ドラゴンは 金髪ロール軍団 と 戦っている。
ジークフリート=ファフナーは《竜殺し》の血統、ファフナー家の長女である。
幼い頃から寝物語に聞かされた祖先の英雄譚に目を輝かせ、自身もいつかは祖先のような勇敢で誇り高い騎士になろうと夢見ていた。
その一方で、父からは何度も言い聞かされてきた。
真なるドラゴン――すなわち《龍》の恐ろしさを。
《龍》とは神にも等しき力を持つ、偉大にして絶大なる究極の生命。大自然のごとく、人々に恩恵も災禍も与える星の化身。祖先を始め数多の英雄が打倒してきた《竜》とは、《龍》の力をほんの一端だけ授かった獣に過ぎないのだと。
真なるドラゴンを決して侮ってはいけない。アレは嵐や津波に等しい、人間には抗い難い天災なのだから……それがとあるドラゴン退治で重傷を負い、世間からは《竜殺し》の恥だと後ろ指を差されながら死んだ父の遺言だった。
「ん? どうした? ……ハハーン、さては俺との戦いで昼飯食い損なったか? どうしてもって言うなら、一個だけ分けてやらないでもないぞ?」
「いや結構。気にせず食べてくれ」
故に、ジークはなんとも数奇な運命を感じずにはいられなかった。
その《龍》の力を継承した少年と、《竜殺し》の末裔である自分が、こうして肩を並べている現状に。
《龍の巫女》リューと《愛の女神》エレノアによる決闘は教師からも許可が下りた。午後の授業が中止となって、大勢の生徒がここ第二闘技場に集まっていた。ちなみに第一闘技場は局地的竜巻で一度更地と化したため、今も絶賛再建中である。
現在ジークはニシキと共に前列寄りの席に座り、リューとエレノア、対峙する両者を横側から観戦していた。周りに生徒が寄りつかないせいで観客席にぽっかり空白が生まれ、並んで座る自分たち二人が嫌に目立ってしまう。
それを気にした様子もなく、売店で買い込んだというパンの山を次々に平らげていくニシキ。ジークは思わず呆れ顔で呟いた。
「しかし、お前はよく食事が喉を通るな……。彼女のことが心配じゃないのか?」
「あの程度の雑魚相手にイチイチ心配してたら、俺の心臓が持たないっての。ただでさえ毎日、色んな意味でドキドキなのに。それにリューは確かに守ってあげたくなる感じの可愛さだけど、逆に守られてこっちがときめくこともあるくらいには強いぞ? まあ、そのギャップもまた可愛いんだけど」
こまめに惚気が挟まっている気もするが、ニシキの目には揺るぎない信頼があった。
ニシキの強さはこの身で実感したばかりだ。ニシキが強いと言うのなら、リューもまた常識外れの力を持っていてもジークは驚かない。
しかし、それはそれとしてやはり心配ではあるのだろう。なんてことないように口で言いつつ、ソワソワと落ち着かない体を押さえ込むように、空いた左手で膝を掴んでいる。信頼と心配の板挟みになった様は、リューに対する想いの深さが窺い知れるようだ。
微笑ましい気持ちが顔に出ていたか、ニシキは仏頂面になってこちらに問い返す。
「逆に聞きたいんだが、あの金髪ロールはジークが警戒するほど強いのか? 《刻印》は大物らしいけど、真名も許されていないんだろ? つまり《霊宝》は使えず、素の能力だって戦闘向きじゃない。違うか?」
「ああ、その通りだ。私自身、エレノアが自ら決闘の場に立つとは思わなかった。てっきり代理を立ててくるものだと思っていたのだが」
ニシキに対しても仕掛けたように、エレノアは【魅了】の力を操る。
代々美形の血筋に刻印の力も相まって、貴族の中でも抜きん出た美貌と肢体。その色香で生徒や教師を男女問わず篭絡し、一大勢力を築いた。それは数と位が物を言う派閥争いでは強力無比の武器。一方で直接的な武力はからっきしのはず。
