実存交換記(写スンです)


 海辺での撮影の休憩時間、玲が衣装のままふらりと波打ち際を散歩していた。


 曇り空の下、岩よ砕けという荒々しさで波も打ち寄せてはざぶりと引いていくような海で、通常好ましく想像されるそれからは離れていた。

 それでも彼女は機嫌がよさそうに、衣装の白いワンピースの裾と赤いハイヒールを持ちながら裸足で波の近くを歩いている。

 グレートーンに支配された風景のなかで、長い黒髪を風にあおられながらも真っ赤な靴を片手に軽やかに歩む彼女の後ろ姿が絵になっており、遠くからスマートフォンでそれを撮った。

 そして、あの子は無邪気に砂浜を裸足で歩いているが、貸し衣裳のハイヒールへそのまま足を突っ込むつもりだろうか、と苦笑いをして足拭き用のタオルを探すことにする。



 仕事が終わってから、『今日天使を見かけました!』とメッセージを付けてその写真を彼女に送ると、『いい写真!! かっこいい! ありがとうございます!(でもその天使、なぜかよく見かける気がします)』と返ってきた。翌日顔を合わせてからも写真を褒めてくれた。




 結局、少し前に私は玲の正式なマネージャーとなった。ヘアメイクを担当しつつの、マネージャー業。


 少し前には想像もしなかった道にいる。

 本腰入れてマネージャーを務めることになると、今まで暫定的な対応で済ませていた面倒な部分もきちんと処理しなければいけなくなり、毎日が必死である。元来が適当な直感型人間なので、スケジューリングやら、人・事務所同士の関係性を考慮した政治的立ち回りは苦手だ。ヘアメイクアップアーティスト時代に知り合った人や友人たちにも助けてもらいながら、なんとかマネージャーをこなしている。


 新人モデルの営業に関しては、玲自身のポテンシャルの高さとその場のノリへいい加減にのっていく私のしゃべりによって、思うほどあまり苦労をしていない。積極的に営業を仕掛けるどころか、玲を気に入って再度声かけをしてくれたり、評判を聞きつけたところから仕事の打診を受けることもあり、事務所の人間や撮影で知り合う他のマネージャーさんから聞くところによると、これは玲の経験の浅さからしてみれば驚くべき事態だと言う。


 現場でのフォローについても、仕事で関わる人間全てにきちんと感じ良く対応し、トラブルはほとんどなく、むしろ朝早い撮影がある日には血圧の低い私を心配して、起床を確認する連絡が彼女から入るくらいだ。至らぬマネージャーの私こそ、彼女のこまやかな気遣いに助けられたことは数知れない。


 何より、慣れない仕事を頑張れるのは、それが玲のための仕事だからだ。こちらが手を尽くす以上に、彼女は毎日成長し、目をみはるほど綺麗になっていく。




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 一箇所に留まらない彼女の記録日記的な意味合いも込めて、仕事の合間に様々な玲を気の向くままにスマートフォンで撮った。


 異国情緒に溢れた服に身を包んで世界観のあるセットにきりりと立つ玲や、

 その中でよれよれの普段着のカメラマンに指導を受ける、世界線がひとり場違いな玲。

 撮影と撮影の隙間の時間に毛布を鼻先まで被って眠るあどけない玲。

 戯れに奇抜なメイクを施したとき、野性味たっぷりに歯を剥き、怪鳥のごときポーズで威嚇してきた玲。

 共に仕事をしたモデルや俳優たちと肩を組み、こちらへ向かって穏やかに笑いかける玲。

 廃工場の割れた窓から細く差し込む夕陽を背中に受けながらペットボトルの水を飲む玲や、

 テトラポットへ腰掛け気持ちよさそうに風に吹かれている玲。

 仕事終わりに寄ったラーメン屋で、髪を耳にかけながら麺をすする玲。

 大変だった仕事を成功させて二人でささやかにお祝いをした夜、酔っ払って道端のカラーコーンを持ち上げている玲。

 時には、カメラを向けられたことに気付いた玲が隣に回り込んできて自撮りモードへ切り替えて一緒に写った私も。



 ある程度写真が溜まったらまとめて玲に送って共有していたが、あるとき彼女から提案を受ける。


「ねえ、この写真たち、もったいないから世間に見せません?」

「え?」

「いい写真だなって思うんですよ。かっこいい写真もあれば、オフっぽい写真もある。見てもらえれば、『玲』っていう人物にきっと興味とか親しみを持ってくれると思う。何かのSNSで、玲のマネージャーさん的なアカウントとして公表できないかな?」


 力と期待の篭った目だった。


「ふむ。いいね、確かに。最終的には社長に許可をもらうとして」


 嬉しそうに笑む彼女に人差し指を立ててみせる。


「私じゃなくて、玲がアカウントの運営をしな」

「私? でも写真を撮ってるのは穂高さんなのに……」


 打って変わって当惑ぎみの玲に微笑む。


「そんなの写真に写ってるのが君な時点で撮り手が他人っていうのは明らかだし、ファンは君自身の文章を読めることを嬉しく感じるんだよ。直接ファンの声が届く環境は怖い?」


 フィルタリングされていない世間の声が、好意的なものもそうでないものダイレクトに目に入ることは、想像以上にプラスにもマイナスにも本人へ影響を与える。


「ううん。やれると思う。いろんな感想を直接聴いてみたい」


 まっすぐと、挑戦的な光を宿らせた目で言い切る玲に安心する。うん、この子は大丈夫だと思う。


「ま、アカウントは共有させてもらって、君の精神にとってあまりよくなさそうな状況であれば、都度調整はさせてもらうことになるけど。でも、いろんな手段で君が『玲』というものを表現していくのはいいと思います。楽しみだね」


