第8話「その告白は正道」Bパート

 それから1週間後の5月29日月曜日。その間、加那は学校に来ることはなかった。時々ショッピングモールの中をうろついて、加那を探してみたけど、やっぱりいなかった。何かがあった。そう考えるしかなかったけど、行動に移す気にもなれなかった。不安ではあった。けど、あれほど加那のことが気になっていたというのに、今となってはあまり気にならない。だからこその平穏なのかもしれない。ボクとしても。ボクの青は凄く静かだった。穏やかに過ごせていた。一度、篠原先生に別室に呼ばれたこともあった。何事だろうと思ったけど、別室には1週間前にボクをリンチした不良女子グループがいたので、事はすぐに分かった。謝るから許してやれ、ということだ。勿論ボクは謝らせた。だけど、許しはしなかった。だって、そこで許したら、また同じことが起きるかもしれないからだ。それに、こういう事があると学校側はすぐに「許してやれ」という命令的な感じがあることを、ボクは中学の頃から知っている。だからこそ、許さなかった。端から許す気も無かった。おかげで授業には出遅れたし先生には何故か少し怒られたけど、心は満足していた。青が激しく波立つこともなかった。淡々と、毎日を過ごしていた。相変わらず嫌いな数Ⅰと格闘をしたり、休み時間は一人でボーっと窓から見える田舎の風景を見たり。帰りも一人だった。そもそも仲の良いクラスメイトなどいない。いるはずがなかった。だから、一人。和哉とも帰らなかった。あれから、微妙な距離感が出来てしまっている。和哉から話しかけてくることも無ければ、ボクから和哉に話しかけることも無かった。だからこその平穏。のんびりと過ごしていた。今日もそんな感じで無事平和に過ごそうと思っていた。

 昼休み。お弁当を食べ終わって、トイレを済ました。いつものように教室から見える田舎の風景を見ようと戻ろうとしていた。

 和哉とすれ違った。だけど、やっぱりどちらからともなく、声をかけるということは無かった。無視をするというより、話しかけづらい感じ。本当は話せるのに、何故か話せない。原因なんて分かっていた。だからこそ、どちらからともなく話しかけることも出来なければ、視線を交わすことも出来ないのだろう。それが普通なのだろう。多分。ボクは教室に戻った。授業まではまだ時間がある。いつものように外を眺めていたら、凄い音を立てながらドアを開けて篠原先生が入ってきた。汗が垂れていた。どう見ても焦っている。何かあったのだろうか。皆が篠原先生を見つめていた。

「石動はいるか!?」

 何故かボクが呼ばれた。声を出すのも面倒だったので、手を上げてリアクションした。

「鞄持って別室来い、急げ!」

「なにかあったんですか?」

 と言いながら、ボクは荷物を急いで鞄に突っ込んでいた。

「いいから!」

「は、はあ」

 何が何なのやらさっぱり分からない。別室に呼ばれるほどのことをした覚えも無い。何なのだろうか。



                 ■



 篠原先生に着いて行って別室に入ったのはいいものの、中には誰もいなかった。指導係の先生もいなかった。長テーブルがあったので、多分会議室として使っているのだろう。余計訳が分からなくなる。篠原先生が椅子に座るよう促す。ボクはとりあえず素直に座った。篠原先生も椅子に座った。すぅっと息を吸って、口を開く。

「石動、本島と仲、良かったよな?」

 いきなり何を言い出すのだろうか、この先生は。あまり思い出したくなかった記憶を掘り起こされた。だけど、先生がそんなことに気づいている様子はない。入った時からずっと同じだった。深刻そうだった。

「まぁ、多分。向こうがどう思っているのかは、ボクは知らないんで……」

 こちらも真面目に答える。篠原先生は最後の部分がどうも腑に落ちないような感じだったけど、事実なのだから仕方ない。篠原先生は一旦息を吐き、再び口を開く。

「その本島のことなんだが……」

 依然と、その口調は暗く、何か言いづらそうだった。

 まさか、加那の身に何かあったのだろうか。加那の家に泥棒が入って、大怪我をさせられたとか。あまり想像したくないことをされて、酷い状態になっているのか……。凄く嫌な予感がした。青が少し揺らぐ。至って平静を装って先生に尋ねる。

「何か、あったんですか?」

 その答えは、あまりにも予想とかけ離れていて、あまりにも残酷で、現実味をボクは感じることができなかった。

「本島の母親が、逮捕された。どこから情報が出たのかは分からんが、証言付きだったそうだ。それと、本島も児相、児童相談所に保護された。最近来ていないのは、そういうことがあったからなんだ」

 加那のことを知っているのは、ボクと和哉。

 ……そうか、和哉が言ったのか、誰かに。確かに和哉なら加那のことを知っている。何せ、ボクが大体のことを勢いに任せて言ってしまったから。そんな現状を聞いて、和哉は動いたのだろう。そうとしか思えない。それはいい。こうなってしまったのには、ボクに責任がある。ボクが加那の秘密を言わなければ、こんなことにはならなかった。だけど、加那のお母さんはボクから見てもおかしいとしか思えなかった。虐待しているようにしか見えなかった。自分の娘を愛している一人の母親とは思えなかった。

 けど、加那は違う。あの母親のことを虐待する乱暴な親などとは思っていない。それが昔から行われてきたから、それが普通なのだと間違えた認識をしてしまっている。それなのに、それが秘密だと分かっていながら、ボクは言ってしまった。和哉に全てを言ってしまった。何もかも。あの瞬間、ボクは加那を裏切っていた。裏切ってしまっていた。ボクがもう限界だからという理由をつけて。

 青が揺らぐ。波立つ。とてつもなく大きく。

「落ち着いてから、教室に戻った方がいい。先生にはそう言っておく。もし無理だったら帰ってもいい。早退扱いにしておくから」

 それだけを言い残して、篠原先生は部屋から出て行った。ボクは一人残されてしまった。動く気にもなれなかった。

 和哉のことは何も思わなかった。むしろ、あれこそが正しい。本当の正義ってやつかどうかは分からないけど、和哉なりに考えた正しい正義だ。じゃあ加那の言っていた正義はどうなのだろうか。加那も加那でまた、己を貫き通そうとしていた。だからこそ、あれもまた正義なのだろう。正義に正しい答えなんて無い。だって、人間は今でも人間同士でしょうもないことで争ったりしている。だから、答えは無い。正義の答えなんて、本当に正しい正義の形なんて、あるはずがない。そんなこと分かっていたつもりだったのに、いざ考えてみると、答えが欲しかった。正しい正義の答え。でも、出るはずがない。誰も答えられるはずがない。正義は人によるのだから。でも、何か答えが欲しい。どんな正義ならよかったのだろうか。どれだけ考えても、どれだけそう思っても、答えは出ない。絶対に。だからこそ、頭の中が混乱する。喚き声がする。うるさくて、思考が集中出来なかった。どれだけ鎮めさせようとしても、喚き声は止まらない。むしろ悪化していく。青が波立って、揺らいで、思考もまとまらなくて、もう訳が分からなくなる。

 授業になんか出られる気はしなかった。ボクは鞄を持って、まだ帰る時間ではない高校を後にした。そうでないと、何も考えがまとまらない気がしたから。



 秘密を共有し合う仲なのに、それぐらいの仲なのに、言ってしまった。この時ボクは、今頃加那は怒り狂っているか、悲しんでいるかのどちらかだと思っていた。

 だけど、それは甘かった。どちらも間違っていた。

 ボクはこの時、既に加那から憎まれていた。

 加那の正義を、信じてあげることができなかったから……。

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