第27話 ひなたの決意

 それから一時間が経ったころ、家の外から兄の声が聞こえてきた。

「相談に乗って貰って悪いな」

「友人として当然じゃないか」

 どうやら、友人も一緒にいるらしい。

「二人ともどうぞ上がってくれ。今から軽く料理を作るから……ってなんだこれは!?」

 家に入るなり、新築かの如く綺麗になった床や壁を見て、護は肩に掛けた鞄をぽとりと落とした。

「うおー、すっげー綺麗だなー」

「なんだ護。お前の家、知らない間にリフォームでもしてたのか?」

「いや、そんなはずがないんだが……」

 言いつつ、靴を脱ぎ、リビングへと足を踏み入れた。テーブルの上には数々の豪華な料理が用意されていた。そして、その傍には一人の妹が立っていた。その少し後ろで、ひなたの友人たちは彼女の様子を見守っていた。

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「ただいま、って、え、これ!? ひなたが作ったのか!?」

「違います。これは友達の愛結さんが作ってくれたのです」

 ひなたは首を振った。

「わたしが作ったのは、これだけです」

ひなたが差し出したのは、一枚のお皿に乗った見栄えの悪い卵焼きだった。

「わたし、今はこれしか作れませんでした。掃除も洗濯も、わたし一人では何もできなくて……そればかりか、失敗してみんなにたくさん迷惑をかけてしまいました……。でも……いつかは立派にできるようになります。立派にできるようにずっと、ずっと毎日一生懸命頑張ります。だから……お兄ちゃんは安心して海外に行ってください。わたし、ずっと待っていますから」

「ひ、ひなた……!」

 泣き出しそうに、けれど、精一杯の勇気を振り絞って告げられたその言葉に、護は感極まったように瞼に涙を浮かべていた……が、

「…………ん? 海外って、なんのことだ?」

「ふぇ?」

 思わぬ反応に、ひなたは目をぱちくりとさせた。

「お兄ちゃん、今更隠さなくても大丈夫ですよ。わたし見てしまったのですから。海外留学を推薦する紙を」

「海外留学? それって……あ」

 何かに気付いたように護は顔を顰めた。

「ひなた、落ち着いて聞いてくれ。海外留学の話だがな、それは俺が行くわけじゃないんだ」

「そうなんですか!?」

「そうだぞ。そもそもアレは成績優秀者じゃないと推薦されたりしないだろう。俺はよくて成績真ん中ぐらいだ。推薦なんて絶対にありえないよ」

「そんな馬鹿な。お兄ちゃんは百点を軽く凌駕する点数をいるはずです」

「俺に対するその過剰な期待はどこからくるんだ!?」

「えー、お兄ちゃんですのにー」

 言ったところで、ひなたは悲しそうに顔を伏せた。

「だったら、最近なんで冷たかったのですか……無視されたりして……わたし、悲しくて泣きそうだったんですよ……?」

「それはその……なあ、悟」

「護、助けを求めるんじゃない。そういうのは自分の口から言うべきだ」

 厳しく諭す悟に、護は目を逸らした。

「あの、妹を甘やかしすぎたらダメになるって言われて……その……わざと厳しく接していたっていうか……あの……お、俺だって辛かったんだからな!」

「だいたい、こいつが妹を捨てて去っていくなんてありえないぞー」

「あ、秋人!?」

「だってこいつ超絶なシスコンだからな」

「「「へ?」」」

 秋人の一言に、一同は固まった。

「何を言ってるんだ、秋人は! う、嘘をつくなんてダメな友達だなぁ!」

「嘘じゃない。ほんとだぞ」

「悟まで!? なんで嫌がらせを!? いつもみたいにフォローしてくれよ!?」

「嫌だな。ちょっと何かあるたびに『ひなたぁ……ひなたぁ……』って小言を聞かされるこっちの身にもなってみろ。これくらいの報復、些細なことだろう」

「そうだそうだ! 校内に化け物が現れた時なんて真っ先に『ひなたを助けに行くんだあああ!』とか叫んでクラスメイトにドン引きされてたしー」

「今日も『俺は最低なことをした』だとか『死んだ方がいいんじゃないか?』とかずっと小言を聞かされ続けてさ、ほんとうるさかったよな」

「う、うわあああああああああ!! お前ら言うなああああああ!!」

 護は二人の間に割って入り、わーわーと両手を振ってみせたが……時すでに遅し。周囲の視線に晒されて、護はふいと目を逸らした。

「そ、そうだよ。俺はシスコンだよ。ひなたのことが……大好きだよッ!」

 羞恥心に頬を染めながら、とうとう護は口を開いた。

「だ、だって仕方ないだろ!? 親父らが死んでからずっと俺一人で面倒見てきたんだぞ!? 大好きで何が悪い! 大体、こんなに可愛い妹がずっとそばにいたんだから、大好きになっても仕方ないだろ! ……な、なんだよ、その目は! 俺を変態とでも罵るつもりか!? いいぞ? 変態だって、シスコンだって、好きなように呼べばいいよ! だって、だって……大好きなものは大好きなんだから仕方がないだろ!? うわあああああああああああん!」

「お兄ちゃん……」

 泣き崩れる護に、ひなたは近づいていく。

「ひなた、ごめんな……シスコンだって隠してて……こんな兄らしくない兄なんて……お前は幻滅してしまったよな……ほんと、こんな兄でごめんな……」

「そんなことありませんよ」

「え?」

「どんな姿であってもお兄ちゃんはお兄ちゃんです。わたしも、お兄ちゃんのこと大好きですから嫌いになったりなんかしませんよ。今でも、本当に大好きです」

「ひなた……ひなたああああああああああああああ!!!」

「はうう♡」

 護に力強く抱きしめられて、ひなたは顔を真っ赤に蒸気させた。

「ちょっと待ちなさい。じゃあ、海外留学ってのは?」

「我が妹よ、それは俺のことだ」

「は?」

 小さく手を挙げる秋人に、千瀬は眉根を寄せた。

「一週間ほど前に担任教師に打診されてな。どうすべきかずっと我が友に相談を受けて貰っていたのだ」

「え? 何妄想振りまいてるの? 他人に振りまいていいのは香水だけよ? 頭は大丈夫? 病院行く?」

「完全に信じていない!? 失礼な! 俺、一応成績学年トップなんだぞ……なんだその性犯罪者を見るような冷え切った目は!? 嘘じゃないぞ!? ほら、用紙の名前のところを確認してよ!?」

 差し出された用紙の名前欄を見てみると、そこには平崎秋人の名前が書き込まれていた。

「じゃあ、兄貴が海外に?」

「うん、色々と悩んだんだけどな。行かないことに決めたよ。大事な妹を置いていくわけにはいかんからな」

「えー……別に行ってよかったんだけど……」

「えぇ!?」

 千瀬の冷やかな一言に秋人は涙目を浮かべた。

「どこいくの? イラク? イラン? それともウ・ガ・ン・ダ?」

「もっとまっとうな国で頼む!?」

「まあ、秋人の左遷先は後にして。誤解も解けたことだし……せっかくの飯が覚めてしまう前にパーティ始めようぜ」

「そうだなー、じゃあそこの抱きあって頬を擦り合わせ続けてる兄妹をなんとかしないとなー」

「ひなたあああああああああ!」

「おにいちゃああああああん♡」

「すごいラブラブしてるわね。……後、どれだけ羨ましそうな目で見ても、あたしは兄貴にはしないからね? ……巨乳にもよ?」

「「ううぅ」」

 どさくさ紛れの抱き着き攻撃をけん制する千瀬だった。

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