スペア

もりひさ

スペア


男は何事にも慎重な人間だった。


朝起きるとまず横に畳んであるスペアのスーツを仕事用のバッグの中に入れてから自分で着るスーツに袖を通す。


歯ブラシは自分で使ってるものと全く同じものがもう一つ棚に入っている。


同様に包丁、携帯、新聞、皿、果てはテレビ、棚、ベッド、家具に至るまでにスペアが用意されおりそれらは全て彼の広大な敷地にある特注の倉庫の中に納められていた。尚、この倉庫もがらんどうのスペアが横に建てられていた。


その性格が功を成したのか男が行う事業は世間から見るとまずまずの成功を収めていた。

もっともこれは世の中の一時の不況が原因だった。


男はその慎重さで事業を制し八方手を尽くして金を外に出さなかった。


そして不況の波が過ぎると同時に金を世間につぎ込んだ。

すると金は倍額になって返ってくる。このような方法で男は金を得てよりますます慎重になりスペアするものも増えていった。


やがて男は結婚し子供をもうけた。しかし彼の慎重さに妻は呆れ返った。


「こんなに沢山同じものを買って無駄も良いところだわ」

「そんなことはない。万が一のことに備える事は大事だ」

「言い様ね。もしこの家が地震でなくなったらどうするつもりなの」

「それは心配ない。この土地と似つかわしい土地に全く同じ構造、同じ敷地の家が用意してある」


いよいよ妻は呆れて夫の慎重癖に口も出さないようになった。


それでも男の事業はすこぶる好調である。

連日のように仕事が舞い込み男は各地へ奔走した。やがて一人では事業を捌ききれなくなり会社を立ち上げ年の内に従業員を増やしていった。


彼の採用は奇妙だった。


正採用と同じ数の副採用を採り仕事場のビルの最上階一室が全てスペアの倉庫になっていた。社員はこの普通ではない社風にヒソヒソと噂しあったが時は好景気である。深く詮索する暇もないほど仕事は舞い込みやがて男の会社は数千人の社員を抱える大手企業にまで成長した。


しかし、勢いの流れとは必ずある。


世界中に大きな不況が訪れた。


男は顔を臥して不況が過ぎ去るのを待った。しかし前回とはどうも状況が違うのである。

いくら耐えても不況は過ぎ去るどころか膨らみを増し男の金は消えていった。


仕方なく男は社員の半分をクビにして乗り切ろうと決めクビにする社員全員をホールに集めた。社員達は一様に嘆き男に縋り付く。


「そりゃ勘弁してくださいよ今やってる部署はどうなるんですか」

「君達の副採用人員が業務をこなすよ」

「私達にも家族がいるのです」

「何を言っているんだい。君達もこの仕事を失った時のスペアは用意してあるんだろう?」


男はさも当然のようにそう言った。

もはや失業者は唖然としている。男はスペアとしてあるべき仕事への心構えのなんたるかを話し勝手に車に乗って帰宅した。


妻は言った。

「もうこんなスペア売ってしまいなさい。日増しに物価も上がるから食費にも困ってるのよ」

「何を言いだすかと思えば、それは一番考えられない行動だね。こんな不況だからスペアが必要なんじゃないのか。このスペアを失ってしまったら真に何もなくなるじゃないか」


耐えられない。


妻は男が仕事に行ってるうちに子供を連れて逃げした。

男の手が届かない。遠い、遠い地へ。


幸か不幸か不況は過ぎ去り女もなんとか子供を養えるほどの職についた。

子供達は今年で全員学校に入る。しかし上の子供達は皆優秀で奨学金をもらえばなんとか子供を学校に通わせることができそうだ。


女がそう思案していると呼び鈴が鳴った。


「失礼します」

玄関で待っていたのはスーツを身に纏った中年ほどの細い男だった。

「なんの用でしょうか」

「ええ、突然のご訪問で顔をおしかめになられるのも無理はありません。貴方様の思う通り私は貴方の元夫が務めておりました会社の秘書でございます」


それを聞いて女の顔はさらに強張った。

「それで?」

「実は我が社の社長は一週間ほど前に従業員との口論の末ナイフで刺殺されてしまったのです」


女はため息をついた。彼らしい最後だ。


「それで配偶者はいるようなのですがスペアの買い手だけがどうにもこうにもつかないので貴方様がもしお預かりできるならばそうしていただきたいと思い参りました」

「なるほど」


おおよそ答えは決まっていた。一体どうして彼の負の遺産とも言えるべきスペアを請け負わなければいけないのだろう。

どうせ配偶者も彼の慎重癖に困って自分に押し付けたに違いない。


だが。

「夫の家を見てから決めてもよろしいでしょうか」

そう言って女は再び夫の家に行くことを決めた。



ーー



女はその日のうちに新幹線に乗って男の家に向かった。


ただの気分だった。


別にスペアの新品に興味があるわけではない。ただ自分が結婚した男の仏壇の前で弔いをするぐらいのことはしても良いのではないのかという気持ちになったのだ。


「着きましたこちらです」

「どうもありがとう」


タクシーから降りて男の家の玄関に手をかけるとすんなりと玄関は開いた。

視線を落とすと子供用の靴が何足かあり横に綺麗に磨かれた革靴が並べれていた。

子供の靴は丁度彼ともうけた子供の数と同じだった。


家に入ってみると線香の匂いがする。


廊下を通り今に入る。

正面に仏壇が建てられていた。そしてその前の座布団によく見知った背中があった。


「やあ、こんにちは」


あの、男だった。女はおもわず腰を抜かして震え上がった。


「あ、あなたは」

「そんなに驚かないでください。私は彼の双子の弟です」


双子の弟。似すぎていた。

急な事実に女はなおも当惑している。男が双子だということなんて知らなかったのだ。


「今日から妻と養子で迎えた子供達と一緒にこの家に住むことになったんです」


そう言って男はここではないどこかへ視線を放る。

その視線の先で子供が何人か眠っていた。


丁度女の子供と同じ数だった。


「急なことで僕も混乱してますが。ひとまず兄の仕事を継ぐつもりです。これからあちらの重役の方々と会議もありますからね」


双子の弟が笑顔でそう言った時玄関が開く音がした。


「ああ、丁度妻が帰ってきたみたいです」


足音がゆっくりとこちらに迫ってくる。

「スペアの家具そろそろ売ってしまったらいいんじゃないかしら」

その声はまさに女そのものであった。


キィと居間の扉が開いて。

「あら、お客さんがいるのね。玄関で気づかなかったわ」

「それはそうだろう。君と同じ靴を彼女も履いているんだから」


双子が笑いかけたのは女に瓜二つの妻。


女が夫と過ごしていた時と全く同じ服装。

新妻は目を見開いて、女の方を見つめ引き攣るほどの笑みを浮かべていた。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スペア もりひさ @akirumisu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