第3話 始まりのエンカウント

それから時は流れ、1週間に1度のペースで遊びに来ていたルーカスとレオンと共に成長したアリシアは無事に15歳を迎え、幼女だったは”女性”の片鱗を見せ、美しく成長した。そうして今日、シュテルン・ガーデンの扉を叩く。


(とうとう来たわ…3度目の入学式)


シュテルン・ガーデンは、王族貴族が通う学院ということもあって、実に広大で、美しい。2人の門番が恭しく出迎え、新入生を迎え入れるように開かれた大きな鉄製の門扉を抜けると、一面に広がる花畑が出迎えた。

花畑の間を石畳の道が通り、間近で花を愛でる事が出来る。

その道の先には校舎があるが、校舎というよりも、中世ヨーロッパの城のような造りである。アリシアは門をくぐる手前で、小さく息をついて、気持ちを整えた。

学校指定の制服を着るのは三度目だが、何だがグッと気合が入る。


「アリシア様、どうかしましたか?」


隣で、レオンが首を傾げる。体格は随分と成長したが、彼の表情筋だけは相変わらずである。だがそのいつもと変わらない鉄仮面ぶりに、今日は何だかホッとした。


「ううん、行こっか」


そう言って、アリシアが足を一歩踏み入れた途端、


「入学おめでとう!」


鈴の音のような可愛らしい声が辺りに響いた。

花畑から一気に飛び出した妖精達に、アリシアはぽかんと口を開ける。

妖精達はあちこちを飛び回りながら、新入生一人一人の胸辺りに 銀の校章バッジをつけていた。

もちろんアリシアの元にも、妖精が集まっている。そう、大量にだ。ごちゃっと集まった妖精でアリシアの顔が覆われた。


「…凄いですねアリシア様…」


「引いてんじゃないわよ!」


と言うが、レオンの顔も見えない。

代わりに、親指程の小さな可愛らしい妖精の顔が目に入る。

キラキラとした妖精の粉を纏った彼女達の羽は、よく見るとそれぞれ模様や形が違った。


「あなたが闇の子?」


「大きな力を持っているね」


「でも綺麗な力の流れだよ」


矢継ぎ早に言われ、アリシアも思わず戸惑った。

だが妖精たちは話しかけているというよりは、妖精同士で話し合っているようだ。


(…こんな事、初めてだわ)


今まで妖精が出て来た事はあった。

だが、このように詰め寄られた事は無い。周りの彼女らと同じく、銀の校章バッジをつけてもらうだけだった。


「どうしよう、この子にする?」


「さんせーい」


(私が知ら無い間に何かが決まっている…)


妖精たち全員が手を挙げ、どうやら何か分からないが満場一致のようである。

アリシアが首を傾げていると、妖精が一斉にこちらを向いた。ちょっと怖い。


「入学おめでと~」


妖精たちが一斉に拍手を送る。


「あ、ありがとう…」


戸惑いつつもアリシアは素直に祝福を受け取った。

瞬間、妖精が胸元に校章バッジをつけてくる。


「…え…?」


アリシアが首を傾げる。

そのバッジは、銀ではなく、金色に輝いていた。

この学院において、金の校章バッジというのは、驚くほど価値のあるものである。

学院内で金色の校章をつける事を許されるのは、各学年に1人だけ。

すなわち、実質上、アリシアが新入生代表の首席だ。


「ちょっと、何かの間違いじゃないのこれ…!」


周りもざわざわとしているが、一番驚いているのはアリシアだ。

この学院において、首席は座学で決まるものではない。

魔力によって決まるのだ。


(過去2回とも、ルーカスだったわ。何で私が…!)