にも関わらず、闘技場中央に立つエレノアの顔は自信に満ちていた。少なくとも、勢いで決闘など挑んでしまい後悔している顔ではない。
それに中庭での『私手ずから』『私が直接手を下すまでも』など、自分と決闘するつもりでいたかのような口ぶりもジークには引っかかる。
「エレノアは自分の美貌に過大な自信を持っているが、戦いとなれば小心者だ。戦闘訓練の授業からは逃げ、試験になればパーティーに従えたクラスメイト任せか、教師を誑かしての不正。私に対しても悪い噂を流すなどの間接的な嫌がらせばかりで、私の剣が届く間合いには近寄ろうともしなかった。それがなぜ急に……」
そういえばエレノアも先週、闘技場を更地にした局地的竜巻の被害に遭っていたはず。自分も凌ぎ切れず軽傷を負ったが、彼女に至っては担架で運ばれたのを覚えている。そのまま保健室送りだったようで、あのとき頭でも打ったのだろうか。
そんな邪推が浮かぶくらいに、エレノアが自ら戦場に立つというのは彼女らしからぬ光景だった。いっそ不気味ですらある。
そうこう考えている間に決闘が開始された。
『さあ、おいでなさい! 私の愛の奴隷たち!』
開始の合図と同時、結界の効果で拡大されたエレノアの声が響く。
すると急激に魔力が膨れ上がり、彼女を囲うように九もの魔法陣が展開。そこから九人の男女が姿を現した。いずれもエレノアの取り巻きで、重厚な鎧や魔力増幅効果のあるローブなど、完全武装に身を固めている。
初手から予想だにしなかった光景に、ジークは驚愕で目を丸くした。
「【転移】……いや、【召喚】か!?」
「ほう? 大方、契約を結んで従僕とした相手を召喚する能力か。なんだよ、思ったより刻印の力を引き出してるんじゃないか」
「そんなことを言っている場合じゃない! 状況がわかっているのか!?」
暢気に感心するニシキをジークは怒鳴りつけたが、ニシキは軽く眉をひそめただけで、サンドイッチに手を付け始める始末だ。
一〇対一の圧倒的優位に立ち、エレノアが勝ち誇った笑みで口元を歪める。
『この万人を魅了し、英雄をも従える美しさこそ《愛の女神》の力。この子たちは私に身も心も捧げた私の剣であり盾。そしてこの子たちを召喚したのも私の力ですもの。決闘のルールにはなに一つ違反していませんわ。まさか、卑怯だなんて言いませんわよねえ?』
『別に。一〇でも一〇〇でも、好きにすれば?』
粘つくような声で煽るエレノアの言葉を、リューは淡々と切り捨てる。
冷え切った眼差し。醒めた表情。入場口での別れ際にも見せた、ニシキに甘えるときの無邪気な笑顔はどこにもない。どこか超然とした表情は獣、それも圧倒的捕食者の風格を放っていた。ドラゴンの眼が、冴え冴えとした敵意で金色に輝く。
一見すれば決闘など名ばかりの、陰湿で卑劣な私刑の場。しかし本当の狩られる側はどちらなのか、ジークにはわからなくなる。
『ドラゴンを相手、人は軍勢で挑む。なにもおかしなこと、ない』
リューが地面に向けて手をかざす。
土埃が舞い上がったかと思うと、それは光沢を放つ金属の粒子に変じて凝結。瞬く間に武器の形を成した。
形は杖だが、魔法の補助に用いるものではない。鈍器として振り回す棍棒だ。
「アレは、【錬成】? 彼女は術師なのか?」
「【錬成】に限らず、リューは武器も術も色々と器用に使えるぞ。本当はもっと本能的に、素手で暴れ回るのが本来の戦闘スタイルだったんだけど……俺のために、アレコレ勉強してくれたみたいでな」
ニシキの瞳に、泣き出すのを堪えるような、複雑な光が宿る。
その意味をジークが尋ねる間もなく、闘技場の盤面がいよいよ動き出した。
