アップルパイの 効果 は 抜群だ!


「…………」

「……………………」

「…………………………………………」


 王都の冒険者――《刻印》を持たないながらに魔物と戦う荒くれ者たちに愛された酒場《黄金の百竜》亭は現在、痛いほどの静寂に包まれていた。

 普段なら罵声や喧騒の飛び交う店内が、今は水を打ったような静けさだ。


 テーブルに空の皿を積み上げ、デザートのアップルパイを前に、異様な威圧感を放つ三人の少年少女たち。

 彼らの一挙一動を、強面の冒険者たちは皆一様に、固唾を呑んで見守っている。指一本でも動かせば死ぬと言わんばかりの緊張した面持ちで。


「あむ」

「もぐ」

「ごくん」


 アップルパイを一切れ口に運んだ瞬間、少年少女の威圧感が一段と密度を増す。

 咀嚼している間、表情は真顔。というか、食事を開始してからずっとこの調子だ。


 少年少女――ニシキ、リュー、そしてヘル王女のただならぬ反応に、隣にいるジークは内心戦々恐々としていた。ここはジークにとって行きつけの店なのだが、まさか口に合わなかったのだろうか?


 やがて三人揃って最後の一口を平らげる。

 そして、ニシキが代表するように立ち上がって叫んだ。



「――このアップルパイを作ったのは誰だああああァァァァ!?」



 店全体がビリビリと震えるほどの声量に、荒くれ者たちさえも身を竦ませる。

 カウンターから恐る恐る現れたのは、この酒場の看板娘である少女だ。


「あ、あの、作ったのは私、ですが」

「このアップルパイ……いや、アップルパイだけじゃない。俺たちが食った他の料理にも、リンゴが使われているな?」

「はい。その、隠し味にリンゴのペーストや皮から取った出汁を使ってます。私の実家で育てた自慢のリンゴ、なんですけど」

「なん、だとぉぉぉぉ!?」

「お、お気に召さなかったでしょうか!?」


 今にも掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄るニシキ。

 恐ろしさのあまり泣き出す寸前の看板娘。

 助けに入らねばと身を乗り出す冒険者たち。


 そして、


「あなたが、リンゴの天使か……!」

「は、はいぃぃ!?」


 ニシキは感動に目を輝かせながら少女の手を握った。

 ズコー、と盛大にずっこける店員と冒険者たち。


 学院の貴族はおろか、王族にすら不遜な態度を崩さなかったニシキ。それが今は姫に傅く騎士のごとく、床に片膝をついている。


 これはリューも心中穏やかでないのでは、とジークは心配したのだが。


「リンゴの女神……!」

「ってお前もか!?」


 嫉妬どころか、リューもニシキと一緒になって看板娘の手を取っていた。

 英雄を見る幼子のようにキラキラした目で、恋人を見つめるときに匹敵する熱い眼差しを看板娘に注いでいる。


「これから毎日、我のためにアップルパイを焼いてはくれぬか?」

「姫様ァァァァ!?」


 しまいにはヘル王女までが看板娘の前に跪き、社交場の貴婦人も卒倒しそうな甘い低音ボイスで彼女を口説き始めた。


 つまり三人とも、それだけここの料理が気に入ったというご様子のようで。

 ジークは安堵するやら、オーバーに過ぎる反応に脱力するやら。


「ちょ、やめてください! 拝まないでください! 私、別にそんな大それた人間じゃないですから! ただの酒場の看板娘ですからああああああああ!」


 三人から崇拝じみた視線を浴びせられ、看板娘の少女が涙目で叫ぶ。

 王族と、王にも傅かないドラゴンに崇め奉られるという、英雄以上の偉業を自身が成したことなど、彼女は全く知る由もなかった。





「いやー、美味かったな」

「至福……」

「うむ。これまで知らずにいたのが信じられないほどの逸品であったな。《商会ギルド》め、商売敵が我の目に留まらぬよう手を回しておったか……。これからは定期的に城へ届けるよう、ベルに手配させるとしよう」

「そこまで喜んで頂けたのでしたら、私も紹介した甲斐がありましたよ」


《黄金の百竜》亭を後にし、満ち足りた顔の三人にジークも微笑む。

 一時はどうなることかと思ったが、最終的には冒険者たちともすっかり打ち解けた。

 これでニシキとリューも、少しは王都に馴染んでくれたら喜ばしいのだが。


「それにしても、そなたらは本当に仲睦まじいのだな。アレか? 片時も離れたくなくて、離れたら死んでしまうのか?」

「いや、そんな怪しい薬物の依存症でもあるまいし。まあ、リューとくっついてないと呼吸がしづらく感じることはあるけど……」

「リューも。ニシキ、いないと。鼓動、不安定、なる?」

「うむ、立派に重症であるな」


 ――ふと、ジークは疑問を抱く。今も歩きづらくはないかと思うほどに、腕を組んでピッタリと密着し合う二人の後姿を見ながら。


 辺境の村で生まれ育った二人だ。親しい者もおらず、人で溢れ返った王都に対する不安の表れ……と考えればわからなくもない。


 しかし見つめ合う二人の間からは時折、狂おしいまでの切実さと必死を感じるのだ。一瞬でも視線を外せば、一生離れ離れになってしまうかのような。喉が焼き切れるまで愛を叫び続けなければ、不安で堪らないかのような、熱と猛り。


