第10-1話 彼方の作戦2 ~薬入りお菓子~

 ひなたと千瀬は兄のいる2―B教室に入っていく。

 中学生の二人にとって高校生の教室は大人っぽく感じるのか、千瀬もわずかながら緊張しているようだった。件の兄は、窓際の席周辺で数人の友人と歓談を交わしているようだ。

「……げ」

 その取り巻きを見て、千瀬が露骨に顔を顰めた。足を止めた千瀬の向こうでは、護たちの話が聞こえてくる。

『ふむ、カナダと言えばアレか。カジノとかあるところか? 仕事もせずにギャンブルに興じるなどけしからんな』

さとる、ラスベガスはアメリカだぞ』

『む、そうだったか?』

 悟と呼ばれた男性がおどけてみせる。

『それにまだ行くって決まったわけじゃないしなー。問題は色々山積みだろうし……って、あれ?』

『どうしたんだ、秋人あきと?』

 秋人と呼ばれた青年は、教室に入ってきた中学生――千瀬を見て固まった。秋人の表情が明るく弾ける。反面、千瀬の眉間の皺がさらに深くなる。

「千瀬ーっ! お兄ちゃんに会いにきたのかいー!」

「汚い触らないで」

「おぶぅ!?」

 千瀬は飛びついてきた秋人を平手打ち、地面に叩きつけた。

「千瀬ちゃん、この人と知り合いですか?」

「うちの兄貴――最底辺のゴミ屑よ」

 千瀬は地面に倒れこんだ兄――平崎ひらさき秋人あきとを睨みながら吐き捨てた。

「お、ひなたじゃないか。どうしたんだ、こんなところまで?」

「用事があって来たのですが……お兄ちゃん、旅行にでも行くのですか?」

「え?」

 ひなたの質問に、護はなぜか罰が悪そうに目を逸らした。

「実はみんなで旅行に行こうと計画立ててたところなんだ。な、護」

「お、おう、その通りだ」

 歯切れ悪く答える兄に、ひなたは小首を傾げた。

「へぇ、兄貴が旅行って珍しいわね。家から出るのも嫌がるくせに」

「ははは、俺もたまには外で遊びたくなるのさ! 千瀬も一緒に来るかい?」

「え? 深海に沈められたいって?」

「威圧された!?」

「変なお兄ちゃん達ですね。それより、実はお菓子を差し入れにきたのです。これわたしの友人の作ったクッキーですが、みなさんいかがですか?」

ひなたは思い出したように言って、後ろ手に持っていた菓子袋を見せた。

「おー、護の妹さん、すっげー気が利くな! 俺も貰っていいか?」

「はい、みんなで食べてください」

 ひなたは普通のクッキーの袋を兄に手渡した。

「ん、おいしいな。悟は食わないのか?」

「俺はパス。せっかく管理していた栄養バランスが崩れるからな」

「悟っちは相変わらずの修行僧だなー」

「お前らが気を遣わなさすぎるんだ。それより食うなら早く食べたほうがいいぞ。最近指導教員が目を光らせてるからな。バレたら取り上げられるぞ」

 クッキーを食べながら談話する彼らに隠れて、ひなたと千瀬はひそひそ話をする。

「いい感じの雰囲気ね」

「今の内に、千瀬ちゃん、みんなの気を引いてくれますか?」

「引きつけてるうちにお兄さんに食べさせるのね。分かったわ」

 千瀬はこくりと頷き、秋人の方へと歩いて行った。

「ん? どうした、我が妹よ――ってぎゃふぅ!?」

 近づきざま、千瀬はおもむろに秋人の脛を蹴りつけた。

「いだぁ!? いだぁい!? いきなり何をするんだ!?」

「最近、身の回りに不審なことが起こるのよね。綺麗に畳んでた布団がいつの間にか皺くちゃになってたり、お風呂前に脱いだ下着がどこかになくなってたり、不自然なところにビデオカメラが隠してあったり……」

