第5話「あの笑顔は何処」Aパート

 4月も27日は木曜日。

 授業終わりにボクと加那は、戸上の一番大きな公園「戸上公園とがみこうえん」に来ていた。ボクは昔から戸上に住んでいたからどういう設備があるのか知っているけど、加那は物珍しそうに公園を見ていた。特にビオトープなんて初めて見たらしく、質問攻めをされた。ボクが知っているのはこの公園にどういう設備があるかだけで、実際のところ、ビオトープが何のためのものなのかは全く知らない。そうストレートに言うと、加那は少しがっかりしていた。ちょっとだけ後悔した。

 戸上公園はとにかく大きく、全体をじっくりと見て回ったら軽く20分はかかる。公園の南側にビオトープ。中心部には大きな縄製のジャングルジムや滑り台、ターザンロープが二つ設置されている。その北には筋トレもできる遊具が幾つかあり、それらと並んで何故かブランコが4台設置されている。何でブランコがこんな不釣り合いなところに置かれているのかは分からない。多分、スペースの関係上、仕方なくそうなったのだろう。

 午後5時の戸上公園とがみこうえん。暖かく、子供たちの声もよく聞こえる。ちょっと大きいけど、至って普通な公園。

 公園を一通り見終わった後、ボクはブランコにだらーんと座っていた。加那はまだ珍しそうに色々な遊具を見ている。目がキラキラと輝いていた。こんなにもはしゃいでいる加那を見るのは初めてだった。

 ほどなくして、加那が戻ってくる。まだ目は輝いていた。

「そんなに珍しい?」

「公園来たの、初めてなの!」

 一瞬ボクは固まった。公園が、初めて。

「嘘でしょ?」

 流石に信じられなかった。けれど加那は怒った素振りもしなければ、まだ目を輝かせたまま答えた。

「ほんとほんと。公園なんて初めて! 面白そうな遊具でいっぱいだね!」

「……そうだね」

 嘘。そんなことはない。少なくともボクは、もう公園の遊具に興味はない。もちろん、今座っているブランコだって。

「沙耶ちゃん、どうしたの?」

「え?」

 声のトーンでも暗かったのだろうか。加那が不安気に尋ねてきた。

「楽しくなさそうだったから……」

「あ、いや、そんなことない。懐かしいし、結構楽しい」

 半分本当。懐かしいのは懐かしい。でも、心の底から、加那のように新鮮な楽しいという気持ちは全くない。

「沙耶ちゃんが今座ってるのって、ブランコだよね?」

「そうだけど」

「一緒に漕がない?」

「いいけど……ボクたち、今スカートだよ? 中見えるよ?」

「体操服着れば、万事オッケー!」

「いやまぁそりゃそうだけど……まぁいいか」

 丁度今日は体育があった。一人ずつ、スカートの下に体操服の長ズボンを穿く。スカートの下に体操服着るなんて、何だか田舎の中学生みたいでちょっと嫌だった。まぁ、元々田舎の中学生で、よくこんな格好していたけど。あまり抵抗感は無かったけど、それでも高校生になってまでやるのかと思えば、少し気が引けた。だけど、穿かなければブランコは漕げない、というか死んでも漕ぎたくない。体操服があってよかった。乗り気ではないけれど。

 最初はブランコってどうやって漕ぐんだっけと、やり方を思い出せなかったけど、足を大地から離すと、段々と遊び方が蘇ってきた。前に出る時は、足を上げて、下がる時の一瞬で大地を蹴って勢いをつけていく。

 段々と速度が出始めてきた。同時に、高くまで上がるようになってきた。戸上の住宅街を一望できる。良い気分だった。気持ちが良かった。町を見下ろすのがこんなに気持ちよく、綺麗に思えるとは思ってもみなかった。

「沙耶ちゃん、凄い」

 ブランコから落ちないよう、制御しながら答える。

「何が?」

「そんなに高くまでいけるなんて羨ましい」

 そう言われても、とボクは何と返したらいいのか分からなかった。加那の制服の下の左腕には、まだ包帯が巻かれているはず。だから、高く上がりたくても、力が入らないから、できない。仕方のないことだ。

