第1話「この出会いは前兆」Aパート

 自己紹介も終わり、最低限の配るべき資料も貰い、今日のやるべきことは終わった。クラスメイトが各々の家族と一緒に帰っていっていた。でもボクは一人だ。親が来てないからだ。どういう神経した親なんだか。まぁ仲が悪いわけじゃなくて、単純に本当に仕事が忙しいだけなんだけど。ま、そんなことはどうでもいい。一人には一人ならではいいポイントもある。というか、この歳になってまで両親と一緒にあまり歩きたくない。

 ……でも、それでも。

「一人娘の入学式ぐらい、来てよ……」

 教室から出ようとすると、あの本島加那が母親らしき人と話していた。頭の中はあの子、本島加那の顔でいっぱいになった。単純なものだ。綺麗だったなぁ、可愛かったなぁ、ボクもあそこまで、とは欲は言わないけど、あの子よりちょっと下のレベルの顔つきがよかったなぁ……。なんて思っても無駄なんだけどね。そういえば制服も初めてなのに着こなしてたなぁ。ボクなんてまだまだダボダボで、袖から手も出てないサイズで子供っぽいから嫌だ。そのことが何だか、腹立たしかった。自分の子供っぽさがどうにも腹立たしかった。周りはそれが普通だって言うのだろうけど、ボクはどうしても嫌だった。

 ボーっとしながら教室を出ると、なんでこうも運が悪いのか、間が悪いのか。

 鞄を持った和哉とバッタリ会った。一人だった。

「落ちんなよ」

 会うなり和哉はいきなりワケの分からないことを言ってきた。何を言っているのだろうか、こいつ。ため息をつきながら答える。

「何で落ちるの」

「お前小学生の時、ボーっとしながら歩いてて、階段から見事に落ちたじゃねえか。……覚えてないのか?」

 覚えてる。けど、何で今そのこと。知られたくなかったことなのに。こいつ、ほんと女子の扱い方を知らない。女子に対する礼儀を知らない。そもそもボクを女子として見ているのだろうか。いや、見ていないに決まっている。だからボクはあえて何も答えなかった。無視しようとした。

「や、一緒に帰ろうぜ。俺もやること終わって帰るところなんだよ」

「友達と帰れば」

「今日はいねぇよ」

「今日も、じゃないの」

「入学式だってのに、感じ悪いなぁ。モテないぞ、それだと」

「別にそれが何? どうでもいい。てか、何で肩に手置いてんの」

「逃がさないように」

「変態かよ……」

 それでも和哉は手を離さなかった。

「……分かった、分かったから、一緒に帰るから。手離してよ」

「よっしゃ、それでこそ沙耶!」

 これが駄目だった。諦めが駄目だった。油断していた。ボクのクラスメイトは全員帰った。けど、それはボクのクラスメイトであって、他の学年の生徒はまだいる。つまり、視線はまだ感じる。

「やっぱり一人で帰る」

「え、なんで」

 驚いたように和哉が問う。少しぐらい分かってくれよ……。

「イジメの対象になりたくない。こんな入学して早々に。それに……」

「それに?」

 そう言って、ボクはしばらく何も答えられなかった。というより、言えるけど、言いたくなかった。口にしたくなかった。ボクの気持ちが、感情が、淡い心が、一体どこに、誰に向いているのか分からなくなる。そんな気がした。

 和哉がいきなりボクの顔を覗き込んでくる。和哉が173cmでボクは159cm。身長差はかなりあるから、俯いているボクの顔を見るためには、和哉は自然と膝を曲げなければならない。そうしてまで、ボクの顔を見たいのか。

「なんで顔赤いんだ?」

 ドストレートな質問。頼むから高校では勘弁してよ……。ボクにだって、色々あるんだよ……。本当に、色々と……。

 だからボクは強く言い放った。

「彼氏とか、そういうのに決まってんでしょうが!」

 少しびっくりたようだ。怯んでいる。今しかない。ボクはさっさと身を翻して階段を降りた。4階分もある階段は中学の時にも経験しているはずなのに、それとはまるで違う長さを感じた。

