第56話 あかねで祝勝会

「あっ、監督、早いですね」

 先頭の野田が、あかねの開き戸をガラガラと開けると、すでにたかしと信子さんがカウンターに並んで座っていた。

「君たちが遅いんだよ」

「そうか」

 野田が、後頭部に手をやる。選手たちは、だいぶあけぼの湯でのんびりしていたらしい。

「なんか、みんな気分がよさそうだな」

 次々あかねの店内に入って来る選手たちは、頬を紅潮させ、湯上りの高揚感を漂わせていた。

「銭湯に寄ってたんです」

 仲田が言った。

「へぇ~、そうだったのか」

「いいお湯でしたよ」

 繭が言う。みんな銭湯でのんびりと湯につかり、すっかりリラックスした表情になっていた。

「それはよかったね」

 その時、その後ろから、他の選手たちのリラックスした表情とは真反対の、超不機嫌にブスっとした宮間と麗子が入って来た。

「ど、どうしたの」

 二人を見て、たかしが驚く。

「え、ええ・・💧 」

 繭たちの困惑した表情に、たかしはみなまで聞かず、全てを察した。さすがにこのチームとの付き合いは長いたかしである。銭湯で何があったのかを、想像ではあったが大体正確に理解した。

 十人を超える選手たち全員が店内に入ると、それだけで、あかねの小さな店内はいっぱいになった。

 ママは大忙しである。見かねてめぐみちゃんと志穂とかおりが、ママを手伝う。

「ありがとう。助かるわ」

「おいっ、こっち、ビール遅いぞ」

 しかし、宮間はそんなママたちを気遣うどころか、大声でビールを催促する。その隣りでは、かおりたちと一緒に手伝おうとしていた繭が、早くも宮間に捕まり隣りに座らされていた。

「宮間さん、手伝わなくていいんですか」

「いいんだよ」

 宮間は繭の肩に大きく手を回し、乾杯前にもう一人でビールを飲み始めている。

「かんぱ~い」

「かんぱ~い」

 全員に飲み物がいきわたると、宮間の音頭で選手全員が盛大に乾杯の声を上げた。選手たちの割れんばかりの喜びの声が、あかねの店内に響き渡る。改めての勝利の喜びに、選手たちはみな一様に明るい。

