ドラゴンは 城壁 を 築いた!



 観客席に、耳が痛くなるほどの沈黙が下りていた。

 ここまで観客は心情的にはリューの味方で、かといって助けるでもなく無責任に彼女を憐れんでいた。


 無才の村人でありながら《龍刻印》を所持し、学院長にすら不遜な態度を崩さないニシキに対し、悪感情を抱く生徒は多い。一方《龍の巫女》であるリューには、その可憐な容姿もあって懸想する生徒が続出。中にはニシキに隷属させられている被害者だと噂する口さがない者までいた。


 そんな少女が謂れもなく、それも一方的に痛めつけられる決闘など誰が喜ぶものか。

 しかし、同情的な空気は困惑と不安に変わりつつあった。


 一〇人がかりで刃を向けられても眉一つ動かさず、戦鎚で鼻を砕かれても平然としているリューに、言いようのない不気味さを感じ始めたのだ。

 果たしてあそこにいるのは、本当に見かけ通りの可憐な少女なのか、と。


 対面するエレノアが、一番に不吉な悪寒を覚えているはずだ。

 しかし自尊心がそれを上回ったと見えて、やや無理やりに笑みを作る。


『そ、それにしても、貴方の騎士は薄情ですわねえ? 貴女をひとりぼっちで戦わせて、怪我までしたというのに、助けに入る素振りも見せないだなんて』


 エレノアの言葉に、リューが今は斜め後方に位置するこちらを振り返って、頭上に「?」を浮かべる。ジークでなくニシキを差しての発言だと気づくのに、数秒かかった。


 まあ、ニシキは少なくとも騎士という柄ではないし、自分は友人となったが剣を捧げたわけではないので、彼女の疑問もわからなくはない。


 エレノアに視線を戻したリューは訝しそうに返す。


『これ、リューの決闘。ニシキ、煩わせる、までもない』

『そんなこと言って、本当は使えない道具だと失望しているのではなくて? あんな下賤で野蛮で教養のない馬鹿な平民、《龍刻印》を餌に言いなりの下僕とするには都合が良かったかもしれませんけど。豚に真珠、猫に小判って東方のことわざをご存知? やはり大いなる力を与えるのは、それに相応しい資格のある者でないと、ねえ?』


 エレノアは同意を求めるように、視線を観客席に巡らせる。

 そこかしこから上がる同調の声。傍観しているだけの自分たちのことは全く顧みずに、ニシキを非難する空気が観客席に立ち込めていく。


『――ア?』


 それを、リューの憤激が吹き蹴散らかした。

 闘技場を丸ごと呑み込む規模の激しい怒気。


 直に心臓を鷲掴みするかのような圧迫感に、観客は一人残らず呼吸が止まった。エレノアに同調しニシキへ非難の声を上げた者は、特に症状が酷い。息を吸えないまま地面を転がって痙攣する。威圧だけで人を殺せるほどの怒りだ。


 食い応えのない獲物を冷ややかに睥睨するようだったリューの目が、今は鋼鉄をも溶かす灼熱の殺意と激昂で燃えている。


『ニシキを、侮辱したな? 貶めたな? 蔑んだな? 馬鹿にしたな? なにも知らないくせに……あの人が、リューのために、どれだけの犠牲、代償、苦痛、払ってきたかっ。知りもしないくせに! よくも、ヨクモヨクモヨクモヨクモヨクモヨクモ!』


 血を吐くような叫びの中、リューの体より異音が響く。

 紅髪の間から尖角が天高く伸びていき、首筋から頬にかけて赤い龍鱗が肌を覆う。

 そして制服を捲れ上げてズルリと這い出たのは、鞭のようにしなる尾。


 ニシキがローラや自分との戦いで見せたのと同質の変異に、ジークは驚く。


「彼女も、己が身を《龍》に変えられるのか!?」

「厳密には違うが……ドラゴンにとって肉体の変異は、基礎中の基礎に位置する能力だ。《龍の巫女》であるリューも当然できる」


 なにがどう違うのだろうか。

 ジークの見る限り、リューの身に起こった変化はニシキと全く同一のソレだった。

 宝を土足で踏み荒らされたドラゴンそのものな形相で、リューが唸る。


『貴様は、リューの逆鱗に、触れた』

『なぁにが逆鱗よ! 田舎娘風情が上手いこと言ったつもり!? 下僕たち! あの生意気なドラゴン気取りの小娘を、今すぐグチャグチャに潰して黙らせなさい!』


 金切り声で命令を下され、下僕たちが再び武器を手にリューへ迫る。

 リューはその場から動かず、棍棒の先端を前方に向けた。

 すると、棍棒の先端に魔法陣が出現。


『龍秘法、【シールド】』

『ハン、勿体つけてなにをするかと思えば、ただの魔力障壁じゃありませんか! そんなちっぽけな盾で、私の下僕たちの攻撃が防ぎ切れるとでも……!』

『――【城壁形態キャッスル・ウォール】』

『なっ、は、ハアアアア!?』


 そして、何百単位で多重展開された魔法陣が、一瞬にして城壁を築いた。


 エレノアたちの眼前に広がる、半透明の巨大な壁。見上げればひっくり返ってしまいそうになるほど高く、左右の端は闘技場の観客席まで突き刺さっている。分厚さも王都を囲うソレに等しいかそれ以上の、まさしく城壁だ。


