『私も、生きる肌』


「ねぇねぇ、さっき小平さんに見せてもらったんだけど」


 一日の終わりに、久方ぶりに玲と揃って訪れた事務所を出て車に乗り込むと、彼女はスマートフォンの画面を見せてきた。シートベルトを締めながら画面を覗き込んで、愕然とする。


「うわーっそれ見たの! やめてよ、恥ずかしいっ……!」


 頬を押さえて絶叫したが、彼女はご機嫌で画面を眺めている。


「可愛いよね。26歳のあなた」



 数年前、『現役モデルに人気のヘアメイクさんへずばり聞くメイクのコツ』と題された特集が、ある雑誌で組まれたのだ。ヘアメイクを生業とする何人かの人間たちの小さな顔写真と吹き出しが並んでいるページのうち、ある一角に私も載っていた。具体的なメイクのフローを解説する部分もあったが、そこではなく、メイクさんの顔写真と名前、ひと言コメントの掲載部分を玲のスマートフォンは写していた。


 今よりも頬のややふっくらとして若い私の姿を玲に見られること自体も恥ずかしいが、問題はそこではない。

 編集部に指示されるがまま顔の横で一本指を立てて微笑んだ写真の私は、『メイクをするときは、その人に恋するような気持ちでいます! そうすると、その人の綺麗なポイントがたくさん見つかって、どんどん魅力的な見せ方のアイディアが湧いてくるんです。あなたも自分自身に恋しながらメイクしてみては?』などと吹き出しのなかでのたまっている。


「これさぁ、本当さぁ、当時も恥ずかしかったんだよぉ……。私普通にお役立ちメイクポイントみたいなの言ったんだよ? それなのに、雑談のなかでぽろっと言ったこれが拾われて……しかも誇張されて……『あなたも自分自身に恋しながらメイクしてみては?』なんて言うわけないじゃんよぉ、こんな恥ずかしいこと……。みんな実用的なコメントしてるのに、私だけ夢見がち恋しがちの頭のネジがゆるふわのメイクさんっぽくなって嫌だったんだよぉ……。ひどいよぉ、玲に見せるなんて……小平さんめ……」


 当時、この企画にお呼ばれしてからは、「私、あの雑誌のヘアメイク特集に呼ばれちったよぉ。写真撮られたし、顔載るかもぉ。えへへ」なんて周囲に散々自慢していたが、いざ発売されてみるとこんな恥ずかしいことになっていたので、「読むな! 見るな!」と手のひらを返して釘を刺したが、時すでに遅し。私の周りは皆面白がって買い求め、このコメントを読んでは「瀬戸ちゃんは今日も、自分自身に恋……してますか?」「ナルシー瀬戸の推奨メイク術、激ムズ」などと言って爆笑してきたのだった。

 この雑誌が、今もあの事務所のどこかに保管されているのだろうか。ひどい、ひどい仕打ちを小平さんはなさる。ちなみに小平さんは、事務所内のあらゆるお仕事を統括して的確に任務を遂行してくれる、頼れる天使みたいな女性である。天使はおっとりとした笑顔のまま、ときに合理的な判断のもと無慈悲な行いをするので、私は心の奥で恐れている。


 泣きそうになりながら、車を発進させた。



 玲は黙ってスマートフォンを見つめていたが、静かな調子で訊いてくる。


「これは……今もそう? 恋、するような気持ちでメイクしてるの?」


 "メイクをするときは、その人に恋するような気持ちでいます"との一文を指しての質問だろう。



 ヘアメイクは、至近距離で他人の身体の特別デリケートな場所に直接触れる。

 そのため、こちらに危険はないのだと理解してもらって、相手と信頼関係を築かねばならない。親しみやすく話して打ち解け、できる限りリラックスしてもらうことが重要であり、それにはこちらがまず、相手に対して心を開くのがコツだ。


 私がこの人を美しくするぞ、ここがこの人の可愛らしいポイントだなあ、こう見せればもっと綺麗に見えるかなあ、と考えながら、その時間だけは相手を見つめ、なるべく心を開こうとしている最中に、とびきり綺麗なモデルさんたちから、極めて近い位置で目をまっすぐに見て親しげに笑いかけられると、「うわっ……かわい!!!」となるのはやむをえない。


 ――そういえば。うちの事務所に当時属していたモデルの子たちは皆、必修科目であるかのごとくこの特集ページを履修済で、事務所いち小悪魔気質なOちゃんに至っては、メイク中にふと、茶目っ気を混ぜた悪戯っぽい笑みを浮かべて、


