ハムスターばいばい 第3話
男子生徒達を追い払った翌日、学校の下駄箱で上履きの履こうとすると、靴の中にセロハンテープで画鋲が貼ってあるのに気付いた。
こういうのはテレビドラマとかで見るとただ画鋲が置いてあるだけのパターンが多いのだが、セロハンテープで留めてあるところが用意周到だと思った。
遠くでこそこそと談笑する男子が見えた。なるほど、昨日の復讐か。私は何だかやるせなくなってきた。こんな小さな嫌がらせをしてストレスを解消できる彼らが羨ましい。羨ましいし、微笑ましくて何だか笑えてきてしまった。
右足を錆びだらけの画鋲が並んだ靴の中に突っ込んだ。
男子達はそれを見て驚愕したのか、談笑をぴたりとやめた。
中には泣き始める生徒もいた。ただ足に針が刺さって血液が出ただけなのに、なぜ泣くのか私にはわからなかった。
「どうして泣くの? おかしいよね? そこ、笑うとこだよ」
怯える男子生徒。こんな傷、致命傷でも何でもない。私は画鋲の上履きを履いたまま詰め寄った。
「こうしたかったんでしょう?」
血が滴る上履きを生徒たちに向って投げた。
上履きは宙を飛び、床へ落ちてバウンドした。錆と血のついた画鋲がバラバラとこぼれた。
クラスメイト達は逃げた。
私はもう片方の上履きも投げた。ふと、田んぼに投げ棄てたハムスターを思い出した。そして、ハムスターを片足で潰したことも。
ああ、ハムスターって、何て弱い生き物なんだろう。私の踵なんてすぐに再生するけど、ハムスターは簡単に潰れちゃう。死んでしまう。そして、私のもとからすぐにいなくなってしまう。
その時、めまいがして目の前が真っ暗になった。
目を覚ますと、白い天井が見えた。その横にはカーテンの隙間から、保健室の先生が。そうか。ここは保健室なんだ。
時計は十三時を指していた。いつの間にか私は気を失っていたようだ。
保健室の先生がベッドのすぐ近くまで来て、微笑んだ。
「おうちのひとに迎えにきてもらおうと思ったんだけど……電話に誰も出ないみたい」
私はシーツとパーカーを交互に握り、拳を震わせた。“うるさい消えろ”と思った。
しかし、先生は話を続けた。
「お母さんは昼間働いているんだっけ? ……あら?桃子さん? どこに行ったの?」
先生が花に水をあげようと窓際へ向かった隙に、私はベッドから飛び起きて逃げ出した。足にじゅくじゅくとした痛みが走った。
壁をつたい、脚を引きずって歩いた。片足だけで歩くと息がすぐにきれた。通り過ぎる教室から、先生が授業をしている声と、元気に質問や回答をする生徒達の声が聞こえる。ああ、いいなあ。あの子達は、何も考えずに授業が受けられていいなあ。
何日も洗っていない臭いパーカーが、学校の壁にあたり、ザラザラと音を立てた。
やっと家につくと、ニュースで天気予報が流れていた。今年一番の寒さとキャスターが伝える。血のついたケージを洗うために、庭のホースと繋がっている蛇口をひねった。
「お姉ちゃん、掃除してるの?」
奈々が庭先からひょこっと出てきた。
「そうだよ。汚れたから」
「ハムスターは?」
「その箱の中」
妹は、掃除をするために一時的に段ボールに移したハムスターをじっと見つめた。そして長い沈黙の後、ぽつりと言った。
「……おねえちゃん、このハムスター、昨日のと違うよね?」
「一緒だよ」
「嘘! 違うよ! 絶対違うよ!」
「一緒よ。同じハムスターなんだから」
私はケージを握ったまま妹を睨んだ。
「……何その血?」
私は血のついたケージをちらりと見る。奈々に見られる前に血のついた箇所をさっさと洗っておけばよかったなあと思っていると、妹はしゃくり泣き始めた。
「ひどい……どうしてそんなことするの?」
「ちゃんと育てられない人だっているんだよ」
私がそう吐き捨てると奈々は目を丸くして、私を睨んだ。
「お姉ちゃんなんてもう嫌い! 行こう! キンタマ!」
妹はキンタマを抱いて家の中に入ってしまった。
間の抜けたように明るい天気予報の曲が流れ始めた。県内は雪になる模様と、キャスターが伝えていた。
空を見上げると、みぞれが降ってきた。
「これ雪じゃないよ」
頬にみぞれがぴたぴたあたった。
「さむ」
ぶるっと身体を震わし、ふと横を見ると、ハムスターが凍死して白目をむいていた。
「またかよ……」
私は深いため息をつく。
「さっきまで生きてたのに」
きっとホースの水がかかって凍え死んでしまったのだ。一ミリたりともハムスターは動かなかった。
二階の窓から奈々が、キンタマを抱いて空から降るみぞれを眺めている。
「また、新しいの買いにいかなきゃじゃん!」
私は無理やりスキップを始めた。が、画鋲を踏んだ脚が痛いのですぐに止めた
その夜、食卓で私はうつろな目つきをして椅子に座っていた。
お腹をすかせた奈々が、二階から降りてきた。
「お姉ちゃん、また今日もママいないの?」
「うん」
「今日のご飯なに?」
奈々は無邪気な表情のままリビングの椅子に座った。
食卓の横にあるカレンダーは、2月22日を指していたが、私の頭の中でパラパラと日付が戻り始めた。
(続く)
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