「……加那はさ、無理し過ぎだよ」

 少しずつ、ブランコの速度を落としながら答えた。

「どういうこと?」

 加那は見上げながら問う。

「ホントはさ、凄く痛かったんでしょ? あんなに強く当てられてさ……」

 加那もすぐに何のことか分かったようで、制服を捲って左腕を見せてきた。その左腕には、包帯どころか湿布すら無かった。

 どういうことだろう。もう、痛くないのだろうか。いや、そんなはずはない。あれだけ強く当てられたのに、痛くないはずがない。

 でも加那は、腕をパンパンと叩いて、強く答えた。

「正義の味方は、正義のヒーローは、そんな弱音を吐いちゃ駄目。だから、私はこれっぽちも痛くなんかないの」

 笑顔だった。けど、その笑顔は本当の笑顔なのか。本物の笑顔なのか。本心からの笑顔なのか。

 付き合いが浅い深いは関係なかった。加那の笑顔のうち、どれが本来の笑顔なのか、ボクには分からない。少なくとも、クラスメイトは当然のこと、和哉にも分からないだろう。何せあいつは、加那のことをあまり良いように見ていない。イジメとか、そういう対象なのではなく、近づきたくないという感じ。

 だから、ボクは分からないなら分からないなりに、全力で、真正面から加那に接していこうと思った。

 ブランコを漕ぐのをやめて、加那の腕に触ろうとする。本当にもう痛くないのか、それだけは試したかった。今は少なくとも、友達として、心配だった。

 手を伸ばすと、加那はサッと左腕を庇ったけど、すぐに何でもないように振る舞った。やっぱりまだ治っていない。庇うということは、まだ痛い。だけど、痛いのは加那だけではない。ボクも痛かった。身体的にではなく、自分の無神経な心が。

 俯きながら謝った。何故か加那の顔を見ることが出来なかった。もしかしたら、ボクは加那の笑顔だけを見ていたいのかもしれない。そういえば、加那が普段どういう表情をしているのか、思い出せなかった。

「いいよ、別に」

 まるで心を見透かされたような加那の発言。それは多分、いや、間違いなく、ボクが小声で謝ったことに対することだ。

「沙耶ちゃんは謝らなくていいよ。大体、悪いのは全部、私に強くボールを投げつけたドブネズミ共だけなんだから」

 ドブネズミ。加那からまさかそんな汚い言葉を聞くとは思ってもみなかった。けど、ドブネズミ「共」ってなんだろう。誰のことだろう。複数ではある。

 少し気になったけど、それ以上に、加那の言っていることが間違っているようには、まるで思えなかった。むしろ、本当に正義のヒーローのように見えた。少し口の悪い、正義のヒーロー。だからボクは、黙って頷いた。

 気づけば辺りは翳りつつあった。正面の住宅街からは、灯がぽつぽつと見え始めている。スマホで時間を見ると、もう18時だった。

「帰ろう、加那。もうこんな時間」

「うん。そろそろお母さん、帰って来る時間だし」

「それじゃ、また明日」

「うん、また明日」

 加那と約束をして、ボクは家に帰った。4月ももう終わりを迎えようとしているのに、風は妙に寒かった。



                 ■



 鍵を解除して、ドアを開ける。私が暮らしているのは安アパートなので、ドアが開く音は何となく安っぽい。多分、安アパートだから一戸建てのように良い材質は使っていないのだろう。アパート暮らしが長い私にとっては、もう慣れたことだけど。

 玄関の先は真っ暗で、誰かがいる雰囲気は無い。当然だ。まだお母さんが帰って来る時間ではない。そろそろ帰って来るだけであって、確実な時間にお母さんは帰って来ない。仕事が忙しいのだ。幾つも掛け持ちをして、私を松野高校に通わせてくれている。そのことだけでも感謝して、何とかして恩返しをしたい。だけど所詮は高校生。何かが出来るわけでもない。高校でしっかり勉強をして、就職しなければ。

