学院長は お腹 が 痛い。


 第一闘技場、発生した局地的竜巻により完全に倒壊。

 負傷者多数。死者は――なし。


 試合の被害報告書を今一度読み直し、学院長ケイローン=サジタリウスは長々と重いため息を吐いた。


「思ったよりはずっと軽く済んだな……なにせ、死人が一人も出なかったのだから」


 椅子の背もたれに体重を預け、脱力する。

 夜も更けて他に教師の姿もない、学院の執務室。窓から差し込む月明かりを除いて、その弛緩した姿を見咎める者はいなかった。


 ドラゴンを招き入れてしまったのだ、ポーズだけでも力を抜かなければとても身が持たない。《竜刻印》の噂を耳にしたときから直感が疼いてはいたが、まさかドラゴンはドラゴンでも真なるドラゴン、《龍刻印》の継承者が現れるとは。


 現代では混同されがちだが、一般に強大な魔物として知られている《竜》はドラゴンではない。正しくはドレイクと呼び分けられる、《龍》の因子を宿した獣だ。

 真なるドラゴンの力であれば、竜巻を起こす程度は序の口である。


「まさか、生涯に二度もドラゴンと遭遇する羽目になるとはな……」


 ケイローンが《龍刻印》の持ち主と出会ったのは、彼の少年で二人目。

 一人目である友を思い出して、尊くも苦い懐古の念が胸を締め付けた。

 友は歴史の裏で、人知れず人類を滅ぼさんとする脅威と戦った。歴史に名を刻むことなく、《語られぬ英雄》として僅かな関係者の記憶に残るのみ。


「それにしても、《龍刻印》を抜きにしてもただ者ではないと思ったが……」


 共に《語られぬ英雄》と肩を並べた戦友である辺境の領主に、件の少年少女――ニシキとリューについて調査を頼んだ。

 その報告書を読み返し、内容の途方もなさにケイローンはまた眩暈を覚える。


 ニシキはなんら特別な出生を持たない、村の若夫婦の間に生まれた普通の人間だ。


 しかし一〇年前、両親が魔物に襲われて死亡。《魔窟の森》は特異な生態のため、滅多に魔物が村に出ることはない。しかし『滅多にない』は『絶対にない』にあらず。その稀な事態に防人の戦士もいない場面で夫婦が出くわしたのは、不運な事故と言えよう。


 両親の死が余程ショックだったか、親なしになった彼に対する子供たちの心ない言葉が引き金になったか。あるいは家族を奪った魔物への、子供なりの復讐心か。

 いずれにせよ、ニシキは《魔窟の森》に一人で飛び込んでしまった。


 そして森の奥深くに入り込んだ先で、野生児と化した《龍の巫女》リューと出会ったらしい。彼女がなぜ《魔窟の森》で生まれ育ったかは、当人にもわからないようだ。


 しかし、驚くべきはここから。……なんとニシキはというのだ。


「巫女様と《龍刻印》に守られ、なんの苦労も知らずぬるま湯で育った――などと、あの森の恐ろしさを知る者なら口が裂けようとも言えまい」


《魔窟の森》の特異な生態。それは『闘争』だ。ただ生きるための『狩猟』ではなく、より強くなるための『闘争』を、なぜか森の魔物たちは重んじている。


 どうやら森を支配する長の影響らしいが、とにかく森の魔物たちは己より強い敵に戦いを挑み、弱い相手には余程飢えてでもいない限り目もくれない。そして挑まれれば決して逃げず相手になる。だから弱い村人を襲うことも滅多にない。


 そんな環境下で生き抜いてきた森の魔物は、王国の中でも屈指の強さを誇る。もしも軍勢となって王都に押し寄せれば、今の王国軍などひとたまりもあるまい。


 しかしその強さを作り上げた誇り高さ故に、辺境はむしろ他の村々より安全だ。なにせ森の魔物を恐れて、余所から魔物が寄って来ないのだから。


「《魔窟の森》は弱者すら闘争の坩堝に我が身を投じ、さながら蟲毒のように強者を作り上げる狂気の戦場。その人外魔境で闘争を勝ち抜き育った少年が、弱いはずもあるまいに……経歴を知らずとも強さを見抜けぬとは、英雄の血統も地に堕ちつつあるな」


 試合を挑んだローラ=ハウラグローは【魔力感知】に反応がないことから、与しやすいと判断したらしい。全く浅はかな。


 先入観を捨てて、ただあの漆黒の眼を見つめれば、相手が圧倒的捕食者だと本能で理解できるだろうに。いや、今の生徒たちではそれすら難しいのか。

 嘆かわしいことだ。


 古の時代に多くの英雄を育て上げたという賢者、《人馬の射手》の刻印と真名を継承しながら、彼らを十分に導けず腐らせてしまった。

 己の不甲斐なさも含めて嘆き、ケイローンは呟く。


「我々人類の歴史は、その傲慢が招いた災厄との戦いの歴史だ。罪を贖うように人類は血みどろの闘争を繰り返し、多くの英雄が犠牲を払った末、平和と呼べる時代が訪れた。しかし平穏は怠惰に変わり、使命は忘れられ、力に溺れた貴族たちは己の欲得しか頭にない。人類が繁栄という罪を重ねる限り、魔物との戦いに終わりなどないというのに」


