ドラゴンを 運命の女神 が 視ている。


「ごめんなさい。ごめんなさいっ。私のせいで……」

「いいのよ、あんたさえ無事ならそれで」

「ああ。お前の無事には替えられない。ご先祖様も許してくれるさ」

「だけど、だけど私たちのリンゴが……!」


 涙ながらに抱き合う看板娘とその両親。

 彼らの傍らには、一本残らず枯れ果ててしまったリンゴの樹があった。





 トカゲモドキの親玉が、息の根を止める寸前にこう言い残した。


『勝ったと、思うなよ。既に……そこのメスガキの実家へ送った手下に、連絡が届いて……ククク、ご自慢のリンゴは、もうおしまいだっ。ひひひ、ひぎっ!』


 看板娘の両親とリンゴ園の安否が気にかかった俺たちは、ジークと王女さんに商館の後始末を任せ、看板娘を背負って彼女の実家に。両足を【龍化】させて駆ければ、日が昇るよりも早くたどり着けた。


 しかし、既に手遅れ。連絡係としてこちらに送り込まれていた下っ端どもは、最後の最悪な嫌がらせに、リンゴ園に毒を撒いたのだ。


 本来なら樹を枯らすことなんかに使わないような、強力な毒だったらしい。リンゴの樹はひとたまりもなく全滅。下っ端どもはとっくに逃げた後だ。今すぐ後を追いかけて八つ裂きにしたいのは山々だが、今はやるべきことがある。


「大丈夫よ。リンゴ園は、また一からやり直せばいいだけだから」

「でも、先祖代々から受け継いできた、英雄様の《刻印》と同じくらい歴史のある味だって。そんなの、取り返しがつかないじゃないっ」

「なにも歴史の古さが全てじゃないさ。それに、お前を赤ん坊の頃から見守ってきたリンゴの樹だって、お前が悲しい目に遭うことなんて望んでは――」

「悪いな。少し、勝手をするぞ」


 俺は一方的に告げて、枯れたリンゴの樹に近づく。

【龍化】させた右手の鉤爪を、左腕に突き刺した。深めに抉り、溢れ出した血をリンゴの樹の根元に振りかける。


「あんた、一体なにを……!?」


 看板娘の父親が大きく目を見開いた。


 グズグズに黒ずんでしまったリンゴの樹が、見る間に再生を始めたのだ。朽ちた樹皮を突き破って、生気に満ちた幹がずっしりとそびえ立つ。蛹から羽化する蝶のように広がった枝葉からは、瑞々しく宝石のように輝いた、深紅のリンゴがいくつも生る。


 夢でも見ているような、呆然とした顔で看板娘の父親が呟く。


「これは、奇蹟か? リンゴの樹が、全て蘇った!」

「――いや、失敗だ」


 リンゴの一つをもぎ取って齧り、俺はそう告げる他なかった。


「不味い、ってわけじゃない。でも、酒場で食べたリンゴの味とはまるで違う。龍の力が混じって、完全な別物になってしまった」


 ドラゴンの血は、浴びた者の肉体をただ再生させるわけじゃない。

 ドラゴンの血で再生したモノは、そこにドラゴンの力が混じるのだ。良くも、悪くも。俺の血で再生したリンゴの樹も例外ではなく、ドラゴンの力で元とは似ても似つかないほど変貌した。


 もう毒なんかで枯れることはないし、魔法薬の材料などとしては破格の価値になるだろう。しかし、そんなことはなんの意味もない。

 このリンゴ園の味は、結局取り戻せなかったのだから。


「すまない。ドラゴンは破壊することばかりが得意で、やはり直すとか、創り出すことには向いていないようだ。俺はただ、余計なことをしただけ――」

「そんなこと、ありません!」


 リンゴを握り潰す寸前だった俺の手に、看板娘の手が添えられる。

【龍化】したままの手を恐れるでもなく、その瞳を恐怖とは違った感情で震わせながら、看板娘は言った。


「このリンゴ園は代を重ねる度に、もっと美味しいリンゴになるようにと、品種改良を続けてきました。私たちで、絶対に今までで一番美味しいリンゴに育てて見せます。私たちのリンゴを蘇らせてくれた、あなたの厚意を絶対に無駄にはしません。ありがとう、ございます。本当に、ありがとう、ございます……!」


 ポロポロと涙を零しながら看板娘は繰り返す。

 彼女の両親も一緒になって、何度も感謝の言葉を口にした。その様子は、ドラゴンの血を浴びたリンゴの価値がわかっていてのものとは見えない。


 彼ら家族にとって、共に育ったこの樹であることにこそ意味があったんだろう。

 森で育った俺とリューにも、その感覚は共感できるものだった。

 と、傍らに立つリューが看板娘の手を取り、自分の両手で優しく包み込んだ。


「アップルパイも、他も、美味しかった。また、美味しいの、作って、ね」

「……っ、はい! 必ず!」


 リューの言葉と淡い微笑みで、いよいよ泣き崩れてしまう看板娘。

 正直、少しばかり意外だ。美味いリンゴの恩があるとはいえ、会ったばかりの人間にリューがここまで柔らかい態度を取るとは。


 目を瞬かせる俺に、リューはさりげなく俺から奪ったリンゴを齧って、笑う。


「本当は、王都、不安、一杯だった。でも、嬉しいこと、あった。楽しいこと、あった。嫌なことも、あったけど。森にいたままじゃ、できなかった体験。出会えなかった人。新しい体験、たくさんあった。それを、ニシキと一緒に。それが、一番、嬉しい」