 電気を点けて、リビングに行く。2LDKのリビングには食卓と今時珍しいブラウン管のテレビ、そして、その食卓の上には、お母さんが飲んだ缶ビールの空き缶。今日は3つだ。いつもより多い。疲れてるんだろうなぁ。私まで辛くなってくる。だけど、私は弱音を吐いちゃいけない。お母さんに迷惑をかけてはいけない。

 空き缶をゴミ箱に捨てて、キッチンへ行く。ラップで包まれた、冷凍であろう焼きおにぎりと卵焼きが載せられたお皿が置いてあった。お皿は二つあった。私の分と、お母さんの分だろう。珍しい。こんな豪勢な夕食は久しぶりだった。

「お母さん、ありがとう」

 そう言うと、何だか自然と涙が流れてきた。こんなにも私のために頑張ってくれたんだと思うと、自然と流れてきた。

 涙を拭って、お皿を電子レンジに入れて温める。しばらくして、チン、という温め終わった音がする。お皿を取り出して、食卓へ持って行き、私はゆっくり、しっかりと焼きおにぎりと卵焼きを味わった。

 美味しかった。凄く美味しかった。お母さんの愛情をしっかりと感じた。お母さんが頑張ってくれたからこそ、この美味しい食事を口にすることができる。そう考えるとお母さんの存在は、私には必要不可欠な存在だと思った。まだバイトも出来ないから、食べさせてもらうためにも、生きていかせてもらうためにも必要不可欠だった。

 テレビはあるけど、私は点けなかった。少しでも電気代を安くしないと、お母さんへの負担が大きくなる。それが原因で病気にでもなったら、私はどうすればいいのか分からない。いや、死んだ方がいいかもしれない。たとえそれが、誰も望まなくても。

 夕食を食べ終わり、食器の片付けも終わって自分の部屋に行こうとしたら、掛けていた鍵が開く音がした。玄関から聞こえるいつもの音、いつもの足音。玄関へ向かう。

 ドアが開かれ、お母さんが姿を見せる。

「お帰りなさい」

 お母さんは何も答えなかった。多分疲れているのだろう。いつもの寒そうな薄っぺらそうなコートを脱いで、リビングへ向かう。私は残しておいたお母さんの分の焼きおにぎりと卵焼きを温め始めた。すると、お母さんが。

「ご飯いらないわよ。済ましてきたから」

 そう言ってお母さんはすぐにシャワールームへ向かった。少しだけ寂しかった。だけど、これもよくあることの一つ。

 私は電子レンジを止めて、お皿を取り出した。冷蔵庫に入れようとした瞬間、いいことを思いついた。

(これ、明日のお昼に持って行ったら沙耶ちゃん驚くかなぁ。驚くだろうなぁ。ようし)

 私は焼きおにぎりと卵焼きを冷蔵庫に入れた。あまり見えない位置に隠すような感じで。まぁ、お母さんが冷蔵庫を開けたとしても、ビールが入っている棚しか見ない。それに、朝食は私が作っているので見られる心配はないし、お母さんは時々家で朝食を食べないから多分大丈夫だ。

 沙耶ちゃんは私が菓子パンを食べていると、いつも何だか表情が暗くなる。菓子パンがお昼ご飯っていうのが世間的に貧乏だということは、最近の高校生活で分かった。たまに持って来ている子もいるけど、そういう子たちは大体がお弁当を持って来るのを忘れた、お母さんが寝坊して菓子パンになった、とか、そういうのが大半だ。つまり、私のように最初から菓子パンというのは非常に少ない。

 私はお母さんがシャワーをしている間に、今日出た宿題を片付けて、眠る準備をした。程なくしてお母さんがシャワーから出たので私もさっさとシャワーを浴びて、部屋に戻って眠りに就いた。何だか明日が楽しみだった。

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