第2話 悪役令嬢、街へ行く

アリシアの誕生パーティーから1週間。

アリシアと王子の婚約が”保留”となったことは、アリシアが思っていたよりは、大した噂にはならず、驚くほど平穏に暮らしていた。とは言え未来の皇后候補として、

1時間ごとに家庭教師が入れ替わり、様々な教養を学んだ。

だがそれら全ては1度目の人生で全て学習済みだ。1週間もすれば両親も諦め、家庭教師が門を叩く事は無くなったのである。だがそれは、暇になる事と同意儀だ。

アリシアは勉強部屋の椅子に腰かけ、ぼーっと空を見る。この部屋に置いてある本は、ほとんど読み尽くした。


(街に買いに行けたらいいんだけど…)


ウォールデン家が所有する領地は広大ではあるが、屋敷のすぐ麓に大きな街がある。王族の城がある都市部ほどの華やかさはないが、必要なモノは何でも買い揃えられるので、アリシアは気に入っていた。だが、街に出かけるのは家族総出か、騎士団を引き連れなければ、父からの許可は降りない。


(そもそも、この髪と目じゃ、街の人に怯えられるのよね…)


闇の力は、人々に恐怖を与える。アリシアが通っただけで怯えられるのは日常茶飯事だった。アリシアは、小さく溜息を零した。その時、ノックの音が響く。


「はーい」


「失礼致します」


その真面目な声に、思わずアリシアは苦笑した。


「今日は早かったのね、レオン」


「…そうですね、今日は父が忙しいようなので」


鉄仮面は今日も相変わらず微動だにしない表情で、そう言った。

彼は早朝から昼頃まで、騎士団団長である父親から直々に剣の指導を受けている。

そしてそれが終わると、騎士の卵として、アリシアの元にやって来るのだ。

アリシアにとって、貴重な話し相手である。


「いいなぁ、剣技。私も習いたいわ」


「何故ですか?」


「だって、いざという時に自分の身を守れるじゃない」


バッドエンドになってしまった場合、ルーカスや他の人間と戦うかもしれない。

以前、剣技を習っておけばよかったと後悔したことがあるのだ。

父に剣技を習いたいと頼んだ事もあったが、秒速で断られてしまった。

まぁ確かに、公爵家の令嬢が剣技を習うなど、前代未聞である。


「…必要ありません」


「レオンまで、お父様みたいなこと言うんだから」


アリシアが少し拗ねたようにそう言うと、レオンは表情は動かさず、ただ真っ直ぐにアリシアを見た。


「俺が、貴女を守りますから」


視線と同じく真っ直ぐな言葉に、思わずアリシアは言葉に詰まる。

飾らない言葉は、僅かながらにも心を刺激した。


「あ、ありがとう…」


「いえ」


少し頬を染めるアリシアとは違い、レオンの表情はピクリとも動かない。


(鉄仮面…、でも、二人きりの時は「俺」って言ってくれるようになったのよね)


ここ数日の変化ではあるが、根気強く話し掛けて良かったと思えた瞬間だ。

彼自身意識はしていないのだろうが、懐かなかった野良猫が、近づいて来てくれたような感覚である。

その事に触れてしまえば、きっと彼は意識して、また一人称を元に戻してしまうだろうから、あえて口にしなかった。


「アリシア様、本日のご予定はいかがされますか?」


「うーん、そうね…」


年相応に、鬼ごっこやかくれんぼなどやってみたが、何せレオンが相手だ。

わざと負ける、など彼はしない。いや、出来ない。

どのゲームも秒で見つかったし、追いつかれた。正直言って、あんなに楽しくないゲームは初めてである。


「レオンは何かしたい事ある?」


「俺は、アリシア様の御心に従います」


「もー、またそういう事言うんだから」


レオンに聞いた所で、その返答が来ることは分かってはいたが。


(とは言っても、別にしたい事なんてないのよね。

行きたい所と言えば、本屋ぐらいだけど…)