アリシアもよく知ら無いが、魔力の量だけではなく、質であったり、魔力の種類であったり、入学前に行われた魔力検査を踏まえ、最終的には校門で出迎える妖精が決定を下すのだ。

故に、由緒正しい”雷”を持ち、尚且つコントロールしているルーカスが毎年首席であった。


「間違いじゃないよ~」


「ないよー」


だが、妖精が揃って首を振る。


「だってこれ…!」


アリシアがそう言った時、大きな鐘の音が鳴り響く。


「アリシア様、式が始まります」


「えっ、待ってレオン、ちょっと、これ…!」


妖精たちを見ると、『ばいば~い』と言って花畑に消えて行った。


(む、無責任な…!)


元来、妖精は気まぐれなモノである。だが、説明ぐらいするべきだと、声を大にして言いたい。


「行きましょう」


「…レオンは驚かないの?」


「アリシア様が、首席に選ばれるのは当然の事ですから」


「…どれだけ私の事買い被ってるのよ…」


「本当の事ですよ」


レオンはそう言って、表情一つ変えない。

その落ち着きと鉄仮面ぶりを、少しは見習いたいものだと思った。


(…どうしよう、確か、首席って答辞を読むんじゃ…)


2回経験している上に、ゲームではスチル付きのルーカスの登場シーンだった。

それすらも、記憶はふわふわとしている。


(まぁ、何とかなるわよね!)


バッドエンドより怖いモノは無い、そう思いこむ事にしたアリシアだった。


****


ホール内は、ざわざわと人の声が反響していた。

王族貴族専用の学院故か、普通の学校よりは生徒数は少ない。

革張りの、しっかりとした椅子に全員が腰かけている。保護者席も、どちらかというとオペラでも見ているかのような、豪華な席だ。よく見れば3階席まである。アリシアは指定された端の席に座ると、レオンも隣に座った。

ぱっと壇上を見れば、これまた豪華な椅子に、ルドルフ国王が座っている。

アリシアと目が合うと、ひらひらと手を振って来る。


(…国王が笑顔で手を振っていいものなのかしら…)


アリシアはそう思いつつも、へらっと笑顔を浮かべ、手を振り返した。



式は滞りなく進み、様々な祝福の言葉が新入生に贈られた。

過去2回とも、その厳粛な雰囲気に、思わず眠気を誘われていたが、今回はそんな暇など無い。

アリシアは心臓が高鳴るのを感じながら、その時を待った。

―…そうして、早いと感じる程あっという間に、運命の時は来たのだった。


『それでは、新入生首席による、答辞を…、えっ!?』


司会進行をしていた教師が、何やら紙を見てギョッと目を丸める。


(驚くわよね…分かるわかる)


ざわざわとした会場内で、アリシアだけがうんうんと頷いていた。

通常であれば、ルーカスの名前がそこに書かれてある筈なのだ。

教師は紙とルドルフを交互に見た後、舞台袖に居るだろうスタッフとコソコソと話していた。やがて、彼はハンカチで汗を拭きながら、再びマイクを握る。


『それでは、答辞を、…首席の、アリシア・フォン・ウォールデン嬢、お願い致します』


ざわめきが津波のように一気にアリシアに襲い掛かる。

アリシアは―…覚悟を、決めた。


「はい」


凛とした表情で、すっと立ち上がる。

その姿は、公爵家の気品とプライドを背負った、立派な令嬢の姿だった。


(どうせ入学して、コソコソ生きようとしても無駄なんだから、ここで全員に挨拶をしておいた方が気が楽だわ)


何だかプラス思考が身について来たようである。

アリシアはしずしずと進み、壇上に上がった。

真ん中に置かれた台の上に立ち、全体を見渡す。

ざわざわとしたホール、注がれる様々な視線。その視線のほとんどは、恐怖や嫌悪感を纏っていた。その視線が容赦なく、アリシアの全身を貫く。


(…針みたいだわ…)


