第8話「その告白は正道」Aパート
結構な時間、泣いていた。わんわんと声を上げながら、和哉の胸の中で泣いていた。泣き止むまでずっと和哉は、ボクの背中や頭を撫でてくれた。それだけだったけど、凄く嬉しかった。いつもより頼もしく感じた。
少し落ち着くとボクは和哉からゆっくりと離れた。和哉の制服は、ボクの涙やら鼻水でびっしょりと汚れていた。
「ごめん、制服汚して……」
「ん? ああ、いいよそんなの。あんま気にすんな」
「あんまってことは、ちょっとは気にしてるんじゃん……」
「お前ね……」
そうは言う和哉だったけど、笑ってくれていた。その笑顔に釣られて、ボクも思わず笑ってしまった。
加那と一緒にいる時はこんなことは無かった。ただただ、加那の笑顔が綺麗で可愛くて、緊張しっぱなしだった。だけど、和哉はそうじゃない。ボクを笑顔にしてくれた。何だかんだで優しかった。そういう奴だってことを昔から知っていたというのに、ボクは……。ボクは一体、何を見てきたのだろうか。誰と一緒にここまで成長してきたのだろうか。何にも気づけていない。馬鹿だ。ボクは大馬鹿だ。
「あのさ、沙耶」
沈黙を先に破ったのは和哉だった。真剣な声。顔を上げると、そこには真剣だけど、どこか気恥ずかしそうな和哉の顔があった。
「俺たちってさ、小学生ぐらいからずっと一緒だったろ?」
「うん。正確には幼稚園の年長ぐらい……かな」
ボクもそこまで正確な時は覚えていない。そりゃ、物心が付く前なら曖昧にもなるのは自然なことだ。だけど、感覚的には多分それぐらい小さいころから、和哉とはずっと一緒だった。歳が一つ違うからクラスが一緒になるってことは無かったけど、小さいころはずっと一緒だった、記憶がある。
「でもさ、それもなんか、小学校高学年ぐらいからかな。学校ではあんまり一緒じゃなかったろ。なんかこう、近づきがたい感じになってさ」
「そりゃそうでしょ。和哉は男子でボクは女子。男女が一緒に動いてたら、そりゃ同級生とかからはからかわれる対象にもなるし、運が悪ければイジメの対象にもなる」
「それで、お互い微妙な距離感を置きつつ、でも、一緒に成長してきた」
「何だかんだ言って、中学でも喧嘩はしたし、夏祭りには誰にも見つからないように二人で行ったりしたからね」
あれは楽しかった。中学の面倒な連中も来ているだろうと予想していたからこそ、楽しかった。スリリングな感じで。場所は微妙だったけど、河川敷から打ち上げられる花火も見ることができた。なけなしのお小遣いで買ったコーラを飲みながら。二人だけでボヘーッと花火を見ていた。凄く、凄く綺麗だった。
校内で喧嘩もした。結構派手だった気がする。かなり大声で口喧嘩をした記憶がある。あれは、そう、中学2年の頃だ。きっかけは完全に忘れたけど、まぁ何かあったのだろう。ボクも和哉も滅茶苦茶怒って、怒鳴り合いをしていた。だからこそ、周りからしばらく注目の的になった。痴話喧嘩だの夫婦喧嘩だの、好き放題言われていた。それは多分、ボクだけじゃない。和哉もクラスで言われていただろう。でも、それでも、和哉と完全に縁が切れることはなかった。それだけは物凄く強い接着剤でくっつけられたぐらいに、離れることはなかった。
そう。何だかんだで和哉とはずっと一緒だった。それが特別嫌というわけでもなかった。どちらかというと、こうやって和哉と一緒なのは最早当たり前でいつもの日常のことだとすら思っていた。
だけど、違う。そういうことに気づいたのは高校に入った瞬間からだった。
加那の存在。それが、全ての起因だった。別に加那が悪いわけじゃない……と思う。事実、加那のおかげでボクは「好き」を知った。「恋」を知った。加那への気持ちは本物だっていうことも分かった。同時に、人から発せられる「恐怖」も知った。加那は色々なことをボクに教えてくれた。
「あのさ、俺、気づいたんだよ、最近」
何を言い出すかと思えば、その口調はどこかたどたどしく、口ごもってもいた。昔からそうだった。大切なことを言おうとすると、どこか口ごもる。それが和哉だ。だからボクは、優しく訊いた。
「なに?」
和哉は黙りこくった。何だろう、こんなことは初めてだった。それからも和哉はしばらく黙っていた。結構長かったので、聞き出そうとすると、和哉は口を開いた。
「沙耶」
名前を呼ばれる。真剣に。真面目に。一体何だというのだろうか。こっちまで緊張してくるじゃないか。それに和哉は、ボクの顔を真剣に見つめている。なんかこう、気恥ずかしかった。加那に見られる時とは違う気恥ずかしさだった。ボクは黙ってることしかできなかった。
「俺、お前のこと好きなんだと思う」
「……へ?」
我ながら間抜けた声しか出なかった。このタイミングで一体何を言い出してんだろう、こいつ。一瞬理解出来なかったけど、段々と何を言われたかを脳が理解し始める。ボクの青が今までとは比べ物にならないぐらいに揺らぐ。波立つ。すると、どうしてだろう、さっきまでちゃんと見ることができた和哉の顔を、まともに見ることができなくなっていた。
「お、思うって、確定じゃないのか……。てか、ボクかよ……」
「き、気づいてなかったのか……」