「あ」


そこで、ピンと来た。

レオンが小さく首を傾げる。


「ちょっと待ってて!」


アリシアはそう言うと、部屋を出て行った。

向かった先は、ドレスなどが置かれている、衣裳部屋である。

毎度部屋を開ける度に、ドレスや貴金属の山を見て立ち眩みがしそうになるが、最近慣れて来た。


「えーと、確かこのへんに…」


部屋の奥に辿り着くと、小さな箱が置かれてあった。


「あ、あった」


その箱を手に取り、中身を取り出す。

その中身は人の生首…ではなく、ウィッグが一つ入っていた。

ボブヘアーほどのサラリとした髪は、母と同じくブロンド色のウィッグである。

黒髪を気にしていたアリシアに、母から贈られたものだ。


「よし」


試行錯誤を何度か繰り返し、黒髪をウィッグの中に押し込める。

その時


「アリシア様」


こんこん、とノックの音が響く。時間が経った事でレオンが迎えに来たのだろう。


「入っていいわよ」


「…失礼致します」


扉の開く音が響く。アリシアは悪戯っ子のようにニッと笑って自分の姿を見せた。


「…アリシア様、そのお姿は一体どうされたんですか?」


「何よ、もっと驚いてくれるかと思ったのに」


「いえ、充分驚いています」


そうは言うが、表情はピクリとも動いていない。

アリシアは小さくためいきを吐き、種明かしをすることにした。


「凄いでしょ、昔、お母さまが下さったの。

あとは、そうね…眼鏡と、」


黒の瞳を隠す為の伊達眼鏡は、確かこの衣裳部屋の中にある。

後は衣装だ。この明らかに”貴族の娘”の格好ではマズイ。


「レオン、服を貸してくれない?」


「…は?」


久々に、ぽかんとした表情のレオンを見た。


***


ウォールデン家の中庭を、2人の容姿端麗な少年が歩く。

だがそのうちの一人の少年は明らかに足取りが重たかった。


「…アリシア様、やはり戻りましょう」


「ここまで来て文句言わない」


もう一人の美少年、いや、アリシアは、何度目か分からないその言葉を紡ぎ、ただ前を見て歩いた。小さく溜息を吐くレオンとは違い、その足取りは軽い。

アリシアはウィッグを一つに縛り、伊達眼鏡を掛けていた。

直接目を合わせない限り、黒の瞳が分かる事はないだろう。

そしてレオンから借りたこの服。騎士団の服で構わなかったのだが、「さすがにそれは出来ません」と言われ、

レオンの正装用の服を借りたのだ。ひさびさのズボンの感触である。

何はともあれ三種の神器で公爵令嬢は立派な貴族のお坊ちゃまに大変身だ。


「そもそも、どこまで行かれるおつもりですか?」


中庭を抜け、木々に囲まれた小さな森に入る。


「街よ」


「…戻りましょう」


「戻りません」


アリシアは笑顔で即答すると、更に足を速めた。

その姿を見て、レオンは呆れたように小さく溜息を吐いた。


「街に行きたいのであれば旦那様に、」


「そうしたら、また私は馬車の中で大人しくお留守番だわ」


レオンが言葉を失う。

確かにアリシアが父に一言言えば家族総出でお出かけタイムになるだろう。

だがそれは手厚く護衛され、馬車に乗って、という条件がつく。

何度かそうやって街に出かけた事はあるが、アリシアは馬車から降りる事は無かった。”アリシア”のままでは街の人々に恐怖を与えてしまう。気遣った上での行動だ。

父や母は勿論気にしないので、馬車から降りるように何度も勧めてくれたが。

だがそれでも街の人達を思えば、降りられる筈もなかった。


「私、一度街を自分の足で歩いてみたかったの」


アリシアが、ワクワクしたような表情で笑った。

その笑顔が差し込んだ太陽に照らされ、キラキラと輝いたように見える。

レオンは、少しだけ驚いたように目を見開いたが、その表情の変化は一瞬だった。


「あと、新しい本も欲しかったしね」


「…どちらかと言うと、そちらが目的じゃないですか?」


「それもある」


正直に頷く。目的の一つは確かに本である。


「…仕方のない人ですね」


小さな沈黙の後、レオンが言った。

その声は言葉に反して優し気で、よく見れば彼の口の端が少し笑っている。


(あら、珍しい)


