勇者(馬鹿)は ダンジョン で 戦っている。
《学院ダンジョン》は学院の地下、敷地面積にしてなんと学舎の倍はあるという広大な空間だ。魔物が発生しないとはいえ、敵パーティーと会敵するまでの道のりすら険しい。砂漠などの過酷な環境では、敵と遭遇する前に戦闘不能になってしまうこともままある。
その点、今回の森林は比較的戦いやすいフィールドではあった。
それでも石ころが転がる舗装されていない地面、草に隠れた木の根などの段差、人間に易しくない自然の悪路が、温室育ちの生徒たちを苛立たせる。
「ちぃ! オイ、露払いがなってないぞ! もっと周りに気を配れ! あの愚図な盗人にさえできた仕事も満足にこなせないのか!?」
進行に邪魔な小枝を剣で乱暴に斬り飛ばしながら、《勇者》アレクは怒鳴りつけた。
彼の前には仲間の――アレク本人は手下程度の認識だが――戦士と魔法使い、それとロビンの代わりに入った僧侶を先行させている。しかし、この手の役割をずっとロビンに押しつけてきた彼らの進行は非常に難儀した。
これまでロビンに丸投げし、今は各々に分配した荷物の慣れない運搬。枝や雑草を斬り払って進路を確保する手際も、歩きやすい進路を見極める観察眼も彼らにはない。
アレクはロビンが果たしていた役割の重要性に気づくこともなく、ただメンバーに癇癪をぶつける。メンバーもメンバーで、「こんな雑事はあの盗人の役目だろうに」と自分たちで追い出したことを棚上げして不満タラタラだった。
「それにしても、よく無事に復帰できましたよね。あのドラゴンもどきにやられた怪我は完全に背骨がやられてて、一生立てなくなるものとばかり……」
ローブに絡まった雑草を不快も露わに払いつつ、魔法使いが呟く。
癇癪持ちなリーダーの気を少しでも逸らそうとしての発言だったが、アレクはよくぞ訊いてくれたと言わんばかりに声を弾ませる。
「それがだね、保健室でレヴィ先生の手厚い看護を受けて以来、やたら体の調子が良いんだ! 心なしか、《刻印》の力まで向上しているようでね! いやあ、もしかしたらもしかすると、いわゆる愛の力ってヤツかもしれないなあ!」
浮かれ切ったアレクのニヤケ面に、他のメンバーは呆れ顔だ。
レヴィ先生といえば今年度になって新しく保険医の職に就いた女性で、男女問わず人気がある。理知的な眼差しに穏やかな微笑、それでいて大人の色香が漂う白衣の麗人。
アレクが彼女にお熱なのは今に始まった話ではないが、妄想を聞かされる側はいい迷惑だ。そもそも真名持ちでもないくせに、この男の根拠もない自信はどこからやって来るのか、メンバーは不思議でならなかった。
「レヴィ先生の愛に応えるためにも、あの野蛮極まりない平民から《竜刻印》を奪い返さなくてはな! そして真なる勇者アレクの伝説が今度こそ始まるのだ!」
薄暗い森の中に、場違いに喧しい高笑いが木霊する。
一体いつ《竜刻印》がアレクの所有物になったのか。
疑問を口にするのも馬鹿馬鹿しく、メンバーはおざなりな相槌を返しつつ森を進む。
「だけど……勝てるんですか? あの竜巻なんて起こすようなバケモノに」
「はぁぁぁぁ? あんな品のない力の使い方しかできない下賤な平民に、なにを恐れているんだい! あんな、盗んだドラゴンの力に酔って調子づいているだけのクズ! 正当に選ばれし者である僕らが、正義の鉄槌を下してやらないでどうする!」
恐怖がぶり返したように身を震わす僧侶の弱音を、アレクは鼻で笑い飛ばした。
自分が尾の一振りで瞬殺された記憶は、どこかへ飛んでいったらしい。
……ちなみに、くの字に折れ曲がったまま王都まで運び込まれたアレクは、闘技場の一件を伝聞でしか知らない。竜巻を直に味わっていないが故の緊張感のなさだ。
「ま、まあ、なんたって今回は一〇組中九組のパーティーが同盟を組んでいるんだ。それに【防御結界】さえ破壊すれば、あいつを失格にできる。その上、向こうは竜巻みたいにデタラメな技は禁止されてるんだから、数で囲んで一斉に――っづう!?」
突然、魔法使いが悲鳴を上げて蹲った。
何事かと草を掻き分け足元を見れば、魔法使いの足が発条仕掛けの金属板に挟まれていた。牙めいた鋭い突起が深く食い込んで、足から血が滴っている。いわゆる「トラバサミ」……動物の狩りなどにも利用される罠だ。
「痛い、痛いぃぃ」
「ま、待ってろ! すぐに外してやる!」
涙目で呻く魔法使いに戦士が近づく。
プツン。戦士の足下から、なにか糸でも切れたような音が鳴った。
直後、どこからともなく飛来する投石。
戦士は咄嗟に剣で投石を斬り捨てた。しかし、手応えが嫌に軽い。石と思ったのはそう見せかけた容器で、中身の液体が零れて戦士の鎧にかかった。