「瀬戸さんは今、私に恋してくれてるんですか?」


なんて上目遣いで訊いてくるものだから、どうしようかと思った。そんなん、恋に落ちる。怖い。自信も自覚もある小悪魔ちゃん。



 だからメイクを施すときは、うっかりどきどきすることも多々あるし、そのときのその人にとっていちばん映えるメイクを見つけるためにも、自らその人に恋しようと思っている。恋しようと努力しながら、不可抗力で美しいモデルさんたちに恋させられている。



「……ことさら意識することは前ほどないけど、まあ根本的には変わってないかな。メイク相手の綺麗なところを見つけよう、もっと美しくしてあげよう、って思うなら、擬似的に恋しちゃうのが手っ取り早いから」

「そっ…かー……」


 簡潔に述べると、玲はどこか浮かない調子で答えた。


「よかったじゃん、玲ちゃんったら毎日何度も私に恋されてるわけよ。すでに手もつけられないくらい恋してるのに」

「うん……それはそれで嬉しいんだけど、ていうか、これ読んだとき初めはちょっと恥ずかしくて、ウワーッてなったんだけど……」

「ならばなぜ全面的に嬉しがらない。これ以上の私からの恋慕は迷惑か。お腹いっぱいなのか。胸焼けしてるのか」

「いやいや、もっとくれていいです。欲しいです。ください。………あのね、鬱陶しい束縛女って思わないでほしいんだけど……」


 なにやら不穏な単語を織り交ぜて最後は小声になった彼女を横目で見る。


「うん」

「……あなたはこれまでにも、私の他にいろんな人にメイクをしてきたわけでしょ? メイクのたびに、恋に落ちてきた人たちがいっぱい……」

「尻軽みたいな言い草やめてよ」


 ちょうど赤信号につかまったので、隣の玲をじっくりと見やる。彼女はフロントガラスへ顔を向けたまま、か細くしゃべる。


「その……私には恋敵がたくさんいるんだなあって思うと……なんか……やりきれなくて……。事務所の子たちも、あなたにたくさんメイクされてきたんだよね、って考えると、ほんとどうかしてると思うけど……皆に、嫉妬しちゃうの……」

「おお……おお……」


 今が信号待ちでよかった。心の乱れから運転を誤るところだった。


「どうしよう、あなたが好きすぎて、ほんと困る……。どんどん自分の嫌なとこが見えてくる……。本当は私、こんなんじゃないんだよ……?」


 とてつもなく困った表情で、ちらりとこちらへ視線を投げる彼女に、私は……私は……。

 この気持ちを言葉にする術を持たぬ私をお赦しください、神よ!



 詰まりそうになる息を、ふぃ〜とどうにか吐き出しながら、注意深く車のアクセルを踏む。


「どうして君は、そうも私の心をかき乱すのでしょうか……こわい……。そうだね……うーん。過去は変えられないからね。……でも、他の誰かにこれから何度メイクを施そうと、もう追いつけないぐらいに君への愛は強いんだけど」

「はい……重々承知しております……」


 自己嫌悪に塗れてうなだれている彼女の姿に、なんとか元気づいてほしいと、ごく自然に欲求が湧く。


「ちょい待ち。君を安心させるような何かを、今どうにかひねり出すから……」

「安心させてくれるの……? お手数かけます……」


 足元で今まさに回る車のタイヤと同様、私の頭も最適な道筋を探してフル回転している。



「……ととのいました」


 なんとかそれらしき話の像が頭の中にぼんやり結んだことを報告すると、


「その心は」


彼女は食いつくようにして訊いてきた。


「私はお前が大好き。……なぞかけ部分すっとばしていきなり答え要求しちゃうの、せっかちでよくないぞ☆」

「早く安心したくて……」

「うん。どうしたら、私が君に感じてるこの愛しさを本当の意味で伝えられるかわからない。だけど、まあ、考えながら話すから、ゆっくり聞いてよ」

「うん……」




===============



「うろ覚えなんだけど……ミケランジェロの言葉として伝えられてるものがあって」

「え、急にミケランジェロ」


 きょとんとして言う彼女に、真面目くさった顔で頷く。


「そう、ここで唐突なミケランジェロ。あの、ダヴィデとかピエタの像彫った人ね。あの人が言うには、彫刻家が彫る前から、彫像の元となる石は、彫像の完成形をすでに内包してるんだとか。彫刻家がその形を発見して、余分な石をそぎ落としていくと、本来の形が表れる、的な」