 ただの恋に浮かれた男女と称すには、二人を結びつける感情はあまりに激しい。その根源がなんなのか、ジークにはどうにも理解できなかった。


 そもそも、なぜ二人は王都までやってきたのか。《龍刻印》を狙う輩を一掃するため、とはニシキの弁だが、龍刻印に拘ること自体が今一つ解せない。


《龍刻印》を授ける《龍の巫女》の存在は、龍刻印そのものと並んで有名な伝説だ。しかし伝説に於いて巫女は記述が少なく、龍刻印を授ける以上の役割を見せていない。つまり龍刻印を授けた英雄と共に戦ったり、婚姻を結ぶような逸話が皆無なのだ。


 故に、ただリューと二人で平穏に暮らす分には、龍刻印は必要ない。適当な相手にさっさと渡してしまうのも、選択肢の一つではあるまいか。


 無論、可憐で無邪気なリューは同性のジークから見ても非常に魅力的だ。彼女自身を欲する輩も現れるだろうし、彼女を守る上で龍刻印の力は必要かもしれない。


 しかし、ならばなぜ、ニシキはわざわざ敵地にも等しい王都に、リューを連れて自ら乗り込んで来たのか。

 ただリューとの暮らしを守りたいだけなら、これは矛盾した行為に思える。


 ニシキとの決闘を通し、彼がなにか揺るぎなく強い決意を秘めていることを知った。しかしその詳細までは知りようがなく、ニシキも進んで語ろうとはしない。


 この二人は如何なる事情を抱え、王都で一体なにを成そうとしているのか……叶うなら自分が力になれるといいのだが。


 彼らの友人になりたいと願い、しかしその前に王女へ忠義を捧げた騎士であるジークの胸中は複雑だ。二人が、王国にとって災いにも成り得る危険性を秘めていると、思考の冷静な部分で理解しているだけに。


「――っ」

「? どうした? 急に足を止めて」


 突然、ニシキが険しい顔でこちらを振り返った。

 まさか思考まで見透かせるのか、と一瞬焦る。しかしニシキと、それに続いたリューとヘル王女の視線は、ジークよりも遥か後方へ向けられていた。


「悲鳴。破壊と、戦闘の音」

「それも方角と距離からして、酒場であるな」


 三人が一斉に元来た道を駆け戻る。慌ててジークも後に続いた。

 ほどなくして、《黄金の百竜》亭を野次馬が取り囲んでいるのが見える。


 跳躍一つで野次馬を飛び越えると、つい先程まで騒ぎ楽しんでいた酒場が酷い有様になっていた。扉は無残に粉砕され、中も魔法攻撃と思しき破壊の痕が。棚の酒瓶が割られて、零れた中身が血と混じり合って床を濡らす。


 そして店員たちに手当を受ける、重軽傷を負った冒険者たちの姿があった。


「どうした、なにがあったんだ!?」

「い、いきなり黒ずくめの連中が酒場に押し入って、看板娘の嬢ちゃんを攫っていきやがったんだ! 俺たちも抵抗はしたんだが、あんまりにも突然のことだった上に、ヤツら人質代わりに他の店員を狙って……卑怯な手を使いやがる!」


 店員を庇ってまともに魔法攻撃を喰らったのだろう。肩に酷い火傷を負った男が、拳を震わせて怒った。


「ありゃあ、《商会ギルド》が子飼いにしている暴力団の連中だぞ。ギルドの権力で揉み消されるのをいいことに、ギルドの邪魔になる商店を狙って襲う、強盗放火なんて序の口の汚い犯罪者どもだ。しかしここまでなりふり構わない手に出やがるとは……!」

「まずいよ。ヤツら、違法な奴隷売買も裏でやってるって噂だ。そんな連中に攫われたんじゃ、なにされるかわかったもんじゃない!」

「けどよう。連中の根城はギルドの商業区、貴族街のド真ん中だぜ? 俺たちが乗り込んだところで、衛兵に捕まるのがオチだ。かといって衛兵に申し立てたところで、まともに動いてくれるかどうか。手続きだなんだって時間かけている間に嬢ちゃんは……」


 冒険者たちは一様に肩を落として沈黙する。

 悲惨な想像に脳裏を支配され、定員たちは今にも泣き出しそうな顔だ。


 ジークも義憤に燃えこそするが、ヘル王女を第一に考えねばならない立場と、ギルドを敵に回す危険性から、咄嗟に言葉を紡げない。


 ――しかし、そんなことなど知ったことかという顔の者が一人。


 酷い火傷を負った男の口に、魔道具店で買った品らしき回復ポーションを突っ込みつつ、ニシキは尋ねる。


「オイ。手短に確認するぞ、看板娘が攫われた先は、貴族街の商業区とやらで間違いないんだな? で、要は商会ギルドの飼い犬どもを蹴散らして取り返せばいいと」

「けほっ。あんた、随分と簡単に言うけどよ……。商会ギルドのバックには財務省の官僚貴族がついてるって噂だぞ? そんなのを敵に回したら――って、なんか火傷が見る見るうちに、気色悪いくらいの速度で治ってる!? なに飲ませたんだよ、あんた!?」


 焦げついた皮膚がベリベリと剥がれ落ち、真新しい皮膚が表れるのを見て男と周りの冒険者たちが仰天する。

 ニシキはそれに一切構うことなく、傲慢に胸を反らして言った。


「ギルドも暴力団も知ったことか。ここは俺たちが目をつけた、もう俺たちの縄張りも同然の場所。そこでふざけた真似をされて、ただで済ますものかよ。大好物のリンゴに手を出して、ドラゴンを怒らせたらどうなるか……思い知らせてやる」


 ニシキだけでなく、リューとヘル王女までが龍/竜の眼を憤怒に燃やす。

 それを見た瞬間、ジークは直感的に悟った。

 ああ、これは商会ギルド滅んだな……と。



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