第2話「その秘密は運命」Bパート
どうしてこうも、両親と揃っての食事は気まずいのだろうか。前からそう思っていたけど、今日は
けど、何でだろう。
今のボクには、本島さんや和哉と一緒の時の方がリラックスできている、ように思える。今までこんな感じのありきたりな会話はどうでもいいと思っていたのに。何で今は違うんだろう、イライラするんだろう……。
そんなボクに気づく様子も無く、二人は喋りながら食事をしていた。今日の夕飯はボクの、いや、多分誰もが好きな、温かいロールキャベツ。けど、体をポカポカにしてくれるはずのロールキャベツは、今日は何もしてくれなかった。温かいけど、冷たいロールキャベツ。味もよく分からなかった。
「あら、もういいの?」
母さんが尋ねてくる。
「うん。なんか、お腹空いてない」
「風邪?」
「そんなんじゃないってば。じゃ」
適当にあしらって、ボクは2階の自室に戻った。下のリビングからは、父さんが何か言っていた。多分、ボクの態度を見てのことだろう。少し怒気というか、呆気が込められていた。ちょっとイラってしたけど、気にしない。気にしてボクが怒りに行っても、上手く丸められてしまう。それに、ボクだってもう高校生で、そこまで子供じゃない。
ベッドに腰を掛けて、本島さんとの別れ際のことを思い出す。
あの時、確かに彼女は「加那でいいよ」と言っていた。名字で呼ばれることに慣れてないのか、それともボクのことに気づいているのか。できれば前者であってほしい。後者はまだ……ボクにもよく分かってないから。
何となくスマホを手に取って、LINEを起動する。
「そっか、友達交換、してなかったんだ……」
友達一覧には、中学の時の友達数人(もう連絡は取ってない)と、和哉しかいなかった。本島さんとは交換していない。というか、彼女はLINEをやっているのだろうか。
気づけば、本島さんのことしか考えていなかった。
どうして、ここまで惹かれるのだろうか。ただの一目惚れ……かもしれないくせに。ボクは女の子で、彼女も女の子なのに。
同性同士なのに、なんでこんなに……。
「疲れた……」
とりあえず、この感情については一旦忘れよう。でないと、疲れ続けるだけだ。
ボクはパジャマを持って、お風呂場へ向かった。
■
暗い一室には、乾いた音と何かが水たまりに勢いよくぶつかる音だけが響いている。そこは、私、本島加那の家だ。そしてここは、お風呂場。頬は凄く痛い。何度も何度も、お母さんに怒られている。叩かれている。体だけじゃなくて、心も。
でも、それが決して悪いことなんかじゃないと私は思っている。こういう風に怒られるのは、昔からだ。
「あんたがそんな顔で学校に行かれると、アタシが今の職場で困るのよ。分かる? 分かるの? あんたにこのしんどさが、苦しさが、辛さが!」
その通りだと思う、お母さん。私は、何も分からない。だって、高校生だから。子供だから。お母さんを少しでも楽にさせてあげたくても、そのためのお金稼ぎはしたくてもできなかった。バイトを始めると、学校に怒られる。それだけじゃない。お母さんまでもが怒られる。お母さんは怒られなくていいのに。怒られるのは私だけでいいのに。そもそも、今時高校生アルバイトを許可しない学校側も古いと思う。けど、そこにお母さんの責任は無い。私の中学での成績があまりよくなかったのが悪いのだ。お母さんは悪くない。悪いのは全部、勉強の出来ない私だ。
お母さんが仕事でどれだけ苦労しているかは、全部は分からない。だけど、凄く苦労して、努力して、我慢して、私を高校まで行かせてくれていることは、とても嬉しいこと。自分の欲求も我慢してるんだと思う。そう思うと、凄く胸に来るものがあった。
でも、私も苦しい。何が苦しいって、お母さん一人だと闇を抱えきれないこと。闇の大きさ。私も受け止めてあげないと、もう耐えきれないということ。お母さんがもう、限界だということ。お母さんは何でもないように振る舞っているけど、それは隠しているだけ。一人娘に心配させまいと我慢しているだけ。