「へえ。おもしろい考え方だね。初めから作品がそこにあるんだ」

「うん。つまり……芸術家がいちから作品を作り出すんじゃなくて、対象の素材のなかに、すでに運命づけられた美があんのよ、たぶん。極端なこと言っちゃえば、歴史に残る稀代の芸術家たちも、所詮それに突き動かされて、本来すでに存在してた"美"を、人間の目に広く見えるように手助けするだけの、おおいなる"美"に使役される手足みたいなものに過ぎないってことだと、私は思った」

「それはまた極端な。自意識バチバチの芸術家が聞いたら怒りそうだね」


 彼女は唇を緩める。


「うん。でも、無我夢中で作品を作ってから、『あれ……よくわかんない力に導かれて、すげーもんできちゃったよ、オイ』みたいに、完成した作品を前にして、芸術家自身も呆然としちゃってるんだとしたら、なんか……それって可愛くない?」

「まあ、わからなくもない」

「脱線しちゃったけど、その彫像を彫ってく感覚、メイクでもわかるような気がするんだよね」

「ははぁ、ここでメイクですか」

「はい、そうなんです。メイクする相手が持ってる綺麗なところを見つけて、彫り出して、表面に出してあげるような感覚って確かにあるな、と思って。ヘアメイクさんは、相手のいろんなパラメータをいじってメイクの方向性を千差万別に表現してみせるけど、本質的にはあくまでも、その人自身に内在してる"美の可能性"を現実世界にわかりやすく見えるだけにするような。そんな感じ」

「はー……なるほど」


 感心するような素振りを示す玲を見やってから、今一度己の感覚を検める。


「――で、今までのメイクだったらそういう感覚だったんだけど。私が玲にメイクするときは、この頃はもう少し違った感覚で」

「……私に何度もメイクしすぎて彫り出し尽くしちゃった? もう彫るとこないよ的な?」


 ちょっと不安げに言う彼女に笑って返す。


「違う違う。尽きることのない豊かな鉱脈ですわ。……玲は、粘土で人の顔作ったことある?」

「えーどうだったかな。小学校のときとか……ううん、やっぱり作ったことないかも」

「私は昔、美術の授業で胸像を作ったことがあって。角材に縄を巻きつけた芯棒に、粘土をガッガッと付けていって、だいたいの形ができたら、顔の造形を細かく作っていくわけだけど、これが難しい。ひとひらひとひら、粘土を足しては削って。眼で観察した対象を、手で感じて探りながら作る。まさに肉付けしていくって感じで」

「へえ」


 片手をハンドルから離して、親指を空中に押し付けるような動作で胸像制作を再現する私に、玲は興味深そうに声を返した。


「少しの粘土で、微妙なニュアンスが生まれるんだよね。印象が全然違う。爪の先ぐらいの粘土の集積が、顔の全体を決定づける。

……玲に施すメイクの感覚は、こっちのほうが近いような気がするの。掘り起こすより、肉付けしていく。私の知ってる玲を、載せていくような感覚」

「あなたの……知っている私?」

「うん。君が思うより私は君を見ていて、玲自身も知らない君の美しさや可愛さを私はたくさん知っていて、毎日新たに見つけてるんだよ。マネージャーや恋人として君と過ごす時間のなかで、いろんなものを教えられてる。……それから、私が君に感じてる愛情や、親しみ、眩しさ――明るい気持ちだけじゃなくて、嫉妬や独占欲みたいな、そういうじっとりした感情もね。

 私の中からそれらをだいじにちぎっては、ひとひらずつ、君の顔に置いてメイクするような感覚なの。撮影のテーマや役柄に合わせて、その粘土の配合物を変えながら。――もちろん『玲』は私じゃなくて君が表現して見せるものだから、前にも言ったように"余白"はたくさん設けつつだけど。

 だから……石の中から彫り出すよりというより、もっと能動的に、個人的に、可塑性の高い物質で『玲』を作りあげてる感じかな」

「……」


 偉大な芸術家気取りのような物言いになってしまった自分にくすりと笑って、


「当然ながら私は、玲さん自身が本来持つおおいなる美の力に動かされてる、一介の凡庸な被使役者に過ぎないけど。

 ――でも、僭越ながらそれにプラスして、私の個人的な想いみたいなものも込めてメイクしてるつもり。私の恋人はこんなに綺麗なんだぞ、私がいちばんそれを知ってるぞ、こんなにたくさんのものを私にくれてるぞ、どうだーー、って思いながらね。普段おおっぴらに世間でいちゃつけない代わりに、世界への自慢を、堂々と君の顔の上で展開してる」

