ドラゴンは リザードマン? と 戦っている。


 貴族街の奥、商業区中心に位置する商会ギルドからの看板娘救出。

 ニシキたちに一体どんな策があるのかと思えば、待っていたのは酷い力押しだ。


 まず、リューが龍秘法【龍視る千里眼ドラゴン・サーチ】を発動。これがまた凄まじい術で、貴族街に入る手前の距離から商館を遠視。内部まで透かして看板娘の居場所は元より、他の被害者や敵の正確な数と位置をも暴き出した。


『他にも、被害者っぽい人、たくさん。どうする?』

『その、可能なら全員救出したいが……可能なのか?』

『障壁で隔離、ここからでも余裕』

『じゃあ隔離した上で、そうだな……津波で洗い流すか』


 バケツで水をぶっかけるか、くらいの気安さでとんでもない発言がニシキから飛び出したが、残念ながらそれは言葉通りの意味だった。


 龍秘法の水属性行使【龍泳ぐ津波ドラゴン・ウェーブ】――竜巻に続いて今度は津波である。

 ニシキが手を薙いだ箇所から水が滂沱と溢れ、その規模が瞬く間に津波と化して四階建ての商館に覆い被さる様は、いっそ壮観ですらあった。


 しかし、戦闘員たちを溺死させるまでの勢いはない。

 あくまで商館を一部屋も残らず水浸しにする程度の規模。本物の津波に比べれば些細な――我ながら頭の痛くなる表現だ。ニシキ曰く、これで加減したそうだから余計に――被害と言っていい。


 しかし王都は内陸に位置する。津波を受けるなど想像だにしていない商館の戦闘員たちは大混乱だ。さらにヘル王女の氷属性魔法【氷竜の吐息】で、商館全体を極低温の冷気が覆い、水浸しの商館は丸ごと凍りつく。


 水浸しからの氷漬けにより、警報装置を始めとする魔道具は全滅だ。ある程度の妨害対策は施されていただろうが、まさか一度に水を被って凍りつくのは想定しておるまい。


 そして商館を一呑みにした後も、水の流れは治まっていなかった。

 溢れ返る水が貴族街の屋敷を膝下まで浸水し、これに貴族たちが大騒ぎ。外の衛兵はその対処に追われて、商館を気にかけるどころではなくなった。


 これで商館の内部は元より、外部への連絡経路も滅茶苦茶。外に助けを求めることはできず、中でもロクに連携がままならない惨状と化した。


 後は突撃・制圧あるのみ。

 ただでさえニシキやリューの尋常ならざる戦闘力に加え、手元が震えるほどの低温に凍りついた足場という不利な状況だ。戦闘員たちは成す術なく瞬殺されていった。


 捕らわれていた看板娘も無事に保護し、後は親玉を倒せば一件落着。

 ――かに思われた。





「ハーッハッハッハ! 非力、非力! 伝説の《竜刻印》の力とやらはその程度かあ!? そんなひ弱な爪じゃあ、生まれ変わった俺様の肉体に傷一つつけられんぞ! あの白い服の女め、最高の置き土産を残していきやがったぜ! ギャハハハハ!」

「グルル、ル」

「ニシキ……!」


 悪夢めいた光景に、ジークは絶句する。

 血塗れの、これまで見たこともないほどボロボロの姿になって立ち尽くすニシキ。

 それを、頭が天井に届くほどの巨躯が見下ろしていた。


 鱗に覆われた体表は、魔族の一角《リザードマン》を彷彿させる。しかし尾は生えておらず、顔や手足の骨格は人間のまま。それが却って生理的嫌悪感を煽った。付け加えるなら、リザードマンが巨人だという話も聞いたことがない。


「なんなんだ、あれは一体!? これも《刻印》の、英雄の力だとでも言うのか!?」

「ふむ。化ける際に刻印が激しい明滅を見せていたが……アレは確かに歴代の蓄積を持たぬ『無名』であった。あそこまでの変異を起こすだけの力があるとは考え難いのだが、な。直前になにか薬物を注射していたが、その効用なのか?」


