒にいるのが楽しいから、一緒にいるだけよ」


「アリシアちゃん…」


サラの目に、ウルウルと涙が溜まっていく。


(こんなに仲良くなるなんて、思ってもいなかったけどね)


心の中で、小さく苦笑を零す。

最初はユリウスに言った通り、罪滅ぼしのつもりだった。

だが、サラの傍は驚くほどに居心地が良い。彼女の持つ光の力のせいだろうか。

本来であれば悪役とヒロインの関係である事を忘れるほど、サラと一緒に居るのは心地良かった。まるで、最初からこのゲームでの親友同士のように。


(…過去のサラを、忘れた訳じゃないけど)


記憶の底にサラを徹底的にイジメ、悲しませた苦い記憶はこびりついている。だがだからこそ過去の彼女達に出来なかった分、今のサラを大切にしたいと思うのだ。


「という訳だから、貴女が気にする必要は無いわ。

まぁ、サラが迷惑だって言うなら私は、」


「迷惑なんかじゃないわ…!」


サラがハッキリと否定する。

その真剣な表情に、思わずアリシアは口元が緩んだ。


「じゃあ何の問題も無いわね」


「アリシアちゃん…、…ありがとう」


「…ありがとうは、こっちのセリフよ」


ポツリと呟いたアリシアの言葉に、サラが首を傾げる。

アリシアは『何でもないわ』と言って、小さく笑みを零した。


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