「自慢……」


 ぼうっとして繰り返した隣の人へ笑いかけて、


「私が玲からもらってるいろんなものをメイクに反映しようとしても、私の技術では追いつけなくて、もどかしいような気がいつもしてるんだけどさ」


私がそう言うと、彼女は下唇を噛んで目を逸らした。



 しばらく無言で車を走らせながら、頭の片隅をよぎったイメージを手繰り寄せる。


「……あと、美大予備校で人物画のモデルもしたことあるんだけど」

「……あなたはなんだか、いろいろやってるねぇ」


 半ば呆れ混じりに言われて笑う。


「友達がそこの講師で、頼まれて。座ってるだけでお金貰えるなんてラッキーじゃん!って、アルバイト代欲しさに。

 で、そのとき聞いた話が、人物とか石膏画って、絵の中の顔が描き手自体になんとなーく似るんだって。特に、絵を描き始めて間もない子達はね。確かに、予備校生たちが描いた絵をずらっと並べて講評する時間があったんだけど、描かれてるのは全部私なのに、描いた子と絵を見比べると、なるほどなって感じで、なんとなくその子の面差しが絵にも表れてるわけ」

「へえ。十人十色の穂高さんだ」

「私が思うに、そうなるのはたぶん、その子たちの視点の立脚点が、その時点でいちばん身近な自分の顔だから。他人の顔を描写するにも、無意識なまま、慣れ親しんだ自分の顔のパーツを基に表現しちゃうからだと思う。パーツ同士の距離、大きさ、形の傾向なんかをね。訓練を積めば、そこから離れて、描く対象の混じりっけない姿が、客観的に正確に描写できるようになるんじゃないかな。

 ほら、よくある画家のイメージとして、こう、モチーフに向かって腕を伸ばして鉛筆を立てて持ってるじゃん。あれ、対象の大きさや垂直関係なんかを見てるらしいんだけど、そうやって測ってても、自然と自分の視点に基づいて歪んで描写しちゃうのは、いかに自分の世界の見方に癖があって、認識が偏ってるかっていう」

「ふうん、そうかー。……なんか今の、演技にも活かせそうな話かも」

「あ、そう?」


 隣に視線を投げる。彼女は口をつぐんで、言葉を探している。

 考え事をしているときの彼女が好きだ。長いまつげが思慮深げに伏せられて、豊かな表情がいっとき静かになり、ここではないどこかに心を飛ばしている。その様は、人の近づかぬ秘境の奥深くでひっそりと佇む、物言わぬ植物のようだ。

 沈思黙考の海から浮かび上がって、彼女は口を開く。


「なんだろ……。今までは、演じる人物に入り込んで、この人ならどうするかなってあくまでもその人のなかで演技を考えてきて、私の想像では及ばないなって感じるところは、……以前あなたが言ってくれたように、もうそれはそれとして受け容れて、手放してきたけど。でも……また違ったやり方があるのかもって思った。あえて、素の自分……ていうのを意識してみたら、もう少し違う演技ができるのかなって」

「ふむ」

「自分を、物差し代わりの鉛筆みたいにして、演じたい人間との違いをひとつひとつ丹念に見ていって、この部分ではきっとこれだけ距離があるな、とか。私はこっち方面に振れやすいけど、この人物ならきっとあっちのほうへ考えるんじゃないかな、とか……。そのキャラクターの枠のなかで考えるんじゃなくて、自分の視点を自覚的に使って、その遠さとか形の違いを測りながら、外側からその人物を描写するような……。私自身の考え方とか動作の、歪みだとか偏りをだいたいわかってたら、それと比べてどれだけの違いを持たせようかって、自分とキャラクターを切り離して比較しながらやってみれば。そうしたら……今までよりも、表現が精密になりそうな気がする」

「ほう、なるほど。……それには、己をよく知る必要があるね」

「うわ……そうか、そうだよね。ここで自己分析かー……。就活から逃げ出したのになあ」


 左折のために向けた視界のなかで、隣に座る人は、あちゃー、といった様子で額に手を当てて顔をしかめている。


「……あれ、何の話だったんだっけ」

「あーっと、なんだっけ……」


 ふと我に返った玲に言われて、記憶を辿る。

 深夜にほど近い時間帯、もうこの道は車もまばらですいすいと走行できる。遠くの高層ビルの屋上で、赤い光が点滅している。




「そうそう。さっきの話に戻るとね、私は、君からいろんなものをもらってると言いました」

「はい」

「私が、他でもない"この"視点から見つけた君の魅力や、君から得た感情を」

「……うん」

「そういうものを原料にして、君の顔に肉付けしていくようにメイクしているとも言いました」

「……」

「ここで振り返ると、未熟な人の手がける人物画は何に似てしまいがち、と私は申しましたっけ?」

「――描き手に似る、と」

「そっす。一生懸命、客観的に描こうとしても、どうしても自分の視点に引きずられがちだと」

「……」

「そんな原理がある一方で、ですよ。私は自ら意図して、自分の"視点"を通した、私の"解釈"が多分に入っているであろう要素を原料にメイクしてるわけで。そりゃあもう、ゴリッゴリに私の偏重した『玲像』を作ってるんですよ。ぼくのかんがえたさいきょうのれいちゃんを」

