第10話「この決別は……」Bパート
いつの間にか眠っていたらしい。あの日の夢を見ていた。6月2日金曜日の、夢。夢でよくある嘘なんて一つも無く、正真正銘の悪夢だった。
あの日からボクは、高校に行くもできず、ただただ自室に引き籠っていた。布団で体を包んで、外からやってくるあの日の悪夢を防ぐべく、引き籠っていた。だけど、現実というのは、人間というのは、自然の摂理というのはそう簡単に、甘くは作られていないらしい。ボクの頭の中の記憶は何度もあの日のことを、加那が自殺する瞬間をリピート再生していた。望んでもいないというのに、何度も何度も。
だから、それを忘れるべく、ボクはもっと布団で体を包み込んだ。頭まで覆い被さって。
しばらくすると、インターホンが鳴った。当然、出ない。出る気は無い。親ではない。親なら勝手に鍵を使って開けてくる。だから、これは誰か他人だ。無視した。だけど、インターホンは何度も鳴った。何度も何度も。セールスマンや配達にしてはしつこい。あまりにもうるさいので、ボクは布団から出て、玄関を開けた。外には和哉が立っていた。ボクはドアを閉めようとした。だけど和哉は門扉を越えて、無理矢理ドアをこじ開けてきた。
「……何だよ、何の用があるんだよ!」
和哉は無言で封筒を鞄から出してきた。その封筒には何も書かれていなかった。
「本島さんの遺書、らしい。学校で先生から渡された。どうやって知ったかは知らないけど、お前と仲が良いのはお前ぐらいしかいないってことで」
加那の遺書。誰に残したのだろう。怖かった。受け取ったのはいいけれど、読むのが怖かった。だから、和哉をリビングに上げた。
「変わらないな、ここ。昔のまんまだ」
封筒を開けて、ボクは加那の遺書、と言われている手紙を読み始めた。とても遺書とは思えない内容だった。読み進めれば進めるほどに、加那の声が脳内で再生される。それでも、ボクは読み進めた。
『私の正義は、相手、即ち悪を徹底的に叩きのめすこと。その手法は様々。その中で一番友好的なのは、相手の心を徹底的に叩き潰すこと。そして、再起不能になるまでボロボロにすること。それが、私の正義のルール。お母さんは逮捕された。刑は重いものになる。お母さんと一緒にいられない世界にいても、意味が無い』
これが、加那の考えていた正義のルール。これに基づけば、確かに加那は正義のルールを守って過ごしていたのかもしれない。だけど、とても正義とは思えない内容だった。明らかに、誰かを殺すという意志を肌で感じ取ることができた。それが今回はボクだったのかもしれない。それと、どれだけ加那がお母さんのことを想っていたかも分かった。ボクたちがやったことは、間違っていたのだろうか……。今となっては、もう分からない。
遺書は裏面にも僅かに書かれていた。そこには『石動沙耶。私はあんたの心を壊す』と書かれていた。
「……なにが、どこが正義のヒーローなんだよ。これじゃまるで……」
涙声になっていたのは気づいていた。涙も流れていた。だけど、止めることはできなかった。止まらなかった。青はバシャバシャと波立っていた。こんな結果になったのは、恐らく和哉が先生に言ったからだろうけど、根本的要因はボクにあった。ボクは秘密を言わなければ、こんなことには……。気づけばボクは、加那の遺書を握りしめていた。
「ごめん、加那……。ほんと、ごめん……」
ボロボロと涙を流した。こんなにも涙を流すのは初めてじゃないだろうか。今まで泣くことはあったけど、こんな号泣とまでの涙を流したことは一度も無かった。悔しかった。己を恨んだ。何もできないどころか、加那を最悪のレールに乗せて、動かしてしまったことには、自分に責任がある。どうしようもなく、自分が馬鹿に思えた。加那の心に気づいてあげることすら出来ず、挙句の果てに約束を守ることすらできないなんて……。
しばらくしたら落ち着いた。泣いている時は、ずっとこのままなんじゃないかと思っていた。ボクはなんとなく、和哉を自室に連れて行った。今親が帰って来ることはまずないけど、万が一帰ってきたら気まずくなりそうだった。和哉を先に入れて、ボクはドアを閉めた。