それが、とても苦しい。とても辛い。とても悲しい。
だから、お母さん。
何でもして。
私は、その闇を受け止めてあげるから。
お父さんももういないし、私しかいないから。
だから、溜め込まないで、お母さん。
一緒に壁を壊していこう。一緒に生きよう。
「もっと冷やさなきゃ、痣消えないでしょうが!」
お母さんが私を水風呂に入れてくれる。こうして痣を消す。当たり前のことだ。痣なんてあったら、お母さんがどうなるか分からない。
もっと、もっとやって、お母さん。
私は、耐えるから。
頑張って、耐えてみせるから。
それで、高校を出たら就職して、お母さんを楽にしてあげるから。
それまでの辛抱だから。
水風呂、気持ちいいなぁ。
冷たくて気持ちいいなぁ。
そうしていると、胸の奥底はじわじわと温かくなっていった。
■
4月10日月曜日の朝。ボクは疲れていた。
「うわっ!」
誰かの足に引っかかった。もしくは引っかけられたか。バランスを崩した。正面にはたくさんの学生がいる。ここで倒れたらドミノ倒しになって、怪我人が出る。何とか立て直そうとしたけど、無理だ、駄目だ、倒れる――
腕を掴まれた。誰だか知らないけど、助かった。体勢を立て直した。ギリギリドミノ倒しになるのは防げた。他の学生が何事も無かったかのように通り過ぎていく。
「すみません、助かりまし……本島さん」
ボクの腕を掴んでいるのは本島さんだった。この時間に駅にいるということは、同じ電車に乗っていたということか。とにかく、助かった。けど、どこか落ち着かない。ドキドキしている。鼓動が早まるのが分かった。奥底の青が波立っている。腕を握られるのが嫌だった。心拍数が分かりそうだったから。
だからボクは、そっと本島さんの手を離した。
「えと、その……」
口ごもっていると、本島さんが切り出した。
「行きたい場所、あるんだ」
「どこ?」
「こっちだよ」
本島さんは再びボクの腕を掴む。恥ずかしかった。けど、振りほどくのも嫌だった。だから、従うしかなかった。顔を見られたくなかった。赤くなった顔を見られるのが嫌だった。連れて行ってもらう間、ずっと俯いていた。
「行きたい場所って、ロータリーなの?」
「うん。でも行きたいことが本命じゃなくて、言いたいことがあることが本命」
「言いたいことって……?」
ボクは勇気を出して顔を上げた。本島さんの顔はいつもと同じくニコニコしている。やっぱり可愛いし、凄く綺麗だと思った。ボクは顔が先ほどよりも熱くなっていくのが、赤くなっていくのが嫌というほど分かった。
間違いない。ボクはこの女の子に一目惚れしてしまっているんだ。恋愛感情を、いや、そんな堅苦しい言葉なんかじゃなくて、もっと柔らかくて、すぐにでも壊れてしまいそうなもの。そう、好き。たった二文字の言葉だけど、それは大きくて、柔らかくて、温かくて、でも、ガラスのようにすぐに壊れてしまう。思春期の男女ならほぼ誰もが胸に宿す気持ち。女子同士というのは、とても珍しいと思うし、世間一般にもあまり認められていないと思う。これを抑制しろと言う大人は悪魔そのものだと思える。駄目ではないけれど、あまり抱かない方がいいとも思う。そう思えば思うほど、青が波立つ。ぐわんぐわんと、大きく。
その一目惚れをしてしまい、好きになってしまった女の子が、ボクの目をしっかりと見て、言った。その言葉の全てが、頭の中で何度も反芻した。
――沙耶ちゃん、私のこと好きでしょ?
――だったら、秘密にしたいことじゃない?
こうして、ボクは加那に秘密を知られることになった。同時に、最大の弱みを握られてしまった。
けどこの時、ボクは気づいておくべきだった。このタイミングで、しっかりと見ておくべきだった。
加那の顔に、微かに、本当に微かに、痣の痕があったということを。
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