 東方に伝わる一夜城の伝説よりも馬鹿げた光景に、観客は絶句する。


「城壁規格の魔力障壁だと!? こんなもの、軍の魔法大隊による複合魔法でも足りるかどうか……それを個人で成したというのか!?」

「だから、ドラゴンを舐めるなと言った。ドラゴンは《叡智与える蛇》……《奈落》からもたらされた異界の法則を利用する、現代式魔法の基礎理論を確立して人類に与えたとされる存在だぞ? 《龍の巫女》であるリューが、これくらいできない道理がない。まあ、魔力じゃなくて【龍覇気】を用いてるから、厳密には魔力障壁と違うんだが」


 さも大したことではないようにニシキは言うが、そもそもドラゴンが人間に魔法を与えたなんて話自体が初耳だ。しかしニシキが起こした竜巻、そして眼前の光景を前にしては、与太話と一笑に付すこともできない。


『こ、こんなのただの虚仮脅しですわ! さっさと叩き壊してしまいなさい!』


 エレノアの命令を受けて、下僕たちが城壁に攻撃を加える。

 しかし武器で叩こうが魔法を浴びせようが、城壁は微動だにしない。


 少女一人には過剰戦力のパーティーも、城壁を殴りつける姿はなんとちっぽけで滑稽に見えることか。

 驚愕から立ち直るにつれ、エレノアたちを見る観客の目に失笑が浮かぶ。


 自分が笑い者になっていると気づいたエレノアは、恥辱のあまり、今にも地団駄を踏み荒らしそうな顔に。しかし渾身の意志力でそれを堪えた。


『ふ、フン! そうやって卑怯にも穴倉に閉じこもったところで、私に敵わないと降伏しているのも同じこと! ここから一体どうするおつもりなのかしら!?』


 見え透いた虚勢だが、エレノアの弁にも一理あった。

 確かにエレノアたちにあの城壁は破れないだろうが、リューからも攻撃はできない。


 そして見栄が服を着ているような貴族の決闘では、守勢に回った者が臆病者の誹りを受けることになる。平民のリューに貴族の理屈を当てはめるのは理に合わないが、エレノアは無理やりにでも判定勝ちで押し切るつもりだ。


 エレノアの言葉に、リューはなにを思ったか。

 まるで棍棒を城壁に押し込むかのように、前方へ体重をかける。


『どうするって、こうする。――よい、しょっと』


 ズズズ、と音を立てて、城壁が動き出した。


 最初は見間違えかとも思える僅かな前進が、リューが力を込めるごとに、どんどん目に見えてエレノア側に迫っていく。おそらくは実際の城壁と相違ない質量と重量があるだろうに、それを動かすなどどういう膂力なのか。


 城壁が突進してくるという悪夢的光景。左右の観客席が城壁に押し潰され、砕かれた瓦礫が津波のごとく巻き上げられ、観客が必死に逃げ惑う。


 しかしエレノアに逃げ場はない。逃げようにも背後は観客席の高い壁。そして入場口は城壁の向こう側だ。


『虫らしく、ブチリと、潰れろ』

『嘘、冗談でしょう。こんなのありえませんわ! 反則じゃないですの! ちょ、待って、やめっ。いや、いやああああ! 誰か助けて! 助けなさいよ! 助けっ』


 ズズン、と重低音を響かせて城壁の進軍が止まる。

 泣き喚くエレノアの叫び声は、下僕たち諸共城壁に押し潰された。


 城壁が半透明のために透けて映る、彼女らの末路は悲惨だ。完全武装で固めた下僕たちも重傷。制服だったエレノアに至っては、とても描写するに堪えない。リューが宣告した通り、靴底で踏み潰された虫そのものとだけ述べとく。


 そして闘技場も酷い有様で、城壁の進撃によって綺麗に半壊し、まるで半分だけ平らげたホールケーキだ。

 リューの後方側にいたため無事だったジークは、当然同じく無事なニシキに言う。


「なるほど……リューが最初受けに回っていたのは、エレノアが入場口から逃げられないよう、立ち位置を誘導するためだったのだな?」

「ああ。あの金髪ロールが、取り巻きを盾にして自分は一番安全な後方に居座るような性格なのは、会った時点で一目瞭然だったからな。顔に一撃もらったのもわざとで、顔面殴ったことをやたら根に持つ金髪ロールへの、意趣返し『返し』のつもりだったんだろうけど……心臓止まるかと思ったぞ」


 こちらの気も知らずにブンブンと手を振るリューに、ニシキは苦笑を浮かべながら手を振り返す。その目には圧倒的な力や異形の姿など関係なしに、ただ大切な人が無事に戻ってくることへの安堵があった。


 ……そしてなにやら闘技場の惨状を改めて見回すと、ニシキが神妙な顔で頷く。


「しかし、アレだな。闘技場が半壊で済んだ分、竜巻で更地になった前回よりは穏便に収まった方じゃないか? うん」

「どこが穏便だ! というか更地にした本人が言うな!」


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