体が小刻みに震えるのを、アリシアは凛と背筋を伸ばし、小さく笑みを浮かべながら耐えた。これが、アリシア・フォン・ウォールデンの世界だ。

世界は、彼女に恐ろしく冷たい。

だが、ふと気が付く。そんな中でも、真っ直ぐに、視線を向けてくれる人が二人いる。レオンと、ルーカスだ。これだけの人がいるのに、不思議と、彼らを群衆から見つける事が出来た。…冷たかった手に、温かさが灯る。

たった2人、理解者が居るというだけで、こんなにも力が湧いてくるから不思議だ。


「…改めまして、アリシア・フォン・ウォールデンと申します。

先生方、先輩方におかれましては、このような素晴らしい式典を設けて下さり、ありがとうございます」


穏やかな声で、答辞は始まった。

ざわめいていたホールが、少しずつ静かになっていく。

刺すような視線も、すこし刺々しさが和らいだ。だが、まるでこちらの様子を窺っているような視線である。

アリシアは、意を決するように一度、短く目を伏せた。その黒曜の瞳に、しっかりとした意志が灯る。


「…私は、皆様がご存知の通り、闇の力を持って生まれました。

物心着いた時から、この力のせいで、辛い事も、嫌な事も、沢山ありました」


アリシアになる前の記憶も引き継いではいるが、どれも悲惨なものだ。

小さいアリシアの事を思うと、胸がシクリと痛む。


「でも私は、この力のお陰で、大切な友人に出会えました。

…出会いは、宝だと思います。

きっとこれからこの学院で、そんな素敵な宝が沢山見つけられると思っています」


アリシアは、自然に笑顔を浮かべた。


「…最後になりましたが、ご参列頂きました保護者の皆様並びに来賓者の方々に深くお礼を申し上げます。

新入生代表、アリシア・フォン・ウォールデン」


アリシアは最後に締めの言葉を言うと、深く、お辞儀をした。

ホールは、拍手も起こらずシン、と静まり返っている。

まるで、戸惑っているような、周りの出方を窺っているような、そんな雰囲気だ。


だが。


「素晴らしい答辞だった」


ルドルフがそう言って、大きく拍手をする。

アリシアが驚いて見ると、ルドルフは真剣な表情で頷いていた。

すると、彼らは戸惑いつつも、少しずつ、少しずつ、拍手が輪を広げるように大きくなる。アリシアが席に着く頃には、拍手がホールを包み込んでいた。


****


学院のクラスは、魔力によって均等に三分割する。

魔力が強いモノ、弱いモノ、固まらないように、事前に教師が決めるのだ。

アリシアとレオンはAクラス。これは過去2回一度も変わった事は無い。

クラス発表は、式終了後、胸元に付けられた校章に浮かび上がる。最初からデザインされていたように、筆記体でA,B,C、どのクラスか表記されるのだ。


「Aだわ、レオンは?」


「俺もAです」


「やった、一緒ね」


分かってはいたことだが、実際そう聞くと嬉しいモノだ。

アリシアが嬉しそうに笑うと、レオンは少し照れたように目を逸らした。


「Aクラスはこれね」


式があったホールを出て、しばらく通路を行くと、大きなタイルが6つ並べられているフロアに辿り着く。

その大きなタイルには魔方陣が書かれていて、同じ魔方陣のかかれたタイルまで転送してくれるのだ。早い話が、ワープ装置である。

この世界の人間は、まるでエレベーターのようにワープを使っている。

ちなみにこの学院は、クラスごとに棟が分かれているので、魔方陣を間違えると、別クラスに移動してしまうので注意が必要だ。


「行くわよ、レオン」


「はい」


何人かが乗り込むと、魔方陣が作動する。

少しの浮遊感を感じる間もなく、ぱっと景色が変わった。

筆記体で『ClassA』と書かれた看板が見える。

アリシアにとって、見慣れた景色だ。銀細工のドアノブを握り、ゆっくりと開く。


(…相変わらず凄い教室よね)


ホテルに置いてあるような座り心地の良い椅子は、どう見ても2人用だと思える程大きい。それに準じて、机も一人では広い作りである。だが彼女、彼らは貴族と王族。その事に疑問を持つはずもなく、執事に茶を入れて貰い、ティータイムをしている人間さえ居た。