「っ!? あつ、あづぅぅぅぅ!」
液体の正体は、金属に反応する類の薬品だったらしい。
鎧が真っ赤になるほどの高熱を発し、戦士は身悶えしながら鎧を脱ぎ捨てる。ちょっとやそっとで鎧の高熱は治まりそうにない。重厚な鎧に身を固めて、パーティーの盾となるのが戦士の役目。だというのに、これでは戦力として半減だ。
完全に不意打ちを喰らい、アレクたちは動揺を隠せないまま背中合わせに固まった。
「と、トラップだ! 至る所にあるぞ!」
「馬鹿な!? まだ開始して五分くらいしか経っていないんだぞ! こんな前線に罠を設置できるはずがない!」
アレクの断言を嘲笑うかのように、遠くからの悲鳴が耳に届く。
「こ、ここだけじゃ、ない。他のパーティーも、次々、罠に襲われてるっ」
【遠視】の魔法を使ったらしい魔法使いの報告に、アレクは眩暈を覚える。
囲んで袋叩きにするだけの、楽な戦いだったはず。
なのに、一体なにが起こっているのか。
「こんな短時間で、こうも広範囲に大量の罠を設置した? 仮にあいつらのパーティー全員が散開したって不可能だ。どんなインチキを使って――ハッ、殺気!?」
背後に視線を感じたアレクが、悪寒に突き動かされるまま剣を振るう。やたら調子が良いという言葉に偽りはなく、横薙ぎの一閃は背後の木を綺麗に斬り倒した。
しかしそこにはなにもいない……かに思われたが、動く小さな影があった。
草に紛れたそれは、『異界型』に属する奇形の魔物だ。虫のような六本脚。胴体らしき台座の上に四角い物体が浮かび、それが頭部なのか各面に一つ目が蠢いている。一の目しかないダイスに脚が生えたような、気味の悪い姿だ。
人工的に造られたこのダンジョンに魔物などいないはず。おそらくは召喚されたモノ、そういえば敵のパーティーには召喚士もいたか。
思い返すアレクの眼前で、信じられないことが起こる。魔物が引きずっていた物体をなにやらカチャカチャいじったかと思うと、そこには小型のボウガンが組み上がっていた。そして魔物はそそくさと草むらの中に退散していく。
それで全てを悟ったアレクは唖然として叫んだ。
「ま、まさか――召喚した魔物どもに、罠をばら撒かせているのか!?」
見計らったようなタイミングで、小型ボウガンから自動で矢が放たれる。
アレクは咄嗟に身を捩ったものの、矢は頬を掠めて肌を裂いた。
散々見下してきたロビンの罠で傷を負わされ、アレクは金切り声で喚く。
「あの、卑怯者がぁぁぁぁ! 今まで使ってやっていた恩も忘れて、こんな仕打ちをよくもおおおおお! そもそも、こんな手の込んだ罠、今まで見た覚えがないぞ! あの報酬泥棒の寄生虫め、手抜きしていやがったのかあ!?」
「そりゃ、貴様が報酬の分け前も満足に与えなかったせいだろうが。これが十分な資金と材料を与えられた、ロビンフッド本来の手腕だよ」
忘れもしない忌々しい声がしたのと同時、アレクの横を黒い影が通り過ぎる。
残像しか目で追えない黒い暴風に僧侶が捕まり、悲鳴を上げる間もなく暗がりの向こうに連れ去られてしまった。遠くで、【防御結界】の破壊された音。
恐怖を煽る薄暗い森の中に、ドラゴンの嘲りが混じった声が反響する。
「低コストかつ単純ながら効果抜群のトラップ製作技術。敵パーティー九組の大まかな位置を突き止める斥候能力。よくもまあ、これだけ有能な人材を、貴様の無能で使い潰してくれたモノだ。自分の目が如何に節穴だったか、せいぜい噛み締めることだな」
「ふざけるな! 出てきて正々堂々と戦え……う、ぐぅぅ!?」
視界が歪み、吐き気を覚えてよろめく。矢に毒が塗られていたのだ。
アレクは僧侶に解毒を命令しようとして、既にいないことを思い出す。連れ去られてしまっては、失格のルールを無視して回復させることもできやしない。
荷物に治癒のポーションはあるが、毒などの状態異常は完全に僧侶任せのつもりだった。そのせいで解毒の手段がない。魔法使いの怪我はポーションで治せるだろうが、今後の罠にも毒の類があれば消耗する一方。
追撃の気配はないが、相手からすれば深追いなど不要なのだ。ただ、こちらが森を進むほどに罠で消耗していくのをじっくりと待てばいい。
こちらが待ちに徹するのは不可能だ。既に罠で損害を被ったこちらと、まだ戦闘すらしていない相手。このままなにもせず時間切れになろうものなら、どちらが勝者と判定されるか。それがわからないほどアレクも馬鹿ではない。
狩るはずが、狩られる側に追いやられた。
その事実も受け入れられず、アレクは膝を突いて思考停止してしまった。
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