 大人の一歩手前の高校生。だから、長く感じるのだろうか。それとも、慣れていないから長く感じるだけなのだろうか。分からない。けど、いつまでも終わらないように感じる階段が今は凄く鬱陶しく、邪魔に感じた。それに、チラチラと視線を感じるのもまた、嫌だった。だからボクは早く階段が終わってくれと祈りながら早足で降りて、高校の最寄り駅の松野駅へ向かった。



                 ■



 JR松野駅まつのえき松野高校まつのこうこうから徒歩で約10分の場所にある。風よけのものはあまり無く、トイレにはウォシュレットがあるものの、連絡橋は錆びていて、いつ頃に作られた駅なのかは、見ただけでは分からない。スロープが改札前にあって、連絡橋にはエレベーターが備えられている。そのエレベーターは最近の物なのか、結構綺麗だ。微妙に古くて、微妙に新しい。そんな駅だ。

 二田駅行のホームで待っていると、冷たい風が容赦無く吹きつけてくる。柱の後ろに回っても、関係無い。とにかく、寒い。

 それは当然のことで、そもそも松野高校まつのこうこうは山を切り崩して建てられた高校だ。そして、松野高校まつのこうこうはボクの実家からすれば、結構北の方にある。実家は実家で山の上のニュータウンの戸上とがみなので、寒いことには寒いのだが、この寒さのベクトルが違う。実家の方は、静かな寒さ。松野高校まつのこうこうは、鋭くうるさい寒さ。そんな気がした。

「4月なのに、なんでこんな寒いのさ……」

 ボクは思わず身震いをしていた。待合室には既に先客がいて、入る気にもなれない。だからこうして寒風と戦いながら待っているけど、それにしても電車が来るのが遅い。電光掲示板を見ると、遅い理由が分かった。30分に1本の間隔でしかやってこない。

「田舎、だなぁ……」

 実家の方もショッピングモールがある以外は田舎だけど、流石に電車が30分に1本、それも快速しか止まらないというのは田舎以外の何者でもない。それでも、あと10分も待てば来るらしい。ここは我慢だ、我慢……。

「うわっ!?」

 後ろからいきなりふわふわしたものが首にやってくる。あまりに突然の出来事で、一瞬死ぬのかと思ってしまった。実際首を絞めることのできるものだった。マフラーだ。けど、そんなことはなかった。マフラーはボクの首をふんわりと、優しく温めてくれていた。しかし、一体誰がこんなことを……と思って振り返ると、本島加那がいた。何故かニコニコしている。思わず飛びのいてしまった。そのせいで危うく線路に落ちかけた。けど、それも本島加那が助けてくれた。ボクの手を掴んでくれたのだ。

「大丈夫?」

 不思議そうな顔をしながら、本島加那はボクに尋ねてくる。何とか大丈夫と答えながら、ホームに戻ったボクだが、その手は本島加那の綺麗な手を握っていることに気づくと、途端に心拍数が上がったのが分かった。パッと手を離し、本島加那に背を向ける。どうしてこうも、ドキドキするのだろうか。他の男子でもなく、何で女子の本島加那に……。