(これが日本なら学級崩壊よね…)


アリシアはそう思いながら、近くの席に腰かける。とても、柔らかい椅子だ。充分ここで寝られる。レオンも隣の席に腰かけたが、少し落ち着かない様子である。


「…それにしても、何か騒がしいわね」


「えぇ」


見れば、教室の中央の席に人だかりができている。

道理で、アリシアが室内に入ってきても気が付かない訳だ。


(過去二回とも、シーンって感じだったもんね…)


クラスAは今日葬式か何かか?と他クラスの教師に言われたほどである。


「人だかりで全然見えないけど、誰か有名人でも入学したのかしら?」


「さぁ」


「…レオン、一応クラスメイトになるんだから興味持ちなさいよ少しは」


アリシアが苦笑して、そう言った瞬間。


「…アリシア?」


人だかりが、蠢いた。アリシアがびくっと肩を震わせる。

すると、人だかりの中から、一人の男が脱出してきた。

アリシアが、大きく目を見開く。


「アリシア、やっぱり君か、同じクラスなんだね」


「え、な、なんで…何で貴方がここに!」


アリシアがぽかんとした表情で彼を見る。

ルーカス・ヴィ・フィルマメントは、壇上で見た時と同じく、優雅な笑顔を浮かべて居た。彼が居るのであれば、人だかりも納得である。だが納得出来ない事が1つ。彼は、違うクラスの筈なのだ。


「何でって、僕も同じクラスだからだよ」


「え、えぇっ!?」


アリシアが素っ頓狂な声をあげると、ルーカスは不思議そうに首を傾げた。


(な、なんで…ッ、ルーカスは、ヒロインちゃんと一緒のクラスの筈なのに…)


ルーカスは、このゲーム”エル”に置いて、王道ルートと言われている。

つまり、公式が認めたヒロインの彼氏だ。故に、彼と接する機会は、攻略対象の中で一番多い。ヒロインと同じクラスで無い訳が、無いのだ。


「ほ、ホントに?見間違いとかじゃなくて…?」


「うん、見る?」


ルーカスが校章バッジを外す。アリシアは思わず立ち上がってそれを受け取った。


「…ホントだ…」


そこには確かに、『ClassA』と書かれている。


「ね?」


アリシアが呆然とした様子でバッジを返すと、ルーカスはご機嫌な様子で笑顔を浮かべた。


「あ、ヴェンクハイムも居る」


ようやくレオンの存在に気づいたようで、レオンは立ち上がって、深くお辞儀をした。


「嬉しいな、友人が二人もいるなんて」


「…あ、友人と言えば、モブリット卿は?」


ルーカスと仲直りしたモブリットは、今ではルーカスの良い友人である。彼が確かクラスAだったはずだ。だが、どこにもその姿は無い。


「ん?確かクラスBだったはずだよ」


(い、入れ替わってる…!!)


愕然とした。ということは、ヒロインの隣の席は、モブリットなのだろう。


(か、可哀想…!顔面格差…乙女ゲームじゃなくなっちゃう…!)


モブリットは、決して不細工という訳では無い。だがどうしても攻略対象と見比べると、見劣りしてしまうのだ。ゲームを始めて、いざ隣を見ればモブリット。それを想像してアリシアはゾッとした。


「エリックとは離れて残念だけど、君達がいて良かったな。

そうと決まればアリシアの前の席にでも移ろうかな」


「え、でも…」


アリシアがチラリと見れば、眼鏡の男性が座っている。

目が合った彼は、ヒッと声をあげた。


「申し訳ないけど、その席譲ってくれないかな?」


ルーカスがニコリと微笑んだ。綺麗な笑顔だが、その実そのオーラは『いいからどけよ』と示している。


(は、腹黒王子…)


