第10話 もしもしオレだけど

 『通信サービスはありません』


 スマートフォンの画面に無情なテロップが流れている。


「圏外だって? どういうことだ?」


 和也は画面から顔を上げると、不思議そうに周囲を見渡した。

 彼は賑やかなアーケード街にいるようだった。


 『吉北センター街 平成最後の春 大バーゲンセール』


 そんな横断幕が目に入った。


「意味がわからん」


 もちろん、日本語なので、言葉そのものの意味はわかる。

 だが、彼がいま自分自身がここにいることが理解できていなかった。

 どういうわけか、違和感しか、なかった。


 彼は今ひとつ状況が掴めないまま、あてもなくブラブラと歩き始めた。

 すると工事現場の前まで来た。


 『寺吉駅北地区 再開発工事』


 そんな表示が目についた。

 この工事現場には、なんとなく嫌な印象があった。

 そう、たしかこの場所は、例の、あれだ……。


「すみません、お話うかがってもよろしいでしょうか?」


 声をかけてきたのは二人組のパトロール中と思われる警察官だった。まずいぞ。かなりまずい。何がまずいのか分からんが、とにかくまずい。彼は焦った。


 遠くからパトカーのサイレンが聞こえている。

 しかしそれは、どこか物悲しい、遠吠えのような響きではなく、人を早く早くと追い立てる、せわしない電子音のように聞こえた。ちょうどこんな風に。


「ピピピピピピ……」


 気づくと、目覚ましが鳴っていた。


「ああ……なんだ夢か」和也はベッドの上でむっくりと起き上がった。「しかしまたあの夢を見るなんて。イヤだなあ」


 彼は時計を見た。「もうこんな時間だ。さっさと仕事へ行く準備をしないと」


 ニートの和也が仕事だって?

 実はそうなのだ。しかも彼は地元から遠く離れた街で一人暮らしをしていたのだ。


 * * *


「ただいまぁ……って誰もいないか」


 仕事を終えて帰宅した和也は、ぶつくさと言いながら部屋の明かりをつけた。


「しかし、今日は早く帰れてよかった。お客さんのところに常駐していると、自分の都合で帰るわけにもいかないからな……しかしあのお客さんたち、定時で上がって、何をお祝いしに行ったんだろう、まだ月曜日なのに?」


 例のパラレルワールド事件から、既に数年が経過していた。


 事件を機に、それまでニート暮らしを決め込んでいた和也は、すっかり心を入れ替え、突然、就職活動を始めたのだ。

 両親はたいそう驚いたが、同時に、諸手を挙げて喜んだ。


 ニート暮らしが少々長すぎたため、正直なところ、苦労はあった。というか、むしろ、全てが苦労の連続だった。


 しかし『あちらの世界でのIT企業での経験』が役に立った。


 もちろん、知らず知らずのうちに違法な仕事に手を染めていたことは秘密だった。しかし、貴重な経験を生かした、的確な受け答えが、『ニートだった割には意外とデキる奴』という印象を与えたのは想像に難くない。

 彼はそうやって面接などを乗り切り、どうにか、ある大阪のIT企業に就職することができたのだ。


 そして、当たり前だが、今度は合法的な仕事だ。

 この点だけは譲れない。


「やっぱ仕事の後はコレだよな」和也は、帰宅途中にコンビニエンスストアで買ってきた缶ビールをプシュッと空けた。ニート時代からも、ビールは好きだったのだが、稼ぎがなく、自分の金では飲むことが出来なかったのだ。


「親の酒をこっそり飲むのは、泥棒みたいで、どうも精神衛生上よろしくない。自分で稼いだ金で堂々と飲むビールのほうが、数十倍美味い。いや、数百倍だ」


 彼がコンビニエンスストアで買ってきた惣菜のパッケージを開けようとすると、スマートフォンがブルッと震えた。これも、もちろん、父親名義のものではなく、ちゃんと自分で契約している端末だ。


「おっ、レイちゃんからだ」それは、同じ会社に勤めている令子からのメッセージだった。令子は、和也とは違い、本社勤務なので、仕事場で会うことはあまりない。そこで、こんなふうに、昼間何があったのかを互いに報告し合うのが、日課のようになっていた。

 彼はビールを飲み、惣菜の夕食を食べつつ、彼女とメッセンジャーアプリで会話を始めた。


 ーーーー


 令子:カッちゃん! ビッグニュース!


 和也:なになに?


 令子:なにってほら、新しい元号、聞いた?


 和也:え?

    あーーーそういえば今日発表だったねえ

    客先だったからネットも見てないし

    それに……


 令子:それに?


 和也:テレビまだ持ってないw


 令子:そっか(^^;)


 和也:で元号がなんでビッグニュースなの?

    だいぶ前から変わるって聞いてたよ


 令子:それがね……

    な・ん・と


 和也:+(0゚・∀・) + wktk +


 令子:あたしの令とカッちゃんの和を足してぇー


 和也:(*゜▽゜)*。_。)*゜▽゜)*。_。)ウンウン


 令子:令和。れいわ だって。


 和也:エエエエエ━━━Σ(○・Д・○)━━━エエエエエエ


 令子:びっくりするやろ?


 和也:うんうん

    運命を感じるねえ


 令子:ほんまや


 和也:ほんまや


 令子:真似すんなw

    ていうか偽関西人め


 和也:てへっ


 令子:可愛くない


 和也:(^^;)

    それはともかく

    二人のための新しい時代を祝って……


 令子:( ^^)/C□☆□D\(^^ ) カンパーイ!


 和也:( ^^)/C□☆□D\(^^ ) カンパーイ!


 ーーーー


「まさかこのオレが、ニート卒業とは、ねえ」


 和也が令子とのやりとりをひとしきり終えたころ、惣菜は食べ終えてなくなり、一本目の缶ビールも残り少なくなっていた。彼はそれを名残惜しそうにチビチビと飲みつつ、二本目の缶ビールに手をつけようか、はたまたハイボールにしようかと考えていた。


 和也は今の職場で令子と知り合ったのだが、二人とも独身で年齢が近いということもあり、すぐに打ち解けて良く話すようになった。


 彼は、嘘をついてもいずれバレるだろうと思い、最初から、ニート暮らしが長かったことも、パラレルワールド事件のことも、正直に話していた。もっとも、パラレルワールドのことはどこまで理解してくれているか、怪しいものだったが、とにかく、令子は、そんな正直な彼の姿に好印象を抱き、すぐに二人は交際をはじめた。


 和也はもう三十歳を超えている。当然、二人とも結婚を意識したうえでの交際だった。なので、ゴールデンウィークには、令子を連れて和也の実家へ行き、両親に紹介する予定だった。


「ヤバイ、今度はオレが爆破される番だ……しかも道中、新幹線ごと吹っ飛ばされたりしたら、大勢の巻き添えが出て大変なことになるぞ。大事件だ」


 言葉に反して、彼はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、冷蔵庫から二本目の缶ビールを取り出そうとした。だが、ふと、あることを思い出してその手を止めた。


「あ、そうだ。忘れないうちに電話しておこう……まだ起きてるうちに」


 そして電話がつながると彼はこう言った。


「あ、もしもし、母さん? オレだけど……」


 もちろん、電話口の向こうにいる母親は「どちら様でしょうか?」などとは言わなかった。

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通信サービスはありません 姶良守兎 @cozy-plasoto

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