第5-2話 彼方の作戦(2)

「あー……逃げたこと悪く思わないでよ。あたしは十分面倒みたし。彼方さんがいてくれるんだから、あたしなんていなくて大丈夫でしょ?」

「心配いりませんよ。今彼方さんがとっても凄いものを渡してくれて――うぶぶぶぶ!? 何するんですか! 紺乃ちゃん!」

 いきなり紺乃に口を塞がれて、ひなたは呻いた。

紺乃は背筋を丸めて乾いた咳を吐いた。

「千瀬ちゃんがいなくなったせいで疲労困憊なんだよ」

「元気そうだったわよね?」

千瀬は眉を顰めた。

「そんなことないんだよ。もう体中ボロボロなんだよ……」

「そうは見えないけど」

「大打撲を負っているんだよ」

「何かと戦ってたとでも言うの?」

「心臓が破裂しているんだよ」

「それもう死ぬわよね?」

「でも今千瀬ちゃんが口を開けてくれたらこの傷は治るかもしれない……」

「あんた、何言ってるの?」

 紺乃は横目で千瀬の様子を伺いながら、病人を演じ続ける。

「ほんと意味分かんないんだけど、口を開ければいいのね?」

 紺乃の様子は明らかに疑わしいと感じながらも、千瀬は一人戦線離脱したことを本気で負い目に感じているらしく、彼女に従い、しおらしく口を開いた瞬間、

「ハイ、ラッキーチャンスッ! これと、これと、これーッ!!」

「ぶぶぅ!?」

 千瀬の口内に三つの丸薬が投げ込まれた。同時に口を両手でふさがれた千瀬は咽ながらも薬を飲みこんだ。その背後で巨乳がガッツポーズを決めている。

「慎重に使うんじゃなかったんですか?」 

「勝てばよかろうなのだ! で、千瀬ちゃん、何か体に異変はない?」

「……特にないわよ。胸の内に湧き起こるドス黒い殺意を除いては……」

「あ、あれ?」

 般若の如き怒色を湛えながら千瀬はじりじりと紺乃の方へと詰め寄っていく。紺乃の顔色がサァと青くなる。ひなたはまたいつものように折檻が始まるのかと、これから起こる凄惨な出来事を見ないように目を背けて、


「ひゃあああああああああん!?」


 突如響いた卑猥な嬌声に視線を返した。リノリウムの床の上で、紺乃が尻もちをついて頬を真っ赤に染めていた。一方、千瀬は身体を両腕で包むように組んだまま小刻みに体を震わせている。

「あんた一体何を飲ませたのよ……? なんで身体が、その……!」

 そこまで言って、千瀬は俯いた。何かを言いたそうに小さく口を開いたりするも、何も言うことなく口を閉じる。まるで怒鳴りたくてもできないかのように、無言で紺乃を睨み付けている。

「ふむ、平崎よ。ちょっと失礼するぞ」

「あ、あん!?」

 見かねて、彼方が千瀬の身体に触れた。彼方に触診される度に、千瀬の口からは可愛らしい声が漏れる。

「桜咲。貴様、口に入れる順番を間違えたな。副作用だ。この反応……どうやら先ほどの薬は媚薬になってしまったようだな」

「どういうことなのよ!? ひっ!? やあぁん!?」

 声を張り上げた千瀬は背筋を大きく仰け反らせた。悔しそうに口をぱくぱくと動かすも、ついには押し黙ってしまった。どうやら声を出すのも辛い状態のようだ。

「いやぁ……身体が熱い……ぴりぴりするぅ……。お願いだから、今は絶対に触らないで、って……やあぁぁん!? なっ、何すんのよ、この変態! 触るなって言ってるでしょッ!」

「へえ、今千瀬ちゃんは身体が敏感なんだ」

「ひっ!?」

千瀬はふらつきながら紺乃から距離を取った。そのまま怒りの交じりに彼女を睨みつけるも……いつもなら怯んで動けなくなる紺乃だったが、弱みを握っているためか、余裕の笑みを浮かべている。

「あれー? 私を睨み付けていいのかなー? 千瀬ちゃんは今敏感体質になっちゃってるんだよー? 今度はもっと強く撫でようかなー?」

「ほんとダメだからねっ!? もうやめてよ! 本当に、凄く感じちゃうんだから……紺乃なら分かるでしょ――やあぁぁん!?」

「分からんな~!」

「ちょ、やぁ、やめてぇっ……! そんなに強く、連続で突かないでぇ!?」

「じゃあ、こういうのがいいのかなー?」

「ひゃ、ぁぁぁぁん!? それ、だめ……! 背中をつーってやるの禁止ッ!」

「ぐへへ~、じゃあたくさん撫でてあげるよ~!」

「いやぁぁ……やめて……もう触らないで……お願いだから……」

「うへっ! うへへッ! ぐへへへへ!」

「やめろっつってんだろうがこのクソ巨乳がああああああああああッ!!!」

「――ぐべえ!?」

 瞬間、紺乃の首が百八十度回転した。無残に膝から崩れ落ちる紺乃の隣を横切って、千瀬はふるふると震える足で彼方の前に立った。

「おい、そこのマッドサイエンティストッ! これ、いつになったら治るのよ!」

「さあ?」

「さあ!?」

 平然と返されて、千瀬は目を瞬かせた。

「ぶっちゃけ何が起こるのか私にもさっぱり分からんのだ。臨床実験もほとんどしておらんしな。……怖くて」

「なんてもん人に飲ませてんのよ!?」

 千瀬は体を抱え込みながら吠えた。感度がどんどん上がっているらしく、もはや息をするのも辛そうだ。

「とまあ、具体的にはこんなリスクがあることが証明されたわけだが……くるくるガールよ、それでもこれを兄に使うか?」

「多少のリスクは必要経費です」

「ならばさっそく作戦を練るとしよう。私の部室の方に戻るとするか」

「え、ちょっと待って! 私を置いていくつもり!? 今、全身が敏感で……服に肌が擦れるだけでも辛いのよ……!? あうぅっ!?」

 ナチュラルにその場を去っていこうとする二人に、千瀬は助けを求めた。

 ひなたは振り返り、背後で悶える千瀬に悲しそうな表情を浮かべる。

「あなたの犠牲は無駄にしません」

「死人として扱わないで!?」

 涙目で手を伸ばす千瀬を置いて、二人は去っていくのだった。

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