ドラゴンは アークデーモン と 戦っている。


 どれだけの時間が経過したのだろう。

 何十分、何時間も経ったように思えて、その実まだ数分かもしれない。


 洞窟の天井を貫くほどの爆発だ。地上でも異常は感知されたはず。しかし上も混乱しているのか、あるいはレヴィアタンがなんらかの妨害を行っているのか、上で動きがあるようには感じられない。まだ数分程度の経過ならそれも当然だろうが。


 そもそも、仮に地上が異常に気づいたとして、この状況に介入が可能なのか。

 この、怪物同士の戦いに。


「【ドラゴン・フィスト】!」

「ゴバ!」


 龍の拳がバフォメットの顔面に突き刺さり、鼻血が宙に飛び散る。


「ゴァ!」

「ぐぅぅ!」


 バフォメットの炎で形作られた右手が、ニシキを焼きながら地面に叩き落とす。


「【龍巻く暴風】!」

「グァァァァ!」


 火柱と吹雪と竜巻が衝突し、相殺と共に弾けた衝撃で両者がふっ飛ばされた。

 一撃ごとに大気は爆ぜて大地が揺れる、暴力と暴力の応酬。


 本来なら、羽虫のごとく踏み潰されて終わるのが当然の体格差だ。それを補って有り余る、ニシキの《龍刻印》の力はただひたすらに凄まじい。

 しかし、決してその代償は安くなかった。


【龍化】した拳や蹴りの威力に対し、生身と変わらない他の部分が反動に耐えられない。一撃ごとにニシキの肉体は自らの力で砕け、千切れている。そこへバフォメットの反撃も入り、致命傷を負っては【ドラゴン・ブラッド】での再生を繰り返していた。


