腹黒主席の前に ドラゴン が 現れた。


 エインヘリヤル英雄養成学院には、闘技場が三つもある。


 理由としては設立当初、どれだけ防御結界などの措置を施しても、英雄たちの激突で闘技場が頻繁に破壊されてしまうためだとか。つまり一つを修復している間の予備が二つは必要だったというわけだ。


 しかし現代に於いて、生徒同士の戦いで闘技場が破壊などされたためしがない。防御結界の性能が向上したためとも言われるが、そもそも逸話の信憑性も怪しいところ。


 大方、学院が知名度を上げるため、無駄に金をかけて見栄を張ったのだろう。

 そんな話はどうでもいい。今、重要なことは一つだけ。


 今日、ここ第一闘技場が自分――《勇者》にして未来の大魔導士である、このローラ=ハウラグローが輝く栄光の舞台だということだ。


「まさか、伝説の《竜刻印》を手に入れる絶好の機会に恵まれるだなんて……やはり私はこんなところで終わる器じゃない。高みへ上がるべき選ばれた人間なのよ!」


 闘技場の真ん中で相手を待ちながら、ローラはブツブツと呟く。

 真ん中分けした金髪の下に怜悧な顔立ちをした、如何にも優等生といった印象の少女。しかしその澄ました笑顔は、真っ黒な腹の底を隠す仮面に過ぎない。


 それを生徒も教師もよく知っているため、闘技場を丸く囲う観客席からローラを応援する声はほとんどない。かといってこれから戦う相手も、生徒たちからはよく思われていないが。観客が集まっているのは、ひとえに伝説の《竜刻印》見たさだろう。


 最初にその噂を聞いたときは一笑に付したが、学院長がわざわざ辺境の平民を招いたとあれば信憑性は高い。所詮過去の英雄とはいえ、人を見る目は確かだ。


「ふんっ。見ていなさいよ。この私の才能と実力に《竜刻印》が加わりさえすれば、《真名》持ちだって目じゃない。すぐ名実共に学院の頂点に君臨してやるわ……!」


《刻印》は力を継承し育む性質上、歴史の古い、より代を重ねた刻印ほど強大な傾向にある。そして基本、刻印は血筋の繋がった子や孫へと継承される。そのため現代では英雄の末裔が貴族や王族といった支配階級を築いていた。


 しかし、全ての貴族が真に英雄の力を継承しているわけではない。

 それも当然の話で、一つの家系に刻印が一つとしても、二子三子の存在がある。本家から分かれた分家であれば尚更だ。


 そういった者たちにも《刻印》は宿るが、それは古き英雄の力を引き継いでいない、言わば『無名』の刻印。刻印を持たない平民よりは遥かに優れていても、歴史の蓄積がない分、英雄たちの中では『その他大勢』に埋没する凡人に過ぎなかった。


 ローラも生まれは分家の中流貴族、刻印の持つ《勇者》の響きも、ただの皮肉だ。

 幼少の頃、一を聞いて一〇を知るローラは神童だ天才だと周囲に称えられ、彼女自身も己に不世出の才能があると信じて疑わなかった。


 しかしいざ学院に入れば、そこは怪物の巣窟。一を聞いて一〇を知る程度では、どうにもならない才能と力の壁を突きつけられた。現実を受け入れられないでいる間に、見下していた同期にまで追い抜かれる始末。


 上を目指す野心も、泥臭い努力を嘲るプライドも捨てられず、結果としてローラが選んだのは不正。教師に取り入り、邪魔な生徒を陥れ、卑劣な策謀の限りを尽くして、二学年主席の地位を手に入れた。


 しかし、ローラは陰謀を巡らす才にも欠けていた。結局はその非道を弱味として握られ、欲深い教師どもの傀儡にされようとしている。


 この屈辱的な立場を抜け出すためには、圧倒的な力が必要なのだ。誰もが自分の足下に平伏す、ドラゴンの力が。


「それではこれより、特待生ニシキと二学年主席ローラ=ハウラグローの試合を開始します! 特待生ニシキ、前に! ……特待生ニシキ?」


 審判が呼びかけるも、件の《竜刻印》を持つ平民が入場口から現れない。

 恐れをなして逃げ出したかと思いきや、入場口には平民の少年がいた。

 では審判の呼びかけにも応じず、少年がなにをしているのかというと。


「どう? 似合う? 似合う?」

「その確認、何度目だよ? 似合うし、可愛いに決まってるだろ。リューはなに着ても似合うからな。まあ、リューがこんなに可愛いから当然だけど」

「えへへー。ニシキも、似合ってる。カッコイイ。惚れ直した。大好き」

「お、おう。俺も……待て、チューは待って。俺の理性さんがいい加減本当に限界だから待って。一応これから試合なんだから――」


 なんか紅髪の少女とイチャイチャしていた。

 あの少女が《竜の巫女》なのだろうが……これはアレか、身体目当ての下品な教師以外、誰も男が寄って来ない自分への当てつけなのか。よし殺そう。


 ローラの顔が怒りと妬みで引きつる。そんなものは見えていないとばかりにハートマークを飛ばす二人に、観客席からも暗い僻みのオーラが立ち昇った。


 ようやく満足したらしく、最後に少女から頬にキスで見送られた少年――ニシキがローラの前に進み出る。ぼけーっとした顔で、緊張感の欠片もなかった

 二学年主席の自分を前に、怖気づくどころか欠伸を噛み殺すふざけた態度。

 すぐ地面に這いつくばらせてやる、とローラは加虐心を燃やす。


「巫女様の前で無様に泣き喚いて醜態を晒す準備はできたかしら?」

「醜態? 恥ずかしい所なら夜にリューと見せ合いっこする予定だが、これから泣いて喚くのはそっちの方じゃないか? ドラゴンの暴威を前に、恐れ戦き逃げ惑うのが、お前たち英雄どもの役割だろう」