アリシアはその表情を思わず見入ってしまった。そうやって少しでも愛想よくしていれば、本当に美少年だと心から思う。その観察は長くは続かず、鉄仮面はそっと空を見上げた。


「…それで、どうやって脱出する気ですか?」


いつの間にか小さな森を抜け、ウォールデン家を囲む壁に到達していた。

その壁は遙か高く、子ども2人では肩車しても届かないほどである。


「私に任せて」


ニッと笑ったアリシアが、両手を見せた。

幸いここには、”影”が沢山ある。

アリシアは体の内にある力を、その影にギュっと凝縮させた。


「レオン、行くわよ」


大きな黒い手、再びである。

今回は右手だけだ。その手の平が真っ直ぐに伸ばされ、アリシアはさっさと手の平に乗り込んだ。

レオンは一瞬何か言いたげにアリシアを見たが、小さく溜息を吐いて後に従う。


「よし、街に行くわよ」


広げられていた手が、まるで安全バーのようにがっしりと2人の体を掴む。

ぐんっ、浮遊感を感じたと思った瞬間、2人は壁の上に居た。

そのままゆっくりと、壁の下に着陸する。


「証拠隠滅しとかないとね」


アリシアがパチンッと指を鳴らすと、その大きな手の平は霧散した。


「………お見事です」


「あら、ありがと」


最早誉める他無かったのだろう。

レオンは珍しく、複雑そうな表情を浮かべていた。


****


煉瓦造りの街は、中世のヨーロッパを彷彿とさせる。

街の中心には大きな噴水があり、ウォールデン家の家紋が彫刻されていた。

噴水を中心に道が何本かに別れ、馬車が闊歩したり、日本で言うところの商店街があったりなど、街は活気に溢れていた。


「いや~、楽しい」


その噴水広場のベンチに腰掛け、アリシアは満足げに微笑んだ。

その手には、アイスクリームが握られている。完全に満喫している。


「楽しいようで何よりです」


隣に立っているレオンは相変わらず鉄仮面だ。


「レオンも隣に座ったら?」


「いいえ、俺はここでいいです」


咄嗟の時に動けるように構えてくれているのだろうが、このお昼時の穏やかな街中で、明らかに悪目立ちをしている。


「たまにはいいじゃない、ね、レオン、お願い」


隣をトントン、と叩いて、笑顔で座るように促す。

レオンと言葉を交わすようになってまだ少ししか経っていないが、彼の弱点は分かっている。騎士という役目だからか、彼の元来の性格からかは分からないが、彼は『お願い』という言葉に弱い。