その姿を見て、アリシアはファンが付けた彼のあだ名を思い起こしていた。


****


今日は入学式なので、ホームルームのみで解散だ。

クラスメイト達は、こちらをジロジロと見てはいるが、まだ一度も話せていない。

だが彼らの視線からは不思議と、嫌悪感は感じられなかった。

どちらかというと、どう扱っていいか、戸惑っているような様子である。

ルーカスと話す事によって、一部の女子からは冷たい視線を浴びてはいるが。

だが、実感する。運命が、着実に変わっているのだ。


「アリシア様、そろそろ帰りましょう」


レオンにそう声を掛けられて、ホームルームが終了している事に気が付いた。


「あれ?ルーカスは…」


見れば、レオンとアリシア以外誰も居ない。


「帰られました…あ、いえ、数人の女性に連れて行かれていました」


「あぁ~…」


キャァキャァと黄色い悲鳴をあげながら、強引に連行する彼女達が想像ついて、アリシアは苦笑した。


「じゃあ、帰ろうか」


アリシアは立ち上がって、鞄を持つ。


「……何か、悩み事ですか」


すると、レオンがポツリと言った。

あまりにも小さな声だったので、アリシアは聞き間違いかと思ったほどだ。

レオンを見ると、分かり辛いが、心配そうな表情が返って来る。


「…今日はずっと、何か考え込んでいらっしゃるようなので…」


(…気づいてたんだ…)


驚いた。きっと普通の人間は気が付かないだろう。レオンはよく見てくれているのだと思った。


(相変わらず分かり辛いけど、心配してくれるようになったし)


思わず、くす、と頬が緩む。レオンは小さく首を傾げた。

…運命が変わって行くことに不安が無い訳では無い。

だが、こういったレオンの変化を見ていると、不思議と大丈夫なんじゃないかと思えてくるのだ。


「アリシア様?」


「…ううん、今日は初日でちょっと緊張してただけ。心配かけてごめんね」


「…それなら、いいですが…」


レオンは首を傾げながらも、渋々と納得してくれた。


「それよりレオンの方こそ、寮生活に不安とか無いの?」


「騎士団の団員達と同じ棟で寝泊まりしていたので、あまり変わりません」


「あ~なるほど」


アリシアは納得して、教室のドアを開ける。

この時、視線はレオンに注がれていて、前を見ていなかった。

レオンが注意しようと口を開く前に、


「わっ…!」


軽く、人とぶつかった。

本当に軽く衝撃があった程度ではあったが、レオンが駆け寄って来る。


「大丈夫ですか、アリシア様」


「いや、私は大丈夫。ごめんね、私が前見てなかったか、ら…」


ぶつかった相手を見て、アリシアはぽかんと口を開けた。

その相手も同じくポカンと口を開けている。


(な、何でこの子がここに…)


白い肌に、綺麗なブロンド色の髪。琥珀色の瞳は今は驚きに丸められている。

まるで天使のようなその美貌は、誰もが振り返る事だろう。


彼女の名前はサラ・ブラウン。


このゲームのヒロインとの突然のエンカウントに、言葉を無くした。

数秒とも言える短い時間、悪役とヒロインは、お互いの顔をじっと見つめ、妙な間が二人を包んだ。


「…っわっ…」


(…わ…?)


