ドラゴンの前に 王女 が 現れた!
王都の中央広場には、ガラス細工の見事な彫像が鎮座している。
作り物の像であるにも関わらず、凍えるような寒気を覚える美貌の女性。
彼女は《冥府の女王》ヘル――ラグナ王国の初代女王だ。
今は亡きアスガルド皇国の王族であり、ラグナロク大戦で生き残った者たちを纏め上げてラグナ王国を興した建国の母。大戦以前は「戦場に死を振り撒く残虐戦姫」などとと呼ばれ、敵にも味方にも畏怖されたとか。
しかし、古の時代に刻印を生み出した初代ヘルがどうだったかはともかく。
ラグナ王国初代女王としてのヘルは、家族と民を愛する良き王であったと語る逸話が多かったりする。戦場で見せた恐ろしい姿が、彼女の全てではなかったのだろう。
そういうわけで女王ヘルの像は王都民に愛され、それが置かれた中央広場は民の待ち合わせと憩いの場になっているそうだ。
俺たちとジークも、そこを待ち合わせ場所に指定したわけなんだけど……。
「ほう、来たか」
「や、やあ、二人とも」
像の前にはジークともう一人、見知らぬ顔が俺たちを待ち構えていた。
学院の生徒の顔をイチイチ覚えてはいないけど、見かけていればまず忘れないだろう。それほどのインパクトというか、覇気を纏った少女だ。見かけは歳もそう変わらないだろうに、両腕を組んでの仁王立ちがやたらと様になっている。フードを被って一応はお忍びって様子の装いなのに、佇まいからして全く忍ぶ気がない。
蒼銀の髪と瞳に、雪よりも白い肌。人形のように整った顔立ちは、死にゆく者への手向けの華を彷彿させる、寒々しい美しさ。
女王像が氷の女王様なら、この少女はさしずめ氷のプリンセスといったところか。
それにしても、心なしか背後の女王像と顔立ちがそっくりのような……?
「ええと、その、こちらの御方はだな」
「我はラグナ王国の第一王女ヘル=ニーズヘッグ=ラグナである。そなたらが噂に聞く龍の番いか。なるほど、『口から砂糖を吐きそうになる仲睦まじさ』などという意味不明の報告が届いておったが、それも納得の……うむ、コーヒーが欲しいな?」
偉そうだと思ったら実際偉い少女だったようだ。
ラグナ王国の王族であり、しかも真名まで継承した《冥府の女王》の刻印持ち。
そりゃ顔が女王像とそっくりなのも当然、本物のプリンセスだったわけだ。
で、その氷の王女さんは、なにやら随分と愉快そうに、当たり前に腕を組んで密着した俺とリューを観察してくる。
なんつーか、底知れない目だ。直接絡んできた馬鹿とか腹黒とか金髪ロールを始め、これまで会った連中は悪意や欲望が丸出しだった。せいぜい自分は隠している気になっただけの、ある意味でわかりやすい単純な輩ばかり。
ジークの愚直さは、どちらかといえば美徳の類だから別として。
それに引き換えこの王女さん、どうにも腹の底が見えない。
深い水面のように、心の内を奥に奥に沈めて秘めている。水底にはどんな怪物を飼っていることやら。俺とリューを見る愉しげな瞳は、なにか企んでいることを隠そうともせず、しかしその真意は見通せない。愚かで欲深いだけの馬鹿どもより、余程性質が悪そうだった。
……なんにせよ、いつまでもジロジロと値踏みされているのも癪だな。
俺は、リューよりもやや小柄な王女さんを見下ろすようにして対峙する。
「で? 王女とやらが一体なんの用だ? 俺たちはジークにしか王都の案内を頼んでないし、俺たちのデートに同行するのを許した覚えもないぞ」
「ちょ――!?」
王族相手にも態度を変えない俺に、ジークの顔が蒼白となる。
いやだって、人間の王族に傅くドラゴンなんていないだろ?