「………分かりました」


「やった!」


勝った、と言わんばかりにアリシアがガッツポーズをする。

レオンは渋々、アリシアの隣に腰かけた。とは言え、背もたれには背を預けず、背筋はピンと伸びている。

アイスクリームを食べ終えたアリシアは、大きく背伸びをした。

雲一つない綺麗な青い空が、眼鏡のレンズ越しに視界いっぱいに広がる。

アリシアは小さく頬を緩ませた後、改めて、街をゆっくりと見る。

焼きたてのパンの良い香り、客を呼び込む女性の声、人々の話し声と笑い声。それらがアリシアの鼻と耳を刺激する。だが何よりも、この街の人達は、笑顔が多い。


「…私、やっぱり今日、街に来て良かったわ」


心から、そう思う。これら全て、実際街を歩かないと分からなかった事だ。


「この街の人達は、幸せなのね」


街の人の笑顔につられるように、アリシアの頬が緩む。

父が、ウォールデン家が統治するこの街だからこそ、実際にこの目で見てみたかった。馬車の中にいては分からなかった。

馬車の外の世界は、こんなにも光と笑顔に満ちている。


「…アリシア様」


「レオン、ここでの私、あ、えーと、僕は、見目麗しい美少年だよ」


「ご自分で言いますか、それ」


「確かに。…とにかく、アリシアは無し」


「はぁ、では何とお呼びすれば…」


「えっ」


そう聞かれると言葉に詰まる。アリシアは顎に手を当て、必死に名詞だけを記憶の引き出しから引っ張り出す。


「…エ、エリック!とか!」


「……その名前は嫌いです」


「えっ何で」


初めて、レオンの嫌いという発言と、不機嫌そうな表情を見た。

思わずアリシアは身を起こし、マジマジと見つめてしまう。


「……その名前は以前アリ、…貴女様の誕生日に無礼を働いた者の名前でしょう」


「あー…」


ほわん、と脳内にモブリットの顔が浮かぶ。そういえば彼はそそくさとどこかに行ってしまったが、あれからどうなっただろう。

レオンは更に不機嫌そうに眉根を寄せ、


「とにかく、その名前は俺は嫌です」


と言った。思わず、アリシアはぽかんと口を開けた。


(怒ってくれてるんだ…)


あの鉄仮面が表情に出るほど、怒ってくれているのだと思うと、思わず胸の内に、じんわりと熱が灯る。以前もアリシアが泣いていると心配してくれたが、その時とは少し違うような気がする。


「…ふふ、」


アリシアの口から、笑い声が堪え切れず零れ落ちる。


「…何がおかしいんですか」


今度は拗ねたようにレオンが言う。


「ううん、レオンも感情表現が豊かになったな~と思って」


「…そんな事はありません」


慌てて表情を戻そうとしているが、どこか拗ねたような表情は隠せていない。

その表情を見てアリシアはクスリと笑った。

言葉を交わし、運命を少しずつ、少しずつ、変えていく。その為の行動は、全て無駄ではない。お陰で、こうやって傍に居てくれる友人が見つかった。


「よし、次のお店に行こう、レオン」


「まだ行くんですか」


「そりゃそうよ、時間は限られているんだから、遊び尽くさないと」


いつもは大人びた表情ばかりのアリシアが、年相応の少女のように無邪気に笑った。レオンは少し驚いたように固まったが、次の瞬間には小さく溜息を零した。


「お供します」


「当然!2人じゃなきゃ楽しくないわ」


上機嫌で微笑むアリシアに、レオンはもう一度、苦笑交じりの溜息を零した。


****


煉瓦造りの2階建ての建物。店の名前は『エアリオル』。

店主は『魔法石』を作る魔法の持ち主で、色々な鉱石に様々な効果を付加させ、小物やアクセサリー、はたまた防具や剣の装飾品などに加工し、販売している。RPGでおなじみの、装備すれば魔力が上がる、攻撃力が上がるなど効果はそれぞれだ。

とは言え、魔法石自体、魔力を帯びて美しい。

女性がファッションとして身に着ける事も多いのだ。


「うわぁ、本当に色々あるんだね」


店内は普通のアクセサリーショップのような造りだ。客も女性が多いように見える。突如来店した、明らかに高貴な美少年2人に、女性たちは揃って頬を染め、コソコソと小声で会話をしている。


