ドラゴンは 《竜殺し》 と 戦っている。


《竜殺し》の英雄ジークフリート。

 俺も、その伝説はまだ両親が生きていた頃、寝物語に聞かせてもらった覚えがある。


 邪竜ファフナーを倒した初代の伝説が特に有名で、以降の継承者たちもなにかと竜に関わる逸話を残していた。

 目の前にいる銀髪女は、その《竜殺し》の末裔。それも《真名》持ちだ。


 単に英雄の血筋を引くだけでなく、歴代《竜殺し》が積み重ねてきた力の結晶たる刻印を受け継ぐ者。そして刻印の力を十全に引き出せていると認められた者だけが、真名として英雄の名を冠するのだ。

 つまり単純な話、こいつはデキる使い手ということ。


「ハアアアア!」

「グルア!」


 銀と黒が幾度となく交差し、その度に血が飛び散る。

 相手の剣戟に俺は【龍化】させた両腕で応じているが、一撃受けるごとに鱗が斬り裂かれ、より堅い甲殻も削り取られた。


 魔物とばかり戦ってたんで、剣の腕の良し悪しなんて俺には図れない。しかし刻印から与えられる力に振り回されず、歯車のようにしっかり噛み合った技量だ。ただ膂力や瞬発力があるだけの剣より、遥かに剣筋が鋭い。

 だから虚実がない愚直な、単調とも言える剣に、こちらの反応が一歩遅れる。


 回避が間に合わなければ受ける他なく、受ければ削られていく。代々竜と戦い竜に勝利してきた《竜殺し》の刻印は、使い手に【対竜】の力を与えるのだ。そいつが俺の【龍覇気】を破り、龍鱗の守りを砕いている。


「グルアアアア!」

「くっ!」


 返しに俺も拳を繰り出す。当たれば一撃だ、【対竜】で威力を弱めたところで、ひとたまりもあるまい。しかし、当たらない。どうも動きを見切られているようで、肩ほどで切り揃えられた銀髪の毛先をかすめるばかりだ。


 十数回ほどの応酬を経て、ジークフリートが飛び退いて距離を取った。

 刃に付着した血を払い、剣先をこちらに突きつけてくる。


「……無駄だ。お前の爪は私には届かない。そして私の剣は、お前の命に届くぞ」


 周りの野次馬から歓声が沸く。


 貴族にしては珍しく慕われているのか、ジークフリートには「頑張って」と声援が、俺には「さっさと降参しちまえ」と野次が飛んできた。

 しかし勝利宣言じみた言葉と裏腹に、ジークフリートの顔に余裕はない。


 攻撃を避けるのがギリギリだということ、一撃でも当たれば致命的だと自覚があるんだろう。そして、こっちがまだまだ手札を隠しているのも薄々感じ取っている。たかが村人という先入観が拭い切れなくて、確信を持てずにいる顔だ。


 今まで戦った馬鹿二名とは、比べるのも失礼なくらい真っ当な部類の相手らしいが、こんな序の口の挨拶で勝利宣言されても困る。


 第一、命に届く? 骨にも達していない斬り傷じゃ怪我の内にも入らないぞ。

 俺は拳を打ち鳴らしながら、ジークフリートに笑いかけた。


「勝ち誇るには早すぎるだろう。ようやくまともな『闘争』ができそうなんだ。貴様にはとことん付き合ってもらわないとな」

「よせ。お前は、その《刻印》の重みがなにもわかっていない」

「……なにが言いたい?」


 聞き捨てならない言葉に、声音が低くなる。

 ジークフリートはこちらを嘲るのでもなく、むしろ憐憫すら窺える目で言った。


「《刻印》は過去の英雄たちが世界を、人々を守り続けるために連綿と繋いできた大いなる力の結晶だ。刻印を継ぐことは、英雄たちの使命と責任をも受け継ぐということ。覚悟もない者が、生半可な気持ちや欲で身に余る力を振るえば、周りにも自分自身にも災いを招く。……民はドラゴンになどなれないし、なってはいけないんだ」


 ああ――こいつはたぶん、いいヤツなんだろう。


 力に溺れて、英雄の血筋をなにしても許される免罪符だと思っているような、そこらの腐れ貴族とは違う。誇りと使命感を持った、真っ当な英雄の卵だ。


 だから英雄の守護すべき村人が、身に余る力を持ったことを憂いている。

《龍刻印》を自分の物にしようという打算ではなく、資格なき者が持っては当人までが危険だという憂慮。畑を耕し平穏に生きるべき民が、強大な戦う力を持っても身の破滅を招くだけだと。

 それは正しく、立派な騎士の精神というものなのだろう。


 ……だが、それは俺に対する、この上ない侮辱だ。


「俺に覚悟がないとでも? ――貴様は、俺の逆鱗に触れたぞ」


 全身から【龍覇気】が迸る。

 稲妻のように嘶く金色の波動が、ジークフリートを圧した。


 資格がない。才能がない。相応しくない。力が足りない。器が足りない。

 そんなこと、他人にわざわざ言われるまでもなくわかっている!