「まあ、今日はなんだかみんな明るいわね。今日は試合じゃなかったの」

 ママが、宮間たちを見る。

「ママ聞いてよ。あたしたち勝ったんだよ。今日の試合」

 野田が興奮してママに言った。

「そう勝ったんだよ。しかも強豪だぜ。二連勝、二連勝」

 仲田も大きく二連勝のブイサインを出し、興奮気味に言う。

「まあ」

 それを聞いたママは、天地がひっくり返ったように心底驚いた表情をして、口を開けたままその場に固まった。

「ママ、そこまで驚かなくてもいいでしょ」

 野田が憮然として言う。

「ああ、ごめんなさい」

 ママは、我に返ると、その場を取り繕うように笑った。

「大体いつも試合のある日はやけ酒だったから。今日も負けたのかと」

「酷いなママ」

 仲田が言った。

「あたしたちだって勝つ時はあるよ」

 野田も続く。

「それで今日はみんな揃っているのね」

「そうそう」

 二人が頷く。

「今日はジャンジャン飲むからね」

 宮間が言った。

「はいはい」 

「いつもはみんな揃ってないんですか」

 その時、こそりと繭が隣りの志穂に訊いた。

「うん、負け試合の時は、いつも宮間さんと私たち三人だけなんだ・・」

 志穂が繭に囁く。

「そうだったんですか・・💧 」

 繭の頭にその寒々しい情景が浮かんだ。

「よしっ、歌うぞぉ~」

 宮間は、乾杯もそこそこにいきなり叫ぶと、カラオケマシーンの前に立ち、マイクを握った。

「宮間さんはマイク握ると離さないからなぁ」

 野田と仲田が眉根を寄せ呟きあった。

 野田たちの予想通り、そこから宮間のワンマンショーが始まった。宮間一人が盛り上がる、誰も聞いていない歌声が、店内に流れ続ける。

「今日はまた一段と、気合入ってるなぁ」

 野田が呟く。

「うん」

 仲田が頷く。宮間は勝った勢いで機嫌よく、いつも以上に気合を入れて歌いまくる。しかも、宮間の歌の好みは古く、殆どが演歌だった。

「たまんないな」

 いつも聞かされている野田がうんざりと呟く。

「せめて、歌謡曲とかだったらまだ聞けるんですけどね・・」

 志穂もげんなりとしながら言う。今の世代に演歌は全く分からなかった。

「う~ん、しぶいなぁ」

 しかし、その隣りで繭は一人、演歌の魅力に目覚めようとしていた。

「コブシが利いている感じがいいですね」

 繭は、目を輝かしながら、隣りの野田と仲田を見る。

「・・・」

 野田と仲田は、そんな繭を奇異な者でも見るみたな目で見つめた。

「えっ?なんですか」

「お前って、なんか変なとこあるよな」

 仲田が繭に向かって真顔で言った。

「え、そうですか」

「うん、なんかなぁ。お前は」

「そうそう」

 野田も同調する。

「若いくせに妙におっさん臭いというかな、おじん臭いとこあるんだよな」

「そんなことないですよ」

 しかし、否定する繭だったが、過去にも、同級生に同じことを言われたことがあった。

「う~ん、なんでかなぁ」

 繭は一人首を傾げる。繭は、小さい時から生粋のおじいちゃん子だった。原因は多分それだったが、この時の繭は全く気付いていなかった。

「よしっ、次、新人歌え」

 一人散々歌いまくり、満足した宮間は一番近くにいたかおりにマイクを渡した。

「えっ」

 かおりは困惑しながらも、宮間からの命令に逆らうわけにもいかず、そのマイクを受け取った。そして、カラオケマシーンの前に立ち、流れてくる音楽に合わせ歌い始めた。

「かおりちゃんうま~い」

 繭が叫ぶ。かおりは歌がうまかった。宮間の時にはしらけていた他のメンバーも、みな一様にかおりを見る。

「おお、かおりやるな」

 野田が言う。いつの間にか選手たちからは、手拍子などが起こるようになっていた。

「まあまあだな」

 しかし、宮間だけは、一人カウンターに頬杖をつき、不機嫌になっていた。

「へへへっ、久しぶりに歌ったら緊張しちゃった」

 カラオケを歌い終わったかおりが照れながら戻って来て、繭に向かって舌を出しながら自分の席に座った。その瞬間、宮間がぎろりとかおりを睨みつけた。

「おい」

「はい」

 宮間のドスの利いた声に、かおりは驚いて宮間を見る。

「お前は思いやりってもんがないのか」

「はい?」

「お前には心遣いってもんがないのか」

「えっ?」

 かおりは何が何やら訳が分からない。

「あたし先輩、お前後輩」

「はい」

「分かるな」

「はい?」

 かおりはきょとんとしている。

「あたしよりうまく歌うんじゃないよ」

 宮間の気持ちをなかなか理解しないかおりに業を煮やした宮間が、直球ストレートに怒鳴った。

「あ、はい、えっ?」

 そう言われてもあまりのことにかおりは、よく理解できない。

「あたしよりうまく歌うなって言ってんだよ」

「えっ?」

 かおりは最初冗談だと思った。しかし、覗き込んだ宮間のその目はマジだった。

「す、すみません」

「すみませんじゃないよ。そういうところ気を遣ってもらわなきゃ。あたし、先輩。お前後輩。しかも新人。分かるだろ」

 そもそも自分が歌わせといて、宮間は平然と無茶苦茶を言う。

「そういうことされちゃうとさ、先輩として立つ瀬がないわけじゃない」

「は、はい、すみません」

 かおりは何が悪いのかまったく分からないのだが、とにかくあやまる。

「また始まった。お説教。無茶苦茶言い出すからなぁ」

「しかも長いんだよなぁ」

 野田と仲田がひそひそと話す。

「この前は、深夜回ってましたからね」

 志穂が続いてげんなりと呟く。

「先輩にこういうこと言わせないでよ。恥ずかしいでしょ。こういうこと言うの」

 だったら言わなければいいのだが、宮間の思考回路はそういう風にはできていない。

「そういうところでしょうが、思いやりって」

「は、はい・・」

「あたしだってこんなこと言いたかないよ。でもさぁ、言わなきゃならんでしょうが、こういう場合。先輩としてさ。だからさ、言わせないでよ。先輩にこういうこと、ね」

 宮間のお説教は、くどくどねちねちと続いていく。

「豪快なようでいてあれで案外、気難しいからなぁ。宮間さん」

 野田が呟く。

「うん」

 それに仲田が頷く。

「どこで機嫌悪くなるか分からないんだよな」

「そうそう」

「この間は肉の焼く順番と焼き方で二時間説教してましたよね」

 志穂が言った。

「そうそう、焼肉行った時な」

 野田が言う。

「タン塩の前にカルビ焼いちゃったからな」

 仲田が思い出し眉根を寄せる。

「細かいそういうところが、なんか地雷なんですよね」

 志穂。

「そうそう、タン塩をタレで食べたり、そういうとこは無茶苦茶なんだけどな」

 野田。

「はあ・・」

 三人は同時にため息をついた。

「あっ、次はめぐみちゃんだ」

 繭が拍手する。その時、今度はめぐみがステージに立った。そして、めぐみが歌い出す。

「春色の汽車に乗って~♪」

 松田聖子の赤いスイートピーだった。

「おおおっ」

 思わず、店にいた全員から感嘆の声が漏れる。

「めぐみちゃんうま~い」

 繭が思わず声に出す。めぐみは更にうまかった。めぐみはそのごつい顔に似合わず、澄んだ歌声に、どこまでも深い揺らぎ、美しい少女の歌声を持っていた。

「歌だけはプロ並みだな」

 何度も聞いている野田たちでさえ、感嘆している。

「ぐぐぐっ」

 しかし、そんな中、宮間は青筋を浮かべ、鬼の形相でさらなる怒りに打ち震えていた。

「うわぁぁ」

 それを真隣りで見ていたかおりは、恐怖でその巨体を縮こませた。

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