「1階はアクセサリーで、2階は防具や剣の装飾品などが置いてあります」


「レオン、詳しいね」


「ここの魔法石は質が良いので、たまに父と買いに来ます」


「へぇ…」


レオンの父は髭を蓄えた、屈強な男性である。その2人がこの店に入る所を想像すると、少し面白い。


「貴女には、防御力を上げる魔法石を付けて頂きたいです」


「え、何で?」


「…何度も申し上げますが、先日の誕生日パーティーは肝を冷やしました。

何と言われようと、お傍を離れるべきではなかったと、後悔さえしました」


そう言うレオンの瞳は、少しだけ悲し気に揺れている。

アリシアは小さく苦笑した。最早、闇の力を使いこなせているアリシアにとって、あの騒ぎ程度、何ともないのだが。だが、レオンの心配は素直に嬉しい。


「…分かった、レオンの言う通り、防御力を上げる魔法石を探す」


「是非、お願いします」


こく、と満足げにレオンが頷く。

アリシアは静かに店内を見渡す。指輪やネックレスなど、様々飾られている。


「あ、指輪ならいいかも」


指輪のコーナーには様々なデザインが並んでいた。

これでもか、と魔法石をつけたものや、シンプルな物。中でもアリシアが目を引かれたものがあった。


「これにしよっかな、防御力が上がるとか書いてるし」


「それですか?」


レオンが怪訝そうに首を傾げる。そのデザインは実にシンプルで、シルバーリングの中央に、青い魔法石が付けられていた。その魔法石はまるで海のように、ゆらゆらと揺らめいている。


「うん、だって、レオンの瞳と同じ色でしょ」


「…!」


レオンが驚いたように、目を見開いた。

その目を、アリシアがジッと見つめる。


「うん、ほら、レオンの目と同じ、綺麗な色。やっぱりこれにする」


「………アリシ、…いえ、お坊ちゃま」


「うん?」


「…そういう事は、あまり言わない方が良いかと思います」


「え、なんで?」


アリシアがきょとんとした表情を浮かべる。レオンは片手で頭を押さえた。…必死に崩れそうな表情を鉄仮面の中に押し込める。


「…とにかく、それが気に入ったのであれば、」


「キャー!」


その時、女性の悲鳴が店内に大きく響き渡った。

アリシアが驚いて声のする方向を見る。


「静かにしろ!全員手を上に挙げろ!」


顔を布で覆い武装した集団が、銃口を女性に押し付けていた。

武装した集団が手早く店内を施錠し、窓のカーテンを閉める。


「…俺の後ろに居てください」


レオンが小さな声で言い、背中にアリシアを庇う。


「早くしろ!」


女性に銃口を押し付けた男が言う。この国の銃は特殊だ。銃の持ち手には特殊な魔方陣が書かれており、持ち手の魔力を使って弾丸を形成する。魔力の少ない一般人が持っても弾丸は出ないのだが、あの犯人は魔力持ちという事なのだろう。


「…とりあえず、奴らの言う通りに」


「…うん」


アリシアは小さく頷き、レオンに従って両手を上に挙げた。


「コイツを殺されたくなきゃ金を出せ!」


「ひ、ひぃ…ッ」


店主の女性が悲鳴を上げる。震える手で、金を取り出していた。

その隙に数人は魔法石を雑に袋に入れていく。


(あ…!)