小刻みに震えたサラから飛び出した言葉に、アリシアが首を傾げる。


「わっ、私の方こそ申し訳ありませんでした!」


サラはそう言うと、深く、深く、頭を下げた。

こちらが引くほどの低姿勢に、アリシアの顔が引きつる。


「えっ、なっ、そっそんなに頭を下げなくても、明らかに私が悪かったから…!」


「いえっそんなっ私が悪いんです!本当に申し訳ありません」


「いや、本当に大丈夫だから!」


そんな会話の繰り返しを5,6回ほど繰り返し、2人がゼェゼェと息をつく。


「…ほ、ホントに、前を見ていなかった私が全面的に悪いから…ねぇ、レオン」


「はい」


「……真顔で肯定されるのも、それはそれでムカつくわね」


レオンは本当に、年々遠慮が無くなっている気がする。


「…お怒りに、なられないんですか…?」


恐る恐ると、サラが声を絞り出した。


「怒る?勝手にぶつかった私が?」


サラの言う事が分からず、アリシアは不思議そうに首を傾げた。

そうすると、ようやくサラはホッとしたように胸をなでおろした。


「良かった…」


「何でそんなに、」


怯えてるの?と聞こうとして、やめた。


(あ、あ~、そっか、私『アリシア』だもんね)


黒姫と呼ばれ、恐れられている闇の力を持った悪役。

このワードだけで、平謝りする理由は明白だ。少しだけ、サラに同情した。

過去二回の入学式ではアリシアは早々に帰っていたが、今回は時間がずれてしまったが為に、文字通りぶつかってしまったのだ。

エンカウントされたのは、どちらかというとサラの方だ。


「ほ、本当にごめんなさいね。それじゃあ」


アリシアは小さくお辞儀をして、そそくさとその場から離れる。

サラが「あ…」と何か言いたげに言っていたが、気づかないふりをしていた。


(ごめんね…私達の運命の為に、私達は関わらない方がいいのよ…)


アリシアは早歩きで、寮へと続く魔方陣へと急ぐ。


「…あ、」


「どうしました?」


少し歩き、魔方陣前まで来ると、アリシアはふっと思い出した。


「ハンカチ忘れて来ちゃったわ…」


「取ってきます」


「えっいいわよ、自分で行く」


アリシアのお気に入りのハンカチは、先ほど荷物整理の時に机に置きっぱなしにしてしまっていた。ここで待ってて、と言ったが、レオンは当然の如く付いて来た。

彼女が何故あのクラスにいたのかは分からないがあれから少し時間も経っている。あの場に立ち尽くす事は考えにくいだろう。そもそも彼女のクラスは別の棟だ。


(これで気を付けていれば会う事も無い、はず、)


だがアリシアは、目の前の光景にただただ絶望した。


「…………何で貴女がまだここにいるの」


絞り出すように、アリシアが言った。何だか眩暈がする。

サラ・ブラウンはオロオロとした様子で、その場に立ち尽くしていた。


「あっ、ウォールデン様…ッ」


そして何故か半泣きだ。


(わ、私の方が、泣きたい…)


アリシアの期待は、粉々に砕け散った。

思わず踵を返して走り出したくなる衝動を抑え、ゆっくりと口を開いた。


「…貴女のクラスは別の棟でしょう?何故まだここに居るの?」


「あ、わ、私…ッ」


「え?」


「私も帰ろうとしたんです寮にっ!

魔方陣に乗っても乗っても寮に辿り着かなくて、何故かここに…!

これも誰かの魔法の力なんでしょうか!?」


サラが、半泣きでプルプルと震えている。

思わず、アリシアの顔がスンッと真顔になった。


「…ただの迷子ね」


「迷子ですね」


レオンと2人で、うん、と小さく頷く。


「えっ、これ、もしかして、私がただ迷っているだけなんでしょうか…」


「もしかしても何も、それしか考えられないわね」


そう言うと、サラはぐったりとした様子で項垂れた。


「………あの、私、方向音痴なんです」


「えぇ、そうでしょうね」


これで方向音痴ではないと言われれば、それはそれで驚きだ。

サラの顔が恥ずかしさからか、徐々に赤く染まっていく。


「あ、あの…こんなことを頼むのは、不敬だと重々承知しているのですが…」


「え、えぇ」


その緊迫した面持ちに、思わずアリシアも緊張してしまった。

サラはその表情のまま、真っ直ぐにアリシアを見る。


「あのっ…私と一緒に、寮に帰って頂けないでしょうか…!」


(…ヒロインから一緒に帰ろうって誘われるキャラって、こんな気持ちなのかしら…)


