第4話「この少女は病的」Bパート

 今日の体育は普通科2クラスとの合同体育。本来は2クラス合同でやるのだけれども、ボクたち9組は人数が凄く少ないので、普通科1クラスと特進クラスだけではどうしても授業が円滑に進まないらしい。ボクは体育が大嫌いだからそれでもいいけれど、まぁ当然、そんなことにはならない。男子の方を見てみると、明らかに不満そうな顔をしている生徒がちらほらいた。やっぱり嫌なのだろう、この合同授業が。

 今日の内容はバスケットボール。バスケ。ボクが最も苦手とする球技だ。まぁ、ボクはどの球技もさっぱりだけど。バスケに関してはルールすらよく分からない。中学の時に習った気はするけども、全く覚えていない。

 勝手にチームが作られ、ボクは緑のゼッケンを着たチームになった。その中には、着替えの時にはいなかった加那もいた。先生からはしっかり見ておくように、って言われていたけど、正直どうでもよかった。加那と話したかった。お昼休みの時はごめん、って謝りたかった。でも、その機会が訪れることはなかった。ボクたちのチームの出番が回ってきた。コートに入って、試合が始まる。

 ボクはなるべくパスが回ってこないような位置に居ようとしたけど、流石は高校のバスケ。そうはいかなかった。

 皆が全力で動き回る。シュートを入れようとする。入らないから相手チームにボールが回る。ボールを持った生徒が、ボクの前にやってくる。

「石動さん!」

 誰かが怒鳴るように叫ぶ。分かってるよ。下手なりに何かしてみるよ。というか、何で名前を呼ぶんだよ。ほんの少しだけ注目されちゃうじゃないか。上手い人には掛け声だけなくせに。

 ボクは何とかボールを奪おうとしたけど、相手はどうもバスケ経験者らしく、ボクのような素人の動きを完全に読んでいた。あまりにも機敏で、ボールに触るどころか、手を伸ばすことすらできなかった。

「石動! やる気出せ、やる気!」

 今度は先生から。しかも叱られた。やる気? あるっての。見て分からないのかな。ま、所詮その程度の教師なのだろう。生徒がどれだけできるかも分からないのだろう。

 試合時間が残り1分にまでなった時。いきなりボクに強烈なパスが回ってきた。多分、さっき相手のボールを奪えなかったからだろう。呼ぶことすらなく、いきなりだったのでボクは突き指みたいなことをしてしまった。思わず呻いた。

「石動、大丈夫か?」

 流石に先生も心配してきた。よかった。ちゃんと良識のある体育教師だ。ニュースでよくやっている体罰上等な馬鹿教師じゃない。

「ちょっと、痛いです」

「今日はもう見学しておけ」

「はい」

 ラッキーだった。これでもう今日はバスケをしなくて済む。パスを回してきた女子はなんだか不満そうだったけど、知ったことじゃない。

 試合が再開された。残り50秒ぐらい。皆焦っていた。

「本島さん!」

 ボールを持った女子が、加那にパスを渡す。1バウンドも無し。ノーバウンドパスだった。加那はいきなり呼ばれて驚いていたけど、それを何とか受け止めようとした。けど、加那はそれを受け止められなかった。相手にボールが回った。それで済めばよかった。

 加那はいきなり倒れ込んで、呻き始めた。一瞬全員、何が起きているのか分からなかった。ボクも分からなかった。

「本島!?」

 先生が一番に駆け出した。加那の腕を診ている。けど、やっぱり怪我に関してはそこまで知識は無いのだろう。困惑していた。けどボクはもっとだ。加那が怪我をしたかもしれない。自分のせいかもしれない。いや、そうに決まっている。ボクがもっと上手く動けていれば、こうなはらなかったかもしれない。

「9組保健委員は!?」

 先生が叫ぶ。一瞬、9組の保健委員が誰だったか分からなかったけど、すぐにボクだと思い出した。最初の1週間で委員は決めていたのだった。

「ぼ……わたしです!」

「石動、本島を保健室まで運ぶぞ!」

「は、はい!」



                 ■



 加那の肩を先生と一緒に担いで保健室にやってきたけど、肝心の先生はいなかった。常時いるわけじゃないのか、先生って。多分、他にも仕事があるのだろう。ともかく、加那をベッドに横たわらせて、どんな状態なのか診た。ボールを受け止めようとした左腕を急いで診ている。とりあえず腕は曲がるし、動かしても呻くのは呻くけど、大きい声を上げることはなかったから、ボクは加那の腕に湿布を貼って、外れないよう包帯を巻いた。