「そうそう気づけるもんじゃないよ、そんなの……」
「そ、そんなもんか」
「そんなもんだよ……」
まだ青は揺らいでいる。激しくはなかったけど、やんわりと、ゆらゆらと、陽炎の如く揺らいでいる。和哉を見ることができない。なんで、どうして……。
「最近さ、お前と話そうとするとなんかこう、上手く話せないんだよ。家に帰っても、沙耶の顔が脳裏から離れないし、沙耶のことばっかり考えるし……」
喜ぶべきことなのだろうか。嬉しくなるべきなのだろうか。いや、嬉しいのは嬉しい、のかもしれない。青は大きく波立っていた。
「だから、好きなんだと思う。いや、好きなんだ、お前のこと」
今度ははっきりと「好き」と言われる。脳が認識する。心が揺れる。青が大きく波立つ。顔が真っ赤になる。ここまではっきりと「好き」と言われたことはない。真剣な眼差しで。真剣な声で。加那はこういうことは言ってくれなかった。
だからといってボクは、どう答えればいいのだろうか。ボクにはちゃんと加那という好きな人がいる。だけど、その加那には並々ならぬ恐怖も抱いている。加那のお母さんのこと。それがずっとボクに恐怖を与えてくる。加那の笑顔も、ボクに恐怖を植え付けてくる。何を考えてるか分からない。最初はそんな理由が凄く魅力的だった。誘惑的だった。「秘密」という危険なものを共有することは怖かったけど、同時に加那とボクしか知らないことがあるという優越感が、ボクには確かにあった。今思えば、あった。
けど、それでもボクは、まだ加那は何とかなると思っている。だから、和哉にもちゃんと応える。
「……いるよ、ボクにも好きな人は」
「……本島さん、か?」
「何で分かんのさ」
「ちゃんとお前のこと、見てたから」
はっきりと言われる。ボクをしっかりと見て。その言葉に淀みはなかった。純粋で、真っ直ぐで、凄く綺麗な言葉。
だけど、今のボクにそんな真っ直ぐでかっこいい言葉を投げられても困る。だってボクには、好きな人がいる……。
……本当にそうなのだろうか? 本当に好きなのだろうか、加那のことが。本当に好きなら、こんなにもぐらぐらとは揺らがないはずだ。なのに今のボクは、吊り橋のようにぐらぐらと揺らいでいる。何で、どうして。加那のことが好きなはずなのに。分からない。何も、分からない。混乱してくる。頭がめちゃめちゃになる。頭を抱える。何が正しい? 何が間違っている? 何を間違えている? 駄目だ、分からない。本当に、何も分からない。
「沙耶!」
大声で名前を呼ばれる。やめて。今は呼ばないで。さっきから青が凄く波立っている。落ち着けさせないと。でないと、考えることすらできなくなる。だから、落ち着かせて。何でもいいから、ボクを落ち着かせて。お願いだから。呼吸が荒くなる。上手く呼吸ができない。さっきからゼーゼー言っている。誰か、誰か――
視界が少し暗くなる。見えていたはずの和哉もいない。部屋も見えない。だけど、温かい。和哉にぎゅっと、でも優しく抱きしめられていた。
「もう、考えるな、あの子のことは。本島さんのことは。こう言うのはなんだけど、本島さんはやめた方がいい。お前のためにも。俺のことなんかどうだっていい。お前が潰れても、どうにもならんだろ……」
確かにそうかもしれない。だけど、それは一番言ってほしくないことだった。まだ、ボクの気持ちも整理出来てないというのに。加那のことを、気持ちを、感情を、綺麗に整理整頓出来てないというのに。
でも、それが和哉なりの気遣いってことも、ボクは分かっている。これだけ長く一緒にいれば、それぐらいのことは分かる。そう。和哉のことが分かるということが、ボクの青を激しく波立たせる。揺らがせる。安定にさせてくれない。和哉が悪いわけじゃない。加那が悪いわけじゃない。ボクが、ボクが悪い。
けど、それでも、どうしようもなかった。
だからボクは、和哉の腕の中から離れた。ようやく一人で立ち上がることができた。
「……まだ、汚れてるな」
「これぐらいは、多分大丈夫。母さんには転んだとか、そんな感じで言っておくよ」
「分かった」
和哉の家を後にしようとする。玄関でローファーを履く。ドアのロックを解除しようとする。だけど、新しい家に来たのは初めてだったから、何をどうしたらいいのか分からなかった。
「ああ、そうか、初めてだもんな。今は上と下をこうして……」
そうして、ドアのロックを解除してくれた。
そう、ここはもう昔の和哉の家ではない。新しい和哉の家。だからこそ、和哉は新しくなったのかもしれない。あの情けない和哉とはちょっと違う和哉になったのだろう。その新しい和哉を知れて、ボクは何となく嬉しかった。
ドアノブに手をかけて、出ようとすると、
「無理、すんなよ」
それだけ言って、和哉は2階への階段を上り始めた。声が届かなくなる前に、ボクははっきりと言った。
「ありがとう、和哉」
瞬間、和哉の2階へ上る足音が止まる。ボクはドアを開けて、和哉の家を出た。
これが、今のボクにできる、和哉への感謝と告白の答え。
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