まあ今日のジークは、この王女さんの護衛で御守役とかそんな感じなんだろうから、無理からぬ反応だ。悪いけど、リューにとってまだ友達未満のジークのために、ここで遠慮してやる義理はない。俺は、ドラゴンなのだから。
平民相手にこうも横柄な態度を取られた経験なんて、おそらく一度だってないであろう王女さんは、しかし気分を害した様子もなかった。かといってこちらの威圧に対し、学院長のように畏まる感じとも違う。
口元に浮かぶ笑みが興味や好奇心から、挑戦的なものにその意味合いを変えた。
「なるほど。王族の肩書きでは、ドラゴンが許しを与えるには足りぬというわけか。ならば――これではどうだ?」
王女を中心に、無形の波動が広場を走る。
冷気を帯びた王女の威圧に、広場一体の気温が一瞬で下がった。
形容ではなく、空気中の水分が凍りついてパラパラと氷の結晶が降り注ぐ。突然の寒気と落下物にあちこちから悲鳴が上がった。女王像を囲うように三つ設置された噴水まで綺麗に凍りつく。
そして至近距離から喰らった俺の体にも薄く氷が及びつつある、が。
「グルァ!」
一喝と共に、体を覆いかけていた氷が残らず砕け散る。
全身から放った【龍覇気】が冷気を押し返し、目の前の王女を吹き飛ばす……寸前、王女が発する蒼のオーラと激突した。
「フゥゥゥゥ!」
「グルルルル!」
金色と蒼の波動が一進一退でせめぎ合う。余波で大気が震え、石材で舗装された地面が無残に氷付き、放射状に砕ける。きっと周りの人々は俺たちの背後に、唸り合う巨大な異形の影を幻視したことだろう。
そしてオーラ同士の激突は、拮抗が崩れないままに双方どちらも弾けた。
反動で、俺の右足が一歩分後退する。
王女の方も同様に、一歩分の後退。
依然として緊張が走る空気。火花を散らす視線。威嚇し合う唸り声と吐息。固唾を呑んで見守る野次馬。お腹痛そうな顔で冷や汗をかくジーク。頭をフルフル振って紅髪にかかった氷の結晶を払い落す可愛いリュー。
緊迫の糸が限界まで張り詰め――どちらともなく零れた笑いで霧散した。
「フフ……フハハハハ! これほどとはな! 流石はドラゴンといったところか! それで、我はそなたの眼鏡に適ったかな?」
「フン。まあ、とりあえず同行は許可してやるよ。ジークの顔も少しは立ててやらないといけないしな」
譲ったのはどちらで、譲られたのはどちらか。
ご機嫌に高笑いする王女さんに対し、こっちは我ながら負け惜しみじみていた。
王女が放ったのは【龍覇気】じゃない。魔力だが、ただの魔力でもない。
氷の属性とは別に、《竜》の力も上乗せされていた。言わば氷属性と竜属性が複合した魔力だ。
……ニーズヘッグで薄々お察しだったけど、怪物は怪物でも内に《竜》を飼うか。
神樹ユグドラシルを喰らった逸話を始め、アスガルド皇国に数々の災厄を招き、ラグナロク大戦でも悪名を轟かした邪竜。竜種の中でも突出した、《龍》に限りなく近い力を持つとされる《
ニーズヘッグは大戦の中、後のラグナ王国初代女王となる当時のヘルの手によって鎮められた。以降は彼女が駆る騎竜としても有名だ。
故に、ラグナ王国王族はミドルネームに竜の名を冠するわけだけど、まさか《竜刻印》まで伝わっていたとはな。しかし「純粋なドラゴンの力を発揮できる」者として、竜と拮抗するようじゃ駄目だ。駄目駄目だ。
俺は、ドラゴンにはまるで足りていない。
――と、泥沼に潜りかけた思考が、王女とバチバチやっている間も繋いだままだったリューの手に引き戻される。
「終わった?」
「あ、ああ。付き合わせて悪かったな。寒くなかったか?」
「寒かった。だから、あっためて?」
「うん。ギュー」
「ギュー」
「……いや、本当に仲睦まじいのだな。まあ、結構なことだが。痴話喧嘩を頻繁に起こして、その度に王都を壊滅させられても困ることだしな、うむ」
「あの、姫様。世にも物騒なご挨拶がお済みになられたのは良しとしまして。早くこの場を離れませんと、その……」
酷く恐縮した様子のジークが指差した先には、俺と王女のバチバチの余波で見事にぶっ壊れた女王像が。
そして遠くから近づいてくる、騒ぎを聞きつけた衛兵の怒鳴り声。
「ダッシュで、逃げる?」
「まあ、捕まると二重三重で面倒なことになりそうだから逃げるけど……像はあのままでいいのか? 半分責任があっても謝る気はないけども」
「気にしなくていいぞ。なにせどういうわけかあの女王像、歴代女王の手で破壊されては再建を繰り返して歴史的な有難味の欠片もなくなっているからな!」
「お願いですから、破壊魔なところまで女王様に似ないでください……」
王女さんに先導される形で走り出す。最後尾のジークは逃走することに良心の呵責を感じてか、物凄い苦渋の顔だ。王女が衛兵に捕まるのもアレだし、俺とリューのデートを台無しにするのも気が引けての板挟みか。苦労人である。
しかし老獪なようで豪快というか、雑というか、なんなんだこの王女?
とりあえず、大物なのは間違いなさそうだ。
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