第57話 歌

「うぐぐぐぐぅぅ」

 宮間は気に入らない。めぐみの奇跡のような歌声に、周囲は大盛り上がりに盛り上がっているが、宮間は一人獣のように呻っていた。

「クソぉっ」

 宮間はどんどん機嫌が悪くなっていく。

「おっ」

 その時、宮間は隣りで大人しくオレンジジュースを飲んでいる繭を見つけた。そしてにやりと笑う。

「まあ、飲め」

「えっ」

 めぐみの歌に聞き入っていた繭が隣りを振り向く。すると、宮間がビール瓶を持って、繭の方にその先端をまっすぐ向けている。

「えっ?」

 今日こそは酒を飲まないぞと固く決意し、繭はオレンジジュースでお茶を濁していた。

「いや、私は今日は・・」

「まあ、いいじゃんか」

 そんな言い訳で引き下がる宮間ではない。

「今日は勝ったんだしさ。明日は練習休みだぞ」

 宮間は悪魔のささやきをする。

「いえ、私はまだ未成年の身でありますし・・、あの、それに・・、明日大学が・・」

「いいから飲め」

「うっ」

 短気な宮間は、強引に繭の口にビール瓶を突っ込んだ。

「ううううっ」

 繭の口の中にビールが溢れる。

「んぐっ、ぐぐぐっ」

 その勢いに繭は、耐えきれずビールを飲み込んでしまう。

 すぽっ

 それを確認した宮間はビール瓶を繭の口から抜いた。

「うううっ」

 口の中のビールを全て飲み込んでしまった繭は、そのまま下を向きうなだれた。そして すぐに顔を上げた。

「まったくよぉ~、やってらんねぇよな」

 顔を上げた繭は、すでに目が据わっていた。

「おっ、こうでなくちゃ」

 宮間はやったと、それを嬉々として面白がる。

「まっ、もっと飲め飲め」

 宮間は調子に乗って、更にビールを繭の前のコップについでいく。繭はそれを自らぐびぐびと、つがれたはしから飲み干していく。

「あんまり無理に飲ませちゃだめよ」

 そこに新しいビールを持ってやって来たママが言う。

「大丈夫だよ。ママ」

 ママの忠告など聞く宮間ではない。宮間は新しく来たビールを、繭にどんどんついでいく。それを、繭は次々飲み干していく。

「いいねいいね」

 宮間は完全に楽しんでいる。

「おらぁ~、もっとつがんかい」

「はいはい、お前は酒を飲んでからが、面白いんだよ」

 宮間は一人ほくそ笑む。

「コラ~っ、もっとちゃんと歌わんかい~」

 あっという間に酒乱と化した繭は、めぐみに向かって大声で叫んだ。それに対して気の小さなめぐみは、戸惑い動揺してしまう。周囲の盛り上がっていた空気も一変した。

「いいねいいね」

 宮間は、その光景に一人でやったと喜び浮かれる。

「ちんたら歌ってんじゃねぇよ。もっと、気合入れて歌わんかい」

 繭は、さらにドスを利かせて叫びまくる。

「繭、お前は最高の後輩だ」

 宮間は、嬉しくてしょうがない。

「コブシだよ、コブシ、コブシを利かせろ」

 松田聖子にコブシを要求する繭に、めぐみはもう歌どころではなく、半分涙目になっていた。 

「あったくよう~、やってらんねぇよな」

 しかし、酒乱を増していく繭は、今度は宮間にからみ始めた。

「なっ、そうだろ、宮間。あっ?」

「あ、ああ」

 繭は宮間の肩に手を回し、酒臭い息を吐きかけるようにして、訳の分からない愚痴を言いまくる。

「あたしだって辛いんだよ。分るだろ」

「しかし、こいつの酒癖は飲むたびにひどくなるな」

 宮間が呟く。自分で飲ませといて、呆れる宮間だった。

「なんだと」

「い、いや、なんでもない」

 宮間もたじたじだった。

「なんとかしてくれ」

 宮間が助けを求めるが、自分たちも絡まれたくない野田たちは一斉に視線を逸らす。そもそも宮間の自業自得だ。

 その時、丁度めぐみが歌い終わった。

「そうだ繭、歌え」

 からまれていた宮間は、何とか逃げようと思い付きで繭に言った。

「歌?」

「そうだ。歌だ。歌。気持ちいいぞ」

「・・・」

 繭はしばし首を傾げ、酔った頭で考えていた。そして、首を戻すと宮間を睨み据えた。

「うっ」

 宮間は繭がまた何か言い出すのかと身構えた。

「よ~し、歌うぞぉ」

 しかし、繭は宮間の提案を素直に受け入れ叫んだ。

「そうだ。歌え、歌え」

 ほっとした宮間はこれ幸いにと繭を送り出した。

「ふぅ~、あいつの酒癖はすげぇな。人格疑うよ」

 そもそもの火種は自分なのだが、そのことにはまったく触れずに自分勝手なことを言う宮間だった。

「おっ」 

 繭から解放され、再び暇になった宮間は、今度は端のテーブルで一人憮然と酒を飲んでいた麗子を見つけた。そして、性懲りもなくまた近寄っていく。

「まだ怒ってんのかよ」

 隣りに座り、肩に気安く手を回す宮間を無視して、麗子は一人飲み続ける。

「悪かったって言ってんだろ」

「・・・」

 それでも麗子はブスっとしたまま一人酒を飲む。

「心の狭い人間は嫌われるよ」

「あなたねぇ」

 そこで麗子は堪らず、宮間のかけた手を振り払い立ち上がった。

「なんだよ」

「私は辱めを受けたのよ」

「辱めって大げさだなぁ」

「私は裸で宙を舞ったのよ」

「いいじゃねぇかそんなの。銭湯で舞う。いいじゃない。楽しいだろ」

「あ・な・た・ねぇ」

 麗子の顔は怒りで真っ赤になる。麗子は怒るとその度合いが顔に思いっきり出る。

「楽しいだろ。銭湯でプロレス」

「うぐぐぐぐっ」

 麗子の怒りは頂点に達した。二人の間に一触即発の空気が流れる。それを察した野田と仲田と志穂が二人の間にすかさず入る。

「宮間さん、麗子さん、楽しい席ですから、ねっ、ねっ」

 おずおずと野田が間に入る。

「そうですよ。今日は勝ったんですから」

 仲田もおずおずと言う。

「お前茹でだこみてぇだな」

 しかし、全くデリカシーのない宮間は、真っ赤になった麗子を笑った。

「あなたねぇ・・」

 怒りの沸点を越えた麗子は宮間に掴みかかった。

「わぁ~、麗子さ~ん」

 それを慌てて野田たち三人が止めに入る。その時だった。

「きた~の~、酒場通りには~♪」

 店内に地響きのような轟音が響き渡った。

「うをぉっ」

 宮間と麗子だけでなく、その場にいた全員が耳を抑えた。そして、何事かとカラオケマシーンの前に立つ繭を見た。

 それは凄まじい繭の歌声だった。

「ジャイアンか」

 宮間が耳を抑え呻く。繭はめちゃくちゃ音痴だった。しかも、どこから声が出ているのか声量が半端ない。

「長い髪の女が似合う~♪」

 木造平屋の居酒屋あかねの建物が、ギシギシと基礎から揺れる。

「うをぉ~、やめろ~、繭」

 宮間が叫ぶが繭には届かない。

「ちょっとお人好しがいい~♪」

 店内の全員が耳を抑えのたうち回る中、繭は一人、気持ちよさそうに歌い続けるのだった。

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