 惨い光景にロビンが顔を真っ青にし、アリスは両手で口を覆って悲鳴を堪える。

 商館の戦いで一度見たことがあるジークも、目を背けたくなる惨状だ。

 リューは黙して結界の維持に努めているが、その両肩は小さく震えていた。


「過去に小国を滅ぼしたとされるアークデーモンと、単騎で張り合いますか。これが真なるドラゴンの力を宿す、《龍刻印》の使い手……では、これはどうですか!」


 浮遊魔法でバフォメットの後頭部辺りに位置取りながら、レヴィアタンがバフォメットに次なる命令を下す。


 バフォメットの右手に炎、左手に氷、二本角に雷が集まり、それぞれが巨大な球体を形成。大質量かつ高密度の魔力弾が放たれた。


 一つを取っても、ジークたちが喰らえば灰も残らないであろう威力。

 対するニシキはなにを思ったか、【龍化】を解く。


「だったら、こっちはこうだ! 【ドラゴン・ハウリング】――!」


 龍が吼えた。

 雷鳴をかき消す声量の雄叫びに大気が歪む。

 それは前方へ指向性を持った破壊音波と化し、バフォメットの三つある巨大魔力弾を押し留め、やがては弾き返した。


「グ、ゴァァ!」

「くう……!」


 四散した炎と氷と雷を自身で浴びながら、バフォメットの巨躯がふっ飛んだ。

 レヴィアタンも余波に木の葉のごとく煽られ、バフォメットに押し潰されるのを危うく避ける。バフォメットはそのまま洞窟の岩壁に叩きつけられた。


「きゃああああ!」

「んぎょああああ!」


 破壊音波それ自体は及んでいないものの、鼓膜が破れそうな音量に耳を塞ぐアリスとロビン。同じく耳を塞ぎながら、あらん限りの大声でジークは平気らしいリューに問う。


「まさか、これが伝説に聞く【龍の息吹】かぁぁ!?」

「違う。今の、ただの叫び声。言わば『から』のブレス」


 リューのあっさりとした注釈に、思わずこちらの表情が引きつった。

 ドラゴンともなれば、ただ叫んだだけで破壊音波を生み出すらしい。


 おそらく【龍化】を解いたように見えたのは、外からは見えない肺や喉を【龍化】させたためなのだろう。とんだ奥の手を隠していたものだ。

 ……などと、一瞬でも暢気に考えたのが間違いだった。


「ごほっ、ゲボァ――!」


 ニシキが咳き込んだかと思うと、夥しい量の血を吐き出したのだ。

 足下に広がる血溜まりは粘度が高く、中には肉片と思しき固形物まで混じっている。

 これにはアリスとロビンも卒倒寸前になった。


「あんなに血を吐いて……!」

「なんだよ、あの悪魔になにかされたんですかい!?」

「それも、違う。【龍化】が不完全、ブレスの反動、耐えられなくて……肺が、破裂した。たぶん、喉もズタズタ」


 拳や蹴りの反動でも骨が砕けるのだ。上位悪魔の巨体を、巨大魔力弾ごと吹き飛ばすほどの叫び声、体が無事で済むはずがなかった。

 これ以上は耐え切れずにジークは叫ぶ。


「もういい! 結界を解いてくれ! 私たちが足手まといならせめて、リューがニシキに加勢して……!」

「駄目。結界を解いた瞬間、ジークたち、死ぬ」


 しかし、リューは静かに頭を振るばかりだ。


「あの魔族、戦い方、上手い。ニシキと、リューたち、分断された。アークデーモンの魔法、数が膨大。【城壁】も貫通する。結界解いたら、ここから逃げ切るより、殺される方が先。リュー、ジークたち、守り切れない」


 バフォメットはニシキと壮絶な戦いを繰り広げながらも、並行してジークたちに魔法による攻撃を絶えず続けていた。威力もさることながら、問題は圧倒的物量。リューの言う通り、今の全方位結界を維持しなければ、到底ジークたちを守り切れないだろう。


 そしてこちらの退避を援護できないよう、ニシキは巧妙にジークたちから引き離されていた。下手にニシキがバフォメットから距離を取れば、より高威力の魔法でまとめて消し飛ばされる危険性がある。


 しかしこれだけの弾幕を張り続けながら、バフォメットは息切れする気配もない。

 底なしとすら思える膨大な魔力。何人分もの《刻印》を贄に召喚されただけはあるといったところか。


「なにより……これ、ニシキが《龍》、至るための戦い。邪魔、できない」

「邪魔って、これがそんな悠長なこと言ってる状況ですかい! いくら再生するからって、あんなズタボロになっていくニシキの旦那を見て、あんた平気なのかよ!?」

「ロビン!」


 ジークはロビンの過ぎた言葉を制止する。

 平気なはずがないのだ。

 本当ならジークたちのことなど置いて、ニシキを助けに行きたいに決まっている。


 現に杖を握るリューの手からは、血が滴り落ちていた。爪が皮膚を食い破るほどの力を込めて、必死に堪えているためだ。


 そこまで二人が目指す「《龍》に至る」とは、一体どう意味なのか。

 それは、ジークにも全く理解できていないが。


「ゴアアアアアアアア!」


 そのとき、バフォメットが一際大きく吼え、角に目も眩む量の雷を纏った。

 放たれるは、雷の槍が五本。


 音を超える速度の雷槍が次々とニシキの体を貫き――延長線上にいるこちらに向かってきた。結界がそれを受け止め、激しく飛び散る光と衝撃。


 しかし、ここまでジークたちを守り抜いてきた結界に亀裂が入る。

 あるいはロビンの言葉でリューの集中が乱れ、結界に綻びが生じたのか。

 亀裂は瞬く間に広がり、とうとう結界が砕け散った。


「く……!」


 反射的にジークはアリスを庇うように抱きしめ、その上からロビンが二人をマントで覆い隠す。雷槍は結界と相殺するように砕けたが、解けた雷が威力を失わないままジークたちに降りかかった。


 視界が真っ白に染まり、ジークは死を覚悟する。

 しかし……いくら経っても痛みは襲ってこなかった。

 閉じていた目を開き、顔を上げたジークは、雷から自分たちを守る影に驚く。


 手を、足を、肌を赤い鱗が覆い、頭から伸びる鋭い角。

 さらには尾を生やし、背中から広げたのは皮膜の翼。

 まさに半人半龍と呼ぶべき、全身を異形に変貌させたリューの姿があった。


「これは、全身の【龍化】……!?」

(――いいえ。これは【龍化】ではありません。むしろ、その逆。【人化】を解いた、これが私の本来の姿なのです)


 耳朶にではなく、頭の中で直に響くような美しい声。

 荘厳で、しかし静かに聞く者を圧する、人より高い次元に座する存在の声だ。

 目を丸くするジークたちに、リューはどこか超然とした表情で微笑む。


(本来の姿では、喉もドラゴンのそれになっていて、人の言葉を喋れません。だから龍秘法による【思念伝達】で、私の意志を直接貴女たちの頭に伝えているのです。【思念伝達】はあまり得意でないから、別人のような口調で伝わってしまっているかもしれませんね。驚かせたら、ごめんなさい)


 雰囲気まで別人のような、人間離れした佇まいのリュー。

 先程までより強固な結界を張り直しながら、彼女が告げたのは途方もない内容だった。


(私は《龍刻印》を管理し継承者を見定める、人類の監視者となるべく産み落とされたドラゴンの末裔。すなわち《龍の御子》……それが、私なのです)


 そうして、リューは朗々と語り始める。

 ある、人の少年と龍の少女が出会う話を。


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