 この《龍刻印》を与えられてから、リューと約束を交わしてから、ずっとずっと何百回も何千回も何万回も思い知っている!


 今だってそうだ。本来なら【対竜】なんて、《竜》ならざる《龍》には通じない。

 通じているのは単に、俺の力量不足で鱗も甲殻も《龍》足り得ていないせいだ。

 だから拳を振るう度、筋肉は千切れ骨は砕ける。俺が弱いから。俺に資格がないから。


 だけど、それがどうした? それがなんだっていうんだ?

 こんなにも弱くて駄目な俺を、リューは好きだと言ってくれた。


 いつ約束を果たせるのか、目的地は遥か彼方、道の先も見えない有様なのに。果たされる約束だからって、報酬も対価もご褒美も溢れて溺れて死んじまいそうなくらい前払いでもらってるんだ。


 俺はリューが好きだ。大好きだ。

 だから約束は果たす。必ず果たす。

 使命も責任も、可能も不可能も知ったことか。


 誰が立ちはだかろうが、なにが妨げようが、その全てを打ち砕いてやる。

 リューとの約束を果たすために、愛するリューと一緒に生きていくために!


 俺は、右腕に【龍覇気】のエネルギーを集中させながら告げる。


「魔剣を抜け、《竜殺し》。俺の覚悟を問うのなら、貴様の全身全霊を見せろ」

「――ああ、そうさせてもらう!」


 銀の瞳から悲痛な使命感の色が消え、闘志の火が点いた。

 ジークフリートは剣を放り捨て、右手を頭上に掲げる。

 すると、《竜殺し》の刻印が目も眩む強さで輝き出した。


「《霊宝》顕現……吼えろ、《バルムンク》!」


 刻印から溢れ出した青い光が、実体を成してジークフリートの手に収まる。

 姿を現したのは、青い宝玉が埋め込まれた黄金の柄と、幅広の刀身に青の燐光を帯びて輝く剣。放り捨てた鋼鉄製の剣とは、まるで存在感が違う。


《バルムンク》――《竜殺し》の英雄ジークフリートを象徴する伝説の魔剣だ。


 神秘の術によって製造され、あるいは伝説に残る活躍によって神秘を宿した、その英雄を象徴する武器。刻印に宿ることで刻印と共に継承され、刻印と同様に使い手と一体になって成長する至宝の神具。それこそが《霊宝》だ。


《竜殺し》の霊宝として知られる、この魔剣はそれ自体が【対竜】の力を秘め、《竜殺し》が振るえば自身の【対竜】と相乗効果を発揮。まさしく竜に対する必殺の刃と化す。


「いくぞ。《竜殺し》の誇りに懸けて、私はお前に挑戦する!」

「来い! その魔剣が《龍》に通じるか、見せてみろ!」


 ジークフリートが剣を構えるのに合わせ、俺も右腕を振り被る。

 拳ではなく開いた右手の内、真ん中三本の指先から光の刃が伸びた。

 いいや、刃じゃない。【龍覇気】で形成されたこれは……『爪』だ。


「【ドレイク・スレイ】――!」

龍秘技ドラゴニック・アーツ、【ドラゴン・スクラッチ】――!」


 竜殺しの魔剣と、龍の爪が正面から激突する。

 接触点に閃光と衝撃波が凝縮し、瞬時に弾けた。雷鳴のごとき余波が中庭を走り、野次馬が悲鳴を上げて逃げ惑う。


 威力は俺が優勢。しかしそれを支える土台が、右腕の骨が反動で粉砕寸前。

 だが構うか! 力ずくで押し込む!


「グ、ルアアアアアアアア!」

「く……ああああ!」


 魔剣の纏う光が砕け、ジークフリートの体は大きく弾き飛ばされた。

 結果、ジークフリート自身は【ドラゴン・スクラッチ】の軌道から逃れる。


 俺の手から離れてなお威力が死なない龍の爪撃は、光の刃となって地面を裂きながら直進を続け――進路上にあった学舎を寸断した。


「ぎゃああああ!?」

「なんだなんだなんだ!? なにこれ通路が割れた? 沈んだ? 崩れた?」

「ちょ、助けて! 落ちる落ちる!」


 学舎の中では阿鼻叫喚。

 中庭の生徒たちも、輪切りにされた学舎を見て顎がカクンと落ちている。

 ……うん、また学院長のお腹が痛くなりそうだな。


 斬りかかってきたのはジークフリートの方だし、こっちは正当防衛だし、うん俺悪くない! 修理費とかの話になったら《竜殺し》様に丸投げするとしよう!


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