その中に、咄嗟に置いたアリシアが狙っていた青の指輪も入れられてしまった。

魔法石は裏ルートで売りさばけば、そこそこの金になるのだ。


「…あ?…おいおい、随分身なりの良いお坊ちゃんだな」


レオンの後ろに居るアリシアに気が付いた男が、皮肉まじりに笑って言う。


「…この方に触るな」


レオンが静かに睨みつけ、再度背に庇う。

それを見た犯人は、尚もからかうように鼻で笑った。


「おいおい、護衛付きかよ、お坊ちゃん。

おい!金になりそうな奴が居たぜ!」


仲間に大声で伝える。すると、店内の魔法石を入れ終えた仲間達がぞろぞろと、2人を囲んだ。


「レ、レオン…」


小声でレオンを呼ぶ。レオンは男達を睨みつけたまま、小さく言った。


「大丈夫です、俺の後ろに居てください」


「…いや、そうじゃなくて、私も戦いたいんだけど」


「そうですね、安心し、はっ?」


レオンが思わず男達から視線を逸らし、バッとアリシアを見る。

アリシアはきょとんとした表情でレオンを見ていた。


「だってあの人質の女の人、多分妊婦さんだよ。早く解放してあげたい」


ワンピースのせいであまり見た目には分からないが、

以前、職場に妊婦の先輩が居た事があるので、アリシアはすぐに分かった。


「…いえ、そういう問題では…」


「私なら大丈夫よ。だって、レオンが守ってくれるんでしょ?」


笑顔でそう言うと、レオンは何とも言えない表情で言葉に詰まった。

やがて、苦虫を踏み潰したような表情で、レオンは口を開く。


「…分かりました。ただし、」


「分かってる、出来るだけレオンの後ろから動かないから」


「その通りです」


2人の間で密約が交わされた瞬間、痺れを切らした男達が叫んだ。


「何コソコソ話してやがる!」


男が、レオンに掴みかかる。

だが、それをレオンが許さない。スッと体を倒し、その手を避けると、目にも止まらない速さで腰元の剣を抜き、男の首に向かって横一線に剣が向けられる。

次に見た時には既に剣は鞘の中にしまわれていた。


(居合斬り…!)