『束になった、ところで、虫は虫だけど』
『っ、やっておしまいなさい! 私の美しい顔を傷つけた報いに、あのみすぼらしい顔をグチャグチャに潰してやるのよ!』
冷笑での挑発に、エレノアが目を血走らせながら下僕をけしかける。
まず前衛の戦士四人が剣、槍、斧、戦鎚と各々の武器でリューに襲いかかった。仮にも少女を四人がかりで襲うという行為に、なんの躊躇いも感じられない。思えば召喚されてからずっと無言だが、まさか精神にも支配が及び、操り人形にされているのか。
様子がおかしいのはそれだけでない。四人の動きが、ジークが記憶するより速いのだ。
動きそのものが良くなったというより、単純な瞬発力の向上。それは空振りした勢いで地面を抉り砕く、戦鎚の威力に表れていた。
「あの男子生徒、あそこまでの膂力はなかったはず。それに魔法使いの女子生徒も、魔法の威力が桁違いに上がっている! これもエレノアの力なのか!?」
「下僕とした相手に恩恵を与える能力だろうな。それで身体能力や魔力が倍増している。尤も力ばかり大きくしたところで、扱い切れずに振り回されてるが。力と技が噛み合ったジークの剣の方がずっと厄介だったぞ」
下僕の強化など、召喚といい、今まで見せたこともない力だ。
実力を隠していたのか、自分の与り知らぬところで成長したのか。定かでないが、ジークが知るエレノアより刻印の力が遥かに増している。
ニシキは酷評するが、戦況は明らかにエレノア側の優勢だった。
前衛四人による近接攻撃。魔法使い三人による遠距離攻撃。支援二人による回復と補助。攻守どちらも整えられた万全の布陣だ。
対するリューは打点を選ばない棒術の利点を活かし、多種多様な敵の攻勢を捌きながらも、闘技場の外縁を回り込むように後退を続ける。
『オホホホホ! 無様なこと! 最初の威勢はどこに行ってしまったのかしら? まあ、辺境の田舎者には相応しい惨めな姿だけど!』
リューと対角線上の位置を保ちながら、エレノアは安全な後方で高笑いだ。
居ても立っても居られず、ジークはニシキに叫ぶ。
「防戦一方じゃないか! やはり、多勢に無勢なのでは!?」
「アレはあえて受けに徹しているんだ。たぶんリューの狙いは――!?」
いっそ腹立たしいほど余裕を崩さなかったニシキの顔が強張る。
鈍い殴打の音。砕ける破壊音。飛び散る鮮血。
敵の戦鎚が、リューの顔をまともに捉えたのだ。
機敏な動きですぐさま距離を取るも、顔を押さえて俯くリュー。その手からボタボタと血が滴り落ちるのを見て、観客席から悲鳴が上がった。
『オホホホホ! いい気味ですわ! この美しい私に逆らうからこうなっ』
ゴキン。
エレノアの哄笑が、嫌に重く響いた音で遮られる。
俯いてよく見えないが、おそらく折れた鼻の位置を強引に戻した音。
手で血を拭い、リューが顔を上げる。拭い切れず血の痕が残る他は、何事もなかったかのように無傷の顔で、リューは首を傾げて見せた。
『――で?』
この程度のことで貴様はギャンギャン騒いでいたのか、と声音に滲む嘲り。
エレノアの顔が屈辱と、それ以上の恐怖で引きつった。
憐れな犠牲者を見る目だった観客の顔も、それまでと別の意味合いで青ざめていく。
ジークさえ、リューの発する凄絶な威圧感に背筋が凍りつく思いだった。
「馬鹿が。誰に喧嘩を売ったと思っている? 俺たちを――ドラゴンを舐めるなよ」
ニシキだけが、揺るぎない信頼と親愛の眼差しでリューを見守っていた。
……ただし怒りを暴発させまいと踏みしめた足が、見る見る亀裂を広げて観客席を割りつつあるが。
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