 後ろでガサガサと音がするのが分かる。本島加那が何かしているのだろう。

 何をしているかは、すぐに分かった。

 ボクの肩が少しだけ重くなった。チラッと見ると、松野高校女子ブレザーが肩にもう一着ある。振り返ると、本島加那はブレザーを着ていなかった。

「何で、ボクに……?」

「寒そうだったから」

「それだけ、なの?」

「あと私ね、こういうことが好きなの。ほら、何だか私と一緒になった気がしない? 私のブレザー着てると」

 ……何だろう、この子。ボクの考えていた女の子じゃない。ちょっと、違う。何か、違う。それが何かは全く分からない。

 でも、違うことは確かだ。何だろう、一体……。

「返す」

「え?」

 ボクは肩にかけてくれたブレザーを、彼女に返す。すると本島加那は、両手で拒否した。

「何で……。そうしないと、本島さんが寒いじゃん」

「それでもね、いいの、私は。石動さんが寒くなければ」

「……分かんない」

「なにが?」

 依然本島加那はニコニコしたままだ。本当はこの顔をずっと見ていたい、という気持ちもあった。けど、それだと本島加那の本当の笑顔ではないはず。これは、偽りの笑顔。本当の笑顔を見たかった。だから。

「ボクにかけてくれたのはありがたいけど。かけられる意味が分からない。だから……」

 返す。

 それまで拒否していた本島加那が、しゅんとなって自分のブレザーを受け取った。すると、しょんぼりと反対側のホームにある改札前まで行った。

 ……何だろう。ボクは何か間違えたのだろうか。これは本島加那にとっては駄目なことだったのだろうか。いや、そんなことはない。そんなはずはない、はず。でも、何だろう。この、もくもくとした感覚は……。

 本島加那と入れ替わるように、階段から一人の男子が降りてくるのが見えた。和哉だ。改札口の方を見ている。見られたのだろうか。憂鬱な気分になった。

「何だ? あの子。沙耶の知り合いか?」

 最悪だ、見られていた。ボクは思わずため息をついていた。結構大きなため息だったのだろう。和哉がえっという表情になった。

「なんか、大事なことしてた……?」

「してない」

「じゃあなんで」

 このままじゃ埒が明かない。ボクは周りを見渡した。誰もいない。学生は、誰もいない。教師らしき大人も、いない。

「クラスメイト」

「お、高校生活初日で友達作れたのか。やるなぁ沙耶」

「ボクはあんたほど不器用じゃないよ」

「言ってくれるねぇ」

 苦笑いをする和哉。それが何だか、ムカついた。和哉に対してムカつくことなんて、いつものことだ。だけど、何だろう。今日は違うムカつき具合だ。和哉の言動そのものがイライラするっていうか……。

「どうした?」

 また和哉が膝を曲げて尋ねてくる。だから、顔を見ようとするなって。

「何でもない」

 和哉に背を向けた。視線には、ようやくやってきた電車の姿が見えた。アナウンスで到着が遅れたことを言っている。やっぱり遅延していたのか。ということは、ここより北は雪が降っているってことなのかな。もう4月なのに……。

 和哉から少し離れて、電車に乗り込む。車両の中には、ボクと和哉以外、誰もいなかった。実質、二人だけの空間だった。神様って意地悪だと思った。

 窓から反対側のホームを見る。そこには本当加那と、多分その母親がいた。教室では全然意識していなかったけど、随分派手な母親だなと思った。といっても、派手なのは金髪とその雰囲気だけで、あとは普通に見えた。

 何となく、ボーっと見ていると、いきなり母親が本島加那の顔を平手で思いっきり叩いた。衝撃で少しよろめく本島加那。どういうことなんだろう。あの後、何か悪いことでもしたのだろうか。にしては、やりすぎな気がする。それとも、ボクが原因なのだろうか。だとすると、ボクが謝った方がいいのではないだろうか。でも、電車のドアはもう閉まっていて、動き始めてしまっている。どうにもならなかった。次第に窓から本島加那とその母親はフレームアウトしていき、田んぼや畑しか見えなくなった。

「ああいう親、最近多いよな。見ててイライラする」

 いつの間にか和哉がすぐ傍にいた。しかし、駅が見えなくなると、離れて鞄から小説を取り出して、読み始めた。

 気を遣ってくれているのか、それとも気まぐれなだけなのか。

 ボクはただ黙っていることぐらいしかできなかった。

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