「……大丈夫か?」
その声は、とても優しかった。温かった。すっかり寒くなっていたボクの青も少しは温まった。
「……うん、まぁ」
「こんな時になんだけどさ、お前に言いたいこと、あるんだ」
「……なにさ」
「やっと分かったんだ、俺が、俺のことを。俺が何を、どう思っているのかを」
「なんなのさ、もったいぶって」
それでも、和哉が言おうとしていることは分かった。
「こんな状況で言うのも、やっぱり抵抗あるっていうか……。けど、それでもさ、俺、お前のこと、好きだ」
やっぱり。勘は当たっていた。だけど、その言葉からはふざけた感じはしない。本気だった。和哉は本気で言っている。
「……何で?」
「好きに理由って、いるのか?」
ボクはこくりと頷いた。はっきりと。
「まぁ、不器用でも一生懸命なところかな」
「一言余計だよ」
加那が死んだというのに、何でボクはこんな話を和哉としているのだろう。根本的要因は確かにボクにある。だけど、それを実行したのは和哉だ。そんな和哉と、どうしてこんな会話ができるのだろうか。
「加那が亡くなったのに、そういうこと言うんだね」
「言うよ、俺は。ああでもしなかったら、本島さんは間違いなく母親に殺されていた。でも、お前がそれを警察に言うことはまずあり得ない。だから、俺が言った」
それはそうだ。ボクはたとえどんなことがあっても、警察には言わなかっただろう。だって、加那と一緒に過ごしたかったから。だけど、言わなかったら加那が加那のお母さんに殺されていた、というのも分かる。だけど、和哉が言ったからこそ、加那はボクの目の前でたった一つの命を投げ出した。どっちみち、加那を救うことなどできなかったのかもしれない。
だけど、それでも……。
「分かってる……分かってるけどさ!」
またボクは泣いていた。和哉が近づいて、ボクを抱きしめてくれる。あの時と、加那のことを吐露した時と同じように、優しく、強く、温かく、包み込んでくれる。和哉の胸にしがみつく。ぎゅっと、離さないよう、離れないよう。肩に冷たいものが落ちてくる。和哉が流している涙だということは、見なくても分かることだった。
「正しい正義なんて、この世には無いんだ」
その声には痛切。
そう、人間が醜い限り、正しい正義なんて一生生まれない。
「だから、一緒に背負っていこう。正義っていう名の、罪を」
その声には覚悟。
そう、人間はいつまでも罪だけを生産する野蛮で醜悪な存在だ。だから。
「こんなの、一人じゃ重すぎて潰されそうだからな」
その声には優渥。
そうやって人間は、生きていくしかない。
醜く、他人を潰しながら、人生を歩んでいくしかない。それで他人を呪っても意味は無い。
人生は、人が創るものではない。
ボクたちは、創られた人生のレールの上を走っているだけだ。
だけど、こんな悲劇がずっと起きていていいわけがない。
こんな時代にしたのは、ボクたちより上の世代だ。だけど、全面的にその世代が悪いわけではない。
ここから先は、ボクたち若い世代が、切り拓いていかなければならない。
死してなお、加那はボクにそう思わせてくれた。
だから、加那。
ありがとう。好きだったよ。
約2か月の出来事は、この時に終わって、始まった。
ボクは今も、和哉と共に「正義」っていう罪を背負っている。とても重たくて、時には障害にもなる。
けど、時には勇気にもなる。
罪を背負っているからこそ、頑張れる。耐えられる。
この背中にあるものを、墓場まで運ばなければならない。
それが、ボクと和哉に与えられた使命。
多分これからボクは、和哉と共に一生を過ごす。
今はまだ恋人だけど、次は夫婦になって、家族になって。
そして、墓場まで一緒に行く。
現実と向き合いながら、最後まで。
加那には耐え切れなかった現実を。
加那が生きることのできなかった現実を。
加那の分まで、生きてみせる。
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