第8話 道に迷ったら戻れ
実家での『ガサ入れ』を終えて寺吉駅まで戻ってきた和也。
実は朝から何も食べていなかった彼は、空腹を感じ、駅前のラーメン屋で少し早めの昼食をとっていた。
ちなみに、まぶたが腫れているように見えるのは気のせいだ。
「早めに来て良かった。この店、いつも混んでるからなあ」彼はラーメンをすすりながら、人気のラーメン店がこちらの世界でも繁盛しているのを喜んだ。
店内に備え付けられたテレビは、さきほどから、お昼のニュースを伝えていたが、和也は特に気にもせず、ひたすらラーメンをすすっていた。国際問題や経済問題よりも、今の彼にはチャーシューと煮卵のどちらを先に食べるかのほうが大事だった。
しかし聞き覚えのある単語が流れた途端、彼は思わずテレビに釘付けとなった。
ニュース番組によれば、なんと、勤め先である『プレシャス・ゴー社』が詐欺の疑いで家宅捜索されているという。しかも社長は海外逃亡し、行方不明なのだとか。
「な……なんだって?」和也は耳を疑った。
「……我々は、この会社が運営する出会い系サイトを利用したことのある、ある男性に話を聞くことができました。当番組のインタビューに応じた男性は『サイトで知り合った女性と親しくなり、デートの約束をしたが、会うことはできなかった。女性の気を惹くため、何十万円もつぎ込んだのに、騙された』と話していました」
ニュースは淡々と伝えた。
「なお、警察は、社長ならびに主犯格とみられるサイト管理者の行方を追っているとのことです」アナウンサーはそう締めくくった。
「サイト管理者って……オレのことじゃないか!」
慌ててラーメンを食べ終えた和也は、店主に千円札を出してお釣りを受け取ると、それを財布には入れず、無造作にポケットへ突っ込んだ。店員が差し出したレシートは「いりません」と言って受け取らず、そそくさと店を出た。
店の外には既に行列ができていた。和也は列に並ぶ人々の視線を感じて、一瞬ドキッとした彼は、足早にその場を立ち去った。
「どうしよう……とにかく、逃げなきゃ……しかし、どこへ?」
一瞬、両親の元へ駆け込み、かくまってもらうことも考えたが、すぐ断念した。
というのも、両親は自分のことを見ても気づかなかった。だからまず説明が非常にややこしい。それに、あの感じだと二人は夕方まで戻ってこないだろう。二人の帰りを、長時間、玄関前で待つわけにもいかない。近所の人に見られたら、不審者と思われ通報されてしまう。
かといって、目立たないように家の中で待つとなると……。
「親父、オレと違ってスポーツ万能だし、空き巣と勘違いして殴られたりしたら、間違いなくノックアウトだよな」和也はラーメン屋を出たあと、あてもなく歩きながら考えていた。
「そうか……親父か……。親父がもし同じ場面に遭遇したらどうする?」
彼の頭をよぎったのは、「道に迷ったら、戻れ」という父の言葉だった。
「そうだ、あの場所へ戻るんだ!」
彼は自宅ではなく、吉北センター街へ、足早に向かった。
* * *
数分後。和也は商店街の一角、工事現場の前に立っていた。そして『寺吉駅北地区 再開発工事』との表示を見つめていた。
「戻ってきたぞ……次はどうしたらいい?」
戻ったからといって、突然何かが起きるわけでもない。そこで彼は工事が行われたいきさつについて考えてみた。
あちらの世界、つまり彼が元々いた所でも、実は、再開発の話はあった。だが賛成派と反対派の対立は拮抗しており、結論がどちらに転んでも不思議ではなかった。
そして最終的には、二〇二〇年の東京オリンピック誘致が、反対意見を後押しするかたちで、計画は中止となった。オリンピックが行われれば、海外から多数の旅行客が訪れるだろう。すると歴史あるこの商店街は、彼らの目には新鮮に映るだろう。だから再開発などせず残すべきだ、というわけだ。