「……」

「それが……私に似ないわけがない。いや、いっそ……」


 ハンドルから左手を離し、玲に向かって人差し指を突きつけて断言する。


「お前の顔は、私でできている……!」

「……」


 恐ろしい侵略について明かされて、どう反応してよいやら計り兼ねているのだろう、玲が口を押さえて、笑うような、怯えるような顔をしてこっちを見ていた。


「私に愛されるあまり、すでにお前の一部はお前ではなくなっているのだ!

 そしてさらに……私のいろんなごった煮成分を埋め込まれた顔を、誰もが憧れる玲ちゃんとして、公衆の面前に晒させているのだよ! その美しい顔の下へ巧妙に隠された、濃ゆ〜い玲賛美の歌を、人々は知らず受け取っている……! たまんねえぜ! これは密かな革命だ、反乱だ! 私の歌声を聞き届けし民衆よ、今こそ立ち上がれ! 玲の素晴らしさを、私とともに高らかに歌いあげようではないかッッ!」


 こぶしを握って熱狂的に蜂起を煽るが、


「……いやいや、怖いから」


今度こそはっきりと恐れを露わに、彼女は両手のひらを向けてこちらから距離を取る。

 だから、にっこりと笑って締めくくる。


「どうだ、私の愛の深さが、キモいだろう!」

「……。変態の素質があるとは常々思ってたけど、思ってた以上の変態と付き合ってたみたい」


 過分な褒め言葉に、へへ、と照れてみせる。


「……でも。あなたと似てる顔、か……」

「秘密裏に玲改造計画を進行していたよ」


 やや考え込んでから、彼女は己の頬に触れて、悩ましげに息をついた。


「……どうしよう。これ以上、私、自分の顔を好きになってしまっては、ナルシシストと言われても反論できないわ……」

「その言いっぷりは、私への愛を感じつつも、十分ナルシシストだと思いますけど」

「……でも、それこそ、私を自分と似た顔に仕立てあげて、こうして愛を語るあなたこそ、自己愛やばくない?」

「確かに。キモ。……いや、そういうキモいの、倒錯感があってえろくて私は好きだな」

「わあ、どうしよう、私の彼女はやっぱり変態だよ。やば。この先何されるかわかったもんじゃないね。いつのまにか私、全身瀬戸ボーグにされちゃってるかも」


 笑いつつ、捕まると長いと知っている赤信号にひっかかったのを幸いと考え、隣の玲へ向き直って、改めて確認する。


「さて、私が君から教えてもらったものや、君に対して抱くあれやこれやからなるものを原料にメイクされて、私に似た顔をして、全世界へその綺麗なお顔を堂々と晒しているモデル・俳優の玲さん。私が君に施しているヘアメイクは、他の人たちにしてきたメイクとは次元が違うということ、おわかりいただけただろうか。……どう? ちょっとは安心できた?」


 問われた彼女は、ゆっくりと苦笑してから、


「安心、ていうか……」


吐息混じりに小さくこぼす。


「もう、なんだか……呪いみたいだなって」


 そんな彼女に満足して笑い、


「そうだよ。私が繰り返し、君に深く恋していくための、呪いだよ。もうどうしようもなく解けない、呪い」


運転席から手を伸ばして、彼女のその顔に指先でそっと触れる。

 困ったような表情で、瞳を潤ませて彼女は黙っている。それ以上触れていては、呪いにより離れられなくなりそうなので、手を離して微笑む。


 玲は顔を窓ガラスのほうへ背けて、不機嫌そうに言う。


「私を安心させるためのこじつけにしては、ぺらぺらと、それっぽいことを言うんだから……。あなたは、本当は詐欺師なんじゃなかろーか」

「やー、日々のメイクでぼんやり感じてたことを、改めて君に伝えただけってゆーか。あっ、その意味では、ミケランジェロ氏の言うように、すでにそこにあった事実を言葉にして取り出してみせたわけよ。玲ちゃんに安心してもらいたい一心で、愛という名のノミでこつこつ掘り起こしたのさ……」


 最後はキメて言ったが、彼女は小馬鹿にしたように余裕たっぷりで笑う。


「今のはちょっとクサすぎてあんまり響かなかった」

「……ちっ、贅沢な野郎だよまったく」

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