「あら? 虚勢を張るだけ滑稽なだけよ? あなたの化けの皮なんて、とっくに剥がれているんですから」


 そうとも。ローラの目には、ニシキの正体などとっくにお見通しだった。

 この少年、

 他者の魔力を感じ取るスキル【魔力感知】の反応が皆無なのだ。


 魔法使いに限らず、《刻印》を宿す者は多かれ少なかれ魔力を発する。生命エネルギーと精神エネルギーの化合から生成される魔力によって、超常の神秘を《スキル》として行使する域にまで達した、英雄の力を振るうのだ。

 物理一辺倒の戦士でさえ、岩を砕く膂力は魔力を用いた【身体強化】によるもの。


 その魔力が全く感じられないということは、刻印の力を一片ほども引き出せていない、つまり正真正銘の無能。

 ここまで酷い能ナシを見るのはローラも初めてだ。


 同じ無名の《勇者》であるアレクが、辺境まで《竜刻印》を奪いに行って返り討ちにあったそうだが……貴族に生まれたことしか自尊心の拠り所がない、あの馬鹿のことだ。大方、油断しまくったところに不意打ちでも喰らったのだろう。あの馬鹿相手なら、背後から頭に棒切れを振り下ろすだけで勝てそうだ。


 当然、自分はそのような無様など晒さない。

 こんな愚図に《竜刻印》を持たせるなど、まさしく豚に真珠というもの。

 ただ幸運に恵まれただけの愚鈍な平民風情より、高みを目指し邁進する自分にこそドラゴンの力は相応しい。


「顔に分厚い皮被ってるのは貴様だろうが。化粧とか言うらしいが、なんだそのケバケバしい落書きは。まあその腐臭漂うドドメ色の腹黒さを隠すには、それだけ分厚く塗りたくる必要があるのも、わからなくはないがな」

「っ。ぶ、無礼も大概にしないと、五体満足で闘技場から出られなくなるわよ? 私を誰だと思っているの? 貴族にして学年主席である、この――」

「村に押しかけてきた馬鹿と同レベルの馬鹿具合だな。貴族だの学年主席だの、そんな人間の尺度で作った身分や肩書きで、ドラゴンを萎縮させられるとでも思ったか? 俺を敬服させたかったら、力と行いで示せ、英雄」


 ……どうやら、このキチガイは痛い目を見なければ現実も見れないらしい。

 さも自らがドラゴンそのものであるかのような口ぶり。妄想の世界に浸った頭のおかしいイカレの戯言だ。呼吸させるだけで神聖なる学院の空気が汚れる。


 これ以上の問答は無用。さっさとこのゴミを排除して《竜刻印》を頂こう。


「死んで身の程を弁えることね! 炎属性魔法、【ギガファイア】!」


 試合開始の合図も待たず、ローラは仕掛けた。

 前方へかざした手より特大の火柱が、それも五つの魔法陣から同時に放たれる。

 ローラを内心嫌う観客席の生徒たちも、これには感嘆の吐息が零れた。


《激情の魔女》や《四元素の術師》といった真名持ちにこそ今はまだ遠く及ばないが、伊達に領地で神童と褒め称えられていない。魔力量や所有魔法は十人並でも、術式の高速・多重展開といった刻印に依らない技術は高水準にある。


 それにローラは制服の裏に、魔法の効果を増強する《呪符》を大量に仕込んでいた。これによって攻撃魔法の威力が上がるだけでなく、魔法防御の鎧で常に守られている。


 呪符は呪いの副作用で人体に害を及ぼす禁制の品だが、バレなければ犯罪ではない。呪いも【呪い移し】で適当な生徒たちに押しつけた。どうせ学費を無駄にしているだけの無能ども。才能ある自分が有効活用してやったのだから感謝して欲しい。


 業火の瀑布がニシキを呑み込む。防御結界に当たって、観客席に溢れ返りそうな規模の炎だ。元より逃げ場などない。

 結界越しに迫る炎と、愚かな平民の末路に観客席から上がる悲鳴。


「田舎育ちの巫女様には、少々刺激が強すぎたかしら?」


 嗜虐心を満たしながら入場の方へ目をやり、しかしローラは怪訝な顔をする。

 少女は嘆き涙するどころか、笑みすら浮かべていた。かといって、少年の死に様を嗤っている風でもない。アレは……ローラに対しての失笑?


「――温い」


 パンッ、と風船が割れたような軽い音と共に、膨大な炎が一瞬で霧散する。

 焼死体が一つ転がっているはずのそこには、焼け死ぬどころか制服を焦がしてさえおらず、平然とした顔で立つニシキが。


「ちんけな火力だ。この程度の熱量では、鉄も溶かせやしないぞ」

「えっ。え? ……え?」


 ローラは、十八番のポーカーフェイスも取り繕えずに間抜け面を晒す。

 ニシキの黒だったはずの瞳が、金色に輝いてローラを射竦めた。


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