緊張しながら真っ赤な顔で誘って来るサラを見て、アリシアはそう思った。

女性のアリシアですらときめくほど、可愛い。

この可愛い申し出を、好感度の低いキャラは断って来るのだ。


(よく断れたな、あの人達…)


よほどの鋼のメンタルが無ければ、この誘いを断るのは難しい。


(…本当はあまり関わらない方がいいんだろうけど…)


だが、今は下校の時刻もとっくに過ぎ、恐らくこのままだと助けは来ないだろう。

もしかすれば、ルーカスなどの攻略対象キャラが助けに来る可能性も否めないが。


「…いいわよ。ただし、入り口までね」


「い、いいんですか…?」


「えぇ、入り口まで案内するだけだからね」


アリシアからの提案に、パァッとサラの表情が明るくなる。


「ありがとうございます…!」


「あ、ちょっと忘れ物取って来るから」


サラはそう言って、教室の中に入って行った。


「お待たせ、行きましょうか」


ハンカチを回収し、すぐに教室から出て来たアリシアが、先導して歩く。

その後ろをレオンが付いて行き、少し離れてサラが歩いた。


「…っあ、あのっ、ウォールデン様、申し遅れてすみません。

私、サラ・ブラウンと言います」


歩きながら、サラが言うと、アリシアは振り向いて首を傾げた。


「知ってるわよ、貴女、有名人じゃない」


「えっ、あ、そ、そうです、よね…」


サラはそう言って、複雑そうな笑顔を浮かべた。

少し寂しそうにも見える表情を打ち消し、恐る恐ると再度口を開く。


「…あ、あの、ウォールデン様は、噂とは、全然違うんですね…」


言葉を選びながら話している言葉は、慎重に紡がれた。


「噂?」


「は、はい、だから、怖かったんですけど…でも、優しい方で、安心しました」


ほっとしたような笑顔は、緊張が少しずつ解れてきているようだった。

その”噂”がどういった内容なのか、想像するのは容易である。

アリシアは苦笑じみた笑顔を浮かべた。


「そう言ってくれて嬉しいけど、あまり私と一緒に居ない方がいいわ」


優しい方、と言われて嬉しくない訳では無いが、これを機会に彼女と距離が縮まっても困る。アリシアは、少し困ったような声で、やんわりと突き放した。

サラが驚いたように目を丸める。


「え、それは…」


「ついたわ、ここよ」


アリシアはそう言って、目の前の魔方陣を指差す。

数個の魔方陣が設置されているが、寮に繋がるのは一つだ。


「この青色の魔方陣は女子寮にしか行かないから。

迷ったら、この色を目指せばいいわ」


「あ、ありがとうございます…、あ、あの、」


「それじゃ、私はこれで」


何度目か分から無い程、心を鬼にして、アリシアは歩き出す。

サラが何か言いたげな視線をこちらに向けているのは痛い程分かってはいたが、アリシアはそれに気が付かないフリをした。


「…どちらに行かれるんですか?」


レオンが不思議そうにそう聞いてくる。


「別の場所から寮に帰るのよ」


「彼女と一緒に帰るのは何か不都合があるんですか?」


最もな質問に、アリシアは思わず言葉に詰まった。

少しの沈黙の後、アリシアは自嘲に似た笑みを浮かべる。


「…どっちかと言うと、私と一緒に居ると、彼女に不都合があると思うわ」


レオンが、思わず言葉を失う。

それほどまでに、アリシアの表情は悲痛さを帯びていた。


「あっ、そうだ、食堂は男女一緒だったわよね、一緒に食べましょ」


だが次の瞬間、アリシアがパッと嬉しそうな笑顔を浮かべた。

その表情には、先ほどの悲しげな姿はどこにもない。


「…えぇ」


「やった!」


子どものように喜ぶアリシアを見て、レオンは思わず自然と頬が緩んだ。

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