第7話「あの正義は虚構」Bパート
「記入止め。答案用紙回収するぞー」
先生はそう言った瞬間、全員がシャーペンやら鉛筆やら消しゴムを机に置く音が一斉にした。後ろの座席から答案用紙を前の座席へ送っていく。2限目の数Ⅰの試験だった。結果なんて、見なくても見えている。最初の方の問題しか解けなかった。あとはまるっきりさっぱり駄目。問題文の時点で、何を言いたいのか、そもそも何が書かれているのかすら分からないぐらい分からなかった。赤点待ったなし。間違いない。しかし今のボクにはそんなことどうでも……よくはないけど、どうでもいい。
朝、教室には比較的早くに入れた。それなのに、加那は来なかった。途中、トイレに行ったりして少し探してみたりもしたけど、どこにも加那の姿は無かった。どうしてだろう。試験だから、来ると思っていたのに。加那、何かあったの……?
「明日も試験だからなー。勝手に気を抜くなよー。そんじゃ終わり。帰っていいぞー」
篠原先生がさっさと出て行く。いつの間にいたのだろう。試験の時の担当じゃなかったのに。まぁ、いい。ちょっと加那を探しに行こう。ボクはペンケースを鞄に突っ込んで、教室から出た。すると、目の前に見慣れた男子が教室から出てきて、ボクと目が合った。
「……何でそんなにタイミングいいのさ」
「そりゃこっちのセリフだっての」
和哉は苦笑いしていた。視線は感じない。皆、明日の試験のこととか、今日の出来具合で頭がいっぱいなのだろう。ラッキーだ。
「試験、どうだったのさ」
何となく、ボクから話題を振った。
「まぁ、ぼちぼちって感じかな。沙耶はどうなんだよ?」
「現国はまぁまぁなんじゃないかな。何となくだけど。数Ⅰは見事に爆死した」
「ああ、そういやお前、昔っから数学系駄目だったもんな」
「あんたも大してよくなかったでしょうが、うるさ……」
視線を感じた。しかもかなり強烈な視線だ。この感覚には覚えがある。入学式の時にも感じた。そして、この鋭さと醜さを持った視線の持ち主が男子か女子かなんて、一発で分かる。女子だ。ボクのクラスではそこまで大きく動いてはいないけど、放課後になると活発になっている不良女子だ。特進クラスにはいないだろうって思っていたボクが甘かった。普通にいた。しかも知らない視線も混じっている。多分、同学年の不良仲間だろう。ただ男子はいない。女子だけだ。
「石動さぁん」
なにさ、その妙に甘ったるくて納豆みたいにねばねばしてそうな呼び方は。それが他人を呼ぶ時の言い方か。一体どういう風に育てられてきたんだ。大体、なんでボクなんだ。一度も話しかけてきたことも無ければ、絡んできたことも無いくせに、なんでいきなり。全く分からない。まぁ分かりたくもなかったけど。
「なに?」
振り返りながら答える。制服を着崩した、だらしない恰好の不良女子が4人だった。見覚えのある顔もあったけど、名前までは思い出せなかった。
「あたしたちと遊ばない?」
リーダー格と思わしき化粧の濃い女子が言う。
「なんでまたいきなり」
「ずっと気になってたのよぉ、石動さんのこと。本島さんと仲も良いみたいだし」
「そうなんだ」
「だからそんな石動さんだからこそ、もっと知りたいなぁって思ったのよ」
気色悪い。本心からそう思った。こんなクズを体現したような不良女子に、ボクと加那の関係が分かるはずがない。分かったとしても、分かってほしくない。そんなことなんて望まない。望みたくもない。
「和哉、先行ってて」
「……いいのか?」
少し心配そうな声。だからこそボクははっきりと答えた。
「すぐ追いつく」
それでも和哉は動こうとしなかった。和哉とは昔から喧嘩もするし、相談話とか、そういう色々な話もする。だからこそ、早く行ってほしかった。
もうボクは、一人でも十分大丈夫だということを証明したかったから。
「……分かった。駅で待ってる」
しばらくしてから和哉は階段を降りて行った。すると、リーダー格の女子がからかうように問うてきた。