 あのリザードマンもどきは、商会ギルドの子飼いである暴力団の親玉だ。

 刻印を有していたところを見るに、犯罪者に身を落とした没落貴族の血でも引いていたか。


 最初に現れたときは、どう見たって堅気ではない強面でこそあったが、確かに普通の人間だった。しかし戦う前から突然苦しみ出したかと思うと、この異形の姿に変貌。自身に起きた変貌も気にならないほどに正気を失い、見境なしの殺戮と破壊を始めた。


 自分の手下も平気で踏み潰し、後先などまるで考えていない暴れぶり。

 リューに結界でジークたちを守らせ、ニシキが単身親玉に挑んだのだが……ニシキは予想だにしない劣勢を強いられている。


【龍化】した拳や尾の一撃にも耐える強固な体。逆にその巨躯から繰り出される膂力は、一撃ごとにニシキを容易く吹き飛ばし、壁に天井にと叩きつけた。ニシキも同じだけ殴り返してはいるが、ダメージの蓄積の差は明白である。


「リュー! 今すぐこの結界から出してくれ! ニシキを助けなければ!」

「――駄目。それは、できない。二人の、約束の、ため」


 奥歯を軋ませ、血が滴るほどの強さで拳を握りながら、なぜかリューは動かない。

 まるでジークの助力すら阻むように、結界の展開を続けた。看板娘や自分たちを守るため、という様子でもない。ジークにはその意図がまるでわからなかった。


「しかし、解せぬな。確かにあの男の変異は異常だが、【龍化】した肉体を傷つけられるほどの力とは到底思えぬ。それにニシキの傷……攻撃を受けたときより、むしろ自分が攻撃した瞬間にこそダメージを負っているように見えるが?」

「ニシキの【龍化】、まだ完全じゃ、ない。範囲、両腕くらい、限界」

「なるほど。肉体の一部でドラゴンの力を発揮できても、残りの生身と変わらぬ部分は、その力を支え切れない。結果として自壊を起こす、というわけであるな?」

「冷静に分析している場合ですか!? ニシキはもう――腕が!」


 幾度かの殴り合いの末、ニシキの両腕は千切れ落ちていた。

 親玉の拳を砕いた威力の代償に、反動で破裂してしまったのだ。そこまで犠牲を払って壊した敵の拳も、既に驚異的な自然治癒力で塞がり始めている。

 親玉が勝ち誇ったようにゲラゲラと嗤う。


「お仲間からも見捨てられたようだなあ? 所詮は運良く力を拾っただけのガキ、てめえなんざドラゴンの力を持つ器じゃなかったのよ! 力ってのは強者が持ってこそ意味がある! てめえを殺した後で、《竜刻印》は俺様が有効活用してやるよ!」

「フー……トカゲの皮を被っただけのデカブツ風情が、調子に乗りやがって。ドラゴンを舐め腐ったその態度、後悔させてやるぞ」

「お手てがなくなって気が触れちまったかあ!? 一体どの腕で俺様に後悔させてくれるんだよお、ええ!? ギャーッハッハッハッハッ――ハァ?」


 笑い声が中途半端に止まり、親玉が呆けた顔になる。

 異常なほど平静な顔のニシキに、異様な現象が起こっていた。


 ニシキの千切れた両腕から滴る血。それが、床に落ちることなく空中で静止した。不自然な速度で夥しい血が溢れ出し、植物の枝か根のように蠢いて絡み合う。そうやって、まるで腕のような形を成した。


 そして赤黒く凝固した血がひび割れ、砕けると――そこには、何事もなかったかのように傷一つない両腕が。腕と一緒に千切れた服の袖まで綺麗に直っていた。


「どの腕でって……この腕で、だが?」

「は、はっ、ハアアアア!?」


 親玉の顎が外れんばかりにカクンと落ちる。

 ジークも同じ反応を取らざるを得ない。魔物の中には見る間に傷が回復する、高い再生力が厄介な者もいる。リザードマンもどきと化した親玉もそうだ。しかし、ニシキが起こしたそれは明らかに常軌を逸していた。