「本島を見ていてやってくれ。石動も突き指で、できないことだしな」

「分かりました」

 そうして先生はすぐに保健室から出て行った。かなりタッタッタと速い足音が聞こえた。急いで授業の続きをしなければ、と思っているのだろう。まぁ、ボクにはそんなことどうでもいい。加那が心配だった。

 だけど、その必要はなかった、かもしれない。

 もう一つの空きのベッドに座って突き指をしたところに湿布を貼っていると。

「沙耶ちゃん」

 元気な加那の声。さっきまで呻いていたのに、どうしてこんなに元気なのだろう。顔を上げると、そこには横たわっていたはずの加那が、起き上がってボクを笑顔で見ていた。照れくさいという感情の前に、不安定さを感じた。明らかに今までと違う感情。不気味。不安心。そういう感情ばかりが先行していた。でも、何とかして答えないと、と思って、ボクは平静を装って答えた。

「大丈夫なの?」

 声は震えていた。でも不審がられることはないだろう。心配していたのは事実だから。

 だけど、加那の答えは、ボクの予想とはまるで違っていた。

「演技、上手だったでしょ?」

「演技?」

「そう、演技。痛いけど、全部演技なんだ」

 それだと演技じゃないのでは、と言いそうになったけど、彼女の笑顔から嘘は言っていないように思えた。

「何で、演技をしたの?」

「それはね、沙耶ちゃんとね、二人きりで話したかったの」

「そのための、演技……」

「そう。凄いでしょ? 私の演技。演劇部とかに入ってたわけでもないんだよ?」

「それは、凄いとは思うけど……。なんで、話したかったの?」

「沙耶ちゃんもそうだったんでしょ? 沙耶ちゃん、私のこと、好きなんだよね?」

 そうドストレートに言われると、ボクは何も言えなかった。ただただ、自分でも顔が赤くなるのがはっきりと分かった。無意識に加那から視線を逸らしているのも分かった。これ以上彼女の笑顔を見ていると、こっちがおかしくなってしまいそう。そんな気がした。

 だけど、加那が言い始めたことは、意外なことだった。

「私にもね、秘密、あるんだ」

 入学早々に、ボクは加那に秘密を握られていた。それが何なのかははっきりと覚えている。というか、今抱いている感情だ。

 加那が好き。女の子が女の子に恋をする、禁断の感情。最近では風当りもマシになってきてはいるけど、ほんの少しだ。依然として淘汰されやすい感情。不安定な土台の上にある平均台を歩いているようなもの。

 そんな加那にも、秘密があった。何なのだろうか。凄く気になった。でも、こちらから訊いていいものなのかどうなのか、分からない。プライバシーに関わることだ。だからボクは、普通に返した。

「秘密?」

 加那は、ぱあっと笑顔が更に明るくなった。そして、加那は饒舌に語り始めた。それは、彼女の秘密。ボクが凄く気になるもの。

「私ね、正義のヒーローになりたいんだ。昔からね、ヒーローが出てくる番組が好きだったの。でも、ああいうヒーローじゃない。テレビの中のヒーローは、超人的な力を持っているけど、私は当然そんなものはない。だけど、力が無くてもヒーローになることは出来る。皆を守れなくても、一人ぐらいは守ることが出来る」

 ボクには何を言っているのか分からなかった。さっぱりだった。いきなりヒーローがどうだの何だのと言われても、よく分からなかった。でも、聞いていた。これが加那の秘密かもしれないから。加那と一緒になれる気がしたから。

 加那は饒舌なまま、続けてくれた。湿布を貼った腕をさすりながら。

「本当は腕、今も痛いんだけど、我慢してるんだ。だって、痛みも苦しみも、全てを受け入れて、受け入れて、自分で力にしないと駄目だから。そうでないと、正義のヒーローじゃないから」

 最後に、「これが私の秘密」と言って、加那は保健室から出て行った。まだ授業中、って言いたかったけど、言えなかった。加那の勢いに圧倒されてしまっていた。



 正義のヒーロー。女の子がそう言うと、また不思議と違和感と凛々しさ溢れる格好よさを感じる。それに、あの言い方から、ボクだけのヒーローになろうとしてくれていたということは分かった。凄いと思ったし、かっこいいとも思った。

 でもこれが、加那の無意識下のSOSだなんて、この時のボクはまだ、分かっていなかった。多分、本人も分かってなかったと思う。

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