「ボーイフレンドを先に行かせてよかったのかなぁ?」
「別にそこまでの仲じゃない。ただの腐れ縁。小学校の時からの腐れ縁」
「あっそ。じゃあ着いて来てくれる?」
「なんで場所変えなきゃならないのさ」
「あたしがそういう気分だからよ」
急にドスの利いた声になる。ちょっとキレたか。まぁいい。ボクは素直に彼女たちに着いて行った。
階段を降りて着いた場所は、前に加那が加那のお母さんに叩かれていた校舎棟裏だった。彼女たちはそんなこと知らないから何とも思わないのだろうけど、ボクとしては嫌に運命的だと思った。
着いた途端、彼女たちはボクを取り囲んだ。やっぱり不良は不良だ。感覚が普通の人と違う。誰かを傷つけても何とも思わない、そういう人間性を欠かした人だけが発する感覚。中学の頃に絡まれた不良女子と何ら変わらない。高校にまで上がってきたというのに、彼女たちはまるで成長出来ていない。
「とりあえず、ここまで来てくれてありがとうとでも言っておくわねぇ」
「そりゃどういたしまして。でも、誰も遊ぶなんて言ってないよ」
その答えが一体どうなるのか。そんなことぐらい分かっている。
「は?」
「あんたさぁ、ふざけてんの?」
「クッソムカつくんですけどぉ」
リーダー格以外の3人が口々に言う。予想通りだ。どうせこういう反応になると思っていた。面倒なことになるということも分かっていた。
「あたしらの誘い断るなんてさぁ」
リーダー格の女子がボクの胸倉を掴み上げる。結構力がある。運動部系の部活にでも入っていたのだろうか。当たり前だけど、怖くなった。誰だって、こんな状況にでもなれば、怖くなる。
胸倉を突き飛ばして、よろめいているボクをリーダー格の女子は蹴ってきた。腹部、それも丁度鳩尾の部分だった。思わず咽る。
「いい度胸してるよ、ほんと。レズの分際で」
倒れ込んだボクを、4人は好き放題に蹴っていた。これも予想通りだった。こういう事態に多少は心得もあるし、慣れてもいる。だけど、好きにはならない。というか、好きになる人間はいるのだろうか。それこそ、変態ぐらいしかいない気がする。
ああ、加那は今頃何をしているのだろう。どこでどうしているのだろう。なんで学校に来なかったのかな。試験受けないと、追試とか、留年とかの危険もあるのに。ボクは嫌だよ、そんなの。加那だけが1年遅れて卒業するなんてこと、嫌だよ。ああ、でもなんでボク、こんな目に遭ってるんだろう。加那のせいでもないのに。加那のせいじゃないのに。加那に責任があるはずがないのに。どうして、どうしてそんなことを考えてしまうんだろう。痛いなぁ、苦しいなぁ、辛いなぁ。何でこういう時に限って、誰も来てくれないんだろう。ボクって、その程度の存在でしかないのかな。そうだよね。女子に本気で恋する女子だもんね。レズだもんね。所詮その程度の存在に決まってる。ああ、痛い痛い。眼鏡とかコンタクトとかしてなくてよかった。顔も少し蹴られてる。顔はヤバイんじゃないかな。先生に見つかったら一発でバレるよ。やめといた方がいいと思うよ。でも、そんなのこいつらには関係無いか。理性を忘れて、野性だけで人生を楽しむってタイプな気がするし。あの時、和哉と一緒に帰っておけばよかった。どうせ口喧嘩はするけど、こんな痛い思いをしなくて済んだだろう。今頃そんなことに気づくなんて、どうかしてる。鈍いにも程があるよ、ボク。
「……?」
目を閉じて耐えていたので、いつの間にか彼女たちが去っていることに気づくのに少し遅れた。意外と早かった。飽きたのだろうか。口の中は血の味が少しあった。気色悪かった。早く口を濯ぎたかった。歯を舌で触る。どこもぐらついていない。よかった。
立ち上がろうとすると、ふらっとなった。世界が回っているように見えた。駄目だ、立てない、倒れる――
「大丈夫……じゃないな」