 子どものように目を輝かせて、力強く彼女が頷く。


「はい」


 その表情を撮りたいと思う。

 私はカメラマンではないので常にカメラを構えているわけでもなく、その素晴らしい瞬間は自分の目に刻印するしかできないが。もったいないことだ。うちの事務所は玲に専属カメラマンをつけるべきではないか。あるいはパパラッチよ、いつも張り付いて玲のあらゆる奇跡の瞬間をカメラに収めよ、そして世界にその素晴らしさを知らしめろ。


 だが貴重な表情はやはり一瞬で、玲がいささか慌てたように付け加える。


「あ、でも、だからといって無理して写真撮らなきゃ、とか思ってくれなくていいですから。今まで通り。負担のない感じで、気が向いたときにだけ」



 律儀だなあと思う。

 趣味みたいなものの延長で気軽に撮っていたものを、彼女が『玲』の表現のひとつとして認めてくれた、それだけでも嬉しい。でも彼女はそれを”仕事”にまで引き上げてしまった後ろめたさを感じてもいるのだろう。一方で、仕事の一環としてやることになれば写真の質は変わってしまって、きっとつまらないものになると私も思う。


「うん。今まで通り、玲のファンとして気ままに撮っていきます」


 彼女の頭をわしわしと撫でた。乱れた髪を手ぐしで整えながら、玲がそうっと言う。


「あの、ね。写真、本当にいいなあって思ってて。穂高さんがこんな風に私を見てるのかあって伝わるものがあって、新鮮で。……独り占めしておきたい気持ちもあったけど、でもやっぱり、いろんな良い『玲』が写ってるから、たくさんの人に見てもらいたいなって思ったんです」


 恥ずかしそうに伏し目がちに”独り占め”などと口にされると、こちらも妙に照れくさくなってしまう。


「……そんなに写真を認めてもらって、ぼかあ嬉しいです。よか判断と思います。最強インフルエンサー目指して一緒にがんばろうぜ!」


 ぐわし、と肩を組んで気恥ずかしさをごまかす。玲もわはは、と笑っている。




 そうして社長からもGOサインをもらって、某オシャレ写真横溢SNSで正式に玲としてのアカウントを作った。

 今まで通りのペースで写真を共有して、そこから玲自身が選んだものに彼女が文章を考えて付ける。あまり更新頻度が多くてもレア感がないので、一定程度の上限を設けた。他人が写ってるもので、はっきりと個人が識別できるようなのは、事務所だとか本人の許可をもらうのが面倒なので基本的にネットにはあげない。玲による文章と写真の組み合わせは一応事前に私が目を通して、問題ないとの判断ができたらアップする。

 そういうルールで開始した。


 いかに自らが充実した日々を送っているかを、手間暇とときにはお金をかけ、考え抜いた構図と色味で見せつけることに執着する人間や、生まれ持ってのオシャレ感性が迸る、自然体センス爆発人間が跋扈するあの界隈にあって、果たして私たちは輝くことができるだろうか、と一抹の不安を覚えないでもなかった。だがそこは、素材の良さと、彼女の素晴らしき瞬間を逃さない私の玲ダーの精度である。


 初めの頃は反応もほとんどなかったが、じわじわと人気が出てきて、ある時、『新人モデル・玲が天使すぎてやばい』という趣旨のSNS投稿が爆発的に拡散し、それをきっかけに短いネット記事も書かれ、それがまたたくさん読まれ、玲自身の知名度が一気に上がった。ネットの力、あなおそろしや。



 私の撮った写真を玲が選んで文章を付ける。

 それに皆が感想を言ってくれる。

 玲が小さく写り込んだ風景写真のようなものあれば、リラックスした様子の取り繕わない写真もあり、硬軟織り交ぜてあげられる写真に、ファンもよい反応を返してくれる。

 特に仕事から離れた時間の、共にはしゃぎ合っているときを切り取った自然な玲の写真は、「こんな彼女欲しい……」「付き合いたい……」という反応が男女問わず熱烈に吹き上がる。

 わかる、ほんと可愛いよね。いい写真撮るわ私。


 だが私にとっては何より、玲の選択と、書く文章が興味深かった。


 日々私が撮り貯めた写真を彼女に送る。彼女がその中からひとつ選ぶ。

 「これは鉄板、どう見てもいい写真でしょ」と考えていた一枚を彼女が当然のごとく選んで、「だよね、わかる」と共感を深めるときもあれば、「そっち選ぶか!」ということもあり、まずその過程がおもしろい。

 ときに、「これもそれもあれもいい写真すぎて選べない。全部アップしたい」と泣きつかれることもあるが、「だよね、わかる、でもだめ、一枚だけ。その選択が君を強くする」と指導する。


 そうして選ばれた写真と、それに付記された文の組み合わせは毎回意外性に富む。

 出来事を淡々と説明する文章もあれば、ただひと言簡潔に単語を投げ置くだけ、あるいは短い詩のようなものが添えられることもある。

 写真の解釈や、写真との距離感が斬新だった。端的な言葉だけで写真の滑稽さや味わいを強めるものには彼女のユーモアを感じたし、あるいは、直接の関連性はあまりなく写真と文章が乖離しているようでそうでもない、何故この文章なんだろう、と思うようなときには、玲の底知れぬ新たな面を知るようで楽しかった。


 そのアカウントは玲との合作の、何かプロジェクトのようにも感じていた。

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