 古の時代、人類はその繁栄を永遠のものとするため、尽きることなき無限の資源を求めた。

 そして生み出されたのが、別次元から無限にエネルギーを引き出す大魔術。


 それによって、無限の資源を得るという悲願は確かに果たされた。

 しかし代償として、人類は無限の脅威を世界にもたらす。


 それこそが別次元より現れ、また別次元のエネルギーを受けて地上の獣が変質した異界生物――《魔物》だ。魔物は別次元のエネルギーが凝縮された《魔結晶》を核とし、魔物を倒して魔結晶を得ることが、現代の魔導文明を支えている。


 魔導文明による繁栄を続けるには、永遠に魔物と戦い続けなければならない。

 そして戦いに勝利し続けるため、英雄は強く強く在り続けなければならない。

 だというのに、英雄の質は年々下がる一方だ。


「果たして彼らは王国が生まれ変わる転機となるか、それとも滅亡を告げる凶兆か」


 ニシキとリューは、《語られぬ英雄》の友とは違う。王国の平和と繁栄に貢献しようなどという意識は全くなく、またその義務もない。そもそも、ドラゴン相手に助力の強要など誰ができるものか。


 それでいい。我欲を捨てて国と人々に尽くした友の献身は、一握りの英雄に依存する怠惰を招き、国の腐敗を一層深める皮肉な結果に終わってしまった。


 だから今の王国に必要なのは、救世主でなく脅威。英雄たちの覚醒なくして乗り越えられない脅威となること。それこそケイローンが二人に求める役割だ。


 圧倒的脅威を前に、英雄たちが目を覚ませば良し。

 さもなければ……それまでのこと。


「ひとまず、私は教員が馬鹿な真似をしないよう、目を光らせなければなるまいな。管理人の一件もある。つまらぬことで龍の逆鱗に触れられては、堪ったものではない」


 教員の多くが侯爵家や伯爵家の口利きで教職に就き、また彼らに媚を売ろうと平気で子息子女の不正を許す下級貴族だ。おかげで教育の場は貴族による派閥争いの延長と化し、学院長であるケイローンの意向にも従おうとはしない。


 病に臥せった王に代わり、王女が腐敗貴族による学院への介入を抑えようとしてくれてはいるのだが。一〇〇年の腐敗が築いた牙城を崩すのは容易ではない。


 その点も含めて、上手く立ち回る必要があるだろう。

 雨が恵みにも水害にも成り得るように、ドラゴンという天災を王国再生の益に変えられるか否か。王国の存亡はそこにかかっている。


「それにしても……」


 ケイローンはまた別の書類を手に取る。これは生徒や教師からの嘆願書だ。


 どれもニシキが闘技場を吹き飛ばした件を引き合いに出し、「あんな野蛮で下賤な輩に分不相応な力を持たせて置いては」云々と、ニシキの危険性を訴える内容だ。切実な訴えのように見えて、これを口実に《龍刻印》を奪いたい、卑しい欲が透けて見える。


 なんとも馬鹿げた意見だ。天災に等しきドラゴンの力、危険でない方がおかしいだろうに。むしろ死人を出さない範囲に加減しただけ、あの少年は十分温和な部類と言えよう。


 少なくとも、欲深く愚かな生徒たちや教師たちに任せるより遥かにマシだ。

 しかしそれとは別で、本当に切実な、血を吐くような訴えも。


『あの二人が所構わずイチャついて学院の風紀を乱している』

『彼女いない歴=年齢の自分に見せつけてきていじめる』

『ハートマーク散らしまくって廊下が足の踏み場もありません』

『独り身の寂しさを増大する状態異常をかけられて仕事が辛い』

『なんか砂糖吐きそう』

『新しい校則を発行して、あの二人のイチャイチャを規制するべき』


 男子生徒を中心に一部教師や女子生徒まで、それはもう怨恨と嫉妬のほどが、書き殴った筆圧に窺い知れる嘆願の数々。

 これにはケイローンも思わず苦笑いだ。


「確かに教育の場で悪戯に風紀を乱されるのは困るが……ドラゴンの恋路を邪魔すると、尻尾でドーンされるからなあ」


 アレは痛い。体が曲がってはいけない方向に、くの字に折れ曲がって凄く痛い。

 今となっては懐かしい思い出に笑みを零しながら、思い出し腰痛に自らの老いを感じるケイローンなのであった。


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