グルグル回っていた視界には、和哉の顔が大きく映っていた。和哉に支えられていた。混乱した。先に帰ったはずの和哉がなんで、ここに。しかもこんなにタイミングよく。
「なんか、気になってな」
恨めしかった。こんなことになっているというのに、何もしてくれないなんて、それでも男か、って言いたかった。けど、口から出た言葉は。
「……ごめん」
何故か謝っていた。無意識に謝っていた。そんな自分がどうしようもなく嫌だった。大丈夫だと思っていたのに結局、和哉の助けを借りている。手を差し伸べてもらっている。本当なら、和哉がボクに、じゃなくて、ボクが加那に手を差し伸べる構図でなければならないのに。それどころじゃなくなっている。悔しかった。ボクの無力さが。呪いたかった。ボクの計算の甘さを。所詮、希望的観測でしか物事を見ていないことに今更気づいた。どうしようもなく、虚しかった。
「沙耶?」
ずっと黙っているボクに和哉は優しく話しかけてくれた。
もう、限界だった。ボクだけでは抱えきれない。背負いきれない。こんな大きなこと。こんな大きな闇を抱えるなんて。背負うなんて、もう出来ない。身(からだ)も精神(こころ)も持たない。吐き出さないと壊れてしまいそうだった。
いつの間にかボクは、和哉に闇を吐き出していた。
「加那はね、普通じゃないんだ。正義のヒーローとか言って、嘘も平気で吐くし、その嘘でボクを元気にさせようとするんだ。いっつもお昼ご飯に菓子パンを食べてるんだけども、豪華なお昼の時ですら、冷凍食品なんだ。もう、明確でしょ、こんなのって。加那はお母さんのこと大好きなんだろうけど、お母さんの方は違うんだよ、きっと。いや、絶対。だって、ここでボクは見た。加那のお母さんが、加那に暴力振るってるの。それも凄く強く。でも、加那はそれでもね、あれは元気を貰うためのおまじないとか、そういうことを言うんだ。それを二人だけの秘密にしようって。もう、絶対違うんだよ。でも、どうしても、加那のことを忘れられないんだ。もう疲れたんだよ、こんなこと」
ああ、大体を吐き出してしまった。でも、不思議と後悔の念には訪れない。むしろ、スッキリしている。どういうことだろう。加那と一緒に秘密にしたことなのに、どうして。
和哉が声を震わせて言葉した。
「……それ、マジなのか?」
ボクは静かに和哉の腕の中で頷いた。和哉が息を呑む音が聞こえた。そりゃあそうだろう。こんなこと、今まで言ったこともないし、今考えてみると、かなり狂気に思えた。どうしてこんなことを大切だと思って、抱えていたのだろうか。
しばらくして、和哉がボクを立たせてくれた。何とか立てている。よかった。これで動ける。
「……ちょっと、俺ん家寄ってけ。せめて、泥落とさないと、親に何言われるか分からないだろ。今日、俺の家、親いないし」
「……うん」
■
和哉の家の玄関で出来るだけ制服に着いた泥を落として、家に上がった。和哉の部屋は2階にあった。階段をゆっくりと昇って行く。時々ふらついたので、和哉に手を差し伸べてもらいながら和哉の部屋に向かった。
部屋に入った途端、ボクは涙を流していることに気づいた。ボクの中の何かが弾ける音がした。いっぱい流している。なんで、こんなに……。嗚咽もしていた。止まらなかった。止められなかった。止めようとも思わなかった。思えなかった。膝をついて、子供のように泣きじゃくっていた。
和哉はそんなボクをふんわりと包み込んでくれた。背中を優しく撫でてくれた。それが余計に涙を促した。
カーテンからは太陽の光が入り込んでいる。明るい時間帯で泣くのは、本当に久しぶりのことだった。
和哉に加那のことを言ったのは、果たして正解だったのだろうか。言わなかったら、どうなっていたのだろうか。
けど、どちらの選択肢を取っていても、何も変わらなかっただろうと、今では思う。
だから、これで正解だったのかもしれない。
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