漫画やゲームなどではよく見たが、実際に見たのは初めてである。

素人目だが、レオンの型は綺麗で、一種の芸術を見るような感覚だ。


「う、ぐあぁっ…!」


剣を首元に受けた男は倒れ伏し、首を押さえて悶え苦しんだ。

血は出ていない。恐らくは峰打ちだ。


「て、テメェ…ッ」


子どもだと侮っていた男達の目に、恐怖と警戒、そして殺意が灯る。

彼らが揃って、腰元の剣を抜いた。じりじりと、レオン達を囲む輪を狭めていく。


「レオン、私が…」


「いえ、問題ありません」


レオンはそう言うと、鞘に納めた剣から手を離した。

何をするのかと、アリシアが呆然と見つめていると、レオンが片手を、彼らの足元に向かって翳した。


「うっうわぁっ!!」


瞬間、突風がレオンの手から生み出され、彼らは揃ってその場に倒れ込んだ。


「動くな」


完全なる形勢逆転。レオンはいつもの鉄仮面の表情で冷徹に告げた。


「お前達の首を一瞬で、切り飛ばす事も出来る。分かったら、動くな」


「ひ、ひぃっ…」


布に覆われて表情は見えないが、男達が恐怖している事は分かった。

あまりにも鮮やかな制圧に、思わずアリシアは拍手を送る。


「そういえば、レオンは風の魔力持ちだったね」


「…忘れていたんですか」


「すっかり」


アリシアがそう言って笑うと、レオンは呆れたように小さく溜息を零した。

その瞬間。


「てってめぇっ…!この人質が見えねぇのか!大人しくしろ!!」


一人だけ被害から免れた、人質を捕らえている犯人が叫んだ。

より一層銃口を女性に押し当てている。女性は怯えきっていて、最早声も出ないような状態だ。


「…ねぇおじさん、その人より僕を人質にした方が良いと思うよ」


レオンが驚いたように見ると、アリシアは口の端を緩めて笑って見せた。


「僕は見ての通り貴族の息子だし、僕を人質にすればお金が手に入って、尚且つこの風使いが手だし出来なくなるよ」


レオンはジトリとした視線を向けて来たが、アリシアはそれを無視した。


「その代りその女の人は解放してよ、ね?」


「………………いいだろう。一人でここまで来い。この女の解放はそれからだ」


男は長い葛藤の末、そう言った。

アリシアはニコリと笑みを浮かべると、軽い足取りで彼の元に向かう。


「来たよ」


「よし」


「キャッ」


女性をどん、と押しのけ、アリシアの腕を掴む。

瞬間、アリシアは笑った。にぃい、と、悪役さながらの笑みで。


「おじさんの心は真っ黒だねぇ」


「…あ?」


腕でアリシアをホールドしながら、男が怪訝そうに眉根を寄せる。


「そういう真っ黒な心は、やりやすくて助かるよ」


男を見上げたアリシアの眼鏡が僅かにずれ、黒い瞳が、妖しく揺らめいた。


「う、ぁ、」


男は、もう目を逸らせない。怯えたような表情で悲鳴にも似た声を零す。

これは、アリシアが持つ闇の魔法の1つ。

人が心に持つ負の感情を、コントロールすることが出来るのだ。

勿論負の感情を減少させ、改心させることも可能だが、妊婦さんを雑に扱った彼にはそれでは生温い。


「や、やめろ、」


アリシアの持つ闇の力を彼に流し込む。

人の体が抱え込めないほどの”闇”を流し込むと、どれだけ強靭な精神を持った人間でも、パンクをするのである。簡単に言えば、発狂するのだ。


「やめてくれぇえっ…!」


男がアリシアを突き飛ばした。

その体をレオンがすかさず抱き留める。


「大丈夫ですか」


「うん、大丈夫、ありがとう」


アリシアがチラリと見ると、男は銃を床に転がし、両手で顔を覆って、縮こまっていた。その体はこちらから見ても分かる程、ガタガタと震えている。

その瞬間、


「憲兵団だ!両手を挙げろ!」


ドアが蹴り破られ、暗い店内に光が射す。

なだれ込むようにして入ってきた軍服を着た憲兵団は銃を構えたまま、ポカンとした。


「おいおい、こりゃあ一体どういうことだ?」


構えていた銃を下げ、男が店内を見渡す。


「…まぁいい。とりあえず全員逃がすな。確保だ」


彼がそう指示すると、憲兵団は一斉に動き出し、それぞれを手錠で拘束した。

ガタガタと震えていた男も手錠をされ、今は大人しいものである。

兵がその男から離れるのを見計らって、アリシアはそっと彼の肩に触れた。

手の平に意識を集中させ、彼の心に巣食う闇を、一気に吸い上げる。


「…あ、れ、俺は…」


闇の力を抜き去ると、彼は何が起きているのか分からない様子できょろきょろとしていた。

憲兵団に分からないように一瞬しか触れなかったが、余分に彼の闇を抜いておいたので、後は彼が改心する事を願うばかりである。


***


その日の夜。

そろそろ着替えて、寝る準備をしようとしていたアリシアの部屋に、小さなノックが響いた。


(こんな時間に誰かしら?)


そう思いつつ、「はーい、どうぞー」と相手を招き入れた。


「失礼致します」


珍客に、アリシアがぎょっと目を丸める。

レオンはいつも通りの鉄仮面で、凛と背筋を伸ばしていた。


「レオン、どうしたの?」


「申し訳ありません、このような時間に」


「ううん、別にそれはいいんだけど、何かあった?」


あまりにも珍しい出来事に、アリシアは驚いた表情のままそう言った。

レオンが言いづらそうに沈黙する。


「……本当は、これを渡すつもりはなかったんですが」


ぽつりと、レオンが言う。

アリシアが首を傾げると、レオンはごそごそとポケットから何かを取り出した。


「でも貴女は、困っている人が居たら、迷わず飛び出していくような人だから」


彼の手には、小さな箱が握られている。その箱が、ゆっくりと開けられた。


「…っあっ!これ!」


アリシアが思わず叫んだ。

箱の中には小さな、リング。その中央には、まるで海を閉じ込めたような青の魔法石が付けられていた。一気に記憶が蘇る。

あの店で、アリシアが買おうと思っていたものだ。


「どうぞ」


「ありがとう…!買ってきてくれたの?」


レオンの気持ちが嬉しい。アリシアの頬は、自然と緩んだ。

箱ごとその指輪を受け取ると、レオンは小さく頷いた。

アリシアは指輪を箱から取り出し、青い魔法石を光に当てた。


「…うん、やっぱりレオンの眼の色に似てる。とっても綺麗だわ」


アリシアが、嬉しそうに笑った。

何歳になっても、女性は綺麗なモノに目が無い。


「…前にも言いましたが、あまりそういう事を言わない方が良いと思います」


「え、何で?」


アリシアが首を傾げると、レオンは小さく溜息を零して、頭を押さえた。


「…いえ、いいです。何があっても、俺が守れば良いだけの話ですから」


「え?」


小さく呟くようなレオンの言葉が聞き取れず、アリシアがもう一度首を傾げた。

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