「【ドラゴン・ブラッド】……そなたも自身の、ジークフリートの伝説で聞いたことがあるであろう? 竜の血を浴びた者は不死身になると。その逸話の所以は、竜の血に宿る絶大な、魔法薬にすれば死者すら蘇ると噂されるほどの治癒効果にある。そしてその血によって誇る自己再生力こそ、竜が畏れられる強大さの秘密の一つ」


 朗々と解説するのはヘル王女だ。

 動じていないようで、よくよく見れば頬を冷や汗が伝っている。


「しかし、真なるドラゴンの血はこれほどまでの凄まじさか。欠損した両腕を一瞬で生やし、肉体だけでなく衣服まで元通りとはのう。最早、自己再生の領域すら超えておる。『自己復元』とでも呼ぶべきか」


 全身の傷も既に消え去って、ダメージ蓄積の優位は一瞬で覆された。

 しかしそれ以上に、得体の知れないモノへの恐怖で親玉の巨体が震え出す。


「なんだそれ、なんだよそれは!? てめえ、本当に人間かぁ!?」

「いいや、ドラゴンさ」


 断言し、ニシキは再び両腕を【龍化】させて歩を進める。

 ミシミシビキビキと、全身から異音を発しながら迫るニシキ。

 その不気味な威圧感は、親玉より遥かに怪物じみていた。


「貴様、まさか……一度や二度手足を千切った程度で、ドラゴンを斃せるとでも思ったのか? 舐めるなよ、ドラゴンを」

「ふ、ふざけんな! なにがドラゴンだ! 力をもらっただけの、小便臭いゴミみたいなクソガキのくせしてよおおおお!」

「俺はドラゴンだ、ドラゴンになるんだ! それが、リューとの約束なんだ――っ!」


 自らを「龍の力を宿した者」ではなく、「龍そのもの」だと僭称する。

 それは四面楚歌の状況下で、自らを鼓舞するための一種の自己暗示。これまで、ジークは度々聞かされるニシキの発言をそういう風に解釈してきた。


 しかし……自己暗示などという表現では生温い。呪いにも似た執念と激情が、決して人が浮かべるものではない凄絶な凶相と、その中で煌々と輝く金色の眼に現れていた。まさしくそれは人でありながら人の枠組みを外れた、人ならざる恐ろしいモノの顔だ。


 エレノアとの決闘で、リューが見せた憤激に対する以上の戦慄と恐怖。

 ジークの喉から掠れた声が零れる。


「なん、なんだ。なにが彼をここまでさせる。ニシキは明らかに、人であることを捨てようとしている。目的のためなら人でなくなっても構わないというより、まるで人を捨てること自体が目的であるかのような……。お前たちの約束とは、一体なんなんだ!?」

「――――」


 ジークの問いかけに、リューはなにも答えない。

 握りしめた手を血に濡らしながら、一心にニシキの戦う姿を見つめ続けている。


 自分で自分を壊しては再生するの繰り返し。その様は地獄で踊り狂う悪鬼のごとく。

 それを見つめるリューの表情もまた、ジークが見たことのない複雑な色をしていた。今にも泣き出しそうでありながら、くしゃくしゃに歪んだ口元は笑っているようでもあり。絶望と希望、悲哀と歓喜が混ざり合って、砕け散る寸前のような顔。


 如何なる胸中からそんな表情が浮かぶのか、ジークには到底理解できない。

 しかし不思議と魅入られたかのように、ジークはリューから目を離せなかった。





 ……そして、三〇分後。

 いくら壊れようが瞬時に再生するニシキに対し、親玉は早々に再生が限界に達し。

 ニシキの【ドラゴン・スクラッチ】で五体を切り刻まれた末、最期は頭を握り潰されて絶命した。


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