人の少年は 龍の少女 に 恋をした。


 かつて、まだ《皇国》も《神国》も存在しなかった、古の時代。


 その《龍》は、決して人間の味方などではなく。しかしある人間の男に心を許し、彼の助けとなるべく自らの力を《龍刻印》として分け与えた。ときには共に戦場を駆け抜け、彼の翼となり盾となり剣となり、なにより戦友であった。


 やがて男が天に召され、龍刻印が手元に還ってきたとき、龍はこう考えた。

 この力を安易に人の手に渡してはならない。人ならざる龍の眼で以て、力を得るに値する相応しき者を見定めるべきだ――と。


 しかし人間の醜さ愚かさを目にし続けるうち、やがて龍は人間を見守ることに疲れてしまう。《龍刻印》の管理と譲渡、その役目を託す「次」が必要だった。


 際限なく力を求めた結果、生きた自然災害に成り果てた龍は、生殖機能……雌雄で子を残す機能を喪失していた。そこで、新しい龍秘法を生み出す。自らの命と引き換えに、新しい《龍》の子を世に産み落とす秘法だ。


 これによって龍刻印を次代に託し、最早苦痛と倦怠しか残らない生を「終わらせる」ことができる。そうして《龍》は何代にも渡って代替わりを重ねた。《龍》が様々な姿で言い伝えられ、いつしか《竜》と混同されるようになったのもそのためだ。


 人間を見定めるには、人間の中で生活するのが一番……そんな考えがあったのか、《龍》の子は幼少を人間と変わらぬ姿で生きる。それが人々の間では《龍の御子》、後に真相を隠蔽する形で《龍の巫女》と呼ばれるようになった。




 

 ――しかし、一〇年ほど前。

 当代の《龍》であるリューは《魔窟の森》にて、人との関わりを完全に断って育てられた。理由は定かでない。リューの先生であり育ての親であり、そして先代の《龍》……つまりリューの母に仕えていたらしい最上位竜は語らないままだ。


 ともかく、最上位竜にリューを外界に出すつもりはなかった。様々なことを学ばせたのも、人間を警戒させるためだ。


 ニシキが森に迷い込み、リューと出会ったのは最上位竜にとっても誤算だった。

 それでも最初、ニシキが森で暮らすのを許可したのは、すぐに森の魔物に喰われるか、リューが愛想を尽かすだろうと思ってのこと。人間は愚かで醜く、特にニシキは刻印すら持たない脆弱な人間なのだから。


 しかし最上位竜の思惑は外れ、ニシキとリューは順調に仲を深めていく。


 リューが成長に伴って《龍》の姿に近づき始め、異形となった姿を前にしても。一度は臆しながら、最後にはリューの下に帰ってきた。それだけニシキがリューに抱く恋慕の情は強く、またリューもニシキの存在がかけがえのないものになっていた。


 分かち難い二人の結びつきは、最上位竜さえ認めざるを得ないほどに固く。

 だからこそ、告げねばならなかった。


『人の子よ。貴様がリューと添い遂げることは叶わない。この子は、いずれドラゴンとなる……否、元より人ではなくドラゴンなのだ。人の姿でいるのはほんのひとときでしかない。人である貴様とは姿形だけでなく、生きる時間とてあまりにも違う。貴様が大人になり、老人となり、いずれ死ぬときも、リューは今と変わらぬままだ』


 それは物語ならありふれた悲恋の運命。

 人と人ならざるモノ、その間を隔てる決して埋められない溝。


『貴様はいつかリューを一人置き去りにするだろう。リューはいつか貴様を遠い過去にするだろう。諦めろ、人の子よ。人と龍が共に生きることはないのだ』


 よくある話だ。初恋が実らないなんてことは。

 幼き日のものであれば尚更。誰もが通る道だと、誰もが過去にして忘れ去る。

 ……しかし、無力な少年は断じてそれを良しとしなかった。


『嫌だ。嫌だ! リューを置いていくなんて嫌だ。リューに忘れられるなんて嫌だ。リューが俺以外の誰かのモノになるなんて、想像するだけで耐えられない。リューの隣で、リューと一緒に生きていくのは、俺じゃなくちゃ絶対に嫌だ!』


 矮小な人間の中でも特にちっぽけな子供の叫びが、最上位竜を圧する。


『だったら、だったら俺も《龍》になる! リューを一人になんかさせない! ドラゴンになって、ずっとずっとリューと一緒に生きる!』


 無知故の無謀。幼稚な向こう見ず。恋に浮かれた子供の妄言。

 ――そんな言葉で切って捨てるには、あまりにも激しく禍々しい、狂気にも似た情念がその黒い瞳に燃えていた。





 どれだけ叫んだところで無理なものは無理。

 ……そう突き放せていた方が、あるいはニシキのためだったかもしれない。


 しかし最上位竜は、それを叶えるたった一つの可能性に思い至ってしまった。

 それは刻印さえ持たず、一切なんの才能も持たないニシキだからこそ可能なこと。


《刻印》の力が、時として持ち主の肉体を変質させることは、レヴィアタンが実証した通りだ。《刻印》を持たないニシキの肉体は、言わば真っ白な絵画にも等しい。龍刻印から『純粋な龍の力』を引き出すと同時、龍の力に最も「染まりやすい」体質なのだ。


 ドラゴンの力を使い続けることで、その身をドラゴンへと変質させることができれば。

 不可能とは言い切れない。なぜなら――ドラゴンとは元々ある人間が、力を求め続けた末に「成って果てた」存在なのだから。


 しかしそれは、砂を一粒ずつ投じて大海を埋め立てるに等しい行為。

 龍の力で身を染めるために、途方もない数の闘争を繰り返す必要があった。人間の寿命ではあまりに時間が足りない。

 僅かなりとも早めるために目をつけたのが、【ドラゴン・ブラッド】だ。


 龍の血には再生を促すだけでなく、対象に龍の力を与える性質がある。強敵と戦って肉体を損傷し、【ドラゴン・ブラッド】による超回復ならぬ超再生。これを繰り返すことでニシキの肉体はドラゴンへと近づくのだ。

 それでも、一粒ずつが小匙の一杯ずつに変わる程度の違い。


 無才無力な人の身でドラゴンになる……待つのは、歴史に数多いるどんな英雄さえ経験したことのない苦行だ。しかも、あくまで可能性の話。たとえ命尽きるまで全うしたところで、その全てが無駄に終わるかもしれない。


 いいや、きっと無駄に終わるだろう。そんなことに、人の短い生涯を費やすなど馬鹿げた話だ。どれほど夢見がちな冒険者とて挑むまい。


 しかし、ニシキは一寸の迷いも躊躇いも見せずに頷いた。

 かくして無力な無才の少年は《龍刻印》を継承し、果てのない闘いと苦難に身を投じる。


 全ては、ただ「好きな女の子と一緒にいたい」という、ささやかな願いを叶えるために……。


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