 ……ああ、そうか。


 一緒の家に暮らして、学院に通って、ジークと知り合って、王女さんも加えた四人で出かけて。ろくでもない連中も大勢いるけど、王都で過ごした時間は、森では味わえなかった彩りを俺とリューに与えてくれた。


 この家族が育てたリンゴも、そんな彩りの一つで。

 それは俺たちにとって、とてもとても大切なことだから。

 俺たちこそ、この家族に感謝しなくてはいけなかったのだ。


「新しいことも、そうじゃないことも、ニシキと一緒に。これからもたくさん、たくさん……ずっと二人で、一緒にしよう、ね?」

「――ああ、ずっと一緒だ」


 森を出て、王都にやって来た甲斐があった。

 いつかは王都も王国も飛び出して、もっと広い世界を見に行くのもいいだろう。

 森が懐かしくなったら、帰って二人きりの生活を楽しむのも悪くない。


 それもこれも、リューと二人一緒であることに意味がある。

 二人でかけがえのない時間を、何十年でも何百年でも積み重ねていく。

 そうやって二人一緒に、いつまでも幸せに生きていく。


 そのために……俺は必ず、リューとの約束を果たす。

 俺は固く繋ぎ合った手の温もりに今一度、改めて誓った。





「……やれやれ。一応は丸く収まったか」


 ラグナ王国の王城エリューズニル、そのとある一室にて。

 リンゴ園の経緯について報告を聞いたヘル王女は、細く安堵のため息を吐いた。


「スクルドよ、遠視はもう切って構わぬぞ。いつ気取られるとも限らぬしな」

「了解しました」


 傍らに控えていた侍女が恭しく頷き、光る紋様の浮かんだ目を閉じる。

 彼女、スクルドは《運命の女神》の刻印を有する、いわゆる『預言者』だ。


 その魔眼は単なる遠視や未来視に留まらない。「過去の段階で分岐した、この世界がたどり着かない『ありえた可能性』の別世界」を観測できる。それは《奈落》で繋がった別次元の先に存在するとも言われる、近くて遠い遥かなる場所だ。


 そこの発達した技術や知識を、預言者の魔眼で収集。魔導技術にてこれらの再現を図ることで、アスガルド皇国の時代から我が国は加速度的な発展を成し遂げたのだ。


 しかし各国の発展具合もこちらに引けを取らないところを見るに、他国も同様に別世界を観測する『預言者』を抱えているのは間違いあるまい。


 ……故に、他国の王たちもとうに知っているはずなのだ。

 世界に再び迫りつつある、滅亡の危機を。


「全く、愚か者を身内に抱えて苦労しているのは、どこの国でも一緒ということかの? せいぜい愚かな王か、愚かな臣下か、はたまたどちらも愚物の違いくらいか。まとめてニーズヘッグの餌にでもして、スッキリ片づけたいところだが……あやつめ、突然姿を眩ませた理由、もしやあの二人の来訪を予見していたからではあるまいな?」

「姫様、迂闊な発言は控えてくださいって。特にこの王城では」


 専属召使いであるベルが軽い口調で小言を零すが、構うことはない。

 ここは王女の寝室、スクルドの目を盗んで覗き見盗み聞きができる者などいはしない。そして自分の他にいるのは、最も信頼を置く二人だけ。ジークも信用の置ける騎士だが、この二人とは如何せん付き合いの長さが違う。


「それで、如何でしたか? 我が先代様が予言した『《覇皇》の再来』は」

「聞きしに勝る、とはまさにあのことであろうな。ジークが彼らと友誼を結んだのは途方もない僥倖であった。学院長には、我の分も胃薬片手に頑張ってもらわねば」


 ヘル王女の手には古びた本。王城に秘蔵された中で最も古く、魔法によって保存されたこれは《竜》ならざる《龍》、すなわちドラゴンにまつわる文献だ。


 この文献に曰く、真なるドラゴンとはたった『二人』の存在を指すという。

 救世の力を求めて神の領域に至った者と、その神を滅ぼすため同じ高みに至った者。


 文献が記す内容を真実だと仮定するなら、ニシキという少年が発した言葉は恐ろしい意味を孕んでいる。それこそ二度目の大氾濫を待たずして、世界が滅びかねないほどの。


 尤も、ヘル王女はそのことさえ些事に思えていた。

 商館での戦いを目にした今となっては、《龍刻印》の存在すら霞む。


 ――自分には、あの少年こそがなにより恐ろしい。


 くれぐれも、敵には回したくないものだ。


「なにはともあれ、あの美味なリンゴが無事でよかったよかった。リンゴを駄目にしたせいでドラゴンを怒らせ、王国が壊滅……などと、洒落にもならぬ。それに美味なスイーツがなくなることは世界の損失であるからな、乙女的に」

「ハッハッハ。そんな世紀末覇王みたいな眼力とオーラ出しといて乙女とか、面白い冗談ですね。ピンクでぬいぐるみだらけな部屋と主のギャップが凄い凄い」

「……なーんだ、ベル。そんなに我と夜のイケナイ遊びがしたかったのか? こうも熱烈なお誘いを受けては、我張り切っちゃうぞー」

「迂闊だったのは僕でした!? 待ってください、今朝も散々絞り尽くされたのに、これ以上は死んじゃいますって! スクルドさんも静かに退出しないで助け――アアアア!」


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