第3話 このカードはお取り扱いできません

「このカードはお取り扱いできません」


 ATMのディスプレイには、無情なメッセージが表示され、虚しくキャッシュカードが吐き出された。


「やっぱ、そうだよな……」夕方の銀行で、和也は落胆した。半ば、予想していたことなのだが、なけなしの預金を引き出そうという試みは、失敗に終わった。


 ちょっと考えてみれば、こちら側の世界では、彼は既に死んでいるので、彼名義の銀行口座など、なくて当たり前なのだ。

 そして財布の中の現金は、一万円に満たなかった。ニートの彼にしては、まだ多いほうだったかも知れないが、これからどうにか生きていくに当たって、その金額では、とうてい足りるとは思えなかった。もっとも銀行口座から現金が引き出せたとしても、大した残高ではないので、すぐに底を突くと思われるのだが。


「何をするにしても金がいる。金が尽きれば、遅かれ早かれ飢え死にする……それか、もうすぐ冬が来て凍死するか……どっちが早いのだろうか? どっちにしても、かなり、まずいことになったぞ……」


 誰かに助けを求めることも考えた。しかしこういう場合、誰に頼れば良いのだろう……警察……? いや、だめだ。住所と名前を聞かれて、答えれば、両親に「うちにはそんな子はいません」と証言され、答えなければただの不審者だ。


 彼は焦った。寝泊まりするところはもちろん必要だ。しかし、何は無くとも、先立つ物は金だ。仕事も家もなく、頼る相手もいない彼は、どうにかして金を手に入れる手段を必要としていた。


 * * *


 再び電気店へ戻った和也は、店の無料Wi-Fi経由でインターネットにアクセスし、求人情報を探していた。だが、いまの彼にとって、仕事を探すというのはハードルの高いものだった。


「履歴書か……書き方なんて忘れたぞ。どうやって書けばいいんだっけ……? そうだ、写真も貼らないといけない……写真を撮るのにも金がかかるし、困ったぞ」


 日雇いの仕事ならば、履歴書なしでも雇ってもらえそうだが、仕事内容としては体力的にキツいものだったりと、彼には荷が重かった。


「経験不問、履歴書不要、屋内での軽作業、給料日払い。そんな仕事があったらいいのにな……そんな仕事があれば飛んでいくんだけどな……まあ、そんな仕事、あるわけな……いや、あったぞ!」


 彼が探し当てた求人内容は、「経験不問。データ入力のアルバイト。パソコンに詳しい方、大歓迎!」というものだった。しかも職場はこのすぐ近くだ。パソコンはまあまあ得意な彼には、うってつけのように思えた。


 早速、無料通話アプリを使い、その会社へ電話してみた。電話口に出た担当者へ、ネットで求人情報を見たこと、すぐにでも働きたいことを伝えた。すると……。


「えっ……本当ですか? あ、はい……ありがとうございます、では明日、よろしくお願いします!」


 彼は嬉しそうに電話を切った。明日の朝、さっそく面接してくれるそうだ。だがしかし……。


「さて、明日までどうやって過ごそうか?」


 なんとか働き口を確保できそうになってきたが、次は、寝る場所を確保しなければならない。この時期、夜はかなり冷え込む。さすがに公園のベンチで寝るわけにもいかない。さりとて財布の中身は寂しいので、なるべく安いところがいい。

 そうだ、たとえばネットカフェとか。


 だが彼は、すぐさま次の挫折を感じることになる。


 * * *


「いらっしゃいませ。ネットカフェ『ブルート』へようこそ。当店のご利用は初めてでしょうか?」メイド風の制服に身を包んだ女性店員は、少々鼻にかかったアニメ声で和也にたずねた。


「あ、はい……」和也は、なんだか場違いな気がして、モジモジと答えた。


「では、運転免許証など、身分証はお持ちでしょうか?」店員は質問を続けた。


「あ……いや……持ってないです」和也の声が更に小さくなった。


 運転免許は就職に必要だからと、一応取るには取った。しかし全く使う機会がなく、失くすといけないということで、自宅の引き出しの中に、大切にしまってある。つまりパラレルワールドの向こう側だ。

 そして、いま彼のポケットに入っているのは、財布、圏外のスマートフォン、そして家の鍵だけ。その財布の中には、なけなしの現金、使えなかったキャッシュカードぐらいしか入っていない。


「そうですか……大変申し訳ないのですが、条例がございまして、必ずご利用者さまの身分証を確認させていただくことになっております」店員はどこかで見たような同情スマイルで答えた。


「そ……そうですか……」和也はすごすごと退散した。


 * * *


「さて、どうしたもんかな……」


 和也はネットカフェが利用できないとわかると、周辺に安いホテルがないかを探した。ところが、さすがお洒落タウンの寺吉だけあって、どこのホテルも一万円以上もする。いまの彼にはとても手が出せなかった。


 寺吉駅から電車に乗り、都心へ向かって十分ほど移動したところに、東寺園ひがしてらぞの駅がある。寺吉とはまた違った庶民的な街だ。調べた結果、この駅周辺に安価なカプセルホテルがあることがわかったので、彼はそこに泊まることにしたのだった。


 * * *


「くそう、ネットカフェを利用するのに、身分証がいるなんて……」和也は、カプセルホテルの狭いベッドの上で悔しがっていた。「このホテルもたしかに安いが、ネットカフェよりも千円以上高かった。この差は痛い」

 彼はベッドの上で寝返りを打ち、スマートフォンを手に取ると、バッテリーが残り少ないのに気づいた。


「もういいや。おにぎり食って寝よう」


 彼はさっきコンビニエンスストアで買ったおにぎりを二個、大事に食べた。本当はいけないのだが、ちょっとぐらいならバレないだろうと、ベッドの上でこっそりと。満腹とまでは行かないが、とりあえず、小腹は満たされた。夜中に空腹で目が覚めることもないだろう。

 そして食べ終わると、ほっと安心したのか、昼間の心労のせいか、いつもは夜更かしの彼も、さっさと眠ってしまった。


 * * *


 達也と南海子の二人、つまり和也の両親は自宅で夕食を取ったあと、居間でテレビを見ながらくつろいでいた。


「今日ね、不思議なことがあったの」南海子は夫の達也に話しかけた。


「なんだい?」達也はスマートフォンをいじりながら返事をした。


「『和也』って人から電話があったんだけど」南海子は言った。「『うちの息子だ』って言ってた」


「……え?」達也はスマートフォンから顔を上げて、南海子の顔を見つめた。


「びっくりした? でも違うの。オレオレ詐欺だったみたい。なんでうちの子の名前を知ってたのか、ちょっと気になるんだけどね……」南海子は少し不安そうだ。


 達也は少しの間、天を仰ぐと、素早く年数を数えた。「そうか、あの子が生きてたとすれば、来年にはもう三十歳になるなあ……」


「あ、そう……もうそんなに経つのね……」南海子も遠い目をした。


 二人は再び無言となり、バラエティ番組の騒がしい笑い声だけが虚しく響いた。


「そういえば、その電話の人、声があなたとそっくりだった」南海子は何の気なしに言った。


「そうそう、親子って声が似ていることが多いよな……僕も昔、親戚の家に電話して、親父と間違われたことがある」達也は昔の笑い話を思い出して目を細めた。「和也か……もし生きているとすれば、元気でいて欲しいものだ……」


「生きていれば、だなんて……」南海子は眉をひそめたが、ふと、ある可能性に気づいた。「ていうか今あなた『親子』って……」


「声が似ていた……?」達也も何かに気づいたらしい。


「ま、まさか……?」二人は顔を見合わせ、声を揃えてそう言った。

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