一方、こちらの世界では、オリンピックの後押しを失い、結果、賛成派の意見が通って工事がスタートしたらしい。それはつい先日検索して得た知識だった。
「こっちのオレが死んだのも、商店街の再開発が決まったのも、ちょっとした運命の巡り合わせ、ということか」
和也はため息をつき、ふと辺りを見回した。
「スマートフォンが圏外になったのは、このあたりだったはずだ」
商店街は、すっかりクリスマスムードだった。
「クリスマスか……子供の頃は楽しかったけど……大人になったら、彼女がいないと、かえって寂しいよな……。ていうか、リア充爆発しろ!」
彼は気を取り直した。「まあいいや、とりあえず何が起きたか整理しよう。圏外に気づいたのは、ここだった。ちょうどこんな感じだ」
そう言って彼はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、手に取った。彼は腕時計をしていなかったので、スマートフォンが時計代わりだった。それに、会社の事務所では、会社のWi-Fiが使えたので、常に電源はオンにしていたのだ。
「なに?」
圏外だったはずのスマホの画面に、わずかな変化があった。『通信サービスはありません』のテロップが消えた。そして『アンテナ三本』からは程遠かったが、瞬間的に、アンテナのアイコンが『一本だけ』立ったように見えた。
だがそれもすぐに消え、再び圏外表示へと戻ってしまった。
「やっぱり、だめか……」
彼はスマートフォンを色々な方向へ向けたり、少し歩いてみたりした。すると、ごくまれに変化があった。どうやら、スマートフォンを工事現場のほうへ高く掲げたときに、変化があるようだった。まるで工事現場の向こうから、かすかに電波が漏れ出ているかのような、そんな気がした。
「まさか、そんなことがあるなんて……」
和也は半信半疑だった。
だがしかし、再開発をするかどうかで、地元でも意見が真っ二つに割れていた。
そして運命の神がサイコロ遊びをした結果、二つの世界へ、歴史が枝分かれしてしまった。再開発が行われた世界、そして行われなかった世界へと……。
二つの世界は一見すると全く無関係のようでいて、実は同時に存在している。それは彼が自分で見てきたから間違いがない。向こうからこちらへ来れたということは、二つの世界をつなぐトンネルのような何かがあるに違いない。そして、そこを通れば元へ戻れるに違いない。
そう思いたかった。そして、確かめたかった。
だが、どうやって確かめれば良いのだろう? 彼は自問自答した。
「すみません、ちょっとお話うかがってもよろしいですか?」
和也は突然、誰かに声をかけられた。
「あ、はい……」彼は思わず返事をした。
だが次の瞬間、声のほうを振り向いて彼は凍りついた。そこには警察官が二人立っていたのだ。
「実はこのあたりを巡回しておりましてー」明るくそう話す警察官だったが、目は笑っていなかった。和也の心の中を見抜くかのような鋭い眼光に、まるで生きた心地がしなかった。
「ご……ご苦労様です」和也はお茶を濁すと、工事現場の囲いのほうへ後ずさった。ひんやりした鉄板の壁が彼の左手に触れた。
「いま、スマートフォンで、写真か何か撮られて……」警察官がそう言いかけた瞬間、彼はどきっとして思わず、身を引いた。彼の背中が鉄板の壁に押し付けられた、その直後、それはまるで溶けるように抵抗を失った。
「あっ、危ない!」
彼は足を踏み外した。反射的に腕をぐるぐる振り回したが、それも叶わず、景色はまるでド派手な舞台装置さながらに、向こう側へぐるりと回転した。それとは逆に、彼の体は後ろ向きに倒れ、だが地面にぶつかることもなく、どこへともなく、真っ逆さまに落ちて行った。スマートフォンを握りしめたまま。
やはりオレは死んでしまうのだろうか……? どこまでも落ちていく感覚と共に彼は気を失った。
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