「ぎくっ!? な、ななな!? まさかバレてたのか!?」

「やっぱり……兄貴の仕業だったのね……」

「ち、違うんだ! 誤解だ! それは……俺なりのコミュニケーションで」

「特に理由のない暴力が兄貴を襲う」

「あっ、やめっ!? 蹴らないで!? 食ったばかりのクッキーが出る!?」

 腹部への集中攻撃に、秋人は悲鳴を挙げた。

「む、兄妹喧嘩か。止めたほうがいいのかな……?」

「止めなくていいと思いますよ」

 周囲の視線が秋人達に集中している隙に、ひなたは小包を持って兄の元へと忍び寄っていた。

「でも喧嘩はよくないしなあ……」

「お兄ちゃんは勘違いしています。あれは千瀬ちゃんの愛情表現です」

「首根っこ掴んで吊し上げる行為が!?」

 秋人はすでに虫の息だった。

「それより……実は特別な味付けをした試作品のクッキーがあるのです。お兄ちゃんに試食してもらえませんか?」

「もちろん構わないぞ」

「ありがとうございます。では、まずはこちらから」

 ひなたが赤色のクッキーの袋を開くと、護はクッキーを摘まみ、口に含む。

「んー、これは辛いな。こういう味が好きな人もいるけど、俺にはちょっと辛すぎるな」

「そうですか」

「うん、やっぱりお菓子はお菓子らしくないとな。次はこっちの緑のでいいのか?」

 そういうと護は緑色のクッキーを摘まんでぱくりと食べた。

「ん……、こっちはまあ、美味しいな。色の通りの抹茶味か。俺的にはこういう渋い感じはポイント高いな」

「は、はい。では、最後にこちらの青いのを」

「貰おうかな」

護の手がひなたの差し出した袋の元へと伸びていく。ひなたが作戦の成功を確信した瞬間――、ひなたの握っていた袋が何者かによって取り上げられた。

「なんだこれは」 

 振り返ると、そこには生徒指導教員の大俵おおだわらが立っていた。

「教室で騒ぎが起きていると聞いてやってきたら……まさか女子中学生が高校生を叩きのめしているとは思わなかったぞ」

 どうやら千瀬の起こした処刑劇が思いの他遠くにまで伝わってしまったらしい。床に正座させられている千瀬は『ごめん、やりすぎた』とアイコンタクトで謝罪の視線を送ってくる。ちなみにその隣には『殺りすぎて』無残な死体と化してしまった秋人が倒れていた。

「そこの二人、兄妹喧嘩は家でやれ。お前達も、こういったものは学校に持ってきてはいけないと分かっているな。このお菓子は没収だ」

「え!? あ、それは!?」

「規則に文句を言うな。もうすぐ授業だぞ。中学生は中学棟に戻りなさい」

 そう言うと、大俵はのそのそとした足取りで教室を去っていった。

「ちょっとひなた、アレってまずいわよね? よりにもよって甘党の大俵に……。取り戻しにいかないと大変なことになるわよ」

 焦った千瀬が立ち上がり、大俵の元に向かおうとしたとき、

「……我が妹よ、よくもやってくれたな……反撃のお兄ちゃんあたーっく!」

「ふえ?」

 蹂躙されていた秋人が千瀬のスカートを勢いよく捲りあげた。

 大きく巻き上げたられたスカートの裾。一連の騒動でクラスの注目を集めていた彼女たちだ。自然、捲り上げられたその内側にみんなの視線が集まり……瞬間、周囲がカチンと固まった。……千瀬は穿いていなかったのだ。

「え……あ、あれ……我が妹よ……?」

 予想していなかった事態に、捲った本人も思考停止しているようだ。一番動揺しているのは当の本人だろう。千瀬はスカートの裾を押さえながら、涙の滲んだ瞳で兄を睨み付けている。

「兄貴のばかああああああああああああああ!!!」

 秋人を蹴り上げて、千瀬は教室の外へと走り去っていった。

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